写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

人生論ノート

2018年02月28日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 新聞で、学生時代を思い出す懐かしい書名が書いてある「孤独」にかかるコラムを読んだ。

 英国では6500万人の国民のうち、900万人以上の人が日常的に孤独を感じているという。疎外感にさいなまれていれば、やがて健康まで損ないかねない。そこでメイ首相は「孤独担当大臣」というポストを新設したと書いてある。

 「日本でも同じように孤独死という言葉が定着しているほど高齢者の孤独が問題になっている。高齢者に限らなく、子育てに悩みつかれた母親や、学校や職場に居場所のない子供や大人も孤独なものがいる」。

 哲学者の三木清が1954年(昭和29年)に出版した「人生論ノート」という本に「孤独は山になく、街にある。1人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にある」という文章が引用してあった。

 学生時代、この本を買って読んだものが2階の書棚にあることは覚えていた、それ以来読み返したことはない。久しぶりこの文庫本を取り出してみた。表紙をめくるとタイトルの下に「1962.6.2 at Nisshindo」とブルーブラックの万年筆で書いている。20歳の時に確か大竹駅前にあった本屋で買ったものである。

 「人生論ノート」とは、孤独の他、死、幸福、習慣、虚栄、名誉心、怒、嫉妬、成功、噂、娯楽、希望、旅など23項目にわたって思考したことが書かれた書である。

 「孤独」の項で書かれているような光景が、今の世のあちこちで広がっている。まさに大勢の人間の「間」にある孤独を和らげるために、コラムの著者は「顔を合わせば挨拶をし、困っているようなら声をかけてみる。孤独対策は政治家だけの仕事ではなく、気づいたときにちょっとずつ、みんなが誰かの『孤独担当』になればいいと結んでいる。

 やや寒さがぶり返した午後、55年ぶりに所々に赤い線が引いてある「人生論ノート」を読み直している。 
 


スマホ ヘルパー

2018年02月27日 | パソコン

 中学・高校と会社での先輩Yさんが、近くに住んでいる。先日、久しぶりに電話がかかってきた。「知人に勧められてガラケーを止めてスマホを買った。家の中でWiFiを飛ばすためにルーターも買わされたのだが、どうすればいいのか分からないので教えてほしい」という。

 Yさんはパソコンは持っていて、メールやネットで普通のことはできる知識はあるが、パソコンの周辺機器の接続などはやったことがない。そういう知識に関しては私と大した違いはない。「私も家でWiFiを飛ばして使っているが、ルーターのセッティングは息子がやってくれたのでお手伝いができるかどうか分からないが、お宅に行って挑戦してみましょうか」と答えておいた。

 約束をした日の午後1時、訪問した。早速、Yさんと2人でルーターのセッティングに取り掛かる。取扱説明書を逐一読みながら手順を踏んでいくが、親機のメーカーが取扱説明書のものと異なるため、何度やっても書いてある通りに次のステップに進めない。

 困り果てていた時、Yさんが「こんなやり方があると書いてある」と言いながら、梱包してあった箱の中から「QRコード」が印刷してある厚紙を取り出した。スマホでこのQRコードを読み取ると、簡単にセッティングができると書いてある。まずはQRコードを読み取るためのアプリをインストールして読み取らせると、ルーターに書いてある訳の分からない2種類の文字と数字の列をスマホで写真に撮れとの指示が出た。

 何度撮っても、少しでも写真がぼけていると正確に読み取ってはくれない。スマホをしっかりと固定して撮ると、やっと認証してくれ、セッティングが「完了」と出た。直後、スマホの画面に、WiFiと繋がったときの扇型のマークが表示された。

 思わず笑いながらYさんと固い握手をした。知識のない者同士で、2時間かけて何とかルーターのセッティングを果たすことができたが、終わってみると何ていうこともない、大した技術はいらないものであることが分かった。

 これで私が遊びで持ち歩いている名刺に「スマホヘルパー」という肩書がまた一つ増えることになりそうである。


球 春

2018年02月24日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 1月は往く、2月は逃げる、3月は去るとはよく聞く言葉ではあるが、年を取ったからだけとは思えない速さで時が流れていき、今日はもう2月の24日である。逃げていく時を、どうすればつなぎ留めておくことができるのか。ちょっとだけ考えてみた。

 何もすることなく、ただ座っておれば退屈極まって、時間の経過を遅く感じることはできる。このところ残念ながら、少しだけ好き好んで忙しく毎日を過ごしているので、あっという間に時は過ぎ、2月も終わりに近づいたということであろう。

 そういえば、夕方のテレビのニュースで、われらの広島カープが、キャンプで宮崎に行った。何日かすると今度は沖縄に行った。2軍は岩国のきずな球場に来たが、4日目にはどこそこに行ったなどと、カープの情報を伝えている。2月1日にキャンプインしたあとの、各選手が頑張っている情報がかまびすしい。

 そんなニュースを見ていると、今日は、早々と楽天とのオープン戦が沖縄で始まるという。これを見逃す手はない。今年も話題豊富なカープの試合が楽しめそうである、13時からの試合をテレビ桟敷でじっくりと観戦したい。

