広島県の北部では小雪が舞ったという寒い日の夕方、車で書店に出かけた。1時間ばかりかけて近頃出版された本をチェックした後、久しぶりに吉香公園へ行ってみた。時計はすでに5時を回っている。観光客は1人もいない。ロープウエイ乗り場の駐車場に車を止めて、散歩がてらひと回りを始めた。
駐車場の入口にある梅の木には、早くも白い花が1分程度咲いている。公園内のどの木よりも毎年一足早く咲き始める習いは今年も健在だ。紅葉谷公園の方に向かって歩いて行った。吉川家の墓地がある手前で道は直角に左折れする。その右角には見事な紅梅の大木があり、毎年梅の季節、多くの人が見物にやってくる。
その大木に近付いて、小枝を手に取り観察してみた。まだつぼみは固いが、その先はすでに赤くなっていて、今にも咲きそうな雰囲気が感じられる。もう少しで咲くなと思っていたとき、重なった小枝の向こうから「ここに一輪咲いていますよ」という優しい声が聞こえてきた。
声の方に目をやると、歳のころは19か、はたまた21か22か、若くて美しい、そう、梅の花がよく似合う女性が笑顔を浮かべて私に話しかけてきたではないか。いやいや、夢かまことか。私のような年寄りに笑顔で話しかけてくる若い女性がいる。暮れゆく夕方、辺りにはもう人影はない。どうしてこんな所に、こんな女性が1人でいるのか不思議に思って尋ねてみた。
「この梅の木は毎年見事な花を咲かせますが、今そこで何をしているのですか」と聞くと「私はこの木が大好きで、どのくらい咲いているのか見に来たところです」という。「近くの方ですか」「いいえ、美和町からきました」。ずいぶん遠くから来ていることが分かった。
妙齢の女性に公園内の史跡などの蘊蓄を少し話したが、薄暗くなりかけた夕、長話もはばかれたので短い会話で別れた。優しそうな笑顔に、私の気持ちが温かくなって来るのを感じた。
「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という俳句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の句である。本来の解釈としては、「きびしい寒さの中で梅が一輪咲き、それを見るとほんのわずかではあるが、一輪ほどの暖かさが感じられる」との意味だという。まさにこの句の通り、寒い夕方であったが、梅一輪ほどの温かさを感じる吉香公園の散歩であった。