久しぶりに2階の書棚にある文庫本を眺めていると、似たような題のついた2冊の本を見つけた。「最終便」という単語の付いた短編小説で、林真理子の「最終便に間に合えば」(昭和63年)と、渡辺淳一の「パリ行最終便」(昭和52年)とである。何れも20数年前に買ったものだと記憶している。
前者は、7年前に別れた男と札幌で再会し会食する。その夜、引き止める男に心を残しながら最終便に乗るために、雪道を一緒にタクシーに乗って空港に向かうが渋滞に巻き込まれる。ハラハラしながらも、女の意に反して最終便に間に合ってしまう、という話。
後者は、1年前に別れ家庭を持った男が出張でパリに来る。日本を離れアムステルダムで仕事をし始めた女にその連絡が入る。パリに行く気になれば直ぐにいける。迷いながら何便かの飛行機を見送ったあと、最終便の飛び立つ時刻となる。意を決し切符を買おうとしたが、霧のため運航されず行くことが出来なかった、という話。
何れも、女の意に反して、願っている方向にことが運ばなかった顛末が、切なげに書かれた名作だと思っている。若いころ、自分の意に反した行動をとることは、よくあった。本当はこうしたいと思っているくせに、それとは逆の行動をとる。
そのくせ、しばらくの間、それを悔やんでいる。もう少し、自分に素直な行動をしておれば、と今頃になって思うこともある。しかし、それも人生。すべて自分が選んだ道である。その時々、それが一番いいと思って選択してきたはずである。
「最終便」に登場した2人の女は、この時のことをきっかけに、きれいさっぱり過去と決別できたに違いない。しかし、「人間万事塞翁が馬」、今の厳しい世の中、何が起きてもこう思って生きていくのが、いいのかもしれない。
過ぎ去ったことを何時までもくよくよと考えない。これからどう生きるかだけを考える。そういいながらも、修正のきく生き方が出来ればなと思うこともしばしば。書いては消し、消しては書くラブレターのように……