写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

梅一輪

2015年01月29日 | 季節・自然・植物

 広島県の北部では小雪が舞ったという寒い日の夕方、車で書店に出かけた。1時間ばかりかけて近頃出版された本をチェックした後、久しぶりに吉香公園へ行ってみた。時計はすでに5時を回っている。観光客は1人もいない。ロープウエイ乗り場の駐車場に車を止めて、散歩がてらひと回りを始めた。

 駐車場の入口にある梅の木には、早くも白い花が1分程度咲いている。公園内のどの木よりも毎年一足早く咲き始める習いは今年も健在だ。紅葉谷公園の方に向かって歩いて行った。吉川家の墓地がある手前で道は直角に左折れする。その右角には見事な紅梅の大木があり、毎年梅の季節、多くの人が見物にやってくる。

 その大木に近付いて、小枝を手に取り観察してみた。まだつぼみは固いが、その先はすでに赤くなっていて、今にも咲きそうな雰囲気が感じられる。もう少しで咲くなと思っていたとき、重なった小枝の向こうから「ここに一輪咲いていますよ」という優しい声が聞こえてきた。

 声の方に目をやると、歳のころは19か、はたまた21か22か、若くて美しい、そう、梅の花がよく似合う女性が笑顔を浮かべて私に話しかけてきたではないか。いやいや、夢かまことか。私のような年寄りに笑顔で話しかけてくる若い女性がいる。暮れゆく夕方、辺りにはもう人影はない。どうしてこんな所に、こんな女性が1人でいるのか不思議に思って尋ねてみた。

 「この梅の木は毎年見事な花を咲かせますが、今そこで何をしているのですか」と聞くと「私はこの木が大好きで、どのくらい咲いているのか見に来たところです」という。「近くの方ですか」「いいえ、美和町からきました」。ずいぶん遠くから来ていることが分かった。

 妙齢の女性に公園内の史跡などの蘊蓄を少し話したが、薄暗くなりかけた夕、長話もはばかれたので短い会話で別れた。優しそうな笑顔に、私の気持ちが温かくなって来るのを感じた。

 「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という俳句は、江戸時代の俳人服部嵐雪の句である。本来の解釈としては、「きびしい寒さの中で梅が一輪咲き、それを見るとほんのわずかではあるが、一輪ほどの暖かさが感じられる」との意味だという。まさにこの句の通り、寒い夕方であったが、梅一輪ほどの温かさを感じる吉香公園の散歩であった。


自動巻き腕時計

2015年01月28日 | 生活・ニュース

 年明けのエッセイサロンの同好会で、同年輩の男性会員が「腕時計」と題して新聞に掲載された短いエッセイを紹介した。20年前に最後の1本と思って自動巻きの腕時計を買ったという。精度は今はやりのクオーツには劣るが、重厚なデザインが気に入っていて、5年おきにメンテナンスをしながら愛用している。

 エッセイを読んだ後、その腕時計を見せてもらった。金ぴかの外国ブランド物で、値段も目が飛び出るほどの高級品であった。そういえば我が家に、昭和50年代に父が使っていたSEIKOの自動巻き腕時計が、動かなくなったまま引き出しに転がっていることを思い出して取り出してみた。

 機械物が壊れたときには、ものが何であれ分解してみるのが私の習性。この時計も裏ぶたをを開けてみようと思ったが、裏ぶたを開ける構造のものではないことが分かった。表のガラスを専用の工具を使って開けるタイプのようだ。片手に持って振ってみても、中の振り子が動く気配は全くない。

 駅前の時計屋にメンテナンスの費用を電話で聞いてみると、「程度を診てみないと分かりませんが、3万円くらいです」と。当時、多分2、3万円くらいの時計のメンテナンス費が3万円とは、いかにしても高すぎる。これくらい出せば、今でも結構いい自動巻きの腕時計が買えるのではないかと思い、調べてみると魅力的なものがたくさん見つかった。見ていると、急に自動巻きの時計が欲しくなってきた。

