写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

切り干し大根

2011年02月27日 | 生活・ニュース

 奥さんが所管の菜園で、今年は今までに見たこともないような大きな大根が収穫できた。白く大きな足のことを大根足というが、この大根は妙齢の美女の足ではなく、まるで相撲取りのふくらはぎのように大きく立派であった。 

 おかげでこの冬は、数日おきに大根の煮物やおでんが食卓に上った。体にもいいし、白いご飯にもよくあっておいしく、何の不満もなくせっせと食べていた。奥さんは、そんな毎日に少し疑問を感じていたのかもしれない。ある日「こんな物を買って来たわ」と、目新しいものを私の目の前で吊るして見せた。
 「干しかご」である。3段の棚がついた網で作った干しかごである。蛍かごの大きなものと言おうか、野菜や魚の干物を作るために売られている。「これで切り干し大根を作ってみようと思って」という。
 買ってきた切り干し大根で作った煮物は食べたことはあるが、我が家で育てた大根で作った切り干し大根を食べたことはない。「おお、やってみよう、やってみよう」。私も同調して支度にかかった。大根を突くための木製の「切り干し器」も買ってきた。
 大根の皮をむいて4分割し、面白いようにスッスッと突いていく。3段の網棚にいい按配の量でばらまいた。好天気が3日続いたあと、ずっしりと重たかった干しかごが十分の一くらいにの軽さになった。手作りの干し大根が完成した。
 大根は、太陽の光を浴びることで、糖化されて甘味が増し栄養価も増加する。骨や歯を丈夫にするカルシウムは15倍、悪性貧血を予防する作用がある鉄分は32倍、代謝を促進するビタミンB1・B2は10倍と、同量の大根と比べた場合、栄養価は非常に高い。
食物繊維も豊富に含まれていて、コレステロールを体外に排出し動脈硬化を予防する作用や、便秘を改善し大腸ガンを予防する作用、美肌にも効果的だという。
 日に干しただけで、おいしくなるとともに栄養価も大幅に増すとは不思議だ。夕食のおかずに早速煮しめて食べてみると、確かに甘く歯ごたえもいい。これで体にいいとなれば、もう何本か切り干し大根にして見る気になっている。
 最近、私の腋が極端に甘くなっているのも、長年日に干してきたせいだろうか。甘くなるのは、大根だけでもなさそうだ。


ツアーコンダクターもどき

2011年02月24日 | 旅・スポット・行事

 「岩国エッセイサロン」という、短いエッセイを新聞に投稿することを趣味とする同好会を開設して丸5年がたった。掲載された会員のエッセイは、毎年1冊の同人誌「花水木」にして発刊している。
 18人の会員の創作意欲は旺盛である。月に1度の定例会では、各人が持ち寄った投稿前のエッセイを、みんなで褒めてみたり評論したりで、賑やかに楽しく時間をつぶしている。
 とはいえ、年中部屋に閉じこもっての勉強会だけでは気持もふさぐ。いいエッセイを書くため、時には心の琴線に触れるような何か刺激も欲しい。そんな思いを叶えるために、夏と冬に駅前のお店でお酒を飲みながらの放談会をやっているが、これはお酒の場であって、エッセイ作りの効用はあまり期待できない。
 効用があるかどうか疑問はあるが、年に一度、外に飛び出すことにしている。これまで、廿日市へ観梅に、三次の美術館へ奥田元宋の絵を鑑賞に、庄原の上下町には梲(うだつ)の見物に、上関には早春のスイセンを見に出かけたりした。そのいずれの時も、おしゃれなレストランでのランチ付きにしている。エッセイのことはさておいて、これが楽しみで参加する会員は多い。
 今年は、4月7日に周南市鹿野町にある漢陽寺に参り「曲水の庭」を拝観、そのすぐ近くにある樹齢400年の枝垂れ桜「弾正糸桜」を見に出かけようと計画している。私は昨年初めて見に行ったが、それはそれは見事な老樹であった。
 これを見ての帰りは徳山に出て、櫛が浜の海辺のマリーナ・レストランでフランス料理の会食を企画している。エッセイサロンを運営する上で、いろいろな雑務があるが、最近私はエッセイをあまり書くことなく、あたかも旅行のツアーコンダクターのような仕事を熱心にやっている。
 鹿野の「弾正糸桜」、まだ見たことのない方は、この春、ぜひお出かけください。決して損はさせません。見事な枝垂れ桜です。
  (写真は、昨年見ごろの「弾正糸桜」)

 
 


ちょっと遠出を

2011年02月23日 | 生活・ニュース

 「げんきか~?」「どうかしたんか?」。茶飲み友達であり、幼馴染でもある2人の友から電話がかかってきた。
 そういえば、このブログの更新もここ2週間ばかりさぼっていた。それを見て、何かあったのかもしれないと思って電話をしてきたという。ちょっと1週間ばかり、遠出をしてきたこと、家に戻ってきてからも、直ぐにブログを書く気にならないまま、今日に至っていることを話した。
 そんな夕方、ハートリーを連れて家の近くを散歩していたら、私のそばでバイクが止まった。知り合いの女性であった。「お元気なんですね。ブログの更新が止まっているので、どうかされたかと思って……」と、心配そうな顔で話す。いやいや、かくかくしかじかで……と説明すると「またブログを楽しみにしていますよ」と言い残して走っていった。
 新聞とは違って、ブログの読者は目に見えない。誰が読んでくれているか定かには分からないが、確実に毎日誰かが読んでくれていることを再認識した。ブログを始めて今7年目、「読んでいるよ」という友がいてくれる限り、また何か書いてみよう。モットーはこれまで通り「質より量」か。質のレベルは自分でもよ~く分かっている。


