写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

江戸しぐさ

2006年06月30日 | 生活・ニュース
 私が読ませていただいているブログに「踏青_徒然日記」というのがある。「写真エッセイ」ならぬ「写真俳句」のブログである。

 言葉に疎い私は、このブログでいろいろな言葉を学んでいる。先日掲載された俳句の中で「傘かしげ」という言葉があることを初めて知った。

 ところが今朝の毎日新聞でまたこの言葉に出会った。「『江戸しぐさ』に学ぶ」というコラムに書いてあった。

 雨の日、人とすれ違う時、お互いに傘を外側に傾けるしぐさを「傘かしげ」、足を踏まれた時、踏んだ方はもちろん、踏まれたほうも「とっさに足を避けられなかった私も、うかつでした」とわびる「うかつあやまり」という言葉がある。

 「江戸しぐさ」(越川禮子著、KKロングセラーズ)という本に書いてある。江戸しぐさとは、徳川家康が作った江戸の町づくり・人づくりのシステムだ。

 江戸は全国各地から言葉や習慣の異なる人たちが集まって出来た町なので、人間関係がうまくいくように「互助の精神」や「楽しく生きる知恵」を要したという。

 江戸しぐさは、国際基準として通じる人間の感性だ。人の品格や共生の哲学を大切にした江戸しぐさの復活こそ、住みよい日本になると確信すると書いてある。

 毎日毎日、とんでもない事件が起きている。品格なんぞはどこ吹く風、共生などは関係なし、自分さえよければそれでいい。

 そんな今こそ、江戸しぐさをよく読んで、「互助の精神」や「楽しく生きる知恵」を初心に帰って勉強しなければと思う。

 未熟な私は「うかつあやまり」までは出来ないけれど、「傘かしげ」くらいは日常的にやっている。

 そのほか、狭い道ですれ違う時、ちょっと会釈をしながらぶつからないように「肩引き」といって身体を斜めにすることも書いてある。

 「会釈」のことも江戸しぐさに書いてあるのだろうか。昔の知恵がどうも今に活かされていないようだ。 

 「江戸しぐさ」は「庭のちぐさ」、いやこれはアイルランド民謡。「何処でもしぐさ」でないといけない。今の私にはちょっと手遅れの感はするが、その知恵を知るために、早速今から図書館に行ってみよう。
   (写真は、出版されている「江戸しぐさ」)

外 灯

2006年06月29日 | 生活・ニュース
 日本の家の外灯は、外国に比べて白熱灯よりも蛍光灯の比率がが多いと聞いた。戦後のまだ貧しかったときに、消費電力の小さな蛍光灯がもてはやされた流れのようだ。

 照明は、蛍光灯の明かりよりも白熱灯の方が食べ物がおいしく見え、また温かみがあって家庭向きだといわれている。

 今では、蛍光灯でありながら、白熱灯の色を出すものが売られているので、2兎を追うことができるようになっている。

 先日、ひとり住まいのあるご婦人の家を訪ねたとき、「夜、変な人がうろうろしているようで気持ちが悪い」という。
 
 玄関に、外灯は設置されているのに消して寝ている。「防犯のために、家の周囲は明るくしておいたら如何ですか」と提言しておいた。

 何かと物騒な現代、小さな外灯くらいは点けて、家のみならず街の防犯を期したいものである。

 家の周りを見回しても、夜間、外灯を点けている家は多くないと言うよりはむしろ少ない。我が家では、電気代の節約を考えて、白熱灯色の蛍光灯の外灯を点けている。
  
 点灯すれば確かに電気代はかかる。しかし、それを定量的に把握して、「この程度の電気代なら、一晩中点けて置いてもいいかな」との、判断材料にしていただきたいと思い、ちょっと計算してみる。

 15ワットの蛍光灯を一灯、玄関に点けたとする。15ワットといっても白熱灯の60ワットに相当し結構明るい。1日10時間点けたとすると、1ヶ月間の電気代は、

 15w*23円/kwh*10h/d*30d/1000=104円 

となる。缶コーヒー1缶分にも満たない。

 外灯を家の周囲・東西南北4箇所に点けたとしても、月に416円しかかからない。これは缶ビール2本分だ。

 お解りのように外灯代、イガイトウ安いと思いませんか? この程度の出費で防犯効果が期待できるのであれば、点けない手はないように思いますが、皆さんの考えは如何でしょうか。 
(写真は、消し忘れの多い我が家の「15ワット蛍光灯外灯」)

