写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

線香花火

2008年07月31日 | 季節・自然・植物
 今週末の土曜日は「錦川水の祭典」、錦帯橋の花火大会だ。我が家にいては、音は聞こえるものの姿は見えない。まるで何かのようである。

 花火といえば新聞のコラムに、線香花火のことが次のように書いてあった。
「火をつけると、まず牡丹が咲き、赤い玉ができる。やがて松葉や柳、菊が静かに散る…。繊細なうつろいやはかなさ。科学者の寺田寅彦は1本の燃え方には『序破急』があり『起承転結』があり…、と奥深さをつづっている」と。

 昨夏、東京から4歳の孫が帰省したとき、庭で花火をしてやった。幼い子供向けのやさしく安全そうなものばかり選んで遊ばせた。

 そのセットの中に線香花火も入っていた。火を着けてみた。初めは勢いよく火花が飛ぶが、直ぐに小さな赤い火の玉になり、松葉も柳も見ることなく玉は脆くもぽとりと地面に落ちて終わる。

 新聞に書いてあるような起承転結を見ることはなく、起と結だけのものが多かった。
 
 私が子供のころにやっていた線香花火とはまるで様子が違う。細いこよりの先の火の玉から、次から次にいろいろな形の火花が出て、最後の最後まで何かを期待させるのが線香花火であった。

 花火の世界も安さに押されて、国産から中国産に変わってきている。原料は同じでも、調合の仕方や紙の質、紙縒り(こより)のちょっとしたより方の違いで大きな差が出るという。

 日本人の繊細さが線香花火に起承転結を生み出させていたとは恐れ入った。最近は本来の魅力を守るため、国産が復活し始めたようだ。

 値段のことは脇に置いて、今年は私も少し無理をして国産の線香花火で楽しんでみようと思う。

 指先で持つ線香花火で起承転結が見られれば、同じく指先で持つペンからもひょっとすると難題の起承転結のあるエッセイを書くことができるかもしれないから。
 (写真は、松葉や柳が出る「線香花火」) 

ラムネの栓

2008年07月30日 | 生活・ニュース
 朝から奥さんが出かけていった日のお昼、昼食の買出しに近くのスーパーに出かけた。中でばったりエッセイサロンの若い仲間と出会った。

 ちょっとした話があったので、コーナーに設置されている休憩所の椅子に座って話をしていた。

 その時、私と同世代の小柄な女性が買い物を抱えて隣に座った。やおらラムネのビンを取り出してテーブルの上に置いた。

 立ったり座ったりと何やら苦戦している様子である。見ると、ラムネのビンに全体重を掛けて栓を開けようとしているが、びくともしない。

 見かねた私が「開けてあげましょうか?」と言うと、お願いしますと素直にビンを差し出す。付属している栓抜きを当てて力を加えてみたが手応えがない。

 改めて栓抜きを見てみると、店頭に並べているときに誤って栓が開かないように、プラスチック製のスペーサーが取り付けられている。

 これを取り除いて押し付けない限りはいくら全体重を掛けても、ラムネのビー玉は落ちないようになっている。

 開かない理屈が分かったのでスペーサーを取り外してそのことを説明し、栓をあけないまま女性にビンを返した。

 ラムネは、飲むことはもちろんであるが、栓を「ブシュ~」と空けることも快感であると思ったからである。

 無事に栓が開き一口飲んだのを見た後「開かないのは、力ではなく頭の問題でしたね」と言うと、「そうでしたね」と笑って応える。小さなコミュニケーションで笑いが起きた。

 その後、女性の仲間が2人集まり雑談をしていた。先に席を立つ私のことを「このおじさんがラムネの栓をあけてくれたんよ」と解説している。

 「おじさん」は笑顔を返しながら、この「おばさん」に別れを告げた。今日は、些細なことではあるが小さなボランティアが出来た。「おじいさん」と言われなかった「おじさん」は今大変満足している。
(写真は、苦戦していた「ラムネの栓抜き」)

朝から…

2008年07月29日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 昨日、炎天下で遊んだせいだろう、少し遅い朝を迎えた。階下に降りて掃き出し窓を開けると、この夏最大とも思える蝉の大合唱が聞こえてきた。

 朝の日課は、食卓について新聞3紙に目を通すことだが、それぞれ読む欄には順番がある。まず最初は第1面の見出しをざっと見るだけ。

 次は読者投稿のエッセイの欄を開き、エッセイサロンの会員の作品が掲載されていないかをチェックする。

 出ていたときには直ぐに本人に電話で喜びを伝えた後、ホームページに転載しておく。こんな訳で、会員のものが掲載された朝は朝食も遅くなる。

 今朝(29日)、いつもと同じように毎日新聞の「はがき随筆」の欄を広げた。いつもは1篇であるが、週に1度は3篇が掲載される。

 今日はその3篇すべてが亡くなった母のことを書いたエッセイであった。私もこの4年間、亡くなった母のことを書いて6篇も掲載してもらった。

 母物は、誰の作品を読んでも切ないものが多いが、今朝の1作品を読んだとき、思わず涙が出てきた。私もこの作者と同じように、母に対して果たせなかったことに対しての悔いがあるからだろう。

