写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

年暮れる

2006年12月30日 | 生活・ニュース
 一昨日は遅い初雪が舞い、昨日の朝は庭先の鉢に0.5mm厚さの氷が張っていた。あれほど暖かかった冬も、やっと本格的な冬らしい寒さとなってきた。

 と思ったら、今日はもう大晦日。明日はお正月だ。1年1年があっという間の1年になってきている。大きな変化や驚きがないせいだとは思うが、それにしても時の過ぎるのが早い。

 しかし今年は、少しは印象に残る年だった。前々からやってみたかったことが形になり、軌道にも乗り始めた。

 探し求めていた生き甲斐を見つけたような気がする。来年はこれを少しでも発展させていきたいと、鼻息を荒くしている。

 毎年、大晦日の晩、この1年を手帳をめくりながら振り返ってみる。そして大きな出来事、楽しい思い出を最後のページに書き出してみる。

 待ちぼうけな生き方では何も巡ってはこない。自分から積極的に動いていく姿勢は来年も持ち続けて行きたい。そうしないと、この作業は徒労に終わる。

 年明け早々は、同人誌の発刊が待っている。最後の編集作業を落ちなくやることが、私の御用始めだ。

 ブログも、お付き合いいただいている皆さんの訪問を励みに3年目をやっている。今、過去2年分のブログを整理編集して、出版の計画を立てている。

 予算が許せば、2月頃には陽の目を見ることができるかもしれない。目下検討中だ。1番の問題は、奥さんから出してもらうものが出るかどうかだ。

 こんなことを考えながら、今年が暮れていく。「カッチ、カッチ」、オリオン座がきらめく凍る夜空に、消防団員の夜回りの拍子木の音が跳ね返って聞こえてきた。

 帰ってきた孫も嫁の里へ行き、次男と3人の静かな大晦日がゆっくりと過ぎていく。昨夜飲み残した大吟醸の小瓶を冷蔵庫から取り出し、ちびりやってみるか。

 ブログでお付き合いいただいた皆さま、今年はお世話になりました。良いお正月をお迎えください。来年もまた楽しくやりましょう。
 (写真は、山口市のレストランにあった「雪ダルマ」)

グッド・タイミング

2006年12月27日 | 季節・自然・植物
 時雨降る昼飯前、低く垂れこもった灰色の空を眺めていた。そのとき、ピィピィと鳴きながら1羽のヒヨが白い花水木の枝に飛んできた。

 赤の花水木とは違って、白の花水木の枝には、真っ赤な多くの実がまだついている。それを狙ってやってきたのだった。

 手元に置いてあるデジカメのスイッチを入れ、半分閉じていたブラインドを気づかれないように静かにゆっくりと全開させた。

 5m先の枝の上で、きょろきょろと辺りを警戒しながら止まっている。デジカメを構えピントを合わせていたとき、ヒヨが赤い実をついばみ、その直後飛び立って行った。

 飛び立つ寸前、私はシャッターを押していた。再生してみると、ヒヨがくちばしの先に赤い実をくわえ、まさにジャンプしようとしている姿が撮れている。

 この季節、山には餌はないのだろう。このところ見なかったヒヨが、我が家の庭にやってくるようになった。

 まだまだ花水木の実は沢山残っている。これからたびたびヒヨはやってくるに違いない。

 お正月には餌台に、おいしいミカンでも置いてやることにしよう。久しぶりに、ヒヨが訪れてくれた年の暮れである。

 おっと、もうこんな時間だ。ヒヨと入れ替わって、これから孫が帰ってくる。「おーい、迎えに行くぞ~。掃除はそれくらいでもういいぞ」。
   (写真は、赤い実を加えた「ヒヨ」) 

朝食を大切に

2006年12月26日 | 生活・ニュース
 数日前の夜、中国新聞社から電話がかかってきた。妻の職業を尋ねるものであった。「すみません、主婦と書いておいて下さい」と返事をした。

 2年前より私が新聞に投稿しているのを見ながら、妻は「私には、書くことが何もない」といつも言っていた。

 そんな奥さんが、この秋、ある勉強会の席で発表する機会があった。原稿作りに1ヶ月近くを費やしていた。

 そのときのものを500字にまとめなおして投稿していたものが新聞に掲載されるというが、奥さんは職業欄を未記入のまま投稿していたらしい。

 それを訊いてきた電話であった。生まれてはじめての投稿が、昨日掲載された。

 「です・ます調」で書いていた文が、「である調」に変えられていて男っぽい文章になっている。よろしければ、ご一読ください。
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「朝食を大切に」

