写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

麦 秋

2011年05月31日 | 季節・自然・植物

 奥さんが知り合いに麦の穂を20本ばかりもらって帰ってきた。なんと懐かしい。手にとって間近で見るのは何十年ぶりのことだろうか。子供のころ以来かもしれない。薄緑色をした実の先から、勢いよくひげが真っすぐ真上に向かって伸びている。青年にも似た若く勢いのある姿をしばらく観察しながら、子供のころを思い出してみた。

 麦といえば、麦踏みだ。春先に麦の芽を足で踏むことをいうが、霜柱によって浮きあがった土を押さえ、麦の不必要な成長を抑制し根張りを良くするために行うものである。母が、小さな畑に麦を植えていた。ある日、学校から帰ると畑に連れ出され麦踏みをやらされた。小さな足の裏では、踏んでいく距離は伸びない。それでもしないよりはましだからだろう、何度かかり出された記憶がある。

 麦を踏みながら、ある歌を口ずさんだ。ずばり「麦踏み」という歌である。
   伸びた麦の芽 トントントン 僕らは麦の芽 踏んでゆく
    踏めばこの芽が 麦の芽が 元気に芽を出し葉を伸ばす 
 歌詞は正確ではないかもしれないが、曲はよく覚えていて今でも歌える。ネットで何度か調べてみたが、この歌のことはどこにも出てこない。ひょっとすると、私の作詞作曲かもしれないが、まあ、そんなことはないだろう。

 麦踏みも、後ろに手を組んで足で踏んでいたのは昔のこと、最近の麦踏みは機械化されていて、ローラー機に人が乗り、麦の上を走ることで麦を踏んだと同じ役割を果たすのだという。労力の軽減、作業のスピード化には貢献しているが、季節の風物詩であった「麦踏み」という光景と季語が失われていった。

 季語と言えば一方で、麦秋(ばくしゅう)という言葉がある。麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のことで、麦が熟し、麦にとっての収穫の秋であることから名づけられた季節だという。本来は雨が少なく乾燥した梅雨に入る前の季節のことのようだが、今年に限っては、一足もふた足も速く梅雨入りとなったため、農家の麦の刈り入れは間にあったのだろうか。
 玄関に飾ったまだ青い麦の穂を見ながら、こんなことに思いを馳せてみた。

 


絆社会

2011年05月27日 | 生活・ニュース

 昨年末、2期6年間の民生委員の役を終えた。150世帯の担当地区には、30世帯もの高齢者の独り暮らしがあった。孤独死に2度も遭遇した。民生委員の立場で何とかできなかっただろうかと思ったが、所詮広域・大世帯が相手では、民生委員ひとりの力では簡単に対応は出来なかった。

 ただ一つ、「赤電話」というシステムを民間会社が運営しているものを利用するよう勧めて歩いた。市も利用料の支援をしている。万一、独居老人が非常事態に陥った場合、ベルを押しさえすれば救急車が来てくれるか、または指定しておいた見守り人が来てくれるというものである。

 今夕、テレビを見ていたら、広島県三次市のある自治会が、興味あるシステムを試験的に実施中であることを報じていた。孤独死が5件もあった町だという。独り暮らしの高齢者が、ケーブルテレビと契約をすると、一定時間テレビのスイッチを入れない時間があると、事前に指定した人が駆けつけてくるようにしてある。指定した人とは、身内だけでなく指名された近所の見守り隊のメンバーであったりもする。

 さらに、日々の状況は、遠隔地にいる子や親戚にも報せてくれるという。こんなシステムが広がれば、地域の絆の細さや、人間関係の希薄さをただ嘆くばかりでなく、実効の上がる見守りが大いに期待できる。今の時代、社会構造や人の気持ちを急に昔のように温かみのあるものに変えることは難しい。人の情けや温情も、個人情報の保護とやらで余計なおせっかいだと嫌う人さえいる。

 ここは、やや機械的で冷たい感じはするが、三次市のようなシステムを取り入れることを、あながち否定はできない。それを補完する形で、地域住民や民生委員が時に見守りに歩いたりというような形がいいのではと、今は昔の元民生委員はテレビに向かって小さくつぶやいている。

 「孤独死で何が悪い?」というお方、亡くなる立場の人はそれでいいでしょうが、何かと大変なことが残っていそうです。それでも最後まで孤独を愛したいという人は、う~ん、仕方ないですねぇ。


見れども見えず

2011年05月26日 | 生活・ニュース

 10日前、緊急入院していたクラシックなBMWが、再び我が家に帰って来た。遠出しているところで、ラジエーターの破裂という未曾有の大トラブルに見舞われたが、元気な姿になって戻って来た。
 買ってから14年、走行距離は13万キロ弱。外車は電気系統が故障しやすいというが、それほどでもなかった。買ってすぐ、エンジン制御のコンピューターが異常となった。取り替えるには十数万円かかると聞いたが、保証期間をほんの少し過ぎていただけなので無償で交換してもらったということがあった。

 あとはデジタルの時計が表示されなくなったり、フォッグランプが切れたり、ブレーキランプのスイッチが作動しなくなったりなど、比較的小さなトラブルばかりである。そんな中、今回は突然のラジエータ破損という大トラブルであった。

