写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

水準器

2011年01月31日 | 生活・ニュース

 家を作るわけではないが、棒状水準器を持っている。使い道といえば、壁に掛ける絵の傾きをみたり棚を取り付けるとき、木工でウッドデッキや塀を作るとき、バラ園にアーチを据え付けるときなどに使ってきた。長さは30㎝、高さが5cmの大きさのものである。水平を見るだけでなく、垂直も45度の傾斜も見られるよう3か所に、気泡の入った長さ2.5cmのガラス管がはめ込まれている。
 先日、トイレの中に小さな棚を作った。買いだめて置きどころに悩んでいるトイレットペーパーを、積み重ねておくために取り付けた。その時に使った水準器を、しまわないままテレビ台の上に置きっ放しにしていた。
 昨晩それを見たとき、ふと単純な疑問がわいてきた。水準器で水平を見るとき、大きく傾いた所に置くと気泡はガラス管の端っこまで上って止まるが、ほんの少ししか傾いていない所では、気泡はわずかに移動するだけで止まる。端っこまで行くことなく途中でぴたりと止まる。なぜだろう。

 今まで何度となく水準器を使ってきたが、何ら疑問を感じることなく、気泡をガラス管の真ん中に持っていくようにして水平を出してきた。この単純な測定器の原理はなんだろう。そう思いながら手にとって、真横からガラス管をじっと眺めてみても直ぐには答えが出てこない。
 もう一度目を凝らして見たとき、ガラス管の中央部が、ごくわずかだがビア樽状の曲面となっているように見えた。「なるほど、そうか、そうに違いない」。やっと合点がいった。

 調べてみると目盛りを刻んだガラスの内面は正確な円を描いており、その半径が大きければ大きいほど正確な測定が可能となる。精度の高い水準器をつくるために最も必要な技術は、超精密な硝子加工技術である」と書いてある。

 たった2.5cmの真っすぐに見えたガラス管は、実は直径が1mもある大きな円管の一部分であった。これなら傾きに応じて管の途中で気泡が止まることは納得がいく。

 使いこなしてきたと思っていた水準器の神髄に「円」が潜んでいることを、恥ずかしながらこの年になって初めて認識した。
 水準器と掛けて結婚と解きます。その心は、どちらにも「えん」が必要です。


氷 筍

2011年01月28日 | 季節・自然・植物

 今年の冬は、ことのほか寒い日が続いている。昨夏のあの猛暑の裏返しかと思えるほど厳しい。正月以来、ほぼ連日庭の水鉢には氷が張っている。ここ1週間は、それが終日溶けることがない。一番厚い日には、5cmくらいもあった。

 それほどに寒い今朝、ハートリーの散歩を済ませ、裏庭の水道栓を点検しに行った。先日、凍結破損したため補修した個所に異常がないかを見るためである。パイプは丁寧に保温を施したため問題はなかった。
 水道栓の下に置いてある水受けパンを見ると、中央に面白い形のものが見えた。氷柱である。水道栓の真下から真っすぐにとはいい難いが、いびつに上に伸びている。長さを測ってみると17cmもある。まるで鍾乳洞にある石筍さながらである。
 見ていると、水道栓から30秒間に1滴くらいの割で水が滴下していた。それが数日かかって成長したのだ。雪の積もった屋根からぶら下がったつららは見ることはあるが、石筍のように下から上に向かった氷柱を見るのは珍しい。それほどまでに寒かったということだろう。

 春夏秋冬の最後の節気・大寒は1週間前に過ぎた。新しい年の最初の節気・立春はもうすぐ。寒さの厳しい時期ではあるが日脚は徐々に伸び、暖かい地方では梅が咲き始める頃である。我が家の石筍はいつまで頑張っているのだろうか。

 

 

 

 


