写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

丸4年

2008年10月31日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 「写真エッセイ」と銘打ってブログを始めてから、今日でちょうど丸4年が経った。始めたころは恐る恐る短い文章を書いていた。エッセイとは名ばかりで独りごとと言うか、つぶやきのようなものであった。

 日数が経つにつれて徐々に長い文章になっていき、内容は別として形だけはエッセイのようなものを目指して書いてきた。

 能力的には言うに及ばず、世間的には狭い生き方をしているので、皆さんに読んでいただく価値があるようなものを書くことは所詮できない。暇つぶしと思って続けてきたというところが正直なところである。

 しかしそれで4年が過ぎた。今アップした数を電卓で積算してみると1185篇ある。年間平均で297編となる。

 その内、初めの3年分は製本して自費出版し、何と値段をつけてボランティア精神旺盛な人に買っていただくという厚かましいこともやってのけた。

 こういったことは「仏の顔も3度まで」ということで収めておかないと、どこからか天罰が下りてこようというものである。

 これまで付き合い上仕方なしに買っていただいた皆さん「本当にごめんなさい」(ここで立ち上がって、襟足が見えるくらいに深く頭を下げる)と言わなければいけない。

 つい先日、女子マラソンの高橋尚子が現役引退を発表した。「プロとして皆さんに見ていただくような走りができなくなりました」と爽やかな引き際で殊勝。

 では私のエッセイもどきのブログは、これからも果たして皆さんの目の前にさらしてもいいものか?

 もちろん、拙くも恥ずかしいエッセイもどきだが、幸いなことに私はプロではないということで、これからも走れる間は走ってみようと思っています。

 そんなブログですが、「5年目に入りましてもどうぞよろしくお引き立ての程、あっ、隅から隅まで、ずずずい~っと オン願い申し上げ奉りまする~」。カッチ、カッチ、カチ。
(写真は、3年分のブログの「自費出版書」) 

隣の芝生

2008年10月28日 | 生活・ニュース
 「25日の土曜日、岩国に行く。夕方7時に会おう」。20年以上会っていない会社の同期生S君からメールが入って来た。

 元の職場のOB会に出席するために東京から出かけてくる。S君のほか、もう2人同期生が来るという。

 夕方早めに出かける準備をしていた時に電話がかかって来た。時計を見るとまだ6時前である。2次会が早く終わったようだ。

 駅前で3人が待っていた。「腹は一杯、食べるものはいらない。座って話せるところならどこでもいい」というのを聞きながら、近くの居酒屋の暖簾をくぐった。

 部屋の隅っこで他の客から隔離された、ちょうど良い席が空いていた。久しぶりに元気で再会出来たことにまず乾杯をした。 

 ひと通り近況を話し合った後は、新入社員時代の懐かしい話で昔に帰る。各人、今は趣味にボランティアにと充実した日々のようだ。

 田舎に住んでいるのとは違って、東京ではボランティアといっても興味深いものがいろいろあるようだ。羨ましく思いながら話を聞いた。

 そうか、そうなのかと聞いていると、頭の中は大都会の真っただ中にいるような錯覚を覚える。つい10年前まで住んでいて、疲れるばかりだと思っていた都会の喧騒が今はただ懐かしい。

 都会にいては静かな故郷を懐かしく思った。わがままな性であるが、今は大都会を恋しがっている。 

 定年後、田舎暮らしがいいか、都会暮らしがいいかという特集が雑誌でよく取り上げられているのを見る。

 そんな迷いは、とっくの昔に卒業したと思っていたが、東京からの旧友との再会で、隣の芝が少し青く見えた一夜であった。
(写真は、プレリュードでよくドライブをした「横浜みなとみらい」)

投網名人

2008年10月27日 | 季節・自然・植物
 昼下がり、錦帯橋の写真を撮りに出かけてみた。河原に下り、橋の下でカメラを構えていると、じゃぶじゃぶと川の中に入っていく男の姿が目に入った。

 胸まである黒いゴム衣を身につけ、右肩に何か白っぽいものを担いでいる。近づいてみると投網であった。

 橋の上流側は腰上までの深さがある。男はゆっくりと第3橋のあたりまで進んでいった。川面を見ると時々魚が跳ねる。

 その時、両手を大きく宙に投げた。透明な投網がきれいなだ円を描いて水面に落ちた。

 すかさず網をひとまとめにし、引きずりながら浅瀬に戻ってくる。一部始終を見ていた私に向って「とれた、とれた」と嬉しそうに笑っている。

 岸辺に引き揚げたのを見ると、鉛が連なった投網の端に見たこともないような大きな鮎が数十匹、きらきらと光りながら跳ねている。

 1匹ずつ外して生簀に入れながら私の質問に答えてくれた。「多い日には250匹も獲れる。入漁料は年間1万2千円。獲物はキロ4千円で料亭が引き取ってくれる。ひと夏で投網は3つくらい消耗する。一網が4万円なので元を取るのは大変だ」と。

