写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

竹夫人(ちくふじん)

2011年07月27日 | 生活・ニュース

 毎日新聞の月曜日、社会面の片隅に「週刊漢字 読めますか?」と題して、毎週3つの漢字が書きだされる。毎回、季節や時の出来事に合わせた漢字の熟語が問題として出される。今週は「遮蔽」「端居」「竹夫人」の3問であった。ヒントは電気を使わず暑さをしのぐ方法だと書いてある。

 「遮蔽」は読める、しゃへい。覆いをすることで、すだれや緑のカーテンで日光を遮ること。「端居」は「はしい」と読むことを知った。縁側など家の端に出ていること。夕方や夜にうちわを手に涼むこと。さて「竹夫人」は、たけふじん? 答えを見ると「ちくふじん」と読むらしい。意味は抱き籠。竹製または籐製の抱き枕で、中が空洞なので風通しが良い。夏の季語と書いてある。見るも聞くも初めての言葉である。

 暑い夏、毎夜裸に近い恰好でごろりベッドに転がって寝ているが、未だかつて抱き枕など使って寝たことはない。そんなものを見たこともない。どんなものなのか、興味を持ってもう少し調べてみた。

 「抱き枕とは、枕の一種とされるが、抱くようにして使用する大型のものを指す。古くから世界各国に見られ、筒状の布袋に綿やスポンジなどの弾力ある素材を詰めたものがある一方、竹籠のように中空の筒状になっているものもある。

 横向きになって足をもたれさせて使用する。これにより、下側になる足に上の足の重量がかかりにくいようにして寝ることができる。中空の抱き枕を利用することで、掛け布団と寝床の間に空気の通り道ができ、放熱が促されて涼しく快適に寝ることができる。添寝籠ともいい中国では古くから用いられ、宋代に俗に竹夫人と呼ばれた」と書いてある。

 この暑くて寝ぐるしい夜、涼を得るために抱いて寝るための竹製の籠を「竹夫人」と名付けるとは、古の中国人にも粋な人がいたものだ。さて、今夜の私は何を抱いて寝るか。今の世相への不平や不満ではなく、小さな志でも抱いて休むことにするか。しかし、これでは暑さをしのぐことは出来ないなあ。


行き当たりばっ旅

2011年07月26日 | 旅・スポット・行事

 16日の土曜日の朝、3連休とも知らずいつものように朝食を済ませ新聞を読んでいた。つい1週間前には、ぶらり阿蘇山が見たくなって片道350kmを走ったばかりだ。さて、今日は何をしようか……と考えていたとき、前々から奥さんが言っていたことを思い出した。「もう1度、軽井沢と八ヶ岳をドライブしたいわ」。

 「今から、出かけるぞっ。軽井沢へ……」。決断すると支度は早い。大きなトランクには、思い立ったらいつでも出かけられるように旅行用品が入っている。30分後、時計を見ると10時半、最終目的地を軽井沢と決めただけで車で出発した。

 ナビで検索すると850kmある。さて、今日はどこまで走ることが出来るやら。工程も宿も決めることのない行き当たりばっ旅がスタートした。3連休といっても高速道路は混んでいない。SAで休憩をとりながら快走し、夕方4時半に彦根インターで降りた。体力的にはまだ走ることは出来たが、国宝の彦根城を一目見たく、ここで1泊することにした。軽井沢までのちょうど中間点でもある。

 5時ちょうどに彦根城についたが、残念ながら5時で閉門。堀の外から天守閣を眺めるだけの観覧で終わった。門前の説明文を読んでみた。「井伊氏14代の拠点として置かれた平山城。松本、犬山、姫路の3城と並び天守閣は国宝。新日本観光百選のひとつで琵琶湖八景『月明彦根の古城』として知られている」。

 低い山の上の天守閣は街の真ん中にあり、どこからも眺めることが出来るいい町だ。城周辺もよく整備されているし、観光客は買い物に食事にと、街歩きも十分に楽しめるようにしてある。岩国も大いに参考にしてほしい気持ちになった。

 城近くの「たねや」という格調高いレストランで、近江の里の季節御膳で腹を満たした後、琵琶湖の夕日を眺めに行った。ものの4,5分の間に、遥か遠く湖西の山並みに落ちて行った。この日の宿は携帯電話で探したあげく、彦根駅前のビジネスホテルがなんとか取れた。ゆっくりと休み、明日は中央道を突っ走り、目的地の軽井沢を目指す。


朝雷の一喝

2011年07月25日 | 生活・ニュース

 ゴロゴロゴロ、ドッカーン…… 丑三つ時、心地よい夢を見ていたら、突然の轟音で眼を覚ました。全開しているジャロジーから入ってくる雷の音の合間に、小雨が屋根を静かに叩く音が聞こえる。梅雨が終わって以来、久しぶりに聞く雨音であった。眼をつむっていても、稲光が走るのが分かる。そんな深夜、眠れないままベッドの上で過ぎしこの1カ月に思いを巡らしてみた。

 6月24日、私が家を空けたちょうどその日、定年後の10年間良き相棒として付き合ってくれたハートリーが急逝した。翌日家に帰ってきてそれを知った。10年も一緒にいれば家族同然。いつも私の方を向いていた彼がいなくなった淋しさは言葉にならない。ただ悲しいだけの毎日が過ぎていった。

 家の中を見回せば、ハートリーが残して行ったものが至る所にある。ドアをかぐった爪あと、残されたエサ、臭いのついたリード、1度も入ったことのない手作りの犬小屋、金網サッシの傷跡、投げて遊んだ黄色のボール、部屋の隅に落ちた毛玉。見るもの全てがハートリーにつながった。

