「マツダロードスター、樹脂製屋根・電動で開閉、操作時間・最速の12秒」。今日の日経新聞をめくっていると、写真入りのこんな記事が目に入った。
マツダのオープンカー「ロードスター」に、電動で屋根を開閉できる「パワー・リトラクタブル・ハードトップ」という、舌を噛みそうな車種が追加発売された。
屋根は座席とトランクの間に格納し、荷物を入れるトランクスペースは基本モデルと同じ広さを確保している優れものだ。価格は240~280万円という。
今私が乗っているロードスターは、1991年製の初代のモデルで、かなりの高齢車だ。現在販売されているものは3代目のモデルで、昨年発売された。
国内外で、コンパクトなスポーツカーはいろいろ販売されているが、電動で屋根が開閉できる車種は限られている。
私が知っている範囲では、世界初だったベンツSLKと軽のダイハツ・コペンだけだ。このたび、マツダロードスターがこれに加わった。
早速マツダのホームページを開いて読んでみた。良いことばかりが書いてある。今乗っているものとは桁違いに進化している。
新発売されたロードスターが、安い中古車として売りに出されるまで、5~6年はかかる。その時まで今のロードスターに大事に乗って、是非これに乗り換えてみたい。
ソフトトップのロードスターに、過剰な快適性を要求するのは場違いであることは承知の上だが、夏・冬の居住性はかなり厳しいものがある。
ハードトップが装備されておれば、この悩みか解消するだけでなく、瞬時にオープンカーにも変身するというメカニズムが、機械屋の私をこよなく魅了する。
マツダには申し訳ないが、新車発売と同時に私は中古車の販売を待っている。その前に、超旧型ロードスターで、今日にでも宝くじ売り場に走ってみるか。
(写真は、追加発売された「ロードスター」)
マツダのオープンカー「ロードスター」に、電動で屋根を開閉できる「パワー・リトラクタブル・ハードトップ」という、舌を噛みそうな車種が追加発売された。
屋根は座席とトランクの間に格納し、荷物を入れるトランクスペースは基本モデルと同じ広さを確保している優れものだ。価格は240~280万円という。
今私が乗っているロードスターは、1991年製の初代のモデルで、かなりの高齢車だ。現在販売されているものは3代目のモデルで、昨年発売された。
国内外で、コンパクトなスポーツカーはいろいろ販売されているが、電動で屋根が開閉できる車種は限られている。
私が知っている範囲では、世界初だったベンツSLKと軽のダイハツ・コペンだけだ。このたび、マツダロードスターがこれに加わった。
早速マツダのホームページを開いて読んでみた。良いことばかりが書いてある。今乗っているものとは桁違いに進化している。
新発売されたロードスターが、安い中古車として売りに出されるまで、5~6年はかかる。その時まで今のロードスターに大事に乗って、是非これに乗り換えてみたい。
ソフトトップのロードスターに、過剰な快適性を要求するのは場違いであることは承知の上だが、夏・冬の居住性はかなり厳しいものがある。
ハードトップが装備されておれば、この悩みか解消するだけでなく、瞬時にオープンカーにも変身するというメカニズムが、機械屋の私をこよなく魅了する。
マツダには申し訳ないが、新車発売と同時に私は中古車の販売を待っている。その前に、超旧型ロードスターで、今日にでも宝くじ売り場に走ってみるか。
(写真は、追加発売された「ロードスター」)
初めて東京に転勤したときのことである。横浜の東戸塚にマンションを見つけた。1年経ったころ、本社が霞ヶ関から幕張副都心に移った。
通勤距離は100km、1都2県をまたいでの遠距離通勤となった。朝7時の電車に乗り、東京駅のカフェで休憩をかねた朝食をとる。
気を取り直して、地下道を700m歩き京葉線に乗り換え、ディズニーランドに向う親子連れと一緒に座って海浜幕張に向う。
通勤時間は、休憩を入れて2時間弱。通勤することが、仕事の大半を占めるような毎日であった。
夕方6時過ぎ、1日の仕事を終えて会社を出る。帰りは3年先輩で、横浜の金沢文庫に住むNさんと一緒に帰ることが多かった。
東京駅で横須賀線に乗り換えるとき、ビール好きのNさんは必ず缶ビールを買って乗った。ふたりで帰るときには、私もお付き合いで買うようになった。
つまみは、剣先するめと決まっていた。東京始発の電車に列に並んで乗れば、窓際の席に向かい合って座ることが出来た。
発車する前から、缶を開けて「お疲れさま」と小さく言いながら飲み始める。東京に出てきたとき、これと全く同じ情景をよく見ていた。
それを見たとき、「帰りの満員の電車の中で飲まなくても、家でゆっくりやれば良いのに」と、やや冷ややかな目で眺めていた。
それから数年後、自分がそれをやっていた。しかし大都会の中で、通勤が仕事の大きな部分を占めている中、その気持ちが分からなくもなくなっていた。