 そんなことを聞いていると、いつの間にやら観光客にとり囲まれていた。「少し分けてもらえませんか?」と聞くと、「あぁ、ええよ」。ジュースでも買おうと思って持っていた千円札1枚を出すと、巨大な鮎を5匹ポリ袋に入れてくれた。

 また欲しくなった時には分けてもらえるよう電話番号を教えてもらい、急いで家に持ち帰る。秤にかけると5匹で640g、体長は24~27cmもあった。

 その夜はもちろん白ワインで、鮎の塩焼きのご馳走となった。この日の錦帯橋は、投網を掲げた川漁師の笑顔にすっかり主役の座を奪われた。橋の下にはアユ・あゆ・鮎と鮎がこんなにたくさん泳いでいることを初めて知った。
(写真は、1投で50匹も獲った「投網名人」)

登場人物

2008年10月25日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 新聞の読者投稿エッセイ欄に、ある女性が書いたエッセイが掲載されていた。その書き出しを読んだとき、書いてあることがどうしても理解できなかった。

 「母は晩年、入退院を繰り返した。父が亡くなった時は、母と思われた方もいらっしゃったほど。半年後に母が続いた。『ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲がよかった証拠よね』と、……。」と文は続く。

 「母と思われた方」というところが理解できなかった。朝食を食べながら、このエッセイを奥さんに読ませると「母と書いてある人は、お父さんのお母さんのことよ」という。

 前後を読んで判断すればそう読めるかもしれないが、すんなりとは理解しがたい。そうであれば書き方がまずい。「母」と書くのではなく「父の母」と書かないと、そのすぐ後に書いてある「半年後に母が続いた」の文の「母」と混同する。

 登場人物を表現するときには、書き手を中心としての人間関係を書けば分かり易い。このエッセイでは、中心となる人物が「私」なのだから、「父の母」のことを単に「母」と書いたのでは読者は誤解してしまう。

 他人の文章を読む時にはよく気がつくが、自分が書いている時にもよく犯す過ちである。父母や子どもに孫、その友達など多くの人間が登場するようなエッセイを書くときには、人間関係の表現に気をつけたい。

 そうは言いながら、私も家の中では奥さんを呼ぶのに「お母さん!」の連発。「私はお父さんのお母さんではありません!」と言われそうだが、そういう奥さんも何かと指示を出すときには「お父さん!」の連発。

 それがやがては「婆さんや」と「何ですか? 爺さん」となるのだろう。エッセイの中の人物表現くらいのことで、あまり細かいことを言うのはよそう。「なあ、婆さんや」。
(写真は、今紅葉真っ盛りの庭の「花水木」)

エッセイの素材

2008年10月24日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 毎日新聞西部本社の各地方版には「はがき随筆」といって、250字の読者投稿のエッセイ欄がある。

 鹿児島県のある女性が「はがき随筆・鹿児島」というブログで、鹿児島県のはがき随筆を、毎日こまめに転載してくれている。

 掲載された作品の中から、毎月選者が優秀作品を講評・表彰してくれる。9月度の講評の中で、選者である日本近代文学会評議員・鹿児島大名誉教授の石田忠彦さんが勉強になることを書いていた。

 「はがき随筆は252文字のミニエッセイです。このところ随筆の素材を自分から探そうとなさる態度がうかがわれます。文章の素材は、自然に向こうからやってくることはあまりありません。知性と感性の積極的な働きかけが必要です。表現してやるぞという姿勢だと、素材も表現してもらいにやってきます」と書いてある。

 仕事でも義務でもないブログにしても投稿するはがき随筆にしても、書くためにはそこに何か素材がないといけない。

 しかし、素材は道路にお金が落ちていないように、ただ歩いていればそこいらに転がっているわけではない。 

 「知性と感性の積極的な働き方が必要だ」ということはよく理解できる。ただ一つ残念なことは、肝心な知性と感性に自信がないことである。

 かくなる上は、なけなしの知性と少々錆びた感性で眼だけは大きく見開き、表現してやるぞという姿勢を示せば、素材が表現してもらいにやって来ると信じるしかない。

 「書くことがない」とはよく使う言い訳であるが、本当は「知性と感性がない」と言わなければいけなかったことに気がつく。分かっているけど今さらどうしようもないことではある。

 素材を探す以前に、知性と感性の磨き方をまず学ばなければエッセイは書けない。どうも私はそこの所を跳ばしてきたようである。 
 (写真は、素材ならぬ惣菜探し中の「アオサギ」)