写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

てんやわんや

2020年02月28日 | 岩国時遊塾

 「てんやわんや」といえば、大勢の人が秩序なく動き回り、ごった返すこと。「てんてこまい」といえば、休む暇もなく忙しく動き回ること。「上を下への大騒ぎ」といえば、上のものを下にし、下のものを上にする意から、入り乱れて混乱するさまをいう。

 ここ1か月間、
日本といわず、今や世界中が中国発の新型のコロナウイルス感染症対策で、まさに、てんやわんやでてんてこまいをし、上を下への大騒ぎの様相である。

 決め手となるような対策が分からない中で、日本では外出禁止令とまではいかないまでも、昨日(28日)ついに安倍首相は「全国すべての小・中・高校と特別支援学校
に対して、3月2日から春休みまで臨時休校とするよう要請する」と表明した。

 テレビのワイドショウでは、各局のコメンテーターが、「やれ準備不足で現場は混乱している」とか「対応する予算が他国に比べて少なすぎる」などと早速批判しているが、むしろ遅きに失する感すらしている。

 オリンピックの開催を目前にして、今や世の中、スポーツ観戦や大きなイベント、劇場での公演や大相撲までが、中止や前代未聞の無観客状態で行われようとしている。そんな中、我が岩国時遊塾が主催して3月21日に開催する予定の「自分史を作ってみよう」という講座を、予定通り行うかどうか悩んでいた。

 会場となる公民館に相談してみようと思い出かけてみると「大勢の人が集まるイベントは自粛して欲しい」旨の張り紙がしてある。これを見て、岩国時遊塾の講座もこのたびは中止し、後日
改めて開催することにした。

 家に帰り、ポスターを貼ってもらっている公民館や図書館、記事にしてもらう約束だった新聞2社、すでに申し込みの電話をもらっていた5人へ電話で中止の連絡を済ませた。

 未だ市内・県内で感染者は出ていないが、交通手段の発達で、遠距離といえども人的な交流がいとも簡単に行われる世の中となっている。そんな時だから、感染対策には万全を期しておかなければいけないと思わせる、てんやわんやで、てんてこまいの1日であった。

 


エッグシェルブレーカー(玉子割り器)

2020年02月16日 | 生活・ニュース

 テレビで、朝食が「世界一」だと評判の「神戸北野ホテル」のことをやっていた。総支配人・総料理長の山口浩が、フランス人の師から贈られたヨーロピアンスタイルだという。

 朝食のメニューは、天然酵母を使用した焼きたてのクロワッサン、バターの香りで食欲を誘う焼き菓子のフィナンシェ、そして国産栗の花のハチミツやハム、リンゴやラズベリーなど果物そのままの食感と味を提供する手作りのジャム。極め付きの「飲むサラダ」という別名があるジュースには、季節の果物や野菜を数種類ずつ低速のミキサーで抽出している。

 さすがに世界一の朝食とあって、見た目も美しく飾ってあり、いかにも朝から食欲がわいてきそうである。この朝食がどれほどおいしいかは、食べたことがないので評価は下せないが、ただ一つ、今まで見たことがなく、私が目を丸くした小道具が置いてある。

 殻が付いたままの半熟の玉子をエッグホルダーに乗せる。その上に直径が4㎝のスチール製のカップをかぶせる。カップには長さが25cmの細い棒がついていて、その棒には直径2.5㎝の鋼球が貫通してつけられている。

 この道具は「エッグシェルブレーカー」、日本語で言うと「玉子割り器」というものである。まずカップを半熟玉子に被せて、鋼球を上から落とす。その瞬間、衝撃振動で玉子にカップと同じ径のきれいな割れ目が付く。殻を取り除くと、ちょうどスプーンが入るほどの穴が開き、半熟玉子をすくって食べることができる。

 今まで半熟玉子を食べる時には、手で殻を破り、皿に乗せて箸を使って食べていた。これを使えば、玉子の殻を皿の代わりにして、スプーンで食べることができる。これは便利で面白い物を見つけた。

 早速ネットで調べてみると販売されている。1組発注したものが届いた。直ぐに半熟玉子を作ってやってみた。思った通りの穴を簡単に開けて食べることができた。何だか「神戸北野ホテル」でヨーロッパの薫り高い朝食をとっているような錯覚に陥った。

 たかが半熟玉子の食べ方というなかれ。こんな道具を使った食べ方がヨーロッパでは昔から行われていたなんて……。今日から我が家の朝食は、半熟玉子の割り方だけはヨーロッパ貴族風と相成っている。

 

 


丁 寧

2020年02月14日 | 生活・ニュース

 何も書くことのない日には、突っ込みどころ満載の安倍総理のことを書くことにしている。ここ数年間、「モリカケ問題」に始まり現在の「桜を見る会」に至るまで、国会では野党の質問に対して、およそ回答とは思えぬ答弁とやらを、総理は繰り返している。

