サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会で、2大会ぶりに日本代表は決勝トーナメント進出を決めた。しかし、ポーランド戦の終盤0-1でリードされていながら10分間以上パスを回して時間を稼ぐ戦術に徹し、大きなブーイングを浴びた。
これに対して専門家は「決勝トーナメントに進出するためには勇気ある決断で妥当な判断だった」と西野監督を評価する一方、ファンからは「恥ずかしい試合だった」といわれ、「試合では最後まで全力で戦いなさい」と子供に教えているサッカーチームの監督の困惑した見方も伝えられている。
いずれにしてもルール違反をしたわけではないし、決勝トーナメントに進出するためには妥当な判断だったと、サッカー界は肯定的な見方が多いという。確かにこの作戦は、失敗するかもしれなかった懸念もあったのだし、リスクを冒しての監督の判断は評価されていいのかもしれない。
しかし、サッカーの試合はスポーツである。それであれば「スポーツマンシップ」を発揮して戦うことが必須であろう。「スポーツマンシップとは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツをする仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表されるもの」と書いてある。
この観点から、このたびの試合を観てみると、試合の終盤に、誰が見ても時間稼ぎとしか見えないパス回しをしての時間の浪費は「公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛」の気持ちなどは微塵も感じさせないものであった。確かにルール違反ではないが、アンフェア―とも思えるパス回しをした結果、皮肉にも「フェアープレーポイント」の僅差でライバルのセネガルに勝った。
フェアープレーポイントの評価の不備を指摘する向きもあるが、確かにルールがスポーツマンシップに対応していないところもあろう。しかし、ルール以前に、スポーツに対しても「道徳」というものがあるはずだ。最後まで全力を尽くすのがスポーツだと思っていたがそうでもないことがあった。
サッカーというスポーツを、楽しみとしてではなくプロとしてやっている者にとって、純粋なスポーツマンシップを求めるのは残念ながら無理なことなのかもしれない。元オランダ代表選手がかつて「美しく敗れることを恥と思うな。ぶざまに勝つことを恥と思え」という名言は、アマチェアに対しての言葉かもしれない。
そこで結論、「今回のプレーは、プロだから許される」で、いかがでしょうか。