マック体験

2006年06月28日 | 食事・食べ物・飲み物
 「今日は面白いものがあったわよ」買いものから帰ってきた妻が、テーブルの上に買ってきたものを置いた。

 「爽健美茶」と書いたラベルの貼ってある、2リットルのペットボトルのお茶を2本も買ってきている。
 
 家にいながら、買ってきたお茶を飲む時代に我が家もなっている。「今日は、特価でいつもより安い上に、こんなおまけが付いているのよ」とあるものを示す。

 見ると、ボトルの首におのおの1枚の紙が取り付けてある。「マクドナルド・ハンバーガー無料クーポン」と書いた紙にハンバーガーの写真が添えてある。

 この券を持っていくと、どうやらハンバーガーが1個もらえるように読める。お茶の値段を聞いてみた。普段200円のところが170円だったと言う。

 この券でもらえるハンバーガーが、定価でいくらするものかは知らない。「100円くらいじゃないの」と妻は言う。無料でもらえるとは、思い切った商売をするものだ。
 
 その券は、2,3日テーブルの上に転がったままになっていた。雨が上がり陽のさし始めた夕方、家から余り遠くないところにあるマックへ出かけてみた。今までに1度行ったことがある店だ。

 平日の町外れの店に、2組の高校生の先客それぞれが、携帯を見ながら談笑している。妻が店員に紙切れを見せながら「これは使えますか?」と訊く。

 使えることを知り、ほかに飲み物ともう1品を注文して席に着いた。間をおくことなくハンバーガーがトレーに乗って出てきた。

 メニューを見ると、豪華なものをはさんだ500円以上もするものもある。出てきたものは、ハンバーグが1枚はさんであるだけの、この店で1番質素なもののようだった。

 無料だっただけに、おいしくなかったとは言いにくいが、飲み物と一緒に、まあ頂いた。こんなことがないと、マックに来るようなことはまずない。

 いまどきの若者の食文化を少し垣間見て退散した。170円のお茶を買い、100円?のハンバーガーのおまけにウマック乗っかっての、安上がりなマック体験の旅であった。それにしても、マックのパンは、何であんなにふわふわなのか?
   (写真は、お茶にくっついていた「無料ハンバーグ券」)

長距離電話

2006年06月27日 | 生活・ニュース
 病弱な母をひとり残して、横浜に住んでいた。会社からの帰り、東京駅の公衆電話から毎日、決まった時間に電話を入れた。

 「もしもし、元気? もう、夕飯食べた?」「じゃ、またね」と極めて短い通話で終わるものであった。

 こんなことが半年も続いたころ、母は入院し、電話をかけることはできなくなった。毎日どんな気持ちでベッドに寝ていたのだろう。

 それから数ヵ月後、電話も届かない遠くに逝ってしまった。老いた母をひとり置いていたことを、今でも申し訳なく思っている。

 色づき始めたアジサイを見る季節、私はいつもこのことを思い出す。
   (2006.06.27毎日新聞「はがき随筆」掲載)

発表会

2006年06月26日 | 生活・ニュース
 「わぁ~、大変なことになったわ」。台所を預かっている婦人がつくるある会に参加している妻が、家に帰ってくるなり、こう言って座りこんだ。

 聞いてみると、来週、その会の活動発表会が開催される。その席で、妻がリーダーとなってやっている活動の発表を頼まれたと言う。

 プロジェクターを使ってやるそうだ。妻は今までそんな役割などやったことはない。生まれて初めての世紀の大舞台である。

 「どうしよう。どんな筋書きでやろうかしら」と、パソコンに向っている私の背中の後ろで、小さくつぶやいている。

 ここは私の出番だ。こんな時には、楽ではなかった現役時代のころを思い出し、プレゼンテーションのやり方を、頭の引き出しから取り出してみた。

 しかし肝心の引き出しが、少し固くなっていてスムーズに引き出せない。なんとか引き出すことが出来た。話の順序としてはこうだ。

 発表する「テーマ」がそこにある。
  1.テーマ選定の理由。その現状はどうなっているか。
  2.そこにどんな問題が横たわっているのか。
  3.その解決策は何なのか。具体的な方策は。
  4.実行した結果はどうなのか。反省点は何か。
  5.今後どう取り組んでいくのか。 

 この順番でまとめれば、大抵のことはまずは人に説明できる。あとは中身での勝負となるが、今回、中身のことは私には分からない。

 妻に発表の手順を説明しながら、現役時代、冷や汗をかきながらこんなことを何度もやらされたことを思い出す。

 品質向上・コスト低減・安全確保・工期短縮・人員削減・技術力強化・売上高増大などなど、今でもまだ覚えている。

 すずめ100まで何とやら。仕事を離れても染み着いたものは、爪の間に入った油汚れのように、簡単には落としきれていないことを実感する。

 現役時代、実務で活用するときには、いやでしょうがなかったものが、わが身にかかわることで活用するときには、心強く感じる。

 私の身勝手さに苦笑しながら説明するも、生あくびをしながら聞いている妻の態度が少し気になる、雨雨雨の午後であった。
   (写真は、雨雨雨の我が家の「サンデッキ」)