写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

身辺整理

2011年10月31日 | 生活・ニュース

 30年前、会社で同じ部署にいた仲間10人が2年ぶりに集まリ、駅前のレストランで会食をした。順番に各人が近況を語った。多趣味だったある男が、趣味を取捨選択して絞り込むとともに、映画のビデオテープなど趣味の品物も廃棄するなど、今は不要となった物品の片付けを始めたといっていた。

 そんなことを聞くと、私だって家の中に何十年も全く使うことのない要らないものを沢山置いている。納戸には、石油ファンヒーターやゴルフ道具にキャンプ用品など比較的大きなもの、2階の書斎には読むことのない古い本が、書棚にただ並べてある。いつか整理しようと思いながら、今日に至っている。

 小雨模様で出かける予定もない日、まず書斎の本棚から不要と思われる本を選んで捨てることにした。学生時代に買って読んだ文庫本が沢山あるが、これはすべて残すことにした。その後買った小説の内、半数は捨てる。現役時代に参考とした教養書、ハウツーもの、カメラや車やアウトドアなどの趣味の本は全て捨てることにした。捨てる本の総数は約100冊、重さは20kgくらいになった。

 最近よく耳にする「断捨離」とは、ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なものを断つ、また捨てることで、ものへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考えで、単なる片づけとは一線を引くという。

 これでいくと、私は単に「断捨離」の内の「捨」を行ったに過ぎない。身軽で快適な人生を手に入れようとすれば、あとは「断」と「離」。要らないものを衝動的に買い込まず、物へ執着をしない生き方をしていけばいいことになる。

 思えば、物の良し悪しは別として、すでに大抵のものは持っている。「もうこれ以上は買うまいぞ買うまいぞ」と言い聞かせながら街に出かけることにしよう。そうは言いながら、スマートフォンとやらの新機能製品が出たりすると、新しもの好きの腹の虫がごそりと動き出す性癖はどうしようもない。

 ひとつ気になることは、奥さんが「断捨離」に目覚めることである。不要品リストに名を連ねられないよう、この辺りで気を引き締めて生きていきたい。「断捨離」が「男捨利」では洒落にもなりませんから。


たまに行くなら

2011年10月29日 | 食事・食べ物・飲み物

 先日、宮島の弥山に登ったとき、下りは大聖院コースをたどった。上りの紅葉谷コースに比べると、2割方距離は長い。数年前の大雨で、ところどころが大きく土砂崩れしている。降りたところに真言宗の大聖院がある。明治の神仏分離まで別当寺として厳島神社の祭祀を司り、社僧を統括してきた名刹である。

 そこから厳島神社に向かって真っ直ぐな通りがあり、滝小路と名づけられている。1555年の厳島合戦では、陶軍が追い詰められて大聖院に逃げ込む際、激戦の場所となった場所である。社家の屋敷や小卿(しょうけい)屋敷があり、宮島民家の特徴を示す格子戸や虫籠窓が見られ、落ち着いた宮島の風情が漂っている。

 そんな小路の中ほどを歩いているとき、暖簾のかかったお茶屋さんを見つけた。門を入るとガラス引き戸の玄関があリ、開け放した部屋の向こうには、裏山を借景とした芝生の広い庭が見える。しっとりとした茶屋でお茶を飲んでみたくなり入ってみた。

 玄関においてあるテーブルには、年配の男が2人が向き合ってコーヒーを飲んでいた。私と奥さんは一旦外に出て、庭が見える縁側に案内された。左手には石燈篭がおいてある。右隅には4畳半くらいの離れがひっそりと佇む。真ん中には松の木が1本。音といえば、先客の話し声だけが小さく聞こえる。

 美人の女将が笑顔で愛想よく応対してくれる。ケーキ半分が付いたコーヒーセットを頼んだ。観光客で賑々しい宮島にもこんなに静かで落ち着く場所があった。山登りで疲れた体に、甘いケーキがほどよい。ひと休みしてレジの前に立つと、面白い形のものが置いてある。手に取ってみると宮島の郷土玩具の土鈴であった。大鳥居の形に作ってある。背中には「世界文化遺産」と彫り込んである。「この方が作られるんですよ」と、女将がコーヒーを飲んでいた痩せた男を紹介してくれた。

