写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

古い年賀状

2006年11月29日 | 生活・ニュース
 ある物を探しに納戸に入ると、古いはがきが落ちているのを見つけた。今から13年前、入退院を繰り返していたひとり住まいの母へ、私が出した年賀状だった。

 「暮れに体調を崩しましたが、もう大丈夫です。正月には帰れませんが、3月中旬には出張の折に帰ります」と書いている。

 私は退院した直後であり、気になりながらもなかなか帰省出来ないでいた。その年の3月、帰省する直前の出張先の宿で母が亡くなったことを知らされた。

 ひとりぼっちの正月、この年賀状を寂しい思いで読んだだろうと思いながら、そっと指で文面のほこりをぬぐった。
  (写真は、岩国時代工房の「創作絵はがき」、
      2006.12.09 毎日新聞「はがき随筆」掲載;佳作)

海廊

2006年11月28日 | 旅・スポット・行事
 昨日は、細い雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気の1日だった。ふたりの姉夫婦と、宮島口のホテルのイタリアンレストランでお昼の会食をした。

 ちょうど私の誕生日でもあり、また、先日のエッセイ受賞のお祝いということで図らずもご馳走に預かることになった。

 こんなときの料理は、ことのほかおいしい。お昼から少しのビールも頂いた。食事を終え、今が見ごろの宮島・紅葉谷に行ってみることにした。

 平日、雨が降っていても観光客は多い。連絡船を降りて、いつも歩く商店街を避け、今まで通ったことのない、ひとつ山側の町屋筋を散策しながら厳島神社に向かった。

 昔ながらの、格子戸がはまった落ち着きのある古い家並みが続いている。もうひとつの違う宮島の景色を見ることが出来る。

 山すそから突然厳島神社に出た。そこにも今まで見たことのない景色が広がっていた。何度も来たことがあるのに、初めて見る光景であった。

 神殿が、波ひとつない満潮の海の上で小雨に煙りながら浮かんでいる。「回廊」がまさに「海廊」だ。「絵に描いたような…」という表現があるが、絵にも描けない眺めであった。

 そこからなだらかな坂を少し歩くと、いよいよ紅葉谷。小道に、橋の上に、欄干にまで赤・黄の紅葉の落ち葉が張り付いている。

 逆光で眺める紅葉もいいが、雨に濡れた木々の紅葉、濡れ落ちた紅葉を踏んで歩くのも風情がある。

こんな晩秋の宮島の楽しみ方もあることを、初めて知った有意義な1日であった。来年、皆さんもぜひこの楽しみ方をしてみませんか。お奨めです。
   (写真は、満潮に浮かぶ「厳島神社回廊・海廊」) 

熱く…

2006年11月26日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 明日は小雪(しょうせつ)の次項「朔風払葉」、きたかぜこのはをはらう頃となる。何回目か定かには分からない私の誕生日でもある。

 満州大連で生まれた日は、寒い寒い日であったと、母から何度も聞いていた。ところが昨今の岩国は、セーターを着ていると、汗ばむくらいの陽気の日もある。

 今年はストーブの出番も少し遅い。小雨の降る日も多く、暖かいが陰鬱な日が続いている。

 そんなこの2週間、気がつけば、ブログにアップすることが少し疎かになっていた。体の調子を崩していたわけではなく、大事業に挑戦していたためである。

 その大事業とは一体何? ひとつは年明け早々に発行する「岩国エッセイサロン」の同人誌「花水木」の打ち込み・編集をしたこと。

 もうひとつは、2004年11月から始めたこのブログを2冊の本にするための打ち込み・編集作業をしていたことである。
 
 前者はB6版で100ページ、後者は同じくB6版で330ページが2冊となる。全文をパソコンで本の形に編集し、印刷・製本だけを業者にお願いすることにすれば、随分安価に出版することが出来る。

 ここ数日、本屋に赴き、いろいろな本を開いてみて、表紙や目次の体裁の勉強もした。それらを参考にして、私流の初めての出版に一歩を踏み出している。

 思い通りに完成した暁には、誰に読んでいただくか、それが大きな問題であるが、必ず読んでくれる人が1人いる。それは私です。

 さあ、明日からは印刷屋さんへ行って、具体化するための打ち合わせだ。本当に実現するのか? 私の意欲しだいである。

 小雪の季節に、小説ではなくエッセイ集作りに奔走している。間もなく、先生も走るという師走がやってくる。身辺慌しいが私は鞭を打って走っている。
 (写真は、エッセイ集の表紙案「行くぞ!ハートリー」)

