毎年この季節になると、うちの奥さんは園芸店に足しげく通うようになる。今日は、30km先の柳井まで遠出してきた。
1時間半もの間、店の内外をくまなく観察・物色する奥さんと離れ、私は私の興味を引くものを見て歩いた。
ガーデニング用品のコーナーに来たとき、前々から欲しいと思っていたものが置いてあった。据え置き型の「水琴窟(すいきんくつ)」である。
水琴窟とは、日本独自の庭園施設で、手を洗った水が穴から水滴となって埋め込まれたかめ底に溜まった水面に落ち、かめの中で反響する音色が琴の音に似ていることから、こう呼ばれているものである。
2種類の水琴窟が並べてあった。その前にしゃがみ込んで上から横から手で触りながら品定めしていた。
「水を入れてみましょうか?」若い男性店員が、如雨露で水を満たし、電源を入れると水が流れ始めた。水流の音と、滴り落ちる音と、2種類の音が快く聞こえた。
思わず「これを下さい」といい、陶器で作られたかめ型のものを買い求めた。アーリーアメリカン調の我が家に、和風庭園の小道具を持ち込むことになった。
家に帰り、置き場所を考えた。サンデッキの片隅に置き、水をいれコンセントを差し込んだ。
「チョロチョロチョロ、ポチャン・ピチャン・プチャン」と、心穏やかになりそうな音色が聞こえてきた。
“花鳥風月”を愛で“わびさび”を理解し、水や松風の音に風流を楽しむという、日本の文化の1片を持ち込んだ気がした。
川のせせらぎの音、小波の打ち寄せる音、小鳥のさえずり、小枝をゆする風の音、かえるの声。基地の爆音に慣らされ、最近、このような自然の音に鈍感になっていた。
デッキに置いた水琴窟の発する音を聞けば、水金と言わず、火木土と無限の彼方にまで思いを広げ、私の錆付いた感性に、少しは磨きがかかろうというものか。
「グーグーブフー」、足元で水琴窟の音を掻き消す無粋な音がした。小太りのハートリーが、大きないびきをし始めた。これも自然の音というのだろうか。
(写真は、精神修養の小道具「水琴窟」)
1時間半もの間、店の内外をくまなく観察・物色する奥さんと離れ、私は私の興味を引くものを見て歩いた。
ガーデニング用品のコーナーに来たとき、前々から欲しいと思っていたものが置いてあった。据え置き型の「水琴窟(すいきんくつ)」である。
水琴窟とは、日本独自の庭園施設で、手を洗った水が穴から水滴となって埋め込まれたかめ底に溜まった水面に落ち、かめの中で反響する音色が琴の音に似ていることから、こう呼ばれているものである。
2種類の水琴窟が並べてあった。その前にしゃがみ込んで上から横から手で触りながら品定めしていた。
「水を入れてみましょうか?」若い男性店員が、如雨露で水を満たし、電源を入れると水が流れ始めた。水流の音と、滴り落ちる音と、2種類の音が快く聞こえた。
思わず「これを下さい」といい、陶器で作られたかめ型のものを買い求めた。アーリーアメリカン調の我が家に、和風庭園の小道具を持ち込むことになった。
家に帰り、置き場所を考えた。サンデッキの片隅に置き、水をいれコンセントを差し込んだ。
「チョロチョロチョロ、ポチャン・ピチャン・プチャン」と、心穏やかになりそうな音色が聞こえてきた。
“花鳥風月”を愛で“わびさび”を理解し、水や松風の音に風流を楽しむという、日本の文化の1片を持ち込んだ気がした。
川のせせらぎの音、小波の打ち寄せる音、小鳥のさえずり、小枝をゆする風の音、かえるの声。基地の爆音に慣らされ、最近、このような自然の音に鈍感になっていた。
デッキに置いた水琴窟の発する音を聞けば、水金と言わず、火木土と無限の彼方にまで思いを広げ、私の錆付いた感性に、少しは磨きがかかろうというものか。
「グーグーブフー」、足元で水琴窟の音を掻き消す無粋な音がした。小太りのハートリーが、大きないびきをし始めた。これも自然の音というのだろうか。
(写真は、精神修養の小道具「水琴窟」)
蹲に埋め込まれて、音を楽しむものとの固定観念が吹き飛びました。
このあと、水琴窟がロードスターさんのエッセイにどんな音色を加味するのだろうかと興味心身です。
何時の日か是非拝見、拝聴に!楽しみが増えましたね。
私も大好きです。
近所の椿園に水琴窟があり、時々出掛けて
風情のある音色を楽しんでいます。
それにしても、
自宅で水琴窟を楽しめるとは、優雅ですね。
羨ましい。
オブジェとしてもオシャレ。
これは確かに目でも楽しめる構造になっています。
居ながらにして、川沿いの温泉旅館のような、せせらぎの音を楽しんでいます。いかがですか。
また是非お立ち寄りを。
そちらでは、本場の水琴窟が各所にあるのでしょうね。