写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

即身成バラ

2014年05月27日 | 季節・自然・植物

 庭のバラもピークを過ぎたが、まだつぼみを付けたものもあり、依然として奥さんは暇になることはない。雨上がりの夕方、コーヒーを飲みながら2人でバラを眺めていた.

 手の親指ほどの大きさの大きなクマバチが1匹、蜜を求めてだろう、バラからバラへと飛んでいる。体は巨大だが、優しいハチなので人を刺すようなことはない。見ていると、限られた種類のバラにしか飛んでいかない。ハチにも好みがあるのだろう。

 そのとき奥さんがおもしろい体験を話してくれた。「この間、かがみ込んでバラの手入れをしていたら、肩にスズメが止まった」とか「普段は人を見ると逃げて行く猫が、バラ園の中にいる私に気づくことなく、すぐそばを通り過ぎて行った」とか「去年、バラの花がらを摘んでいたら、手袋をしている指先にトンボがとまった」なんて、私が経験したことのないような話をする。

 ハチの巣に気がつかずに近付いて刺されたことはあるが、動物や小鳥や昆虫が、人間を生きものと認めることなく、自然の一部かのように接っしてくれたようなことはない。普通ではありえないようなことが奥さんの周りでは起きている。

 これは偶然起きたことではなさそうだ。起きるべくして起きたことに違いない。ではなぜ奥さんの身にだけ、こんなことが何度も起きるのか。答えは簡単、スズメやトンボにとって奥さんは、もはや人間ではなく、植物か石ころのように見られているのかもしれない。

 すなわち奥さんは、もはや自然の一部、庭に同化した存在となっているということであろう。即身成仏(そくしんじょうぶつ)とは、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることであるが、うちの奥さんは、さながら「即身成バラ」のということになる。肉身のままバラに悟りを開いた割には、私に対してなかなか悟りを開いてくれず、今もって諍いが絶えることはない。


Virgo(ヴァルゴ)

2014年05月25日 | 生活・ニュース

 夕方の散歩は、いつも決まったように3kmのコースを回って帰るが、先日、帰り道だけ大規模な団地に通じる、いつもとは違う道を通っていた。そのとき、後ろから「この道を歩くこともあるんですか?」と言いながら女性が自転車を止めた。見ると、それほど懇意でもない知り合いの女性である。

 共通の話題はあまりないが「今年はお宅の庭のバラが、囲いが出来たので道路から見えなくなりましたね」という。家に戻って奥さんにその話をすると、奥さんが通っているフィットネスクラブで、あまり親しくない女性からも同じようなことを言われたと笑う。

 我々が気がつかないままに、家の前を通る人の何人かは、以前からちらりと庭のバラを見てくれていたことが分かった。しかも車の運転をしながらである。昨年まで、バラの手入れをしていたり、椅子に座っている時に、道路から「きれいですね」とか「見せてもらってもいいですか」などと言いながら庭に入って来る人は時にいた。

 しかしこの春、道路からの視線を遮るためにラティスで庭囲いを作ったので、見えにくくなった上に、簡単に庭にはいることもできない。そんなことをしたのには訳がある。昨年のことであった。外出先から帰ってみると、奥さんが大事にしているバラの花が、数枝手折られていたことがあったからである。

 ガードを固くした庭であるが、バラ好きな女性から「道路から見えなくなった」という声を聞くと、度量の少し狭いことをやったのかなと反省をしている。刑務所のような雰囲気の庭囲いを、少しでも明るい雰囲気にしようかと思って、今日一つ工作をしてみた。

 入り口のラティスに、「Virgo」との文字が入り乙女の姿の描かれた四角い焼き物の壁掛けを飾った。「Virgo」とは「乙女座」のこと。何ってことはない、乙女座は奥さんの星座。「バラ園の管理人は、この絵のように乙女チックな優しい人ですよ。さあ皆さん、どなたでもどうぞ入って来て下さい」という気持ちを表現してみたまでである。その意が伝わるか否か。それにしても、うちの奥さんが乙女だとは、かなり言い過ぎか?


艶っぽい日課

2014年05月23日 | 季節・自然・植物

 庭のバラは、今は最盛期をやや過ぎたというところか。沢山のつぼみを付けたものもまだあるが、主だった大輪のバラには、つぼみは少ない。とはいいながら、毎朝庭に出て新聞を読みながら、愛でるには十分な花の数である。

 数日前から奥さんの指示で、新しい仕事が私の日課となっている。「落ち穂拾い」ならぬ「落ち花拾い」とでもいうのだろうか。片手にプラスチック製の軽い鉢を持って、地面に落ちたバラの花びらを拾い集める仕事である。競うように咲いている庭は美しいが、花びらが地面に落ちていては興ざめである。そんなことのないよう、毎朝、落ち花拾いをやらされ、いや、やっている。

 桜の花の散り方については、よくいわれていることがある。「1週間ばかりの短い間、ぱっと咲いたあと、風に吹かれて一斉に散る。未練のない潔い散り方は、侍の精神にたとえられる。日本人の集団的行動美学にも似ていることもあって、桜は古くから愛されている」と。

