奥さんが知り合いに麦の穂を20本ばかりもらって帰ってきた。なんと懐かしい。手にとって間近で見るのは何十年ぶりのことだろうか。子供のころ以来かもしれない。薄緑色をした実の先から、勢いよくひげが真っすぐ真上に向かって伸びている。青年にも似た若く勢いのある姿をしばらく観察しながら、子供のころを思い出してみた。
麦といえば、麦踏みだ。春先に麦の芽を足で踏むことをいうが、霜柱によって浮きあがった土を押さえ、麦の不必要な成長を抑制し根張りを良くするために行うものである。母が、小さな畑に麦を植えていた。ある日、学校から帰ると畑に連れ出され麦踏みをやらされた。小さな足の裏では、踏んでいく距離は伸びない。それでもしないよりはましだからだろう、何度かかり出された記憶がある。
麦を踏みながら、ある歌を口ずさんだ。ずばり「麦踏み」という歌である。
♪ 伸びた麦の芽 トントントン 僕らは麦の芽 踏んでゆく
踏めばこの芽が 麦の芽が 元気に芽を出し葉を伸ばす ♪
歌詞は正確ではないかもしれないが、曲はよく覚えていて今でも歌える。ネットで何度か調べてみたが、この歌のことはどこにも出てこない。ひょっとすると、私の作詞作曲かもしれないが、まあ、そんなことはないだろう。
麦踏みも、後ろに手を組んで足で踏んでいたのは昔のこと、最近の麦踏みは機械化されていて、ローラー機に人が乗り、麦の上を走ることで麦を踏んだと同じ役割を果たすのだという。労力の軽減、作業のスピード化には貢献しているが、季節の風物詩であった「麦踏み」という光景と季語が失われていった。
季語と言えば一方で、麦秋(ばくしゅう)という言葉がある。麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のことで、麦が熟し、麦にとっての収穫の秋であることから名づけられた季節だという。本来は雨が少なく乾燥した梅雨に入る前の季節のことのようだが、今年に限っては、一足もふた足も速く梅雨入りとなったため、農家の麦の刈り入れは間にあったのだろうか。
玄関に飾ったまだ青い麦の穂を見ながら、こんなことに思いを馳せてみた。