写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

寒柝(かんたく)

2017年12月30日 | 生活・ニュース

 寒柝や 長き手紙の 封をせり   岡田史乃                    

 「柝(き)」とは、歌舞伎では楽屋内の合図、幕の開閉などに用いる拍子木のことをいうが、特に寒い冬の夜に打ち鳴らされる拍子木のことを俳句の世界では「寒柝」といい、冬の季語であることを知った。

 「火の用心」と声を上げながらの寒柝の音は、どこか物悲しさを感じさせる。長い手紙を書き終えてほっと安堵した作者の耳に、遠くの方から寒柝が聞こえてきた。書き終えて、ふと我に帰った状態を巧みに捉えた句である、と解説してある。

 寒柝ともいう拍子木の音を、今年も家にいて聞くことができた。毎年のことであるが、年の瀬の28、29、30日の3日間、地区の消防団が「夜回り」をしてくれている。特に冬の夜、火の始末の注意喚起のために拍子木を打ちながら見回ることから、「夜回り」も冬の季語となっている。

 昨日も、夜も更けた11時ころ、カッチ、カッチと冴えた冷気を裂くように拍子木の音が聞こえてきた。窓のカーテンの隙間からそっと覗いてみると、法被姿をした2人の男が、拍子木を鳴らしながら足早に去っていくのが見えた。

 今どき、こんな夜回りをしてくれる地区は非常に少ないと思うが、古くからの習慣を残してくれていることを嬉しく思うとともに、その労に感謝しながら、年末の風物詩として楽しんでいる。こんな人のお蔭で、地域の安全が保たれている。(写真は、2007年12月30日のもの) 

 

 

 


年の暮れ

2017年12月29日 | 生活・ニュース

 盗人に 逢うた夜もあり 年の暮れ  松尾 芭蕉

 今日の新聞に載っていた俳句である。盗人にとられるようなものが何もない清貧とも言うべき暮らしを理想としていた芭蕉が、盗人に入られた夜もあったなあと、1年を回顧した句だと解説してある。そんな芭蕉をまねて、私もこの1年、どんなことがあったかを回顧してみた。

 座右の友として親しんできたパソコンの画面が突然消えて真っ黒に変わった。思えば7年間、文句を言うこともなく私の思い通りに働いてくれたVistaである。労をねぎらって新卒の若手と交代してもらった。

 1歳の誕生日を迎えた孫娘が、伝え歩きができるようになったという動画が送られてきた。人間として立って歩く準備を始めたようである。何でもないようなことであるが、「立って歩く」ってことは素晴らしい。なんと言ったって、両手が自由に使えるための必須条件である。これからその両足で、どこの世界を歩いていくのだろう。

 奥さんがスマホデビューした。世の流れに遅れまいとしたかどうか知らないが、突然「私もスマホをやってみたいわ」などとのたまう。現在、電話とメールが打てるようになったばかり。これからは、夫婦の会話は、食卓に向かい合ってメールでのやり取りに変わるかもしれない。「コーヒーを飲もうか」「自分で淹れてください」な~んて。

 10人が集まった学生時代の同期会に参加した。定刻になっても幹事がこない。電話をしてみると「あっ、明日だと思っていた。今からすぐ行く」といって、肝心の幹事が大失態。こんなこともあった。

 10年と15年と20年ぶりに、会社の後輩だった男がそれぞれ遠くから所用で岩国へやってきた。その折、一杯やる機会を作ってくれた。お互いに定年を迎えているが、現役時代の話をしながら楽しい時間を過ごした。長い時間は経っていても、会って一杯やりたいという仲間がいるという人生、悪くはない。

 小、中学校時代の男と女の幼馴染が2人、この夏、痛ましい交通事故で亡くなった。最近、顔を合わせることはなかったが、2人とも自転車に乗っていての事故だったという。いずれもが車の運転者の不注意のようである。くれぐれも注意して出歩けと言ってくれているように思っている。

 私ごととしては大きな出来事もなく今年も終わるが、何よりも、年なりの元気さで過ごせたことが一番のビッグニュース(?)ということか。そういう意味では、おめでたい1年であったといえる。 

 

 

 
 


取扱説明書

2017年12月27日 | 生活・ニュース

 先日、奥さんがスマホデビューをした。電器店に買いに行ったとき、メールのアドレスを決めておいた。ちょうど1年前には、私自身のスマホを買って使っているが、ネットの検索以外には携帯電話として使っているだけで、メールとしては全く使っていない。メールはパソコンでやっているだけである。

 奥さんは毎夜スマホを触って、1日に1つは新しい機能を覚えるのだといって、思っていた以上に研究熱心である。そんなことをしているとき早速、長男の嫁からメールが入ってきた。さあ、大変。返事の書き方、返信の仕方など、おいそれとは分からない。

 頼りにされている私だって、スマホでのメールのやり取りをしたことはなく、「パソコンと似たようなことをやればいいんだろう」と、突き放していた。しばらくしても埒が明かない。「よしっ、『先ず隗より始めよ』だ」といって、私が自分のスマホでメールを始めてみることにした。

 とはいっても、紙に書いた取扱説明書はない。パソコンで取扱説明書をダウンロードしても、細かな手順のようなものは書いていない。検索して出てきた情報を見てどうにかメールの設定を終えた。奥さんのスマホも同じようなことを施して、私のスマホとの間でメールのやり取りをした結果、何とかうまく出来るようになった。