現行犯

2006年11月21日 | 車・ペット
 耳の長いハートリーは、耳に弱点があり時々炎症を起こす。その予防のために月に1度はかかりつけの病院へ連れて行く。

 昨日の月曜日の11時、二人で病院へ行った。月曜日は思いがけなく患者が多い。見たところ、順番が来るまで1時間ばかりは、かかりそうに思った。

 受付を済ませ、「外で待っています」と言って、近くを散歩してくることにした。門前川沿いの道を歩いていると、100m向こうにパトカーが止まっいる。

 ヘルメットをかぶった警官が、赤い警棒を振って車を誘導している。警官ふたりがかりで何らかの違反車を取り締まっているように見えた。

 そばを通る時には、違反車は止められておらず、若い警官は電柱の陰に立ち、通りを走ってくる違反車の摘発に目を光らせているところであった。

 私は立ち止まってその警官に質問をしてみた。「何の取締りをしているのですか?」と訊くと、「多目的に違反がないかを見ています、と即答した。

 「多目的」と言う表現が少し気になったが「お疲れ様です」と言って、立ち去ろうとした。

 ちょうどその時である。リードを引っ張ってもハートリーが付いて来ない。振り返ってみると、警官の隠れている電柱の根元、警官の足元で、ハートリーが自慢そうに短い右足を大きく上げて、オシッコをしている。

 「こら!」と一応叱る振りはしたものの、時すでに遅し。オシッコは電柱にちゃんとかかっていて、犯行の証拠が残っている。


 警官の顔を見ると、遠くから近づいてくる多くの車を一生懸命見張っていて、足元の犬の挙動には関心がないようなそぶりであった。

 「多目的」に、法律違反に目を光らせているのであれば、当然ハートリーは「軽犯罪法違反」で検挙されても不思議ではなかった。

 我がハートリーも随分大胆なことをするものだ。救いは、警官の足にではなく電柱に向かってやってくれたことであった。

 私は、何も気がつかなかったような顔をして、ひときわ強くリードを引っ張ってその場を離れていった。

 ハートリーの耳のお陰で、こんな所で交通取締りをしていると言う「耳よりな話」を知ることが出来たが、なんとも気まずい散歩であった。
   (写真は、所かまわずの「ハートリー」)

落陽

2006年11月16日 | 季節・自然・植物
 パソコンに向かっていると外はもう夕方の気配。時計を見ると4時半であった。立ち上がると、椅子の下で横になっていたハートリーも同時に立ち上がり、私の顔を見る。

 散歩の時をよく知っている。いつもとはルートを変えて、裏の山に向かった。この夏、帰省した孫を連れて蝉取りに登って以来のことだった。

 その後も散歩がてら登りかけたが薮蚊が多く、途中で引き返したことがあった。

 今の季節になると蚊はいないが、坂道に転がっている多くのどんぐりに足をすくわれる。まるで、そろばんの上を歩いているようだ。

 リードを離してやったハートリーは、さすが四足、平気で走って登っていった。後ろを行く私のほうを振り返りながら、かなり先まで走っていった。

 山が好きな犬ではあるが、夏場はダニが食いつくので連れて行かない。今が犬にとっては暑くもなく1番よい季節のようだ。

 こんもりとした雑木に囲まれたプロムナードであるが、1ヵ所だけ西の家並みが見下ろせるところがある。

 そこを通りかかったとき、今にも沈みそうなオレンジ色の夕日が見えた。低い山の端の上に、ほとんど水平に雲が横たわっていた。

 その雲の中に、夕日が半分沈んだ時、ふと残り半分が沈むまでの時間を測って見ようと思った。しかし時計をはめていない。

 1、2、3……と体内時計で数えてみたら、47で消えた。これでいくと、2倍した2分前後で陽は沈んでいることになる。

 ここで、はたと考え込んでしまった。この2分という時間から、一体何が分かるのだろう。何の長さが分かるのだろう。

 はたまた、何も分からないのか。しばらく考えてみたが、何も思い浮かばないまま陽が落ちていった方を眺めていた。

 こんなことが分かろうが分かるまいが、「陽はまた昇る」のだから、まっ、いいか。何事もあまり深く考え悩まない私がいる。が、少し気になる。
 (写真は、裏山のプロムナードから見た「晩秋落陽」)