 私が初めて車を買ったのは昭和41年(1966年)、三菱コルト1000であった。あの頃の車はいろいろと故障も多かったが、ラジエーターからの水漏れというものもよくあった。どこの町にも「ラジエーター修理」という看板を掲げた専門の修理屋さんが数軒あったくらい需要もあったのだろう。
 当時のラジエーターはすべて金属製で、防錆剤などを入れてきちんと水処理をしておかないと、腐食して穴が開く例が多かった。水が漏れ始めたら、修理屋さんはハンダを使って直していく。そんな昭和レトロな時代はとっくに終わっていたと思っていたとき、この度のトラブルであった。

 ボンネットを開け、壊れたラジエーターをその気で見て驚いた。ヘッダー(集合管)の材質が、金属ではなくプラスチックである。昔とは違っている。腐食はないだろうが、入り口ノズルがぱっくりと大きく割れている。14年という年月、熱や振動による経年劣化に違いない。

 このたび私が何よりも驚いたことは、14年もの間、時々ボンネットを開けてエンジンルームを点検していたにもかかわらず、ラジエーターの材質がプラスチックに変わっていることに全く気がついていなかったことである。「見れども見えず」とはまさにこのこと。何を見ても、見る気で見ないと、ものの本質は見ていないということを再認識した。 


肉体労働

2011年05月24日 | 生活・ニュース

 夏場に向かって生えてくる雑草対策のため、つい先日、裏庭に黒いポリシートを敷き詰めた。これでこの夏はつらい草抜きをする必要もなく、ゆったりと庭の草花を眺めることが出来るという算段で過ごしていた。とは言いながら、この庭、昔とは違って、いつの間にやら道路より15cmばかり低地になってしまっている。水はけが悪く、雨が降ると水たまりができるという悩みがあった。

 そんな中、奥さんが知人からいい話を聞いて帰って来た。ある業者が山を削って真砂土をとりだしている。頼めばいくらでも分けてもらえるという。渡りに船だ。前々から、家でもこの話をしていたのだが、どこに頼めばいいか分からなくて、つい億劫になっていた。

 すぐにその業者に電話をすると、その日の午後には、2トンのダンプカーで運んでくれることに決まった。さあ、急に忙しくなってきた。張ったばかりのポリシートを急きょ全部取り除いた。その下に生えていた草は、日照不足のため、みんなモヤシのように青白くなっている。

 発注してから3時間後、早くも第1便が真っ白い真砂土を積んでやって来た。庭の一番奥へ下ろして帰った。それからが大変。奥さんと2人でショベルと1輪車を持ち出して、15cmくらいの厚さで広げていく。庭の広さから判断すると7車ぶんくらいが要りそうだと判断した。

 天気がよく暑い中、阿吽の呼吸で地上げ作業が続く。私がスコップで1輪車に土を乗せる。それを奥さんが運んでいく。ならすのは共同作業だ。そうしている内に、6台目、7台目と全てが運ばれてきた。庭が小さなピラミッドで埋め尽くされてしまった。その日は夕方7時に仕事を終えたが、ピラミッドは4つ残ったままであった。

 その日から1週間、夕方涼しくなってから作業をした。その結果、狭い庭一面は地上げが終わリ、それまでの黒い庭が、真っ白い明るい庭に変わった。昨夜、かなりの雨が降った。今朝起きて調べてみると水たまりの問題は解消されているが、私の腕と太ももに少々疲れがたまっている。


少子化の背景

2011年05月20日 | 生活・ニュース

 新聞に慶応大学の津谷典子教授による、少子化の背景を分析した記事が載っていた。少子化の背景は、晩婚化と既婚者の出生率の低下に整理できる。問題は、ここ数十年の晩婚化・非婚化傾向が著しいことだいう。
 
 1950年には、40代前半の未婚率は男女とも2%と、ほぼ皆婚の状況であった。しかし、2005年時点では、この世代の未婚率は女性で12%、男性で約22%となり、特に男性の未婚率の上昇が著しい。
 1980年の段階では約5%に過ぎなかったものが、90年に12%、95年に16%、2000年で18%と上昇を続け、社会構造の急速な変化をうかがわせるものとなった。
 
 背景として、90年代以降の経済不振による若年層の雇用機会の低下や、非正規労働者の増加があり、他方で女性の社会進出やライフスタイルの多様化の影響が指摘されている。
 非婚化は少子化に直結するが、これに歯止めをかけるには、若年層の就労環境を改善することが重要だと分析している。
 
 この記事を読んでみたが、分析結果に今一つ合点がいかない。まずは我が家の毎度おなじみの次男坊。学校卒業以来、正規労働者として曲がりなりにも会社勤めをしている。自立して生きていける条件は整っていると思われるが、一向に結婚する気のないまま30代前半を終えようとしている。会社の同僚にも、そんな連中が結構いると言う。
 
 そうしてみると非婚化は教授の分析結果だけではなく、他の要因も大いにあるのではなかろうか。その一つは、独り身にとって今ある環境が居心地がよすぎるということが考えられる。何と行っても、寮住まい、食事付き、掃除付き、拘束なし、自由気まま、誰からも文句を言われない。

  結婚したくても出来ない人がいる一方、結婚するしないは個人の自由などと言って、結婚できるのにしない人がいる。少子化という面から見れば、社会に対し若干非協力的な行動をとっているといえるかもしれない。お~い次男坊よ、そろそろ結婚を考えてみろよ。結婚って、いいもんだよ???  奥さんの手前一応、こう言っておく。