写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

大晦日

2009年12月31日 | 季節・自然・植物
 大晦日。朝起きるとあたり一面の雪景色。午前中は風も強く雪が降っていた。買い忘れていた物を買いに西の町へ。こんな寒い中でも、錦帯橋には観光客がちらほら。今年最後の錦帯橋を撮って帰った。
 午後は、穏やかな陽が差すものの、南の風に乗って風花が舞っているのが窓の外に見える。
 今年1年、このブログに立ち寄っていただいた皆様には心よりお礼申し上げます。来年も、今年と同じように運ぶことが出来るかどうか。来年は来年の風が吹くことでしょう。どんな環境にあっても、希望を持って前向きに。自らが動いてみる。
 叩けよ、さらば開かれん。新しい年、また新しい一歩を踏み出してみます。
 みなさま、よいお年をお迎えください。
(写真は、今年最後の「錦帯橋」)

晦 日

2009年12月30日 | 生活・ニュース
 「日ごろの怠慢がたたり、連日体力勝負の年末の大掃除がやっと終わった。私の担当は家の内と外回りの清掃だ。外壁の洗浄、花水木とケヤキの落ち葉の掃除と枝の剪定。2階寝室と書斎の掃除。すべてのガラス窓の拭き掃除。徹底的なトイレ掃除。
 風呂場のタイルの目地の汚れは、昨年導入した高圧洗浄機でやってみると、新品同様の真っ白い目地に変身してくれた。
 奥さんは帰ってくる二人の息子たちのための用意は、尽きることなく今も何やらやっている。『無償の愛』を、また目の前で見せてくれる。
 年末の力仕事が一段落すると、私には大きな別の仕事が待ってくれている。岩国エッセイサロンの会員の、この1年間の活動の集大成である同人誌「花水木」第4号を編集し、年明け早々に印刷屋へ持っていき、製本をする仕事である。
 会員は19名、今年の新聞投稿掲載数は136編。昨年の104編に比べると大きく飛翔したことが分かる。会員の前向きな姿勢にただただ感心するばかり。ページ数も昨年の180ページに対して205ページとなっている。
 一応仕上げたつもりの原稿を、年末年始の騒々しいテレビの音を聞きながら、もう1度最後の校正をやり、新年5日には印刷屋に持ち込むことにしている。
 今年で4回目の年末の作業。昔は思ってもみなかったが、年末の私の充実した時間がこうして過ぎていく。会員の皆さんの喜ぶ顔を想像しながら……」。
 以上は昨年の12月30日のブログを、単に数字だけは今年のものに当てはめ直した文章である。やっている力仕事は例年とまったく同じであることがよく分かった。こうしてまた1年、年を加えていく。今年も暮れる。
  (写真は、最終段階の同人誌「花水木の原稿」)

今年に拍手

2009年12月29日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 29日の毎日新聞に、エッセイストの山本文子さんが「今年に拍手」と題して短いエッセイを書いていた。今年を振り返ってみると、たくさんの魅力的なひとにめぐり合えたということを書いている。
 「わたしが魅力を感じるのは、四の五の云わず、自分のやりたいことをまっしぐらにしているひとだ。夢なんかをゆっくり語っているひとには、あまり魅力を感じない。(昔は、ちょっと好きだったけどね。夢を語る男というのなんかを)
 しかし……。
 やりたいとなったら、ひとは語っている隙に、もう事を始めているものだということを、わたしはことし、幾人のひとの姿からおそわった。はじめたひとは、途中で『そんなとんでもないことをはじめて。自分から苦労を背負うようなさ』と誰に声をかけられたって、聞いちゃいない。ふふっと小さく笑うだけだ」と。
 このエッセイを読んで「そうだよ。まずはやってみることだよ」と独り言をつぶやいていた。たとえ失敗したとしても、とんでもない事態を招くようなことが起きないのであれば「四の五の言わず」まずはやってみる。経営の神様といわれた、かの松下幸之助さんも「やってみなはれ」と失敗を恐れがちな社員に発破をかけていたではないか。
 何ごとを始めるにも、熟慮に熟慮を重ねるのはもちろんいい。しかし、最後には行動に移すことが大切であり、魅力的なことだと同感する。
 日頃になく力をこめてこんなことを書いているのには訳がある。年が明けたら、早速「岩国検定」の実行委員会を立ち上げることにしているからだ。共に苦労を背負ってみようという仲間と、果たしてどこまで行くことが出来るのか。ふふっと笑いながらまずはやってみよう。
 (写真は、各方面から集めた「岩国の歴史書」)

「不本意な仕分け」

2009年12月28日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 友人が、買ったばかりのデジタル一眼レフで撮った写真を見せてくれた。小型デジカメで撮ったものとは比較できないほど鮮明に撮れている。

 私も以前から買いたいと思い、何度となく電器店に通った。カタログを眺めての研究も、し尽くした。店で実物を前にして、本当に必要か? 費用に見合った使い道はあるのか? と懐を気にしながら自問自答する。

 デフレで物価は下がってきたというが、それに負けず入ってくるものも減っている。「やっぱりおれには必要ない」。本心とは裏腹なことを言い聞かせて、今日も店を出た。
   (2009.12.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
   (写真は、一眼は一眼でも40年前に買った「ニコマートEL」)

クリスマスツリー

2009年12月25日 | 季節・自然・植物
 昭和20年代の前半、小学校の3、4年生の頃である。冬休みに仲の良い友達2人がクリスマスツリーを作りにやって来た。
 テレビもない当時、子供が知っているツリーといえば、店先に飾ってあるものか本で見たものである。まず、裏山にモミの木を取りに行った。片手で持てるくらいの小枝を1本切リ取って帰った。
 大きな花瓶を母に出してもらい、底の方から重しとなる小石をツリーを取り囲むようにそっと重ねて置いていく。まっすぐに立ったモミの木に、綿をちぎって乗せる。それだけでクリスマスツリーらしくなってきた。その周りに飾るものといえば、赤や青など色とりどりの丸い球、小さなサンタの人形、持ち手の曲がったステッキなどの手作りの品々。山で拾った松ぼっくり、ツリーの頂に取りつける厚紙で作った黄色の星。そんな素朴で手作り素材のツリーを作った。
 出来上がったものを床に飾ったころ、母がこれまた手作りのお菓子を出してくれる。豪華なものは何一つないこんなツリーでも、十分に楽しい気持ちになった。
 翻って、この頃のツリー。店に行けばプラスチック製のモミの木や電飾、ありとあらゆる豪華な飾りが置いてある。それらを買って帰リ、取り付けるだけで完成する。これを便利な時代になったというのだろう。
 完成品に電気のスイッチを入れると、散りばまれた豆電球が小人が踊っているかのように点滅を始める。大人でさえ見ていて飽きない。
 しかし、60年前のあの無骨な手作りのクリスマスツリーには、ただ1個の明かりもついてはいなかったが、この頃の電飾ツリーよりも遥かに明るいものが見えていたように今思っている。
(写真は、書斎の出窓に飾ったささやかな「クリスマスツリー」)