写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

リップサービス

2006年05月14日 | 食事・食べ物・飲み物
 古希を迎えたばかりの長姉と食事をするため、姉夫婦6人で和食がおいしいと評判の隣町にある店に行った。時間が早かったせいか、お客は我々だけであった。 

 写真入りの数あるメニューに迷った挙句、全員一致で刺身定食を頼んだ。しばらく待った後、大きな膳が運ばれてきた。

 50歳そこそこに見える色白の美しい女店員が、「ご飯が手前になるように膳を置いてください」と、気さくに話しかけながらテーブルに置いていく。 

 きときとに活きた刺身に、うなぎの蒲焼・肉団子・吸い物と、評判にたがわぬおいしい料理であった。

 食べ終わったあと呼び鈴を鳴らし、お茶の追加を頼んだ。その時「この定食に、コーヒーは付いていないのですか?」と長姉が訊いた。

 「お昼の定食には付いているのですが、夜は付いていませんのよ」と申し訳なさそうに答える。

 「とてもおいしかったですよ。ところで先ほどから思っていたのですが、きれいな方ですねぇ」と姉が付け加えた。

 「そんなことありません。もう歳ですから」「そんなことないでしょう」「いいえ、もう還暦です」「え?本当ですか。とてもそんなには見えませんよ」「いえ、還暦です。そう言われるお客さんもおきれいな方ですね」「そんなあ~」

 女客3人と店員がお互いをほめ合う時間がしばし流れる。話を聞いてみると、店員と思っていた女性は店の主人で、私と同じ町の出身者であった。

 追加のお茶も飲み終え、腹具合も落ち着いた。帰る段になり、靴を履くために土間に下りた。

 その時であった。「ちょっと待ってくださ~い。今、コーヒーを淹れていますので~」と、女主人が大きな声で叫ぶ。

 きびすを返して6人は又座敷に座りなおし、声を押し殺して笑った。思いもかけず、女客3人のリップサービスが功を奏した。

 しかしこれは、リップサービスというよりか、本当のことを言ったまでであるが、それに女将が素直に応えてくれたものであった。

 こうして、世間知らずの私は、長姉の古希を祝う会食の席で目の当たりに、濃き人生勉強をした夕であった。ほめれば見事に「人は動いた」一幕であった。
   (写真は、身体全体でサービスにこれ努める「ハートリー」) 

アカシヤの花2

2006年05月13日 | 季節・自然・植物
 2年前の丁度この時期、姉たちと満州・大連に行った。大連では、アカシヤ祭りが開催されていた。
 
 私は大連で生まれ5歳までいたが、終戦で引き揚げて帰ってきた。もの心ついてから、見たことのない生まれ故郷をもう1度見てみたいと思っていた。

 母からよく聞いていたアカシヤ並木も、是非見たいと思っていた。住んでいた場所をたずねてみたが、聞いていたようなアカシヤの並木はどこにもなかった。

 しかし、ここかしこに大きなアカシヤの木が植えてあり、白い大きな房がたわわに下がっているのを見ることが出来た。

 久しぶりに我が家に遊びに来た姉と、この季節、その時のことを思い出しながら、ハートリーを連れて裏山に上ってみた。

 普段通ったときには全く気がつかない奥まった山肌に、まだ咲ききっていない白い房花をつけた木を見つけた。

 「あれがアカシヤの花よ、大連で見たと同じアカシヤよ」姉が言う。近づいて手の平に載せてみた。

 大連で見たと同じ花が、まだ硬く閉じていて、これから咲き出でんとしているところであった。

 父母と一緒に、昔この場所を何度も通ったことがある。そのときには何も言わなかった。こんなところに、まさかアカシヤの木があったなんて、初めて知った。

 枝には双生のトゲがある。正確にはニセアカシヤといい、芳香のある蝶形の白い花を咲かせると書いてある。

 思いもかけない身近なところにアカシヤの花があった。母に会えたように、懐かしくうれしく思った。これからが満開の時期を迎える。

 私がアカシヤの花に惹かれるのは、大連で生まれたアカシなのかもしれない。しばらくの間、秘密の楽しみを見つけることができた。
   (写真は、誰も知らない秘密の「アカシヤの花」)

大活躍

2006年05月12日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 「岩国エッセイサロン」を開設して3ヶ月がたった。過去2回定例会を開催し、13人となった会員の創作エッセイの合評会・新聞投稿などをやってきた。

 毎日新聞に「はがき随筆」というエッセイの投稿欄がある。4月度は、総投稿数180通のうち39通が掲載された。

 今まで投稿者の住所で、岩国という文字を見ることは極めて少なかった。しかし4月度は、会員の作品が私の投稿作品を含めて何と4点もが掲載された。

 先日紙上で、「はがき随筆」の入選・佳作作品計10点が掲載評価され、入選3点、佳作7点が選ばれていた。

 驚いたことに会員のひとりが入選に、2人が佳作に選ばれているではないか。選に漏れたのは、この私ひとりであった。

 まあ、これは致し方がない。実力のなせる業というしかない。淋しくも大変うれしい出来事であった。

 してみると、「岩国エッセイサロン」も開設したばかりではあるが、順調に走り始めたということか。

 今回の結果から、つらつら考察してみた。この会の中で、私はもはやエッセイストとして生きるのではなく、会の裏方・マネージャーとして生きていくのが適しているのではとの思いがする。