仕事帰りの一杯を、みかん箱の上であれ、立ち飲みであれ、電車の中であれ、サラリーマンが飲んでいる姿を今見ると、私はいつもこのときのことを思い出す。
「砂漠のような東京」で、仕事を終えた男が、小さくホッとするひと時でもあったような気がする。そういえば、Nさんは元気にしているだろうか。15年も前の話である。
(写真は、よく買った「缶ビールと剣先?」)
通勤距離は100km、1都2県をまたいでの遠距離通勤となった。朝7時の電車に乗り、東京駅のカフェで休憩をかねた朝食をとる。
気を取り直して、地下道を700m歩き京葉線に乗り換え、ディズニーランドに向う親子連れと一緒に座って海浜幕張に向う。
通勤時間は、休憩を入れて2時間弱。通勤することが、仕事の大半を占めるような毎日であった。
夕方6時過ぎ、1日の仕事を終えて会社を出る。帰りは3年先輩で、横浜の金沢文庫に住むNさんと一緒に帰ることが多かった。
東京駅で横須賀線に乗り換えるとき、ビール好きのNさんは必ず缶ビールを買って乗った。ふたりで帰るときには、私もお付き合いで買うようになった。
つまみは、剣先するめと決まっていた。東京始発の電車に列に並んで乗れば、窓際の席に向かい合って座ることが出来た。
発車する前から、缶を開けて「お疲れさま」と小さく言いながら飲み始める。東京に出てきたとき、これと全く同じ情景をよく見ていた。
それを見たとき、「帰りの満員の電車の中で飲まなくても、家でゆっくりやれば良いのに」と、やや冷ややかな目で眺めていた。
それから数年後、自分がそれをやっていた。しかし大都会の中で、通勤が仕事の大きな部分を占めている中、その気持ちが分からなくもなくなっていた。
仕事帰りの一杯を、みかん箱の上であれ、立ち飲みであれ、電車の中であれ、サラリーマンが飲んでいる姿を今見ると、私はいつもこのときのことを思い出す。
「砂漠のような東京」で、仕事を終えた男が、小さくホッとするひと時でもあったような気がする。そういえば、Nさんは元気にしているだろうか。15年も前の話である。
(写真は、よく買った「缶ビールと剣先?」)
盆休みで遠くから次男が帰ってきた。夕食の食卓を囲んだときだった。妻が次男の着ているTシャツを見て大きな声を出した。
「まあ、そのシャツの袖口と襟もと、いくつも穴が開いているよ」と、古くなり擦れて穴の開いたTシャツ姿の息子に言った。
「これ、まだ新しいんだよ。買ったばっかりだもん」と言う。よく聞いてみると、この穴はデザインで、新品のときから穴が開いているもののようだ。
袖口・襟もとだけではなく、裾にもいくつもの穴が開いている。一見すると、あたかも擦れて磨耗したように見える。
数年前から、若い人がジーパンのひざ小僧やお尻の1部が、すだれ状に破れたものを、おしゃれとしてはき始めている。
学生風の男がはいているのを初めて見たときには、仕送りが少ないので古いものを我慢してはいているのかと思ったが、そうではなかった。
最近では、若者も年配者も、破れているものが主流にまでなっている。世の中、変われば変わるものだ。
新品のときから、欠陥商品にしてある。こういう時勢になると、私のような貧乏人は元気が出てくる。
何年も着古して、そこかしこ小さな穴の開いたズボン・ジーパン・Tシャツを、たんすの底から引っ張り出して着てみた。
流行の品かと見間違うほど、いくつもの破れた穴が斬新にみえる。格好の良いスニーカーと組み合わせると、結構いけそうだ。
帰省した息子から良いことを教えてもらった。さあ、明日からは古いものを着ていても恥ずかしがらず、堂々と胸を張って歩ける。
しかし、この田舎の町で、それが最新の流行だと思ってくれる人が何人いるだろう。多分、貧しい爺さんが、ぼろを着て歩いているとしか見えないだろう。
それにしてもこのTシャツの穴あけ、どうやって開けているのか。手間ひまかけて、欠陥品を作るという変な世の中になったものだ。
(写真は、こんな感じだった「穴あきTシャツ」)
「まあ、そのシャツの袖口と襟もと、いくつも穴が開いているよ」と、古くなり擦れて穴の開いたTシャツ姿の息子に言った。
「これ、まだ新しいんだよ。買ったばっかりだもん」と言う。よく聞いてみると、この穴はデザインで、新品のときから穴が開いているもののようだ。
袖口・襟もとだけではなく、裾にもいくつもの穴が開いている。一見すると、あたかも擦れて磨耗したように見える。
数年前から、若い人がジーパンのひざ小僧やお尻の1部が、すだれ状に破れたものを、おしゃれとしてはき始めている。
学生風の男がはいているのを初めて見たときには、仕送りが少ないので古いものを我慢してはいているのかと思ったが、そうではなかった。
最近では、若者も年配者も、破れているものが主流にまでなっている。世の中、変われば変わるものだ。