 その中で一つ「僕を買って、買ってよ」と必死に叫んでいるようなものがあった。表からも裏からも、内部で機械が動いているのが見える構造のものである。エッセイに書いてあったように、クオーツの正確さには及ばない。自動巻きとはいえ、2日間くらい放置しておけば針は止まってしまう。それでも機械式の自動巻きが欲しくなった理由を考えてみた。

 誰かが見ていようがいまいが、しばしも休まずコツコツと働き続ける健気さが外から見えるばかりか「若いころの自分?」と重なって見えるところだ、といえば格好よすぎる言い方になるか。今朝、確定申告を計算して書類を税務署に提出してきた。奥さんには内緒で、還付金の半分をこの自動巻きの腕時計に投資することにした。件の海外ブランド品の1/15の額とはいえ、ばれたときには「降って湧いてきた還付金があるじゃあないか」と答えることにしよう。
 (写真は、父が使っていた自動巻き腕時計)


節電意識

2015年01月26日 | 生活・ニュース

 先日、奥さんの労力の軽減と電気代の節減を目的に洗濯乾燥機を購入した。取扱説明書を読んでみると、6kgの衣料の洗濯・すすぎ・乾燥にかかる時間は約2時間半、その間に消費する電気代は、1kwhが27円とすると約25円と書いてある。

 これは安い、さすがヒートポンプの効用だと思ったが、本当にこれくらいで済むのだろうか。それなら大変優れた洗濯乾燥機だが、「本当に、本当かな?」という思いがしてしょうがない。かくなる上は、消費電力を測定して数字で実証してみるほかはない。

 パソコンに向かい「電力測定」と入れて検索してみた。各種の電力測定の商品が販売されている。その中からこれぞと思う品を選んで発注すると、翌日の午後に届けられた。SANWA製の「ワットモニター」というマッチ箱の2倍くらいの大きさのものである。

 測定したい電気製品のプラグを、このワットモニターのコンセントに接続して、我が家での1kwhの電気料金を30円と設定してやると、消費電力(w)、積算電力量(kWh)、1時間あたりの電気料金、積算電力料金、二酸化炭素量などが測定できる。早速、毎日見ているテレビを接続してみた。消費電力は110w、1時間当たりの電気料金は3円。

 足元に置いている電気ヒーターを接続してみた。弱・中・強の3段階は、700w・1000w・1200wの電力で、弱でも1時間で20円くらいかかることが分かった。これは注意を要する。無駄に使ってはいけない。今日、奥さんが洗濯乾燥機に5kgの衣料を入れて洗濯機を回した。早速ワットメーターを取り付けて測ってみた。洗濯が終わった時点で14円、乾燥までの全てが終わった時点で35円と表示がでた。1回の洗濯・乾燥で35円くらいであれば、かつて使っていた熱風式の乾燥機に比べると、格段の節電が出来ていると判断した。

 炊飯器や食器洗い機や、年末に買ったコードレスのバッテリー内臓式の掃除機も、使ったあとに充電するに要する電気料金を測ってみたい。家の中にある電気製品について電気使用量を把握しておき、節電という観点から考えながら使っていけば、家計はもちろん、環境にも少しは貢献出来ることが期待できる。

 ところで、ネットで買ったこのワットメーター、1度測ればその後何度も使う必要はなく、不要の小物となってしまう。何かいい使い道を見つけて、何とか元が取れないものか考えている。そうだ、各家庭を訪問して「電気製品の消費電力を計って差し上げますよ」といいながら小銭でも稼げないものか…。
 


問題解消

2015年01月23日 | 生活・ニュース

 年末年始、新婚ほやほやの次男夫婦と9日間共に暮らした。生まれ育った家とは何から何まで異なっているであろう我が家で、台所に立ったり寝泊まりした嫁から見ると、気になる点がいろいろ見えたに違いない。

 再び奥さんとの2人だけの生活になった年明け、客観的な目で我が家を見直してみることにした。長年、「こんなもんだ」と思っていたものが「今どき、これではいけない」と思えるものがいくつか見えてきた。炊飯器、ミキサー、掃除機、廊下の床の防寒、洗濯機・乾燥機である。

