写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

「最終便」

2018年08月31日 | 生活・ニュース

  久しぶりに2階の書棚にある文庫本を眺めていると、似たような題のついた2冊の本を見つけた。「最終便」という単語の付いた短編小説で、林真理子の「最終便に間に合えば」(昭和63年)と、渡辺淳一の「パリ行最終便」(昭和52年)とである。何れも20数年前に買ったものだと記憶している。

 前者は、7年前に別れた男と札幌で再会し会食する。その夜、引き止める男に心を残しながら最終便に乗るために、雪道を一緒にタクシーに乗って空港に向かうが渋滞に巻き込まれる。ハラハラしながらも、女の意に反して最終便に間に合ってしまう、という話。

 後者は、1年前に別れ家庭を持った男が出張でパリに来る。日本を離れアムステルダムで仕事をし始めた女にその連絡が入る。パリに行く気になれば直ぐにいける。迷いながら何便かの飛行機を見送ったあと、最終便の飛び立つ時刻となる。意を決し切符を買おうとしたが、霧のため運航されず行くことが出来なかった、という話。

 何れも、女の意に反して、願っている方向にことが運ばなかった顛末が、切なげに書かれた名作だと思っている。若いころ、自分の意に反した行動をとることは、よくあった。本当はこうしたいと思っているくせに、それとは逆の行動をとる。

 そのくせ、しばらくの間、それを悔やんでいる。もう少し、自分に素直な行動をしておれば、と今頃になって思うこともある。しかし、それも人生。すべて自分が選んだ道である。その時々、それが一番いいと思って選択してきたはずである。

 「最終便」に登場した2人の女は、この時のことをきっかけに、きれいさっぱり過去と決別できたに違いない。しかし、「人間万事塞翁が馬」、今の厳しい世の中、何が起きてもこう思って生きていくのが、いいのかもしれない。

 過ぎ去ったことを何時までもくよくよと考えない。これからどう生きるかだけを考える。そういいながらも、修正のきく生き方が出来ればなと思うこともしばしば。書いては消し、消しては書くラブレターのように……

  
 


衆人環視

2018年08月25日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 つい先日のプロ野球、広島カープ対中日戦で、珍プレーがあったことをこのブログで書いていた。「3回、1死無走者から打席に立ったカープの4番鈴木は、フルカウントからの8球目がボールとなった。球審や他の審判員も気付かず、両球団からの指摘もなかったため四球とならずにプレーが続いて凡退となるハプニングがあった」ことである。

 この試合の観客3万1千人はいざ知らず、審判員が4人、両軍の選手はそれぞれ25人、監督・コーチ・トレーナーなどが10人くらいいた。これら約70人の当事者の誰からもこの件について指摘がなかったのは、まさに皆が「熱中症」にかかっていたか目が節穴になっていたかに違いないと、思っていた。

 ところが、その翌日のことである。この件に関してインターネットを見ていると、私が気がついていないことが書いてある。まずは第1の責任者である球審である。この人は本当に気がついていなかった。ほかの3人の審判も、球審に頼りっぱなしで各自が的確に判断していない。ここは責められても仕方ない。

 次は当事者である鈴木選手である。気が付いてはいたが、2対1とリードされている局面だったので、歩かされるよりは打ちたかったので黙っていた。この点はカープの緒方監督も同じ考え方であったので、クレームは付けなかった。

 中日の監督は、鈴木を四球で歩かすよりは勝負して凡退に打ち取る方を期待したので、これまたクレームを付けなかったのではないか、と書いてある。球審の誤審一つに対して、関係者が各人各様、それぞれが思うところあって、間違いに気がついていても問題を指摘することなくことが進んだということがよく分かった。

 こんなことがプロ野球という遊びの世界の中での出来事でよかったといえばよかった。これが政治や人命にかかわる世界での出来事とならないよう、衆人もしっかりと環視して、責任者に頼りっきり・任せっきりにせず、言うべき意見はきちんと言うという姿勢は保っていかないと、とんでもないことに繋がりかねない。

 


ドラマチック

2018年08月24日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 最近のテレビのワイドショーは、アメフトをはじめアマチュアボクシングやバスケットなどのスポーツ界の不祥事の話題で連日賑わせていた。ところが夏の終わりになって、一転して爽やかなニュースが流れてきた。言わずと知れた全国高校野球大会の金足農高校の大健闘である。

 生徒数の少ない地方の公立高校が、吉田投手を擁して、たった9人のレギュラーだけで準優勝を成し遂げた。優勝した大阪桐蔭高校の2度目の春夏連覇が霞むほどの大ニュースとなっている。全国の判官びいきにはたまらない試合展開をして成し遂げた準優勝は、まさに漫画の世界のようにドラマチックであった。

 それに刺激を受けたせいでもあるまいが、昨夜(23日)のカープ対ヤクルト戦は、ミラクルだらけの高校野球に負けないくらいの劇的な勝利であった。

 カープは先発の岡田が2回までで6失点し、監督からのお仕置きのように5回まで投げさせられ、計7点を献上して降板した。カープの打撃陣は、そんなことにめげることなく5、6、7回に小刻みに点を入れ8回が終了した時点で8対5となっていた。

