写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

丸10年

2014年10月25日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 あと数日で10月が終わる。ふと気がつけばこのブログ、10月の末をもって書き始めて丸10年が経つ。過ぎし日を、ただ懐かしむだけが嫌いな私だが、10年が経過するとなると、さすがに小さな感慨に浸ってしまう。

 あれは10年前のある朝であった。定年後、さしたる目標も定まっていないまま、単調な毎日を過ごしていたが、日経新聞を読んでいると「自分を発信するための手段として、ブログというものがある」という記事を読んだ。「おもしろそうだな、やってみるか」と思い、早速始めてみることにした。頃は2004年11月、調べてみると、世にブログなるものが出回り始めてまだ1年余りしか経っていない頃のことであった。

 以来、当初は真面目にほぼ毎日ちょっとしたエッセイを書いてきた。ここ数年は書きたい時、書くことがある時に何かを書くということでやってきた。10年間で合計投稿数は2100編余、2日に1編強書いてきたことになる。投稿数はさることながら、10年間、挫折することなく書き続けてきたことに対して、時あたかも文化勲章の季節だ。誰もほめてくれないのなら、自分で自分を表彰してやりたくもなる。

 一方で「山高きがゆえに 貴からず」ということわざがある。山はただ高いから尊いのではなく、木が生い茂っているからこそ尊いのと同じように、人間も外見だけが立派でもそれは尊いとは言えず、実質が外見に伴って初めて価値があるものだという教訓である。ブログもまたしかり。ただ長い年月、たくさん書いておればいいというものでもなかろう。中身が立派であって初めて「私ブログでエッセイを書いています」といえるのだろう。

 ブログ10周年を迎えて少し過去を振り返り、いつまで続くぬかるみぞではなく、このブログ、まあ、余り固いことは言わずに、所詮は暇人の暇つぶし。何か書いている間は元気な証くらいのつもりで、11年目にいざ突入する。時にお立ち寄りいただいている皆さま、これからもお立ち寄りしていただけますか?「いいとも!」


粋な別れ

2014年10月20日 | 生活・ニュース

 ♪ 生命に終わりがある 恋にも終わりがくる 秋には枯葉が 小枝と別れ 夕べには太陽が 空と別れる 誰も涙なんか 流しはしない 泣かないで泣かないで 粋な別れをしようぜ

 生命に終わりがある 恋にも終わりがくる はかない生命は せつなくもえて どこか消えてゆく 煙草の煙り 恋の行方なんか わかりはしない 追わないで追わないで 粋な別れをしようぜ ♪

 この歌は昭和40年に浜口庫之助が作詞作曲し、石原裕次郎が、恋の終わりに泣いたり追っかけたりしない粋な別れ方をしようと切々と歌ったものである。昭和40年といえば、私は就職をした年である。この歌が流行っていたという記憶はないが、日本が成長していくまっただ中で仕事をし始めたころである。裕次郎全盛の時代だったろうか。

 社会人になったばかりで、仕事を覚えたり資格試験を受けさせられたりで、この歌のように恋をしたり別れたりとは無縁な青春時代を過ごしていた。とはいいながら、ちょっとした恋愛もどきはあったが、泣いたり追っかけたりのような大騒動はなく、まあ、粋な別れをしたということになるんだろう。

 「会うは別れの始まり」ということわざがある。この世で出会った人とは、いつか必ず別れが訪れる。出会いは必ず別れをもたらすという世の無常をいうことわざである。別れの悲しみや、愛のはかなさ、人生のはかなさをあらわしたものであるが、それらはすべて出会う喜びがあったからこそである。

 始めがあれば終わりがあり、楽があれば苦があるのと同じように、出会いと別れは表裏で訪れるものなのだから、別れがくるまでの時間を大切にすることであろう。ある日突然やってくるかもしれないそんな時のことはあまり考えずに、犬や猫のように何も考えずにいけたら幸せだと思うが、なまじっか人間
は理性や知識があるだけに、粋な別れをすることは難しい生きものである。

 ちょっとした身体の異常が見つかり、人生との別れ方まで考えてみたこの1カ月を振り返りながら、こんなブログを書いてみた。もうしばらく「出会う喜び」を味わえそうだ。いと嬉し……


男の出番

2014年10月14日 | 生活・ニュース

 先日、ある女性から、岩国検定のCDが欲しいという電話がかかってきたので届けに行った。行ってみると顔見知りの高校の同級生の女性が遊びに来ていた。話を聞くともうひとりも同級生だというが、男女別学だったので面識はない。「それなら、まあ上がって下さい。お茶でも飲みましょうよ」との優しい言葉に甘え、両手に花?でコーヒーをよばれた。

 話を聞いてみると2人とも仕事一筋、根っからの独身であった。家の中を見回してみると、どの部屋もきちんと整理してあるばかりか手も行き届いている。我が家のように、ちょっとしたところが傷んだり壊れたりしてそのままになっているような所は見当たらない。「家のことは全部自分でやっているの。大きなことは業者さんに頼むけどね」と澄まし顔である。

 そんなことを聞いて帰った数日後「お父さん、居間の南側の外灯が切れているようよ」と奥さんから電球交換の依頼が舞い込んだ。スイッチを何度オンオフしても反応がない。買い置いている10ワットの短い蛍光管を持ち出し、マイナスドライバーでケースを外し、両端が薄黒く劣化していた蛍光管を新品と取り変えて復旧させた。