 書くことはたくさんあるにもかかわらず、ブログに向かう気がしない。7月に入り、「ハートリーの履歴書」と題して、彼の一生を書き始めてみたが、切なくなって書くことを止めた。ハートリーの臭いのしない所に行ってみたくなり、2回車で出かけた。1度目は阿蘇山、2度目は信州の軽井沢・八ヶ岳であった。

 行く先々で見る雄大な自然の景色は、自分を小さく小さく見せる。「そんな毎日でいいのか?」と、問いかけられているように思えた。これが自然からの治癒力というものか。そして1か月が経った今朝、、深夜の雷鳴で眼を覚ました。「もうそろそろ、いつものお前に戻ったらどうなの」と、今度は天から喝を入れられたように思えた。

 あいつのお陰で定年後の10年間、元気でいられた。感謝の気持ちでいっぱいだ。ハートリー、ありがとう。少しずつ私も元の元気さを取り戻しているよ。こうしてブログも書けるから。時々はお前のことも、また書いてみたいよ。お互い、忘れることはないだろうね。きっと。とりあえずグッバイ、ハートリーと言っておくよ。 
  (写真は、立ち寄った「琵琶湖の落日」)


「僕の履歴書」ハートリー(6)

2011年07月06日 | 車・ペット

 あんなこんなで楽しい毎日を過ごしていた僕も、6月には気がつけば満10歳になっていた。若い頃、山歩きが好きだったが、散歩はもともとあまり好きではない。最近は夕方の散歩も、主人だけが出かけることが多くなった。犬の10才は、人間でいえばまだ60前だというので、まだまだ頑張れる年代だと思っているのだが。

 耳の炎症などで病院通いはしているものの体調はよく、食欲も旺盛で夜もぐっすり眠ることが出来る。6月下旬のそんなある日、主人は所用のため朝から1泊の予定で出かけて行った。奥さんも昼前に出かけて行き、僕は1人で留守番することになった。

 今までも、こんなことはよくあった。僕は居間で横になり、いつものようにゆっくりと休んでいた。夕方の4時、奥さんが帰って来た。いつもなら玄関に迎えに出る僕は横になったまま動かなかった。「ハートリー、どこにいるの~?」と奥さんは言いながら僕を探す。その声を僕はかすかに聞こえたかどうか自分でも分からない。そのまま気が遠くなっていった。

 いつもとは様子の違う僕を見つけた奥さんは驚いて、すぐに病院へ連れて行った。先生が点滴や心臓マッサージなどの救急処置をやってくれる。しかし、僕はそれに応えることが出来なかった。このとき、僕の一生は終わった。6月24日、10歳と13日の生涯であった。

 翌日午後6時、主人が帰って来て、火葬場に駆けつけてくれた。僕の最期に立ち会うことが出来なかった悔いなのか、あふれる涙をふくこともなく暗い炉の前に座りこんでいた。あれだけいつも一緒だった主人であったが、肝心な最期のとき主人と離れ離れであった。僕にとっても主人にとっても悔いの残る別れとなった。「最期の姿を見せなかったのは、私に対するハートリーの思いやりだったのでは」とは主人の言葉。

 この日以来、僕のいないロードスター家、主人と奥さんは、僕が残したものを見てはただ涙。この家にあって、僕は犬ではなく2人の子供であったことを再認識した。突然の死ではあったが、この夫婦に飼われて、本当にいい人生だったよ。ありがとう。ありがとう。僕の大好きなロードスターさん、そして奥さん。(完) 


愛される理由

2011年07月05日 | 車・ペット

 私だけではないだろう。誰からも愛されていたいと思うのは。しかし、ままならないのが世の常。ある人からは愛されるが、ある人からはうとまれる。思想信条の相違は別として。何故だろう。

 これに対する答えを、私はハートリーから教えてもらった。犬だから出来ることであって、なけなしのプライドがあったり、自我の強い人間にはとてもまねはできない技のように思える。

 まずその1、「限りなく従順」。「おはよう」と言えば「おはよう」とは応えてくれないが、「座れ」といえば座り、横にすれば横たわったまま。毎晩の耳の掃除や、長くなった毛を切るときも、なされるがまま。全てが私の意のままに動いてくれる。指示に対して、いやだということが殆どない。信頼しきっている。

 その2、「甘え上手」。留守番をさせていて、私が帰ってくると足元でくるくる舞ったり、ひっくり返っての大歓迎をする。淋しかったことを体全体を使って素直に表現する。それを見るとついついほだされて「よしよし、淋しかったか」などと言いながら頭をなでてやったりする。思いを全て素直に体で表現する。

 その3、「いつも私を見ている」。私が家にいる時は、常にそばに横たわっていて、頭は私の方に向けている。トイレに行けばついてきて、入口ドアの外で伏せて待つ。出かけるときには一緒に出かけたがる。片時も私から離れる様子は見せない。足手まといといえばそうかもしれないが一心同体だ。

 その4、「受動的」。自分から積極的にこうして欲しいというような言動は示さない。食事時、テーブルの下に座り、自分から欲しい仕草は見せない。私が与えるものは全て口に入れる。何ごとも与えられたものを享受するだけ。ただ我慢我慢である。

 その5、「愛くるしい動作」。見ているだけでかわいい動作を見せる。お腹がいっぱいになるとひっくり返って左右に体をねじらせるなど愛くるしい。放っておいてもひとり遊びが上手である。「遊んでよ」なんて、相手に遊びを強要しない。遊んでやったときには、嬉しそうにとことん遊ぶ。

 どうです、これらの技は。犬うを飼う目的はいろいろあるだろうが、一番の目的は自分の良き相棒として「限りなき従順さ」かもしれない。そういえば私の人生、言っても言っても従ってくれない人が多かったことがそうさせたのか? でも、こんなに従順な恋人がいたら、刺激がなさすぎるかも?