 手に取ったからには買わない訳にはいけなくなった。いかにも宮島の土産らしい。置き物として飾っておいてもよさそうだ。男に丁寧に挨拶をして店を出た。今度宮島に来たときにも、このお茶屋さん、また行ってみたいと思わせるような店だった。疲れた体と頭が、ほんの少し元気になれた。「遊鹿里茶屋」(ゆかりちゃや)というお店です。


弥山初挑戦

2011年10月28日 | 旅・スポット・行事

 このところ、少し宮島にこだわっている。先日、同好会仲間と宮島探訪するにあたって、宮島のことを少しお勉強してみた。今までは、もみじ饅頭がおいしい観光地くらいの知識しか持ち合わせていなかったが、あに図らずや、私の知らない数々の歴史が残された神々しい島であることを学んだ。

 各時代の人々が残してきた歴史的建造物は世界文化遺産として登録された。厳島神社の背後にそびえる弥山原始林もその登録範囲に含まれている。島の最高峰は弥山で、標高は535mある。「弥山は頂上からの眺めがいい山ですよ。一緒に登りませんか?」、過去に何度も山登りの好きな人から誘われたことがあった。海抜0mから535m登るのは、これはこれで結構な標高差である。私の体力では健脚な人と同じ足並みで登ることは無理だと判断していつも断っていた。

 しかし、宮島の文化遺産を一通り見て回った後、最後に残ったものが弥山であった。「よしっ、今日は弥山に挑戦だ」。朝9時、奥さんと2人がリュックをかつぎ、ストックを握って宮島に向かった。10時丁度、宮島桟橋上陸。すぐ左に折れ、「うぐいす歩道」という山道を通って紅葉谷に行った。ロープウエイ駅を恨めしげに見やりながら、一路山頂までの最短コースである紅葉谷コースを選び登山を開始する。

 案内標識には「山頂までは約1時間半から2時間。距離は2.4km」と書いてある。登山道は石段が多く、2100段あまりもあると聞いていた。1段辺り高さ20cmとすると、これだけで420m登ることになる。8割方が階段だということでもある。こいつぁ、たいへんだ。そんなことを思いながらまずは登り始めた。

 200mごとに、頂上までの距離が案内標識に書いてある。はあはあ息を吐きながら、這うようにして歩くが残りの距離が中々減らない。下山してくる人から「頑張って、もう少しよ」と励まされても、少しも頂上は見えてはこない。何度休憩を取っただろうか。2時間かけてどうにか頂上近くにたどり着いた。

 平坦な尾根を500mくらい歩くと、そこが本当の頂上だ。大きな岩に囲まれた見晴らしの良い場所には、ロープウエイを使っての観光客が軽装でやってくる。外人も多い。自分の足で登って来る人はわずか。達成感、満足感いっぱいで、コンビニ弁当を食べた。うまい。何よりもごちそうに思えた。

 下山は、大聖院コースで順調に降りた。その夜はふくらはぎと太ももがやや痛い。また登る気があるかって? いいえ、最初で最後、もう結構。階段が多すぎて、膝に応える。でも、これで宮島制覇なりました。弥山に登りたい方、なんでもお聞きください。ご相談に応じます。


錦帯橋発見

2011年10月26日 | 旅・スポット・行事

 行楽には絶好の秋日和の日、エッセイ同好会の仲間13人と「宮島探訪&グルメの旅」に出かけた。旅の目的は物見遊山ではなく、近くにあっても意外と知らない宮島の史跡を訪ねて歩くことである。下調べをして見ると、岩国と関わり深いものがいくつかあることが分かった。

 年甲斐もなく小学生の遠足のようにはじけた気分で電車に乗った。宮島の桟橋に10時半上陸。駅前広場の目の前にある小山に上った。ここは1555年、厳島の戦いの時、毛利元就が陣取った宮尾城跡である。頂上からは普段見ることのない宮島の家々の屋根を、大鳥居をバックに眺められる。

 続いては、一般観光客が通る表参道を避け、1本裏筋の町屋通りを散策。昔情緒のある古い家並みを見物。やがて、真正面に高く五重塔が「写真を撮ってくれ」と言わんばかりに迎えてくれる。