 私はあきらめが早いというか、見限るのが早いというか、5回の表で7対0となった時点で、テレビを消し、小さな音でラジオを聞きながら違うことをしていた。ところが、ところがである。9回の裏のカープの攻撃のとき、実況アナウンサーが大声でわめいている。

 音量を上げて聞いてみると、丸選手が3ランホームランを打って、8対8の同点とした。これこそ起死回生、地獄に仏といおうか、急きょテレビのチャンネルを野球の実況に切り替えた。

 丸に続く4番バッターの鈴木選手が、大きく構えている画像が映った。2ボール1ストライクの後、思い切りレフトスタンドに向かって打ち上げた後、バットを自軍ベンチの方に大きく放り投げたと思ったら、なんとこれがサヨナラホームラン!!

 漫画にも勝るこれぞドラマチックな結末となった。事実は小説よりも奇、漫画よりも劇的。高校野球もしかり、プロ野球もしかり。だから野球は面白い。何ごとも最後まで見なければいけないと心に決めた。

 


蘇った生活音

2018年08月22日 | 生活・ニュース

 西日本豪雨で被災して全線不通になっていた岩徳線(43.7㌔)の内、岩国~周防高森間(20.6㌔)の運転が、8月20日に1か月半ぶりに再開された。残る区間は10月中の再開を目指している。一方、錦川清流線は8月27日より全線開通されるという。

 この豪雨で広島や呉で土砂崩れが起こり、多くの人命が奪われるという甚大な被害があった。このニュースを聞いて心を痛めていた時、ふと毎日の生活の中で、朝から寝るまでの間、いつも耳にしていた音が聞こえなくなっていることに気がついた。

 我が家から南に100m行くと、国道2号線と岩徳線が東西に並行して走っている所がある。窓を開ければ、車の音は四六時中聞こえてくるが、その間隙をぬってディーゼルカーの音に加えて、カンカンカンと鳴る踏切警報器の甲高い音が聞こえなくなっていた。

 朝は6時過ぎから、夜は12時前まで、この音を聞かない日は1度もなかった。時刻表をチェックしてみると、何と上り下りを合わせると、1日に46便も通過している。列車が通過するのをはっきりと認識できることもあるが、ほとんどの場合は、列車の音も警報器の音も気がつかないまま、無意識のうちに通り過ぎてしまっている。

 まさに、色々ある生活音の中の一つになっていて、神経質になって聞けば騒音と言えるかもしれないが、私にとっては音として認識しない音になっていることに気がついた。この1か月半、全く聞くことのなかったこの音を、最近では淋しく思えるようにもなっている。

 1昨日から蘇ったこの音を寝起きに聞くと、なんだか1日のスタートの号砲のように聞こえてくるのが面白い。奥さんの小言もこれと同じかもしれない。うるさいうるさいと思っていても、いざ、聞こえないとなると「体調でも悪いのでは?」と心配になる。小言もまさに生活音。これからも大事にしていきたい? 

 


78歳のバイタリティ

2018年08月16日 | 生活・ニュース

 周防大島で、祖父の家に遊びに来ていた2歳の男児が行方不明となっていたが、68時間ぶりに山中で無事救出された。今朝は、新聞やテレビで「奇跡の生還」といって、この朗報に明るい笑顔が映し出されている。

 発見者は、救出のため大分県からやってきた78歳になるボランティアの尾畠春夫さんという人であった。40年続けた自営業を辞めた後は、それまで多くの人から受けた恩を返すという意味で、東北や熊本の被災地へ出かけて長期間ボランティアをやってきたという。

 駆けつけてきた軽自動車の中には、仮眠用具や食料品などの生活用品がびっしりと詰まっている。今回もその車を運転して遠路周防大島までやってきたという。活動力の源泉は「自分の持っている力を発揮して、これまでの恩を返したい」というものである。

 百数十人の警察や消防などの人たちが、丸3日捜索しても見つけることが出来なかったものを、尾畠さんは現地に到着後、わずか20分そこらで発見し救出した。なんとも素晴らしい感覚の持ち主ではないかと、ただ驚くばかりである。

 尾畠さんの座右の銘は「朝は必ず来る」だという。どんな時でも希望は捨てない、前を向いていくことだと語る。赤いタオルを頭に巻いて、小柄ではあるががっちりとした身体で、若者のように明るい笑顔である。

 男児を発見できた理由を聞くと「子供は上に上る習性がある」から、山道を登っていきながら探した結果だと語る。それにしても大した見識の持ち主である。インタビュアーが最後に「身体に気を付けてこれからも頑張ってください。お身体は悪いところはないのでしょうね」と聞いた答えがまたふるっている。

 「私の悪いところは3つある。まず顔が悪い。それに色が黒い。そして足が短い」と笑わせて終わった。78歳から、まだまだ私も頑張らなければと、勇気をもらった。