写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

冷血な奴

2005年08月31日 | 季節・自然・植物
 私のお気に入りである「ダイニングテーブルの書斎」でネットサーフィンをしていると、窓の向こうの植木の中で何か動くものが眼に入った。

 デジカメを引っさげてデッキから庭に駆け降りた。あわただしい動きに、午睡中のハートリーも飛び起きて身構えた。

 自分ながら、まさに警視庁社会部詰めの事件記者のような、すばやい動きに思えた。テニスで鍛えているお陰か。

 近づいてみると、隣家との境に植えてある貝塚の木の中に、何かいる。小さな怪獣が眼光鋭く私を睨みつけていた。

 接写にしたレンズを10cmくらいまで近づけてみても、微動だにせず、じっと身構えている。

 「まばたきもせず」と書きたいところであるが、この怪獣もともと、まばたきなぞしないのではないか?ずっと私を見つめている。

 それはともかく、身じろぎもしないので、写真の被写体としては優等生である。私が手ブレさえしなければ、大丈夫だ。

 お陰で何枚も色々な角度から撮らせてもらった。一番のいい顔がこの写真であった。きりっとして知的に見える。

 しかし、私は体質的に爬虫類が大の苦手である。このトカゲ、ヘビ、夏になると外灯の虫に取り付くヤモリ、田んぼ脇の小川のイモリ。

 どれも肌触りが気持ち悪い。何かの拍子で触れたことがあるが、冷血動物のあの冷たい感触は、身震いものである。

 しかし、彼らも生き物。彼らが身の回りにいる間は、本当の自然がまだ身近にあるということだ。環境保全のバロメーターかも知れない。

「またなっ」と言ってその場を離れ振り返って見ると、彼はもうそこにはいなかった。冷血と言われているのに、私を見つめた眼差しは暖かく思えた。

 これからは「トカゲなんか嫌いだ」とかげ口なぞ、言わないようにしよう。  
  (写真は、お近所の「怪獣・トカゲ」)

釣 書

2005年08月30日 | 生活・ニュース
 私には、二人の息子がいる。長男は既に結婚をしているが、次男はまだ独身、今年29歳になった。

 数年前から帰省するたびに、「いい人は見つけていないのか」と、何度も聞いてみるが、その気配はないまま今日に至っている。

 本人は卒業して就職以来、炊事・洗濯付きの寮生活なので、日常生活は何の不自由も感じていないと言う。

 最近の若者は晩婚化しているが、親から見れば、もうそろそろ身を固めてほしい年頃ではある。

 盆休みに帰ってくるのにあわせて、「釣書」をワープロで書いてみた。ネットを探してみると、釣書の書き方が載っている。

 学歴・職歴・身長体重のあとに趣味・特技欄がある。あいつの趣味は一体なんだろう。この若さで音楽・読書だけではどうも根暗にみえる。

 ビールが好きだが、これは趣味とは違う。まあ、この欄は本人に書かせよう。釣書は、本人の自筆が原則だそうだから。

 しかし、この釣書を本人が納得し、その気になってくれるかどうかが問題である。

 一計を考えた。次男が気を許している義妹に頼んだ。泊まりに行った時に、お見合いを説得してもらうことにした。

 親が言ったのでは、テレもあり中々うんとは言わないに決まっている。絡み手でいくことにした。

 親でないと出来ないことがある。親だから出来ないこともある。何歳になっても、まだまだ子供の次男である。さて、この結末はどんなことになるのか。

 それにしても、自己紹介書のことを釣書と表現することに、若干の抵抗を感じる。よき伴侶を見つけることを釣るという言い方で良いのだろうか。 

 釣書で果たして釣れるのか。我が家の熱い戦いの幕は切って落とされた。
(写真は、いいはなしを寝て待っている「ハートリー」)

MRI検査

2005年08月29日 | 生活・ニュース
 8月に入ってから、右側頭部奥に痛みではないが、何か普通と違う、軽くずんという感覚がする時があった。

 パソコンに向かっていても日に数度、こんな風に感じることがあった。息子たちが帰ってきた賑やかな盆の間には、あまり感じなかった。

 盆が終わったある日、この地では名の通った脳神経科の病院へ行った。70前くらいの老医師が診てくれた。

 個人病院なので、行ったその日に必要な検査をしてくれるのがありがたい。まず脳波をとった後に、MRI検査をすることになった。

 脳波の検査を開始した時、担当の看護婦が、「緊張しています。ゆっくりと深呼吸して下さい」という。緊張しすぎると、波が乱れるらしい。

 次は別室でMRI検査だ。MRIとは、磁気共鳴断層撮影装置のことで、強力な磁気を使って人体の断層像を映し出す装置のことである。

 X線では発見することが出来ない、ミリ単位の小さな脳梗塞、脳腫瘍など見つけることができるという。

 上向きになって横たわり、がんがんがんという音を聞きながら約30分間を過ごす。「はい終わりました」と言われて起き上がるが、痛くも痒くも無い。

 しばらく待合室にいると、名前をよばれた。神妙な顔で先生の前の丸い椅子に座った。目の前の照明板には、20枚の脳の断面写真フィルムが掛けてある。

「う~ん。脳梗塞・脳腫瘍などは特別ありませんな。何歳ですかな。あ、そう。しいて言えば、この辺りが少し萎縮していますが、まあ、年相応でしょう」といい、前頭葉の辺りを指差した。