 こんなに潔く男らしい桜の散り方に比べると、バラの散り方は、むしろ女っぽいと言えるかもしれない。桜の花ように、少し風が吹いただけではらはらと一瞬の内に一斉に潔く散っていくのとは趣を異にする。何層にも重なった重たそうな何十片もの花びらは、風もないのに、ある時どさっと音を立てて真下に落ちる。

 新聞を読んでいても、驚くほど大きな音がするといえば少し大げさかもしれないが、それほどである。バラの間を這いつくばって花びらを拾っているときにも、背中が周りのバラの枝に当たったりすると、その瞬間まで必死にこらえていたものが解き放たれたように、膨らみ始めたメシベだけを残して、花びらはどさっと落ちて土の上にみだらに散らばる。 

 その落ち方は、あたかも着物姿の妙齢の女性が、何かの拍子に崩れ落ちるように見えるといえば、「お前はそんな様子を目の前で見たことがあるのか」とか「女をそんな目に合わせたことがあるのか」などと問われそうだが、これは全くの空想の世界のお話、ということで私の新しい日課のご紹介でした。 


大人気

2014年05月21日 | 木工・細工・DIY

 安いスパークリングワインを、時々買ってきて飲んでいる。内部の圧力でコルクの栓が抜けないように、金属製のキャップをかぶせ、その上から針金できつく縛ってある。3年前に知人から、このキャップと針金を使って作った愛らしいチェアーを1個もらった。

 飾りものにはちょうどよいと思い、同じようなものを私もいくつか作ってみた。玄関の棚に置いていると、訪ねて来たお客さんの目にとまり、その誰もが「かわいい」と言って手に取ってみている。そんなにかわいいものならいくつか作り置いて欲しい人に上げようと思い、スパークリングワインを買うたびに1個ずつ作ってきた。今まで、すでに10個余りは誰かにプレゼントした。

 作り貯めたチェアーが、現在20個以上もある。まだ加工していないキャップも10個ばかり転がっている。よく飲んだものだと感心しながら過ごしている。そんな先日、奥さんの薔薇友3人が、我が家のバラ園を見に来てくれた。庭でお茶を飲みながらバラ談義をしているのが、家の中にいてもよく聞こえる。薔薇好きな人の話は尽きないようである。

 しばらくすると家の中に入ってきた。玄関に飾ってあるチェアーを見つけて「かわいい」と言っている。奥さんが3人を客間に案内したあと、私を呼びに来た。「置いてあるチェアーが欲しいと言っているよ」という。「どうぞどうぞ、気にいったものがあれば、どれでもお持ち帰りください」と促すと、、それぞれが1個ずつ選んだ。「沢山あって邪魔になりますので、よかったら2個ずつでもどうぞ」というと、喜んでもう1個ずつ手に取った。

 こんなもので喜んでもらえるのであれば、作った者としても大変嬉しい。「このペンチを使って、針金で背当てを取り付けるだけで簡単に作れますよ」と、ラジオペンチを使っての作り方を伝授した。私と同年輩のご婦人であったが、その年になっても、こんな小物が欲しいとは。他人事ではない。そうはいいながら、いい年をしてこんなものを作っている私がいる。


サツの運命

2014年05月20日 | 生活・ニュース

 洗濯機から洗い物を取り出した奥さんが「洗濯機の底にこんなものがあったわ」と言いながら部屋に入ってきた。見ると濡れた千円札を指ではさんで持っている。きちんと直角四つ折りした状態で水槽の底に残っていたという。広げてみると濡れてはいるがどこも欠けたり破れたりはしていない。

 この千円札が水槽の中で何回転したかは知らないが、それでも破れなかった紙幣の丈夫さに驚くばかりであった。一体どんな理由があって洗濯機の中に入り込んだのか。シャツやズボンのポケットに入れていたものが飛び出したのか。それにしても私は、こんなに丁寧に札を折るような習慣はない。とすれば奥さんが洋服のどこかに入れていたものか。

 2人とも、はっきりと自分が持っていたお金ではないという確信はない。持ち主不明の千円札をもう一度眺めてみた。濡れた紙幣というものは、陽にかざしてみると半透明となって美しく見える。「アイロンをかけて乾かしたら」と奥さんは言うが、めんどくさい上に、野口英世の顔面に熱いアイロンをかけることが何だか少しはばかれる。

 テーブルの上に置いて自然乾燥させることにした。昼過ぎ、手に取ってみると殆んど乾いていたが、何だか一回り小さくなったように見えた。スケールを出して測ってみると、横幅は150mmあるものが142mmと95%になっている。縦も同じように短くなっている。

 小さくなった千円札、果たして紙幣として通用するものか。縦も横も95%の大きさだから、面積比でいって900円になるわけでもなかろう。ここは黙って買い物の店先で使ってみるか。見つかってにせ札だと騒がれて警察沙汰にならないとも限らない。しかし透かしもきちんと入っているので、にせ札とは言わせない。さてどうしたものか。

 明日はともかく銀行に行って、ことの顛末を説明すれば、何とかまともな札と交換してもらえないだろうか。洗濯機で足ならぬ顔を洗った野口英世の運命や如何に。