 2月は旧暦で如月(きさらぎ)といい、まだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であることから「衣更着(きさらぎ」というようになったともいう。その一方、2月、3月は、プロ野球のキャンプが始まったり、センバツ高校野球もあり、サッカーのJリーグは開幕し、球技への関心が高まる早春の候で「球春」ともいわれる。

 さっそく、今日は今年初めての野球の「球春」を楽しみたい。誠也は、田中・菊池・丸は、安倍や新人の中村はどんな動きを見せてくれるのか。選手だけではなく、私の身も心も躍動する季節がやってきた。やっぱり春はいい。 


昔とった杵柄

2018年02月23日 | 木工・細工・DIY

 同じ会社にいて、奥さん共々社宅でテニスに興じていたころがあった知人がいる。その夫婦は、主人が定年退職をした後、東京から故郷の岩国へ帰ってきた。その後、地域活動に励んでいる主人に負けず、奥さんは幼児への絵本の読み聞かせや紙芝居をするなどのグループに入り、幼児教育の一端を担って頑張っている。

 その奥さんから、十数年前に私が趣味で作っていた紙芝居台を貸してほしいという相談を2年前に受け、喜んで貸し出していた。この紙芝居台、私が精魂込めて作ったもので、デザインがかわいらしいので、子供からの人気が高いと、たびたび聞いていた。

 そんな紙芝居台ではあるが、遠くにいる孫娘が1歳半となり、「最近は絵本に興味を見せている」という。送ってくる写真を見ても、絵本を前にして嬉しそうな表情をしている。今度帰ってきたときには紙芝居でもやって見せたくなったので、貸し出しているものを返してもらうことにした。

 しかし、ただ返してもらうのでは冷たすぎる。主人に「私も手伝うので、ひとつ作ってみては如何ですか」と投げかけると、いとも簡単に「いいですね、やってみましょう」と前向きの返事であった。

 我が家には、電動ノコをはじめとして電動ドリル、電動糸ノコ、トリマーなど一通りのDIY道具はそろっている。必要な板などの材料を揃えたうえで、飛び飛びではあったが3日に亘って作業をした。デザインは私が作ったものとほぼ同じものが、今日、無事見事に出来上がった。
 
 弟子の腕が良かったのか、親方の指導が良かったのか、結果的には大成功。これこそ「昔取った杵柄」というところか。他画自賛のDIYであったが、出来上がった紙芝居台を前にして破顔一笑の奥さんであった。 
(向かって左が今回作ったもの、右は私が作ったオリジナル)


永遠に生きる

2018年02月22日 | 生活・ニュース

 岩国市報に目を通していた時「受講生募集」の欄に目が留まった。JA岩国(農協)が「農業を基礎から学ぶ」と題して、岩国地域農業入門塾というものを開塾し、その塾生を募集するものであった。

 十数年来、裏庭の菜園で四季折々家庭菜園をやっている奥さんが、常日ごろ納得のいく野菜が作れないことから「野菜の作り方を教えてくれるところが何処かないかしら」と言っていたことを思い出し「こんないいものがあるよ」と受講生募集の記事を見せた。

 1.対象者;販売を目的として農業を営むことを希望する農業未経験の方、最近農業を開始され、技術習得が必要とお考えの方。
 2.開講期間;平成30年5月~平成31年2月、月1回、全10回
 3.研修内容;野菜・果樹・花などの栽培に関する基礎的な講義・実習
 4.募集人員;20名(書類選考で決定)、応募期間3月30日まで
 5.受講料;8000円/人(テキスト、視察代)
 6.講座内容;農業の基礎知識、農機具の使い方、土づくりの知識、夏・秋冬・春野菜の栽培知識・管理、生産現場の視察、病害虫・農薬の知識、山口県農業大学校の視察、出荷販売実習、果樹栽培の知識、剪定・栽培管理、

 読んでいた奥さんの目が輝き始めたと思ったとき「私、これに応募するわ」と大きな声で言うではないか。どうやら本気のようである。応募用紙はJAに置いてあるという。買い物に出かけた折にJAに立ち寄って応募用紙をもらった。昨年度開塾したものだという。ひとつ気になることを聞いてみた。

 「販売を目的とはしていませんが応募できますか?」「農業技術を習得する目的であれば結構ですよ」ということを聞き、家に帰ると早速奥さんは申込書に書き始めた。その時「お父さんも応募しないの?」と責めるような言い方をする。私だってまんざら興味がないわけではない。日々食卓に上る野菜が、立派に育ったものであれば嬉しく食も進もうというものである。奥さんに促されながら私も応募することにした。

 はてさて、「農業に関しての熱い思い」の欄に書いたことが評価されて、晴れて入塾を許されるかどうか。はたまた暗黙の年齢制限などに引っかかったりしないのだろうかなど、気を揉んでいる。JAの人が、あのガンジーの「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」という名言を知っているかどうかが合否を決めそうである。