 常日頃から懸念していた、大きな空洞もないようだ。密度は低いかもしれないが、頭蓋骨の中にびっしりと脳は詰まっている。

「これが私の頭脳なのか・・・」と感慨深く見つめていると、「まあ、心配要りませんな。気のせいでしょう。」で終わった。

 翌日からは、気のせいもどこかに消えてなくなった。それにしても、初めて見る自分の頭の輪切り写真は、きれいに素直な左右対称となって
いた。

 目玉はきちんと見開いている。少しゆがんだ性格とは違って、私の脳は意外とすっきりとしている。ぼけるには、もう少し時間がかかりそうだと独断した。
   (写真は、「輪切りの私」となったMRI)

イチジク

2005年08月28日 | 季節・自然・植物
 近くに住むひとり住まいの従姉と、道ばたで久しぶりに出会った。常々「家のことで何か困ったことがあればやってあげるから」と言っておいた。

 その日、出会ったとたん「Rちゃん、頼みたいことがあるの」という。小さな飼い犬が、掃き出し窓の網戸を2枚も破ったらしい。それを、直せないかと訊く。

 私は今まで網戸の張替えをやったことはないが、簡単に「いいよ、やってあげる」と答えておいた。

 翌朝、ホームセンターに行き、網、押さえゴム、張り替え道具のロール、カッターナイフを計1500円で買った。

 それら1式を持って従姉の家に行き、張替え工事を開始した。従姉は「業者に頼みに行ったら1枚が4700円、2枚で9400円。それならRちゃんに相談してみようと思った」と言う。

 20年以上使った網・押さえゴムはかなり劣化している。破れながら、いとも簡単に外れた。新しい網を載せ、ローラーを使って抑えゴムを溝にはめ込んでいく。

 面白いほど簡単に、気持ちよく仕上がっていく。周辺の余った網をカッターナイフで切り落とした。もう一枚もスムーズに張替えが終わった。

 午前中、1時間足らずの作業であったが、行く夏の陽はまだ暑い。1人前に額に汗が出た。しかし、ぴんと張った新替え網戸に、頬がひとりでに緩む。

「終わったよ」「ありがとう。きれいになったね。幾らあげたら良いかね」ホームセンターの領収書をポケットから出して渡した。

 領収書の額に加えて作業代をとってくれと言う。「いいよ、いいよ。そんなもの」と遠慮した代わりに、ポリ袋を渡された。

 その中には、亡き叔母が育てていたイチジクの実がたくさん入っていた。赤くなって先の割れた実は、今が食べごろのようだ。

 イチジク、懐かしい果物だ。子供の頃は良く食べていた。どこの家にも植えていた。おいしい果物なのに、口にする機会は少なくなった。

 帰って妻に渡すと、半分が瞬く間にジャムに変身した。ひとさじ口に入れると、柔らかく形の残った実が、とろりと舌の上で転がった。

 従姉のおかげで、私には網戸張替えといういう新しい技能が身についた。来年の夏はこれを商売にして歩き、どこかの家でまたイチジクを頂きたいと思っている。
   (写真は、もらったイチジクと、変身した「イチジクジャム」)

資源ごみ

2005年08月27日 | 生活・ニュース
 今朝早く所用があって出かけた。午前8時過ぎに帰ってきた時、家の近くのごみ集積場に新聞・雑誌・アルミ缶などが出されているのを見た。

 新聞受けに入っている朝刊を手にして家に入ると、妻は資源ごみを出す日だということに全く気がついていない。

 資源ごみは、月に1度しか出すことが出来ない。我が家は2紙購読しているので、出し忘れると納戸の中は古新聞だらけとなる。
 
 間もなく回収車がやって来る時刻になろうとしている。ふたりであわてて納戸から古新聞を取り出して紙紐で縛り始めた。

 ふと食卓の上を見ると、ここ数日の新聞と広告が散らかっている。それもあわてて取り込んで2個の新聞束を作り、無事ごみ集積場に運び込んだ。

「あ~、間に合って良かったな。アイスコーヒーで朝食にするか」と妻に言い、「さて、今朝の新聞でも・・・」と、辺りを見回したが、先ほど持って入った筈の新聞がない。

「ひょっとして、古新聞と一緒に出したのでは。ちょっと探しに行って見てくれないか」こんな時の妻の動きは速い。言い終わらないうちに玄関から出て行った。

 間もなく自慢そうに、新聞片手に笑顔で帰ってきた。「束の真ん中あたりに入っていたが、しわも無くきれいなので直ぐにそれと分かった」という。

 さすが我が妻、動きは敏捷、判断は的確。少し嫌味は言われたが、回収車が来る前に無事回収してきてくれた。

 それにしても、取り込んだばかりの今朝の新聞を、資源ごみに出すとは、私としたことが面目ないことであった。

 物事をあわててやると、ついこんなことになる。こんなことをしていては、いつの日にか私は、粗大ではないが水分の少ない回収不能な生ごみとして出されるかもしれない。

 そうされないよう、引き出しにしまってあった「ごみ回収カレンダー」を、早速目に付きやすい台所の壁に掛けるように改修した。「これにて1件落着」といく・・・かな。
  (写真は、陽の当たる所に出た「ごみ回収カレンダー」)