新品のときから、欠陥商品にしてある。こういう時勢になると、私のような貧乏人は元気が出てくる。
何年も着古して、そこかしこ小さな穴の開いたズボン・ジーパン・Tシャツを、たんすの底から引っ張り出して着てみた。
流行の品かと見間違うほど、いくつもの破れた穴が斬新にみえる。格好の良いスニーカーと組み合わせると、結構いけそうだ。
帰省した息子から良いことを教えてもらった。さあ、明日からは古いものを着ていても恥ずかしがらず、堂々と胸を張って歩ける。
しかし、この田舎の町で、それが最新の流行だと思ってくれる人が何人いるだろう。多分、貧しい爺さんが、ぼろを着て歩いているとしか見えないだろう。
それにしてもこのTシャツの穴あけ、どうやって開けているのか。手間ひまかけて、欠陥品を作るという変な世の中になったものだ。
(写真は、こんな感じだった「穴あきTシャツ」)
帰省している孫を退屈させないために、爺はいろいろ考える。家の中にある面白そうなものはほとんど出し尽くした。
後は私が百面相をしてやるしかなくなった。新聞紙で顔を隠した後、片目を閉じ口をねじらせた顔を出して見せると「へんなかお!」と、すげない言葉。
「よし、それならあれを見せてやろう」。まだ独身の2男と孫を連れて、今津町にあるシロヘビ観覧施設に行った。
シロヘビは、国の天然記念物に指定されており、岩国には昔から多くすんでいる。世界的にも珍しい所だという。
アオダイショウの突然変異で生まれたもので、肌の色を決める色素が少なくなったものらしい。体全体が白色をしており、目だけはルビーのように赤くかわいい。
窓口に行くと、受付の女性が「お気持ちとして、大人ひとり100円をお願いします」と小さな窓から声を出す。
あっさりと「入場料100円」と言ってもらう方が気持ちよいと思いながら、入り口に置いてある貯金箱のような箱にお金を入れた。
ガラス張りの空調の聞いた豪華な部屋の中にシロヘビ様は数匹いた。1ヶ月前に生まれたばかりの幼児は、小さなガラス箱に入っている。
成人のシロヘビは思い思いのところで休んでいて動かない。灯篭の上や下で丸くおさまっている。
孫は目を丸くして見入っていた。白い蛇は神々しくも見える。観覧者の心を読み透かしたかのように、観覧所の隣には「白蛇神社」というのが建っている。
隣接する別の広い檻の中にも、数匹のシロヘビがいた。隅の草むらで白く小さなものが動くのに気がついた。
目を凝らしてみると、3匹の白いハツカネズミが肩寄せ合って草をかんでいる。その内、シロヘビの餌になる運命だと聞いた。
何ともむごいシーンを見たような、後味悪い観覧の檻であるが、これが現実とあれば仕方ない。孫には黙ってその場を離れた。
現役時代、とかく長いものには素直に巻かれてきた私だが、太いシロヘビに巻きつかれている石灯篭を見て、かつての自分を思い出しひとり苦笑した。
(写真は、石灯篭の先端に巻きついた「シロヘビ」)
後は私が百面相をしてやるしかなくなった。新聞紙で顔を隠した後、片目を閉じ口をねじらせた顔を出して見せると「へんなかお!」と、すげない言葉。
「よし、それならあれを見せてやろう」。まだ独身の2男と孫を連れて、今津町にあるシロヘビ観覧施設に行った。
シロヘビは、国の天然記念物に指定されており、岩国には昔から多くすんでいる。世界的にも珍しい所だという。
アオダイショウの突然変異で生まれたもので、肌の色を決める色素が少なくなったものらしい。体全体が白色をしており、目だけはルビーのように赤くかわいい。
窓口に行くと、受付の女性が「お気持ちとして、大人ひとり100円をお願いします」と小さな窓から声を出す。
あっさりと「入場料100円」と言ってもらう方が気持ちよいと思いながら、入り口に置いてある貯金箱のような箱にお金を入れた。
ガラス張りの空調の聞いた豪華な部屋の中にシロヘビ様は数匹いた。1ヶ月前に生まれたばかりの幼児は、小さなガラス箱に入っている。
成人のシロヘビは思い思いのところで休んでいて動かない。灯篭の上や下で丸くおさまっている。
孫は目を丸くして見入っていた。白い蛇は神々しくも見える。観覧者の心を読み透かしたかのように、観覧所の隣には「白蛇神社」というのが建っている。
隣接する別の広い檻の中にも、数匹のシロヘビがいた。隅の草むらで白く小さなものが動くのに気がついた。
目を凝らしてみると、3匹の白いハツカネズミが肩寄せ合って草をかんでいる。その内、シロヘビの餌になる運命だと聞いた。
何ともむごいシーンを見たような、後味悪い観覧の檻であるが、これが現実とあれば仕方ない。孫には黙ってその場を離れた。
現役時代、とかく長いものには素直に巻かれてきた私だが、太いシロヘビに巻きつかれている石灯篭を見て、かつての自分を思い出しひとり苦笑した。
(写真は、石灯篭の先端に巻きついた「シロヘビ」)