 さあ、試運転だ。スイッチを入れても灯りがつかない。「おっかしいな?」。ハタと気がついた。昔の蛍光灯には「点灯管」といって、蛍光灯を短時間に自動的に点灯するための小型の放電ランプというものがついている。もう一度ケースを外し、奥の隅っこの方に取り付けられている点灯管を取り出してみると、ガラスが真っ黒になっている。「はは~ん、これの寿命がきたんだな」。我が家の引き出しはドラえもんのポケットのように何でもそろっている。これも買い置きがしてあった。

 新しいものをねじ込んでケースを復旧させ、スイッチを入れると、当たり前のことであるが普通に蛍光灯が点灯した。別に大したことをしたとは思わないが、こんな類のことを、あの同級生は本当に何十年も一人でやってきたのだろうか。そんなことを思っているとき「おとうさ~ん、カーテンの吊り輪が一つ壊れて落ちているわよ~」。おっと、、また小さな修理が舞い込んだ。男というだけで、こんな仕事は我が家では私に回ってきて、家の中にいても結構忙しくしている。


秋の虫退治

2014年10月13日 | 季節・自然・植物

 10月に入り秋の夜長を過ごしている時、ブーンと羽根をならしながら目の前を蚊が通り過ぎて行った。こんな季節になっても部屋の中に蚊が飛んでいる。夕方、裏庭に出て用を済ませ家に入るとき、人間と一緒に入ってきたに違いない。

 蚊というやつは、思った以上にすばしこい。腕や足にとまったときには叩きやすいが、飛んでいるときには容易に手のひらで叩くことはできない。蚊取り線香は有効だが、部屋の中で焚く煙は、のどや目に刺激的で好ましいものではない。

 そんな小さな悩みがある中、ホームセンターで買い物をしていた時、レジの近くでいいものを見つけた。「必殺電撃殺虫ラケット 安心して使える安全設計」と目立つように大きく書いた小型のテニスラケットのようなものが置いてあった。

 説明書きを読んでみた。「グリップ部分のスイッチを押しながら虫に向かって軽くラケットを振るだけで、金網部分に蚊やハエが触れると、バチッという音とともに火花が散り、電撃で害虫を撃退する。殺虫剤や蚊取り線香とは違い、無煙無臭、薬を使わないので手軽で簡単。屋外でも使える。三層構造のネットになっていて、両側のネットは安全カバーで中央のネットにのみ電流が流れる構造」と書いてある。

 500円で買って帰った。単3の電池を2個入れて蚊が飛んでくるのを待っていた。ここ数日間、部屋で飼っていた件の蚊が何の警戒心もなく飛んできた。「今だっ!」。ラケットを手に持ち、グリップ部分についているスイッチを親指で押しながら、飛んでいる蚊に向かって軽く振った時、「バチッ!」と小さな蚊をとったにしては大きな音がした。

 ラケットを手元に寄せて観察してみると、一部が焦げた蚊がネットに引っかかっていた。補虫作戦大成功。この電撃殺虫ラケット、値段の割には優れものだ。以来、部屋の中に蚊であれ何であれ、虫が飛んでくるのが楽しくなっている。定年になって数年間、テニスラケットを振って友と遊んでいたが、今では電撃殺虫ラケットを室内で振り回し、秋の虫に遊んでもらっている。また楽しからずや。


ハッピーマンデー

2014年10月12日 | 生活・ニュース

 今年は10月13日の月曜日が「体育の日」だという。以前は1964年、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を記念して「体育の日」として祝日に定められていた。

 週休2日制が、公務員や中規模以上の企業を中心に広まった今日、月曜日を休日とすることによって3連休にし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で「ハッピーマンデー制」という法律が2000年に制定された。これにより成人の日、体育の日、海の日及び敬老の日の4祝日が意味のあった特定の日から月曜日に移動した。

 元日や建国記念日、春分の日や昭和の日などのように特定の日を変えることが難しい12の祝日は、そのままにしてある。変えることが難しくないと判断された前記4つの祝日はいずれも、「体育の日」のように何らかの意味のある日に決めていたものである。そんな背景を無視して3連休にするために、単に第○月曜日を祝日にするなんて、本末転倒のような気がしてならない。

 今は私が現役のころとは違って社会や会社の意識も変わり、有給休暇も誰はばからずにとって休めるようになっている。会社としても有給休暇を完全に消化するように指導する時代にもなりつつある。そうであれば、3連休を取りたければ、きちんと準備しておけば周りに気兼ねすることなくとれるだろう。

  ハッピーマンデー制なんてものがなかったころを思い出している。手帳を開いて、翌月の祝日を確認する。週の半ばに祝日がある。飛び石連休のどこで有給休暇をとれば自分に都合のよい連休を過ごすことが出来るかをいろいろ考えることも楽しかった。今ではそんなことは必要ない。お上が無条件に3連休や5連休を作ってくれる。

 そのぶん、ハッピーマンデーの祝日の特定の日の意味は薄れてきた。「10月10日は東京オリンピックが開催された日。それが今日だったのだ」と思って休んでいた「体育の日」が、今年は10月13日。「一体今日は何の日? えっ、体育の日?」なんて会話があちこちで聞こえるような気さえする。

 何でもかんでも生きるに都合がいいように変えればよいものではない。その意味をしっかりと感じながら、その趣旨にあった休日として過ごしたいと思う。