写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

手作りパスタ

2012年02月29日 | 食事・食べ物・飲み物

 「今日のお昼は何にしましょうか?」、昼前になるときまって奥さんが聞く。特にあれが食べたい、これが食べたいというものはない。答えはいつも決まっている。「何でもいいよ」。与えられたものをただ黙っていただく。飼っていたハートリーに似ていなくもない。

 しかし今日は違う返事をした。「久しぶりに、パスタを作ってみようか」と言ってみた。反論もなく昼のメニューはすぐに決まった。ここ数年間、台所の天井収納扉の中に収めたままになっているパスタマシーンを取り出した。

 15年前に買ったイタリアはAMPIA製のマシーンである。マシーンといっても、手回しする原始的な構造のものだ。収納箱を開けると、私の手書きで3人分のレシピが入っている。薄力粉と強力粉を各125g、玉子2個、オリーブオイル大匙2杯、水も大匙2杯、塩少々。ボウルに入れてしっとりとするまで約10分間しっかりこねる。こね終わったら丸めてポリ袋に包み、10分以上寝かすと書いてある。

 この一連の作業をしている間に、奥さんは貝柱とエビとピーマンを買いに出かけた。10分余り寝かしたものを取り出してパスタにする作業を開始した。丸めたパスタの玉を1cmくらいの厚さに平たくし、3分割する。それをひとつずつマシーンにかけて、まずは好みの厚さに平たく伸ばす。伸ばしたものをカッターに掛ければパスタが出来上がる。

 パスタの厚さは0.4mm~3.9mmの範囲で9段階、幅は2mmか5mmの2種類から選ぶことが出来る。今回は厚さ1.5mm、幅2mmのものを作った。ちょうど切り終えたころ奥さんが帰ってきた。買ってきたものにピーマン・玉ねぎ・ベーコン・黒オリーブ・ニンニクなどを加えて塩コショウで味付けしたソースを作り、2分間茹でたパスタを入れると完成だ。

 出来立てのパスタを皿に盛り、真昼間からスパークリングワインの小瓶を開けて乾杯。もぐもぐ、もぐもぐ。まいう~。そこいらのイタリア料理店で食べるパスタよりはるかにおいしい。自然と笑みがこぼれる。我が家の手作りパスタ、予約されればいつでも応じます。どなたかお昼をご一緒しませんか。


難しすぎないか?

2012年02月28日 | 生活・ニュース

 昼前、パソコンで遊んでいるとき、塾に子供を通わせている知り合いの奥さんが、電話をしてきたあとFAXを6枚送ってきた。つい先日実施された広島の私立中学校の算数の入試問題が14問書いてある。塾に通わせている小3の息子がもらって帰ったものだという。

 その子も3年後には中学受検を目指しているようだが、親としてこんな難しい問題が出るのでは、家で子供の勉強を見てやることなど、とっても出来ないとこぼす。参考のため、私にその問題を送ってくれたものであった。

 昼食を済ませ、軽くパズルをやる気持ちで問題を解いてみた。ただ単純に計算をすればいいものもあるが、図形を見てあるヒントを見つけ出して面積を計算するもの、2等辺3角形の特長を使って図形の中のある角度を求めるものなど、いろいろ趣向を凝らした問題ばかりである。

 中学入試問題を解くことなんて何十年振りだろう。2人の息子が受検した時のことを思い出しながら解いてみた。久しくこんなことをしていなかったせいだろう、結構手ごわい。「これ」に気が付けば解けるという「これ」がなかなか見つからない。1時間ばかりかけて何とか全問が解けたが、終わったときには体が熱く顔も紅潮し、あたかも私が試験会場に座っていたかのようになっていた。

 「小学生にこんな問題をやらせるのかな~。難しすぎるぞ」と言いながら鉛筆を置いた。並みの問題を出したのでは皆が100点を取る。差を付けるために難問となるのは致しかたなかろうが、高校入試の問題ではないかとさえ思えた。ちなみに出題された問題の中のこの1問、皆さん簡単に解けますか?

 「2134を3けたの数(  )で割ると、商と余りは等しくなります。(  )に当てはまる数を記入しなさい」。方程式も習っていない小学生は、この問題をどんなやり方で解いたのか聞いてみたい。3桁といえば100から999まで900個の数字がある。全部いちいち計算してみる時間はない。さあどうする? こたえは「193」です。頭の体操のつもりでやってみてください。こんな問題を解かされる子供も大変だ~。


3D映画

2012年02月24日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 2005年に「ALWAYS三丁目の夕日」の第1作を見に行った。続く第2作は、第1作を上回る大ヒットとなったというが、第2作が上映されたことは知らなかった。そして今、第3作「ALWAYS三丁目の夕日’64」が上映されていることを聞き、奥さんと駅前の映画館に見に出かけた。

 12時10分からの上映に間に合うよう、運動がてら30分歩いていった。階段を上がり3階のキップ売り場の前に出た。若い切符売りの男が退屈そうな顔をして座っている。入場券を買おうとしたら「3Dにしますか、それとも普通の映画にしますか? 普通のでしたら40分くらい待つようになりますが」と問う。

 「えっ、3Dでもやっているんですか?」聞き直して見ると、3Dと普通のものを同時に上映しているという。今まで3Dなんて見たことがない。いいチャンスだ。どんなものか興味津々。3Dの券を買った。60歳以上の入場券はどんな映画もふだんは1,000円であるが、3Dに限っては1,300円だという。初めての体験、この際プラス300円は惜しくない。サングラスにしては少しごっつくて重たい眼鏡を手渡されて入館した。

