写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

春隣り

2014年01月30日 | 生活・ニュース

 久しぶりに朝から小雨が降っている。昨日は少し暖かかったが、大寒も過ぎ少しずつ春が近づいている証の雨なのだろう。先日、「春隣り」という季語を、テレビを見て知った。

 冬の終わりに、すぐそこまで来ている春を感じて用いる季語のこと。「春待つ」という季語が、まだ少し遠くにある春を待ちわびる主観的なものであるのに対し、「春近し」は間近に迫っている春を五感で捉えたものであるが、「春隣り」ともなると、もうすぐそこに立春が来ているといったニュアンスが強まり、春を肌で感じることができ心が弾む様子をいう、とある。

 それであれば私にとって、この季節の「春隣り」といえば、少し俗っぽい話になるが確定申告というところか。1週間前、税務署から確定申告の用紙が送られてきた。毎年のことながら奥さんに「医療費の総額を整理しておくように頼んでおいた。申告の受付期間は2月17日から3月17日までと書いてある。まだまだ先のことなので、用紙に目も通さずそのまま放っておいた。

 今日は雨が降っては出歩くことも出来ない。「少し早いが、確定申告でも書いて見るか」と思っていると、奥さんは早くも1年分の医療費をまとめて添付資料の体裁にしてくれていた。これなら話は早い。毎年のことなので記入要領は分かっている上、書き込む数字も大きく変わることはない。

 1時間余りで記入を終えると、昨年と同じく還付金が出てきた。額まで前年とほぼ同じく数万円。思わずにんまりと頬がゆるむが、この還付金、もともと私のものであって、前払いしていた税金が利子も付かずに単に戻ってきただけ。そんなことは分かっていても、年金が頼りの身としては素直に嬉しい。

 「受付期間の前でも、確定申告は受け付けます」ということを電話で確認した後、早速、昼前に税務署に書類を提出しに行った。先客が2名いた。提出書類を見ることもなく「何か問題があれば、連絡します」と言いながら受理してくれた。これにて一件落着。その心境は如何と問われれば「確申を 無事提出し 春隣り」。


ジャネーの法則

2014年01月26日 | 生活・ニュース

  今日26日は、1月最後の日曜日。お正月が終わり「さてと、今年は何をして時間つぶしをしようかな」などと考えている間に、もう1月が終わろうとしている。この調子だと、いつもの年のように、あっという間にまた1年が過ぎ、新しい年を迎えることになりそうである。

 日経新聞のコラムに「ジャネーの法則」ということが書かれていた。ジャネーの法則とは、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネーが発案した法則で、「年をとってくると、1年の経過が子どものころと違って早く感じる現象を解明したもの。生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する。

 例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての1年間は5歳の人間にとっての10年間に匹敵する」という。

 なるほど、だから人生が長くなればなるほど、1年が早く感じるということになる。道理で退職してからのここ10年あまり、巡り来る1年1年が、まさにリニア新幹線のごとく高速で目の前を通り過ぎていった。数年前に出かけた旅行が、つい昨日のことのように感じることも間々ある。

 しかし1年1年が早く過ぎていく一方で、何故か無為に過ごす1日という時間は長く、なかなか過ぎていかない。柱時計を何度眺めてみても時計の針が止まったように見える日もある。退屈で何もすることがなく、漫然とテレビを見ていたのでは1日は長い。

 こんなことを書いている今日は、孫がやって来たり来客があったりで、あっという間に1日が過ぎた。毎朝起きてから「さて今日は何をしようか」と考えるのではなく、半年とか1年後に達成するような何らかの長期目標を決めた中で1日1日を過ごす生き方をしないと、1年はあっという間に過ぎてしまいそうだ。ジャネーは一体どんな生き方をしたのだろう。「では今日はこれまで、ジャーネー」とは、手垢のついたおやじギャグ。


棚、棚作り

2014年01月24日 | 木工・細工・DIY

 階段の下は、広さが畳1畳ほどの収納庫になっている。階段下という宿命があるので高さが低い上、側面から見ると三角形をしていて奥にいくほど低くなっている。使い勝手は悪いが、ほんの少しの空間でも有効に使ってほしいという設計者の意思の表れである。

 住み始めて間もなく奥さんの希望で、この収納庫の中にDIYで棚を2段取り付けた。家の1階で収納できる場所はここしかなく、時に応じて使うあらゆる物を押しこんでいる。物があふれて扉が開き、中のものがあふれ出てくるようなこともあった。

 何とかしなければ。奥さんとの意見が珍しく一致し、朝から収納庫のものを全部出し、断捨離をすることにした。お宝のようなものが出てくる反面、およそこれからも使わないような不用品も沢山出てきた。何を収納していたかも分からない状態になっていた。掃除や洗濯、風呂、洗面、トイレ用品が思いのほか沢山あった。

 「よしっ、洗面所の頭上に棚を作って、見えるようにきちんと整理して並べよう」。直ぐにホームセンターに走り、幅30cm、長さ180cmの板とL字型棚受けを買って帰った。壁紙が張ってあるので、一見しただけではどこに柱があるのか分からない。治具を使ってそれを的確に見極め、ドリルで棚受けを取り付けた。もちろん、奥さんを先手とした2人作業である。