 書き写してみましたので皆さんもぜひ読んでみてください。
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  「母の思い」  下関市   工藤 明男(67)

 介護施設に入った母。施設に行く度に「食事が口に合わないから、今度来るときはうぐいすパンを買ってきて」と言う。パンは嫌いなはずだが……?と思いながらも、言われるままにパンを買っていった。来る者、皆に「パンを」と言っていたらしい。
 それからしばらくして、母は亡くなった。ベッドの周りを片付けていたら、たくさんのパンが出てきた。ショックだった。寂しくて、人恋しくて、毎日誰かに来てほしかった母の思惑が理解できなかった。母の思いに乗ってやれなかった。パンを袋に詰めながら悲しみが込み上げた。あれから23年、今も切ない。

(写真は、暑さに参っています「ハートリー」)

小瀬川ダム

2008年07月28日 | 旅・スポット・行事
 梅雨が明けて以来雨らしい雨は降っていない。エアコンの効いた部屋から一歩も出ようとしないハートリーは運動不足のようだ。

 水遊びをさせるために西の軽井沢を目指して家を出た。県境を流れる小瀬川をさかのぼること40kmのところにエメラルド色をした良い淵がある。

 1時間で到着した。川に下りハートリーのリードを放してやると、何の指示もしないのに泳ぎ始める。1年ぶりの泳ぎを待っていたように見える。

 私もひざ上の深さまで入ってみたが、昨年に比べて水温はやや高く水量は少ない。周囲の気温も心なしか高く感じる。「西の軽井沢」と呼べなくなりそうだ。

 ひとしきり泳がせると、ハートリーも満足げな顔をして、川から上がってきた。短い水遊びを終え、濡れタオルを絞るように長い毛の水を切ってやり帰途についた。

 いつも通る小瀬川ダムの管理棟を通り過ぎようとしたとき「森と湖に親しむ旬間」という幟が目に入った。

 「旬間、ダムの見学を受け付けます」とも表示してある。小学生になった積もりで入ってみた。

 笑顔のいい係員が概要を説明してくれた後、暗く冷たいえん堤の中を案内してくれた。途中、外に出られるところがある。高さ49mのえん堤を真下から望めるところで写真を撮ってくれた。

 見学を終えた後、依頼されたアンケートを書き終わったとき、A4サイズの紙を1枚差し出してくれた。

 先ほど撮ってもらった写真が入った記念カレンダーのプレゼントであった。それを片手に、60年も前の夏休みを思い出しながら夏休みの社会見学を終えた。
  (写真は、案内してくれた「小瀬川ダムと係員」)

病気?見舞い

2008年07月25日 | 生活・ニュース
 夕方、電話がかかってきた。「おーい、元気なんか?」。小中高が一緒だった幼馴染からであった。

 ここ4日間、私はブログを書くこともなく小休止をしていた。病気にでもなったのではないかと心配して電話を掛けてくれたものであった。

 さかのぼって調べてみると、4日間何も書かずに過ごしたことはあまりない。元気にしているが、暑さに負けてブログをサボっていることを告げると、安心してくれた。

 以前にもこんなことがあった。ブログのネタはあるものの書きたくなくなるときがあり、4,5日が過ぎたことがあった。

 そんな時、はがきが届いた。会社勤めのころの後輩からであった。「ブログが途切れていますがお元気なんでしょうか」というようなものだった。

 ブログを始めて4年近くが経っている。その間自己満足だけで何かを書いてきたが、長い間休むことはなかった。

 読んでくれる人がいるということが、書き続ける唯一の動機である。4日間休んだだけで、病気になったのではないかと心配し連絡してくれる友がいる。

 こんな取るに足りないエッセイもどきを、飽きもせずに読んでくれる人に応えるには、もう少し私も努力しなければ罰が当たる。

 そうは言いながら、ブログは一人遊びの範疇のもの。常時遊びを監視されているのも気が重いが、誰も注目してくれないのも淋しい限り。

 本音はやはり、書いたものを読んでもらえることだろう。これからは、書くことのない日は「本日休業」とでものメッセージを出すことにしよう。

 そういえば若いサラリーマン時代を思い出した。休みにくい雰囲気の中、よく仮病を使って休んだが、満身創痍の今の身となっては、仮病を駆使していたころがうらやましくも懐かしい。
  (写真は、葉陰で小休止中の「抜け殻」)