 電気製品はいずれもが年代もの。炊飯器は単機能で、ただご飯を炊くだけのもので見てくれも薄汚れている。ミキサーは、ガラス製の容器の底が少し欠けていて本体にうまく取り付けないと、時に内溶液が漏れることがある。掃除機は、機能は発揮できているが、長いコードを引っ張り回して各部屋を掃除して回る。階段の掃除は片手で本体を抱え、コードを足にひっかけないように注意しながらの厄介な仕事。

 階段の隅々まできちんと掃除できるような吸い込み口の構造ではない。何よりも面倒なことは、1階から2階に上がる時や部屋を変わる時に、都度コンセントの差し替えをしなければいけない点である。床の防寒対策は、家の建築時、床裏にグラスウールを施工してもらってはいるが、これだけでは不十分。何らかの対策がいる。洗濯機と別置きの乾燥機は、毎日使うにしては電気代がかさむ。

 これらの問題をここ2週間ですべて解消させた。まずは炊飯器、ピンからキリまで機種があるが、中型の清潔感のあるものに買い替えた。ミキサーもいろいろあるが、機能面での差は殆んどない。赤い元気の出そうな色のものを買った。階段の掃除は私の担当なので機種選定には時間をかけた。納得できるものが欲しい。今評判の、コードレスなので持ち運びが楽でサイクロン式のものを買った。使ってみても思った以上の良品であることが分かり大満足。

 床の防寒対策には、定形の60cm角のマットを廊下の形状にカットしながら敷きつめた。これでスリッパレスで家中歩き回れるほど改善された。電気代のかさむ乾燥機の代わりとして、ドラム式の洗濯乾燥機を買った。これで、めでたく問題点はすべて解消したはずであるが、奥さん曰く。「今年はもうどこにも旅行なんかには行きません!」。暇なときには掃除をして遊ぶしかなさそうだ。クシュン。


ロスタイム

2015年01月22日 | 生活・ニュース

 季節が真夏のオーストラリアで、今サッカーのアジアカップが開催されており、日本代表は3連勝し、明日23日には準々決勝でUAEと対戦する。ここしばらくは、サッカーのテレビ観戦で目が離せないが、時差がないので真夜中に起き出して目をこすりながら観戦するというような辛さがないのは大変助かる。

 サッカーの試合は、前半と後半各45分を15分の休憩を入れて対戦するが、後半の45分間が終わっても直ぐに試合は終わらず、必ず「ロスタイム」という時間が4、5分追加されて、後半は50分くらいの試合時間となるのが通例である。

 「ロスタイム」とは何か。調べてみると「1 空費した時間。むだにした時間。 2 サッカーやラグビーの試合で、負傷者の手当ての時間など、競技時間に勘定しない時間をいう和製英語。主審の判断で、その時間の分だけ試合を延長する。この時間をスポーツ界ではインジュリー‐タイム(injury time)というが、サッカーではアディショナルタイム(additional time)と称す」と書いてある。

 「インジュリー‐タイム」は、その言葉通りに解釈すれば「怪我の時間」であり、怪我の処置や回復に要した時間そのもの、「アディショナルタイム」は、単に「追加する時間」である。「ロスタイム」といえば、試合中いろいろあったが、その処置のために本来の試合時間から奪われた時間をいっており、こちらの方が何かしっくりくるように思うからこそ、和製英語として生まれた所以であろう。まさに、いい得て妙である。

 今朝の新聞に「誰ひとり 消化試合は ない人生」という川柳が載っていた。これを読みながらふと頭に浮かんだ言葉がこの「ロスタイム」という言葉であった。人生には消化試合がないと同じように、ロスタイムもない。人それぞれが人生の最期を迎えた瞬間、「ピ~~」と長く笛が鳴り「はい、ここからはあなたにとってロスタイムです。残りはあと3年あります。お楽しみください」などと言われて、不死鳥のごとく蘇り、また元気に出歩くことが出来るなどという時間はない。

 ロスタイムが意味としてはインジュリー‐タイムであるなら、私のこれまでの人生を振り返ってみても、そんな時間は5度の入院期間を合わせても約50日。長い人生に「ロスタイム」を振りかざすほどでもないことに気がつき、今日も人生の消化試合もどきを黙々とこなしている。