 ものの30分で完成した。上出来だ。これで収納庫のものは大幅に減ったが、隅の方の空間に1段、小さな棚を作って欲しいと追加注文が出た。急きょ、手持ちの材料を使って何とか要望に応えた。収納庫の扉を開けると、こぼれんばかりにあった品々の内、1/3は廃棄し、1/3は洗面所の棚に、残る1/3が元の収納庫に収まった。見違えるように使いやすくなった収納庫を眺めて顔を見合わせてにんまりする。

 仕事を終え大工道具を片付けているとき、奥さんが大きな声で「お父さん、大変! 今作ってもらった棚が壊れたわ!」「なにっ? 何か棚に乗せたんだろう!」っていうのは、落語の世界の小話。この私めに限って、そんなことは絶対ありません。ないと思う。ないだろう。今のところは……。


ミステリーツアー

2014年01月20日 | 旅・スポット・行事

 高山の町の散策を終え、集合場所に向かおうとしたが、ひと休みもすることなく長時間歩き続けたせいか、さすがに少し疲れを感じていた。この町には、至る所に「Cafe」の看板を掲げた店がある。

 小さな間口で、カットガラスの四角の窓がかわいい「ボガ」というカフェを外から覗いた。優しそうな60年配の女性が笑顔でカウンター越しに客と話をしている。「よしっ、この店にしよう」。妻と一緒に入った。カウンターには常連客らしい女性が2人、隅のテーブル席には75歳くらいの品の良い夫婦がコーヒーを飲んでいた。

 カウンターを前にした席に座ったとき、先客の女性2人は店を出た。しばらくすると、飲み終わり黙って向かい合って座っていた夫婦も席を立ちレジの方に向かった。奥さんの後ろを付いて行く旦那さんが私の方を向いて、愛想のよい笑顔で話しかけてきた。「高山に来るのも、もう3回目なので見物する所がなく、この店でお茶を飲んでいたんですよ」。一瞬何のことか分からないので、私もただ愛想笑いを返しておいた。

 すると続けて「女房が、ミステリ-ツアーが好きで、参加するたびに同じ所に連れて行かれるんですよ。長野の善光寺にはもう4回も行きました。行きたいところに行く旅行を申し込めと女房に言うんですが、どうしてもミステリー・ツアーにするんですよ」と笑いながらこぼす。

 ミステリーツアーとは、団体旅行に新鮮さ、驚きを与えるために、敢えて出発まで目的地を知らせない、または目的地に到着するまで目的地が解らないようにする旅行である。旅行会社は、募集パンフレットには宿泊地を明示することが義務付けられているが、ミステリーツアーのみはその例外として認められているようである。

 旦那さんの辟易とした顔を見ると同情はするものの、こんな旅行を好んで選ぶ人も世の中に入ることを知った。それにしても、同じ所に3度や4度も連れて行かれるとは、旦那さんにとってはミステリーツアーならぬミスツアーということか? 旅は気分任せ、風任せ。他人任せは似合わない。「ミステリー ツアーといえば 人生だ」(仲畑流万能川柳)。


城下町・高山

2014年01月19日 | 旅・スポット・行事

 北アルプスを展望したあとは再び高山市に戻り、自由行動で由緒ある高山の町をを1時間半かけて見物した。高山は日本列島のほぼ中央に位置する盆地。東に乗鞍岳、焼岳、穂高岳、槍ヶ岳、南東には御岳、北西には白山が遠望できる環境にある。

 
奈良時代には国分寺、国分尼寺が造られた。戦国時代の1585年に、豊臣秀吉は越前大野城主であった金森長近に飛騨を征圧させた。以後、金森氏6代、107年の政治が始まり、長近は1600年に見事な城を造ると同時に城下町を整備した。

 金森氏の移封後の飛騨は幕府直轄地となったが、1695年幕府から高山城破却の命令が出され、今は「高山城跡」として県史跡に指定され、緑豊かな城山公園になっている。当時の様子をそのまま残す古い町並みは、「国選定重要伝統的建造物群保存地区」として、きちんと整備されて今に伝えられている。

 特に城下町の中心、商人町として発達した上町、下町の各三筋の町並みは「古い町並」と呼ばれ、多くの観光客で大賑わいとなっている。また、毎年テレビのニュースなどで報じられている「高山祭」は春の山王祭と、秋の八幡祭の総称で、日本三大美祭のひとつに上げられている。

 色鮮やかな屋台の上での
巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、屋台には飛騨の匠の技が生きていて、祭の時期以外に訪れた観光客でも屋台のからくりを、祭さながらに見ることが出来るように立派な施設も整えられている。

 今まで高山がどんな町なのかは全く知らなかったが、行ってみてまさに目からうろこ、大変驚いた。城こそ残ってはいないが、城下町の街並みが殆んどそのままに近い姿で残されている。「国選定重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているのも納得できる。それも一筋の町筋ではなく、6筋もの町並みがである。

 散策しながら私はどうしても我が町岩国と比較してしまう。表現上は同じように城下町である。それなのにこんなに大きな違いが出てしまっている。昔の姿を取り戻すことはもうできない。何がいけなかったのか。今から何をすればいいのか。そんなことを考えながら町を歩いた。