 とはいっても、アドレスはどこに保存したらいいのか、メールの画面の細かな操作方法は、逐一体験しながら覚えるしかない。しかし、パソコンにしてもスマホにしても、取扱説明書は、読んでみてもよく分からない点が多い。単語が理解できなくても、せめて手順が明快に書いてあればいいが、それも不親切なところが多い。

 それでも使っている内に、自然と分かるようになる辺りは、結婚したことと似ていなくもないようである。初めは奥さんの取り扱い方法が全く分からなかったが、今となっては、以心伝心、何でも分かってもらえるばかりか、何でもお見通しされるようになっている。何ごとも「習うより慣れろ」は、しっかりと活きている。


便利屋さん

2017年12月26日 | 生活・ニュース

 今朝(26日)、新聞を取りに出てみると、折り込み広告とは別に2つに折った広告がポストの中に入っていた。開いてみると「掃除・粗大ごみ・片付け・草刈り・剪定どうしよう」と大きな文字が踊り、その下に「自分でするのは大変、でもどこに頼んでいいかわからない?」と書いてある。市内の便利屋さんの広告である。

 年末の大掃除や、困っていることを手伝おうという意図のようであるが、時期的には少し遅すぎる感じを抱きながら読んでみた。A4 の紙に、具体的な作業がイラスト入りで書き込んである。家の掃除・片付けに始まり、庭の草刈り・剪定、ごみの整理・片付け、家事の代行、大工仕事など、あらゆる家事が羅列してある。

 中でも「高齢者の独り住まいの家では、こんなニーズもあるだろうな」と思われるものがあった。「高所作業、忘れ物のお届け、遺品整理・供養、お墓参り、旅行・買い物への同行、各種出席代行、パソコン指導」などはもっともだと思うが、「家事買い物代行、肩もみ、話し相手」というものがある。1人・1時間の料金は2,500円、迅速・丁寧・秘密厳守と付記してある。

 我が家でも頼んでみたくなるようなものもあるが、書いてあるような仕事はすべて私の分担と、言わず語らずのうちに決まっている。「そうか、時給は2,500円か」と、一般のパートの2倍以上の額をみて、分担している仕事の価値を再評価した。

 こんなに高収入であれば、ある仕事に限定してでも開業してみたくもなるが、人様へ提供する仕事となると、出来栄えによほどの自信がなければ請け負うことはできない。やっぱり私では無理なことであると諦める。

 しかし「話し相手」とあれば、どちらかというと私の得意の範疇のものである。この仕事に限っての広告でも出してみてもいいが、果たしてどれほどのニーズがあることか。

 いやいや、そんなことよりも、近所の独り住まいの高齢者に対しては、散歩の途中にでも出会えば積極的に挨拶をしたり、話しかけたりして様子をうかがうなど、常日頃の誰にでもできる見守りのようなことをしていく方がよいだろう。あとのことは、便利屋さんにお願いするとしてもと、殊勝な心がけをしてみた。


初めてのこと

2017年12月25日 | 生活・ニュース

 今年も残すところあと1週間となった。1年間使ってきた手帳をパラパラとめくってみた。年々、記入している予定や出来事が少なくなってきている。その分、空白が目立つようになっている。

 それはそうだろう。2010年より5年間は「岩国検定」と銘打って仲間と共に岩国のご当地検定を企画実施し、自称「忙しい毎日」を過ごした。続く2年間は、岩国の幕末を混乱させた「四境の役」から150年目の節目の年にあたる2016年をめざして、これに係る小冊子を作り、興味を持っている人に50数枚CD版として差し上げることができた。

 そして迎えた2017年、年の初めから一人遊びをするアイテムを色々考えてみたが、これということを思いつかないまま1年が過ぎ、今はもう年の瀬である。新しい何かを作り出す時には輝いていた小さな瞳も、輝きを失い鈍くよどんできたように感じている。

 そういえば、昨年までは、長く生きていながらも、何がしか新しい発見めいたことや、初めて経験するようなことがあったが、今年はそんなことが皆無とは言わないが大変少なかったように思う。

 そんな中で、初めて経験した出来事といえば、年初にスマホを購入し使い始めたことである。UQモバイルという格安のものではあるが、私の使い方では容量も、無料の電話回数も何一つ不満はない。

 そればかりか、これの恩恵は随分享受できた。例えば、旅行先での観光情報や、バス電車の時刻、ある場所への経路などきりがない。スマホを持っていなかった場合であれば、いちいち人に聞くしかないことばかりである。

 そんな様子を傍で逐一じっと見ていた奥さんが、先日「私もスマホを使ってみたいわ」と言い始めた。テレビのコマーシャルで、UQモバイルが「家族割引」を始め、月々1480円払えば、もう1台持つことができることを知った。

 早速2人で電器店に走り、その旨をよく確認して奥さん名義のものに加入した。以来毎夜、新しいことを一つずつ覚えることを始めているが、教える側の私の知識もおぼつかない。老々介護ならぬ、老々へぼ教師状態で夜が更けている。それでも、何か新しいことに挑戦するということは、苦しくも楽しいことの方が多いことを実感している。