 いやいや、そんな弱気になってはいけない。私がエッセイを書いている目的は、ボケ防止なのだから、これからも頑張って現役を続けていこうと心に誓った。

 …☆各入選作品は下記の通りです。作品はブックマークにある「岩国エッセイサロン」という別ブログでご覧ください。

   入選  「魔女のささやき」  井上 麿人
   佳作  「桜吹雪の下で」   安西 詩代
   佳作  「心の天気予報」   新庄 由紀 

  (写真は、5月10日毎日新聞の「入選作品記事」)

「ワンダフル紀行」

2006年05月11日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 着ているジーンズの長袖を暑く感じる夕方だった。錦帯橋の上川原にロードスターを止めた。はじかれたようにハートリーが車外に飛び出した。

 川べりに立ち上流を見た。2隻のボートが流れに任せた速度で、ゆっくりと下ってきている。

 近づいてよく見た。先を行くカヌーには大きなゴールデン・レトリバーを先頭に2人の男が乗っている。

 後ろのゴムボートには、4人の男と1人の若い女が乗っている。テレビカメラとマイクを抱えて前のカヌーを追っている。

 ボートは、カヌーの前になり横になりで撮影をしている。好奇心旺盛・もの好きな私は、それが何であるかを無性に知りたくなった。

 錦帯橋の下流の川原を見ると、同行のスタッフ数人が指揮を執っている。すぐにロードスターに乗って下川原に行ってみた。

 優しい笑顔のスタッフに訊いてみた。「NHKBSハイビジョンの『日本清流ワンダフル紀行』の撮影です」と言う。どうりで、目立つ大きな犬が乗っていると思った。

 旅人は、背の高いハンサムな男性だった。NHKの朝ドラに出ていた何とかさんだと言うが、私の知らない俳優だった。

 この日は、20kmも上流から下ってきたそうだ。2級河川ではあるが、錦川は清流として有名で、カヌーイストには良く知られた川である。

 ネットで調べてみると、毎週土曜日の19時半から、いろいろな川の紀行をやっている。最近では木曽川・四万十川をやったようだ。

 われらが錦川は、いつ放映されるのか。これからは毎週注意して番組表を見ておかなければいけなくなった。

 何故かって?ハートリーと並んで土手に立ち、カヌーの人に笑顔で手を振ったシーンが、ひょっとして映っているかもしれないから。
 
 今年の夏は私も、救命胴衣にヘルメット姿で、ハートリーにも空いたペットボトルでも着けてやって、カヌーで錦川を下ってみることの検討を始めてみるか。

 犬を乗せて「ワンダフル紀行」とは、「NHKよ、おぬしもやるな!」。では、私も一言。ツカヌーことをお聞きしますが、この番組、皆さんご覧になったことはありますか?……今日も落ちがうまくイカヌー、エッセイとなってしまった。
   (写真は、錦帯橋近くでの「ワンダフル紀行のカヌー」)

火渡り2

2006年05月10日 | 季節・自然・植物
 
     (マウスオン)

 私の家から1km離れた山すそに、普段は誰もいない小さなお寺がある。薬師院といい、岩国市の指定文化財「薬師院木造如来坐像」が安置されている。
  
 1616年、付近の海岸に浮流していたものを、里人が拾い上げた仏像で、干拓の潮止め工事の安泰祈願をしたら、難工事であったものが無事に完工したという。

 毎年5月8日に「薬師院春季大祭」というものが厳修されていることを、地元に住んでいて、昨年の春初めて知った。

 お参りに行ってみた昨年、良い目をみることが出来たので、それに味をしめて、今年もまた出かけてみた。

 門前に「火渡り 薬師院春季大祭」と書いた大きなポスターが貼ってある。「燃え盛る火の上を渡り、皆様の家内安全・交通安全・所願成就のご祈願を致します」と添え書きしてある。

 火渡りの祭事があるお寺である。遠くから11人の山伏の格好をした修験者が、網に入ったほら貝を持って集まっていた。 

 読経のあと、ほらの野太い音のもと、用意してあった焚き木の前で儀式が進み、火が放たれた。

 時折強く吹く風にあおられて赤い炎が、黒煙と共に渦を巻きながら高く上がる。山伏の祭りにふさわしく雄壮な祭りだ。

 皆が祈願をお願いした板札も投げ入れられ、煙となって願いは天に昇っていく。火の勢いがやや沈静した頃、山伏たちが竹で火床をならす。

 まだ、赤く炎が立ち昇る中を、若い住職が、裸足のまま急ぎ3歩で渡ったのに続き、11人の山伏が同じように火渡りする。まさに、燃える火の中を渡った。

 5、60人の参拝客は、完全に炎が消え、火床を叩いて黒い灰にしてくれたあと、ひとりひとり住職に背を押され、裸足になり手を合わせて渡っていく。

 それでも、渡る前には若干の決心めいたものがいる。私は、猫舌?なので、後ろの方に並んで渡った。  

 そのあとは、恒例の紅白の餅まき。住職の「独り占めしないで、みなさん均等にご利益があるように取ってくださいよ」に大笑い。

 私は10個拾い上げ、後ろにいた年配のご婦人に3個差し上げて、ご利益をお裾分けした。帰りには赤飯のお弁当まで頂き、申し分のないお参りが出来た。

 しかし、赤く燃え盛かる火の上を渡る住職・山伏の勇敢さを、私は真似が出来ない。黒くなった火床の上でさえ、なかなか1歩が出し辛いのだから。

 「渡る」と言えば私は、火渡りのみならず、世渡りも何となくぎこちなかったように思われる。火種の残った熱い世間の床の上で立ち止まり、何度やけどをしたことか……。
   (写真は、薬師院の勇壮な「火渡り」)