 よくもまあ、よほどの忍耐力があるのか、我慢強いのか、体力があるというか、毎回同じ答弁を繰り返し巻き返しできるものだと感心して見ている。

 総理の答弁で、いつもきまって言う台詞がある。「国民の皆さんにご理解していただけるよう、丁寧に説明いたします」というが、何十回聞いても理解できないのは丁寧に説明をしていないからであろう。

 ちなみに「丁寧」という言葉を、辞書で調べてみた。「丁寧」の語源は中国発祥の打楽器からきていて、昔の中国の軍隊では周りに注意を促す警報として使用されていた。

 ①注意深く念入りであること。細かい点にまで注意の行き届いていること。②動作や言葉遣いが礼儀正しく、心がこもっていること。③何度も繰り返すこと、と書いてある。

 これで総理が言っていることがやっと理解できた。総理が繰り返し言っている「丁寧」とは、単に③のことで、中味のない答弁を「何度も繰り返して」、②の「言葉遣いだけは礼儀正しく」言うことであって、①の「念入りで細かい点を」説明することをしていない。

 総理の答弁は、早口で、意味のないことを長々と繰り返すだけなので、いくら「丁寧に」説明したところで、国民が理解できるはずはない。そろそろ、忖度議員、忖度官僚は立ち上がらないと、この国の民主主義とまではいわないが、言葉の使い方が本当に危うくなっている。


野村克也の名言

2020年02月13日 | 生活・ニュース

 プロ野球を代表する往年の名捕手で3冠王にもなり、監督として3度の日本一に輝いた野村克也さんが84歳でなくなった。現場を離れた後は解説者として、「ぼやき」と呼ばれた独特の口調と、率直かつ的確な指摘が好評だった。

 毎日新聞では、1面に大きく記事が載せられているだけではなく、「余禄」というコラムや「社説」にも、またスポーツ面では2ページにわたり、3面記事である社会面では1面全部を使って、実績や人となり、数々の名言が掲載されている。

 最近ではまれに見る大きな扱い方は、いかに多くの人に愛され尊敬された野球人であったかという証ではなかろうか。それらの記事を丁寧に読んでみた中で、知っていたことや初めて知った言葉があったが、特に印象に残る言葉を記してみたい。

 「人や集団を動かすものは言葉しかない。ほかに何があるんですか」が口癖だった。「野球は気力1分、体力1分、残り8分は頭なんや」といって、「ID」野球にこだわった。試合後、記者に対してぼやいていたようであるが「グチは不満を表すもの、ボヤキは理想と現実の差を表現するものと」いい、あれはボヤキであったという。

 社説には、「野球の奥深さを伝えた知将」と題して書いてある。「若いころから分析力にたけていた」といい、極め付きはデータ尊重の野球を浸透させて結果を出した。好んで使った言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」といい、偶然の勝ちはあるが、負ける時には必ず原因があると説いた。

 著書である「野村ノート」には、「人生」の2文字から4つの言葉を発想すると書いている。「人として生まれる」(運命)、「人として生きる」(責任と使命)、「人を生かす」(仕事、チーム力)、「人を生む」(繁栄、育成、継続)。野球に限らずどんな職業にも通用する言葉である。                   

 単に野球だけでなく、野村さんには人生の生き方も教えてもらったことになる。天国でもあの口調でボヤキ続けて下さい。ありがとうございました。



 


薄 氷

2020年02月12日 | 季節・自然・植物

 立春を過ぎて1週間が経ち、次に迎える24節気は「雨水」で「雪が雨に変わるころ」になる。そんな日の朝、奥さんから、裏庭のみかんの木の葉が病気で黒ずんでいるため、薬の散布を頼まれた。

 まずは買ってきた薬剤を50倍に薄める。納屋から電動式の噴霧器を持ち出して、薬液を5リットル作って散布を終えた。時おり東風が吹いたが、それほど強い風ではなく確実に散布することができた。

 昨年の暮れ以来、家の中に閉じこもってばかりいて、散歩には出るが庭に出るようなことがない日々を送っている。春めいた陽が差す庭に久しぶりに出てみた。

 いつの間にやら、フェンス越しに見る隣の家の梅の木には、白い花が5分咲き位になっている。眺めているとき2羽のメジロがやってきて、枝をゆすりながら、逆さまになって蜜を吸い始める。そんな微笑ましい姿に春の到来を感じる。

 しばらくメジロに遊んでもらったあと家に入ろうとしたとき、玄関のアプローチに置いてある水鉢を見ると、表面が少し凸凹しているように見える。もしやと思って手のひらで掬ってみると、薄い氷が張っている。

 この冬、私が認めた初氷である。氷といっても、掬えばすぐに手のひらで溶けてなくなるくらいの薄氷であった。そういえば、今日の新聞の俳壇に「薄氷や姉に手引かれ登校児」という句が投稿掲載されていた。「薄氷」に「うすらい」と読み仮名がふってある。「薄氷」を「うすらい」と読むことを知った。

 暦の上では春であるが、ここそこに、まだ冬の名残が感じられる。温暖化しているとはいえ、早朝はまだ冬だといってもいいほどの寒さである。しかし、この冬は、1度も雪が降らないまま終わるのだろうか。