 朝ごはんを食べないで学校へ行く子どもが増えているという。一食でも抜くと成長期では将来に大きな問題が出てくるのに、なぜだろう。  

 大人にも同じことがいえる。食事勉強会で、ある年配の人は必要な食品の品数と必要な量をきちんと取っていた。栄養計算をしても、必要なカロリーや各栄養素がバランスよくとれていた。

 それに比べて、若い人の中には、必要な食品が品数・量ともに足らず、大変偏った食事を取っている人が多くいた。これでは体に必要な栄養分をバランスよく取ることができないばかりか、エネルギーも不足してしまう。

 一日に必要な栄養の三分の一は、是非朝ごはんで取りたいものだ。必要な栄養が摂れなかったからといって、今食べた結果がすぐ体に出るわけではない。このくらいのことは大丈夫などと思わないで、一食たりともおろそかにせず大切にしたいものだ。

 ある調査によると、朝ごはんを毎日食べる子は、全く食べない子より頭の働きが良い傾向にあったということである。このような話を聞くと、明日からは朝ごはんをきちんと食べさせようという気持ちになる。

 一食たりとも朝ごはんを抜いたりせず、健全な食生活を志して行きたいとあらためて思っている。
  (写真は、朝食を欠かしたことのない「ハートリー」、 
     2006.12.22 中国新聞「広場」掲載)

帰省雲

2006年12月25日 | 生活・ニュース
 「27日に、皆で帰ります」。昨夜、東京に住む嫁から電話がかかってきた。3歳の孫が半年振りに帰ってくるという。

 さあ、お迎えする側も忙しくなってきた。「家をきれいにしましょう」との掛け声は早くから掛かってはいたが、実行を伴っていないまま、今日に至っている。

 昨日は墓参りも済ませた。今日は家の中に転がっているものを各所に納めた。次は愛車の水洗いだ。奥さんは乗り換えたばかりのマーチの手入れに余念がない。

 液体ワックスをかけ終り、やや離れたところから眺めて「ねえ、新車みたいに見えない?」と、満足そうに言う。

 私も久しぶりに自分の車の手入れをした。腕を思い切り伸ばしてワックスをかけた。腰をかがめて乾拭きをする。結構いい運動になった。

 これで孫を迎えに行く準備をすべて終えた。手を洗った後、大きくイナバウアーをやったとき、晴れ渡った空に日頃は見ないものを見た。

 広い空を東西に、いくつもの飛行機雲が、消えることなくやや角度を保って交錯している。福岡空港に発着する飛行機のものに違いない。

 この時期のことだから、私には帰省を急ぐ息子や娘家族の航跡のように感じられる。造語の季語として「帰省雲」と呼ぶことにした。

 孫の帰省まであと3日。待つという楽しみを、しっかり味わっている。
   (写真は、冬空に交錯する「帰省雲」)

高齢化社会

2006年12月24日 | 生活・ニュース
 今年も残すところあと数日という日、新聞の第1面のトップに「2055年総人口8993万人・65歳以上が4割」と大きく書いた記事を読んだ。

 現在よりも4000万人近くも減少する一方、65歳以上の人口割合が現在の2割から4割へと増加し、超高齢社会に突入すると悲観的なことが書いてある。

 少子化が進めば高齢社会となることは現実問題ではあるが、長い目で見れば一時的な過渡現象であり、ある年数が経てばまたバランスの取れた年齢構成になる。

 「少子高齢化社会がやって来るぞ」と声高に騒ぎ叫んでいるだけでは何の解決にもつながらない。子供を生み育てやすい社会となるよう国を挙げて取り組まなければならないのは言を待たない。

 老人福祉への社会構造の変革に比べて、少子化対策はかなり遅れている。例え、早急にその対策をとったにしても、一挙に超高齢化社会が改善されるわけではない。

 それまでの間、単に「65歳になりました。さあ、今日から高齢者です」と高齢者を棚上げするのでは策がない。

 心身ともに若者以上に活力も体力もある者は大勢いる。体は少し不自由かもしれないが、頭脳明晰なものもいる。

 これらのパワーをもっと活用できる知恵を出していけば、高齢化社会になったといっても、労働生産性が高く経済成長する社会の実現に大きく貢献できるように思うがどうだろう。

 一旦卒業したとはいえ、もう少し現役で社会参加して行きたいと思っている高齢者は、じっとその出番を待っている。

 ところで今日はクリスマスイブ。サンタも結構な高齢者に見えるが、まだまだ世界中の空を忙しく飛び回っておられる。生涯現役、こうありたいものだ。
 (写真は、おまけについていた「サンタクロース」)