原因究明

2011年01月27日 | 生活・ニュース

 先日、凍結破損した塩ビパイプの補修をしたが、元栓を開けた途端、補修個所からまたもや漏水した。修理失敗だ。薄暗くなったため、原因も調べずに仕事を終えていた。
 その晩、にごり酒を飲みながらも納得がいかない。「まあ、明日じっくり調べてまた直そう」と言い聞かせるが、気持ちがすっきりしない夜であった。
 翌日、天気もいいし寒くはない。新聞を読み終えた後、やおら気を奮い立たせて裏庭に出た。まずは、元栓をわずかに開けてどこから漏れているかを確認してみた。意外や意外、パイプを接着した継ぎ手部ではなく、曲がりと曲がりをつなぐごく短いパイプから噴出している。よく診るとパイプに沿った一直線状の割れ目から漏れ出している。
 「ほほ~、パイプが割れていたのか~」。直接的な原因は分かったが、ではなぜ割れたのか? 修理過程を思い起こせば、取り替えたパイプは実は新品ではなく、凍結破損したパイプの内、健全だと見えた個所を切り取って使ったものであった。目視では確認できなかったが、この再使用したパイプが割れていた。
 他の補修個所には全て新品のパイプを使ったが、この個所だけは「古くても使えるものは使おう」という倹約精神が何故か強く働き再使用していたものである。ちょっとした倹約精神で、二度手間の補修作業となった。
 誰が聞いてもこの度の出来事は「取るに足りない小さな倹約などをして…」と一笑するに違いない。日頃の遊びなどでは無駄使いが多い割に、こんなみみっちいところで倹約精神が頭をもたげる。エコなどという高尚な気持からではなく、心のどこかに戦後何もない時代を生きた、あのころの習性が生きているのかもしれない。なんともアンバランスな生き方をしている。


「メジロの身内」

2011年01月26日 | 生活・ニュース

1月5日のこのブログに「寒い朝」と題して、朝の散歩のときにメジロの亡骸を見つけたことを書いていました。誰にもみとられることなく、一人旅立って行く様は、今や人間社会でも珍しいことではなくなっています。「淋しかっただろうね」と思い、丁重に葬ってやろうと持ち帰ったことを書いてはがき随筆に投稿したものです。ご一読願くださいますか。
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「メジロの身内」

 

厚い氷が張った寒い朝、散歩で小道を歩いていた。雑木が道に覆いかぶさり、落葉が吹きだまっているところがある。その上に緑色のものが見えた。「なんだろう?」近づいてみるとメジロが1羽横たわっている。   


 白くくまどられた目を閉じ、片方の羽を自分の身に覆いかぶせるかのように広げた状態であった。口ばしをつまんで持ち上げてみた。硬くなった体は、横たわっていた形のままに持ち上がった。そのまま見捨てるは忍びなく、ポリ袋に入れて持ち帰り菜園の隅に埋めた。

 孤独死防止が叫ばれている今、誰も知らないメジロの一生が終わった。

  (2011.01.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


当たりぃ~

2011年01月25日 | 生活・ニュース

 23日の日曜日、お年玉付き年賀はがきの抽選があった。翌日、新聞を見ながら我が家に来た年賀状をチェックしてみた。
 昨年も一昨年も4等の切手セットが4~5本当たっただけ。さあ、今年はどうなのか。大きな期待はしていないが、意気込んで番号を調べていった。
 めくってもめくってもなかなか当たりが出てこない。半分を過ぎた頃にやっと2本、4等が当たっていた。あと数枚で終わりという時、今度は「8363」の4桁がぴったりの3等が当たったはがきが出て来た。
 おお~、何十年と年賀状をもらってきて、4等以外が当たったのは初めての経験である。1等賞品は40インチの液晶テレビかソウルへの2泊3日の旅行などから1品。2等はデジカメ、ゲーム機、コーヒーメーカーなどから1品。3等は「選べる有名ブランド食品・地域の特産品」を38品の中から1品選ぶという。いろいろな品物があるが、見たところ数千円の品物のようだ。
 ともあれ、当たったということは嬉しい。4等は50本に1本だが、3等は1万本に1本だと書いてある。毎年200枚の年賀状をもらったとしても50年に1回しか当たらない確率のものだけに、賞品の中身をとやかく言う前に、素直に喜びたい。
 賞品の申し込み期限は8月5日まで。引き出しの奥にしまいこんで忘れたりしないように気をつけよう。これが年末ジャンボ宝くじの3億円だったらな~と思いながら、あらためて当選はがきを眺めている。人間の強欲は際限がない。これで満足ということを知らない。あ~、いやだいやだ、と言いながら顔は笑っている。