お接待

2011年02月09日 | 生活・ニュース

 先日、ロードスターに乗って大島を一周した。島の南側にある地家室というところで、小高い山の斜面に作られた石風呂に出会った。古いもののようだが、今もまだ使われていることを知った。
 そのすぐ上に、民家のようにもお堂のようにも見える建物が目に入った。上ってみると「第八十二番札所 海雲山」と書いてある。周防大島八十八か所の一つであった。数か所の
角が欠けた木製の賽銭箱に硬貨を投げ入れて手を合わせているとき、下の方から「お接待をしてあげんさい」と、おばあちゃんの声がした。
 見ると、杖をついてゆっくりと上ってくるおばあちゃんの先を、50歳くらいの大きな男が上がってきている。その男に、おばあちゃんが掛けた声であった。
 お堂の前のベンチに座って休んでいる私に「どうぞ」と言いながら、男は大きなハッサク2個とミカン1個、それに缶ジュース1本を差しだした。お礼を言って素直にいただいた。男はお堂の中に入り、供花の水を替えたり供え物をしたり掃除までやっている。遅れて来たおばあさんに話を聞いてみた。
 直ぐ近くに50数軒の集落があるが、このお堂はわずか5軒が当番制で毎日世話をしている。「私は足が悪いので、広島から息子に帰ってきてもろうてやってるんですよ」という。世話をする人がだんだん少なくなったようだ。「若いもんもおるが、みんなやりたがらんので」と、集落の方を見ながら言う。ご主人は20年前になくなり、娘もいるが遠くに嫁に行った。今は一人暮らしで、この息子を頼りに当番役を果たしていた。
 世話を終えて、2人は坂を下っていった。その斜面には小さな段々畑があり、畑いっぱいにスイセンが満開である。お堂に供えるために心ある人が植えたと言っていた。スイセンの向こうに穏やかな瀬戸内海が水平線まで広がって見えた。
 巡礼での「お接待」とは「行けない私の分まで宜しくお参り下さい」という代参の意味でもあったり、お接待自体がその人の行でもあり功徳となるという。このような好意の裏には、地元の方々の人知れぬご尽力とご苦労があるはずで、お接待をうける際には、その方々への感謝と敬意を忘れてはいけないと聞いたことがある。
 家に帰り、そんなことを思い出しながら接待のハッサクをいただいた。瑞々しい厚い皮を剥くと、香水のような香りが広がった。
  第八十二番札所 海雲山
  詠歌   海遠き雲の上よりあらわれし南無薬師如来仰ぐとうとさ


 


岬めぐり

2011年02月08日 | 旅・スポット・行事

  立春が過ぎ、朝から春めいた暖かい陽が差していた。こんな日を待っていた。防寒着を着こんでロードスターで出かけてみることにした。西に向かうか東に走るか迷ったが、今日は南にハンドルを切って周防大島に向かって走った。
 国道188号線沿いの市街地を抜け、霞んだ海が見え始めたところで車を止める。ハードトップを開けた。ヒーターの風量を押さえ加減にして走っても
丁度よいくらいの外気温である。やがて大島大橋を渡る。いつもは左に折れて時計回りに一周するが、気分を変えて反時計回りに走ることにした。
 途中、寄り道することなく、早春の海を見ながらゆっくりと走る。それでも追ってくる車はいない。いいドライブコースだ。いくつもの小さな岬を上っては下るの繰り返し。ハートリーを家に置いてのひとり旅。定期バスとすれ違った時、ふっと古い歌を口ずさんだ。

 ♪ 岬を僕はたずねて来た 二人で行くと約束したが 
   今ではそれもかなわないこと
   岬めぐりのバスは走る 窓に広がる青い海よ
   悲しみ深く胸に沈めたら この旅終えて町に帰ろう ♪ 

 1975年(S50年)に、山本コータローとウイークエンドが歌ってヒットした「岬めぐり」である。まさに、この歌詞のように、岬を巡るバスとすれ違う。
 沖の家室島を前にした地家室という集落を通りかかったとき、道路わきに興味ある看板が目に入った。「地家室石風呂」と書いてある。車を降り木の生い茂った坂道を少し登ると、防空壕のようにも見える石風呂があった。
 説明板には「石風呂とは石積みや空洞を利用した熱気浴施設のこと。日本では温泉の少ない瀬戸内地方を中心として発達した。弘法大師や薬師仏を祀り、入浴と同時に神仏の加護により精神的な安定も得た」と書いてある。
  岩山の一部をくりぬいたような石風呂の中をのぞいてみた。畳3畳くらいの半球状の空間である。マンホール大の入口周辺は、煤で黒くなっていた。通りがかったおばあちゃんに聞いてみると、年に数回は今でも焚いているという。大島は、ミカンだけの島ではなく、まだまだ私が知らない不思議いっぱいの島である。振り返る山の畑の土手には、早くもスイセンが満開であった。大島の春は一足早い。