 観光パンフレットを読みながら千畳閣でひと休みすると、昼食タイムだ。予約しておいた店の2階でゆっくりとくつろぎながらの昼食。午後一番、国宝や重要文化財満載の厳島神社を、一つ一つ確認しながら雅な寝殿造りの廻廊をゆっくりと歩く。潮が満ちてきて干潟が刻々と消えていく様子を
、早送りの映像のように眺めた。

 廻廊を抜けると、正面に真言宗の大願寺というお寺がある。本尊の厳島弁財天は鎌倉の江の島、琵琶湖の竹生島とともに日本三大弁財天のひとつである。その本堂前の軒下に、意外なことに精巧に作られた錦帯橋の大きな模型が掛けられている。大きさは、実物の25分の1で長さは11mもある。

 説明書によると、
明治時代に開かれたパリ万国博覧会に出展されたもので、その後、1896(明治29)年に岩田三郎左門から寄進された。岩田氏の詳しい経歴や作者、奉納された理由などは全く不明だという。1950(昭和25)年のキジア台風で流された橋の再建時には、史料が少ないため、当時の棟梁が復元の参考にしたというほどのものである。

 宮島のお寺に錦帯橋。それもパリ万国博覧会帰りの代物である。どんな経緯があったのか。どうして故郷岩国まで帰ってこなかったのか。疑問は残るが、この錦帯橋、世界文化遺産の宮島を目指してやって来る世界の観光客の目に留まり、岩国まで足を延ばすきっかけになることを期待しながら、この日最後の目的地・大聖院へ向かった。

 岩国の皆さん、宮島の錦帯橋、これはこれで一見の価値があります。ぜひ一度お訪ねあれ~


小物大漁

2011年10月22日 | 生活・ニュース

 2週間前、幼馴染のT君から電話があった。仲間と釣りに行こうという誘いであった。誘われた遊びには原則として全て参加することにしている。即座にお伴をする返事をしておいた。決行前夜、4時に目覚ましをセットして寝たが、珍しいことに目覚ましが鳴る前に目が覚めた。1年半ぶりの釣り紀行に、やや興奮していることが分かる。

 まっ暗い中、車でT君を迎えに行く。5時半、その日の仲間4人が通津の釣り具店で落ち合い、エサと弁当を買って柳井港の漁港へ向かった。世話役のA君が手配してくれていた漁船が、500m沖合にある防波堤へ運んでくれる。時計を見るとまだ6時半。午後1時に迎えに来てくれるように頼んで防波堤に降りた。

 いよいよ釣り開始。、A君が一人一人にエサのオキアミと活きエビを配ってくれる。長さ200mばかりの防波堤に、各人が思い思いの場所に散らばっていく。その日の狙いはアジとメバルである。オキアミを仕掛けの籠に詰め、まずはアジ狙いを開始した。1投目の竿を投げると、錘が海の底に着く前に早くも当たりがあった。上げてみると20cm大の形のいいアジが1匹跳ねていた。

 「ひょっとすると、今日は大漁かも」、そんな予感を抱きながら第2投。今度は15cm大の少し小さいものが2匹かかってきた。「小さくてもいい、釣れさえすれば」と、釣れたものはすべてクーラーボックスの中に収める。昼までの5時間で、釣れた魚は全部で60匹くらいか。ほとんどが小アジでメバルは僅か7匹だが、手のひら大の鯛も1匹。大きなアジは7匹、メバルは4匹であった。

 まずは大漁と言いたいが、大きなものが少なかった。たくさん釣れたら帰り道、知人に上げようと思っていたが、この大きさでは迷惑だろう。すべてを持ち帰った。家に着き、クーラーボックスを下ろしているとき、近所の奥さんが通りかかった。「小さなアジが釣れましたが、いりませんか?」と言い終わらない内に、「小アジはいいです、骨も硬いし……」とにべもない。

 うちの奥さんだけは私の味方。「わ~、たくさん釣れたわね~」と素直に大喜び。早速夕食には、アジの刺身と小アジの南蛮漬け。翌日のお昼には鯛飯を作ってくれたが、身は少なく匂いだけ。それでも鯛飯に変わりはないと言いながらおいしく頂いた。

 久しぶりに幼馴染と魚釣り。秋の柔らかい日差しの下で、昼食を忘れての7時間。翌日は、リールを投げた後遺症だろう、右肩が凝って痛い。それでもまた行ってみたい魚釣りであった。