写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

おんどろいた~

2011年12月25日 | 木工・細工・DIY

 発売日から3日後、待ちに待ったスマートフォン(スマフォ)がやっと届いた。購入する機種の「完全活用マニュアル」という分厚い本も買い、あらかじめ勉強を始めていた。しかし、初心者が読んでもよく理解出来なかった。箱を開けてみると、スマフォとはがき大の薄っぺらい「クイックスタートガイド」と書いたマニュアル冊子が入っていた。

 スマフォとは「電話が出来る携帯コンピュータ」というにしては、ガイドブックの中身は乏しい。詳しいマニュアルはパソコンからダウンロードして見て下さいと書いてある。すぐにパソコンを開いて読んでみたが、これとて初めてスマフォを扱うものにとっては内容が乏しく、これを読めば使いこなせるような代物ではない。

 詳しい取扱説明書はないかとショップに聞いてみても「分からないときは聞きに来て下さい」というだけである。無手勝流に触ってみると、小さな図体の中に電話やメール、カメラ機能はもちろんのこと、パソコン以上の色々な機能が盛り込まれていることが分かった。

 インターネットでwebの閲覧やナビの機能だけでなく、ワンセグでテレビも見ることができる。キャッチフレーズ通りの「電話が出来る携帯コンピュータ」であることを実感する。それどころか、パソコンにもない驚くべき機能を備えていた。検索やメールで文字を入力するのに、キーボードを指で叩いて入力できるのはもちろんであるが、なんと音声での入力が出来る。

 「いわくにし」と、普通に話すように声を出すと、「岩国市」と漢字に変換されて文字が入る。いやぁ~、これには参った。長生きはするものだ。こんなことができるとは今の今まで知らなかったし、夢のような技術である。「エッセイを書きましょう」くらいの言葉は、一気に話しても見事文字に変換される。どれくらいの長さの文なら変換できるのか試してみたい。

 まだまだ、色々な目新しい機能があるようだが、何しろ教科書のない独学しか修得方法はないという。諦めかけていたら、週に1回、「ケータイ教室」というものをショップで開催していると聞いた。しばらくはここに出かけて、先生を質問攻めにするしかない。

 ちなみにスマフォとやらの基本ソフトは、Google社製のアンドロイド(Android)というもの。想像を超える機能をもっているこのアンドロイドには、正直オンドロイタ~。


知らぬ仏のお富さん

2011年12月23日 | 生活・ニュース

 今年の夏休み、広島にいる小3の孫が、初めて一人でやって来た時のことである。あらかじめ嫁から電話をもらっていた。「宿題で、何か科学の実験をやらせて下さい」との、難しい宿題をもらっていた。

 錦帯橋の花火大会の時、夜店でよく弾むプラスチック製のスマートボールをくじで引き当てていた。面白いくらい良く跳ねる。一体どの程度弾むものかを実験してみることにした。実験の様子を絵で表現したり、結果をグラフや表で書いてみたり、子どもなりの考察を5枚の画用紙に描いて持って帰った。

 あれから4カ月が経っている。そんなことをやったことも忘れかけていた昨夜、孫から電話がかかって来た。「おじいちゃん、夏休みにやったスマートボールの実験で、表彰状をもらったよ」という。「誰からもらったの?」「……お母さんと代わるから」と言った後、嫁から話を聞いた。

 色々な宿題が出された中で、科学の実験をやってきた子はクラスで2人しかいなかった。出来栄えを良しと評価した先生が、広島市の「小学校教育研究会理科部会」というところに出したところ、「広島市科学賞」という賞をもらったという。

 孫にとっては、教室の前に出て先生から表彰状をもらったという初めての経験で、やや興奮気味に家に帰って来たという。どんなレベルのものであれ、人から褒められるということは子供だけでなく大人でも嬉しい。「景品は何だった?」と大人げない質問をしたら「賞状だけでした」と嫁が笑う。

 しかしこの科学の実験。どう考えてみても3年生が思いつくようなものではない。親がかりであることは誰が見ても明白。それでも、子供らしい考察をしているところを汲みとってもらったのだろう。「これはお爺ちゃんのお陰。ありがとう」と、孫もお見通し。ともあれ、こんなことを通じて、身の回りのことに疑問や興味を持って育ってくれれば本意だと思いながら電話を切った。


「私」を主語に

2011年12月21日 | 生活・ニュース

 12月21日の毎日新聞の「診察室のワルツ」というコラムに、大変参考になることが書いてあった。岡本佐和子さんという医療コミュニケーション研究者が書いた「『私』を主語に話す」と題したエッセイである。

 病院や家庭など色々な場での会話で、うまく不満を伝える方法に、「私」を主語に話すと問題に焦点があたり、相手を非難することなく自分の思いを伝えることができるという。例えば、夜遅く帰った家族に、「電話くらいしなさいよ。遅いじゃない」というのは相手を非難していると受け取られ、関係を邪悪にする。

 「私」を主語にすると「遅いので(私は)心配したよ。(私は)電話をしてほしかった」となる。最初の言い方は「あなたは気が利かない」「あなたは私を放っている」と、主語が「あなた」である。言われた方は「非難されている」と被害者になった気持ちになる。「私」を主語にする話し方は「アイ・メッセージ」と呼ばれ、相手に気持ちが伝わり易くなると書いている。