 平日の昼時とあって、130席ある館内に観客は私たち2人のみ。開演までまだ15分ある。間をおいて、私と同じ年配に見える夫婦が2組入ってきた。合計6人の観客を前にして映画が始まった。遠近両用の眼鏡の上に、もうひとつごっつい眼鏡をかけると頭は重いし、眼鏡はずり落ちる。しかも、3D用の眼鏡をかけると、画面が極端に暗くなり見えにくい。140分間、落ち着かないままストーリーを追った。

 映画そのものは評判通りのものであったと評価できたが、3Dというもの、1度は体験してみてもよいが、またこんな眼鏡をかけてまで見たいとは思えない代物であった。上映時間中、「さすが3Dの迫力だな」と感心した場面は3回くらいあっただろうか。あとは普通の映画とほとんど変わらないというのが私の評価。眼鏡の大幅改善が、3Dの普及・発展のカギを握っているように感じた。


手渡し型詐欺

2012年02月22日 | 生活・ニュース

 ここ数年、高齢者を狙い、電話を使っての「振り込め詐欺」が横行していることは、テレビや新聞、市の広報誌やパンフレットなどを通してよく知らされている。それでもこの犯罪は止まることなく発生し、昨年は6,255件、被害総額は111億円だと報じている。

 判断力の衰えて来た高齢者に対して言葉巧みな電話攻勢で、多額な金をいとも簡単に振り込ませるという手口は、言い方は適切ではないが「敵ながらあっぱれ」ではある。この犯罪の特徴は、直接顔を合わせることなく金を巻き上げるところにある。事後となっては何一つ証拠が残っていないため、完全犯罪となることが多い。

 今夕のニュースによれば、この「振り込め詐欺」に似た新種の「手渡し型」の
詐欺というものが出てきたという。犯人が直接受け取りに来るという大胆なものだ。まず①風邪をひいたという声で息子が電話をしてくる。「ケータイを落として電話番号が変わった」旨を告げる。 ②翌朝、「会社の金を借りてやった株で失敗した。横領で捕まることになるが、夕方、監査があるまでに返せば許してもらえる。家に取りに行くから用意してくれ」と頼む。 ③数時間後、また電話して「用意できた? 逃げてはいけないので俺は会社に残れと上司からいわれた。代わりの者に取りに行かせるから」という。 ④何ら疑うことなく、老親は取りに来た者に高額の金を渡す。

 過去にいろいろな犯罪があるが、高額な金を狙った誘拐犯罪では、犯人は必ず金の受け渡しの現場に出てこなければ金は手に入らない。しかしこの「手渡し型」の詐欺は、まさに白昼堂々と被害者宅で金を受け取るという大胆な犯罪である。高齢者とあっては犯人の特徴を的確に記憶してモニター絵を描いて犯人逮捕とまではいかないだろう。

 警察や金融機関窓口の厳しい監視のもとで実行が困難になってきた「振り込め詐欺」に代わり、さらに巧妙な「手渡し型」詐欺というものである。警戒していても「息子の一大事」ということで、たちまちパニックに陥る老親の弱点に付け込んだ卑劣な犯罪ではある。

 犯人たちも、こんなことにうつつを抜かすことなく、この「小説よりも奇」な発想力と知恵を、もっとましなことに使ってみてはどうだろう。演技力や話術もありそうだ。今すぐにでも考え直して、いい事業を起こすなり、いい仕事を見つける努力をしてほしい。振り込め詐欺もあたかも宅配便の集荷のように、わざわざ郵便局まで振り込みに行かなくても、家にいて手渡しできるように便利?になったということか。


追 憶

2012年02月20日 | 生活・ニュース

 室の木にあるスーパーに買い物に出かけた。奥さんが買い物をしている間、車の中で買ったばかりのスマホを使ってぎこちなくネットサーフィンをしていた。その時、車の背後から、ガタンガタン、ガリガリと聞きなれない音が聞こえて来た。

 振り返ってみるとキャタピラーを履いた大きな重機が、白いシートで囲った隣の敷地で動き始めたところであった。この広い敷地には、三井化学の社宅として鉄筋2階建と3階建が各6棟、計108戸が建っている。1958年~1962年(昭和33年~37年)の間、工場が操業を始めた直後に、従業員のために整備をしたものであった。

 岩国工場には1970年代のピーク時、2,700人いた社員も今は1,100人ほどに減り、もはや社宅は不要となったため隣のスーパーに整理売却をすることになったという。スーパーとしては購入する2.2ヘクタールの土地を使って複合店舗を建設し、ますますの発展を期すとのことである。

 この情報は、昨年の秋、新聞を読んで知っていたが、現に崩されようとする建物を目の当たりにすると、ある種の感慨を覚えた。今から30年前にこの社宅に入り、、子供も育ちざかりの9年間をここで過ごした。仕事の面でも、家庭の面でも人生で最も充実していた時期だったように思い出される。

 休みの日には必ず、子供そっちのけで家の真ん前にあるテニスコートで日がな一日テニスに興じた。お互いが相手の奥さんと組んでの混合ダブルスが特に楽しかった。腕では負けるが、口だけは負けない主義を通したが、これも負けることが多かった。夏の夜、屋上でのビアパーティも楽しかった。

 そんな思い出一杯の社宅がついに解体されることとなった。当時一緒に遊んだ仲間も、今は東京をはじめ各地にばらばらとなっている。その仲間に、解体されていく状況を写真ブログで紹介したい。何ごとも生み出される時は楽しいが、消えていくのを見るのは淋しい。作家・檀一雄の「落日を 拾いに行かむ 海の果て」という詩があるが、「昭和を 拾いに行かむ 社宅跡」の心境である。小金井のT君、三鷹のUさん、このブログ見てくれていますか?