 なるほど、いいことを勉強した。この年になると、良いことを学んでもすべて手おくれの感は否めないが、今からでも改めていきたいことだ。今日まで、私は周りの人に「あなたは」を主語にして、相手を非難したり咎めたり、不満をぶちまけることは何度もあった。

 ある会の定例会に遅れてきた人に「会の途中に入ってくると、みんなに迷惑をかけるから(あなたは)遅れないように!」などと厳しく注意もした。しかしこれを「私」を主語にして言うとどうなるのか。「あなたが事故に遭ったか、病気にでもなったかと(私は)心配していました」とか、急に優しい気配りある言い方に代わってしまう。

 よし、これだ。今日から人に何か不満を伝えるような時には、この手で行くことにしよう。まかり間違っても「私は、昔は○○だったものよ。それに比べてあなたは……」などと、「私は」で始まっても、くれぐれも自慢ばなしにならないよう気をつけたいが、幸いにも?人様に話すような自慢話はひとつもない。

 これを書いている今は昼飯前なのに、奥さんは出かけたまま帰ってこない。「どうなっているんだ!」 。いやいや、これではいけない。「帰りが遅いので、『私は』心配して待っていたよ」と言わなくては。


ご親切

2011年12月21日 | 生活・ニュース

 高コレステロール対策の一環として、近場への用事は極力歩いて出かけるようにしている。昨日の朝は寒かった。防寒着を着込み、マフラーを首に巻きつけ、お気に入りの手袋をし、携帯ラジオのイヤホーンをポケットに入れて駅前に出かけた。

 家を出て直ぐ病院の前を通り過ぎる時、ラジオを取り出して選局しようとした。手袋をしていては操作が難しい。右手の手袋をはずしてポケットに入れ、歩きながら選局を済ませた。さて、手袋をしようとしてポケットに手を入れたが、手袋が入っていない。

 病院の前でポケットに入れそこなって落としたに違いない。その場所から、すでに100mくらいは歩いてきている。「まあいいか、高いものでもないし。帰りに落とした辺りを探してみよう」と思いながら、そのまま歩いて行った。

 高いものではないと言いながら、この手袋には思い入れがある。西の軽井沢へドライブした時に買ったものである。「広島ひかり園」という廿日市市の山里にある身体障害者の入所授産と療護施設で作られたもので、園庭の花を染材に使ったおしゃれな草木染めの軍手である。

 値段は1組300円。軍手の裾を白いゴムでフレアー加工し、多彩な草木染をしたものだ。1組数十円の軍手に大きな付加価値をつけて、可愛くてつい買ってみたくなるような商品に仕立て上げている。簡単に「落として無くしたら、無くしてもいいや」という訳にはいかない気持ちはあった。

 2時間経っての帰り道、病院前の落とした場所を探してみたが見当たらない。あれでもと思い、病院へ入り受付で尋ねてみると、あったあった。

 一見安っぽい軍手に見える手袋だが、大切に思い届けてくれた人がいた。手袋が手元に戻って来たこともさることながら、片方だけのこんな手袋を拾い上げて届けてくれた人がいた。これで丁寧に作ってくれている広島ひかり園の人に申し訳が立った。今度は私が人に親切にする番だ。


イルミネーション

2011年12月19日 | 生活・ニュース

 11月の末、中庭のケヤキに巻きつけてあるクリスマス・イルミネーションの点灯を開始した。赤青黄色のLEDの明かりが、色々なパターンで点滅するものを昨年買い、取り付けたままにしておいた。日が落ちて外から眺めてみるが、昨年に比べて灯りの点滅がよく見えない。

 なんでだろう? 答えは簡単、繁ったケヤキの葉が邪魔をして見えないだけである。12月中旬になった今でも、例年とは違うこの暖かさで葉が落ちることなく枝に残っている。

 夏の間、思いっきり天に向かって伸びた長い枝を、梯子とノコギリを持ち出して片っ端から切り落とすことにした。山間部では雪が舞うほどの寒い午後だったにもかかわらず、汗ばむほどの作業であった。ケヤキは丸坊主に近い状態にまで刈り込み、見た目は随分すっきりした。

 夕方5時、辺りがすっかり暗くなってから外に出て、イルミネーションを眺めてみた。前日までと違って、ひとつ残らず灯りの点滅がよく見えるようになっている。「これでなくっちゃあ」と自己満足。
 
 クリスマスにやって来る孫へのプレゼントは、先日の電話で既に決まっている。「おじいちゃん、○○の本買って」「ああいいよ」「何冊買ってくれるの?」「んん? 全部で何冊あるの?」「全部で23冊だよ」「今、何冊持っているの?」「ママが買ってくれた1冊だけ」「そぉ~、じゃあ5冊買ってあげよう」「うんわかった」「1冊いくら?」「830円かな」「いいよ、買ってあげる」「ありがとう。ママに代わるよ」。こんなやりとりで、本を買ってやることになっている。

 11月中旬より年末までが、1年で私が一番好きな季節だ
。今年は少し暖かいのが気に食わないが、マフラーを巻きコートの襟を立て、肩を寄せ合って?イルミネーションきらめく町の喧噪の中を歩くのが昔から好きだった。クリスマスももうすぐやってくる。