写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

こんな同期会

2017年09月22日 | 生活・ニュース

 広島市及びその近郊に住んでいるものが集まる4年ぶりの同期会に参加した。同じ専攻科に40人いた内、物故者が4人、音信不通の者が2人いる。残る34人中、7人が集まるという連絡をもらって出かけた。広島駅前の和風料理屋で、昼の12時に開宴ということだったが15分前に到着した。

 すでに副幹事が玄関口で待っていてくれた。1人追加されて8人が集まるという。すでに追加の1人が席についていて笑顔であいさつを交わす。卓上には7人分の準備がされていて、追加の1人分はまだ用意されていない。その時、副幹事が少し不安そうな顔をして、主幹事は、「料亭に追加の件は伝えてあるのだろうか」と気をもんでいる。「そんなことは、今追加して頼めばいいんじゃあないか」といって仲居さんに急きょ依頼した。

 遠く下関から新幹線で来た者もいる中、近郊に住んでいる者はもちろん12時前には7人がそろった。ところが、この料亭に予約を入れてくれた主幹事だけがまだ来ない。12時5分前になったとき、副幹事が携帯電話を取り出して電話をした。電話口から主幹事の明るい声が漏れて聞こえてくる。

 「おい、今どのあたりにいる?」「今? 家にいるよ」「なに、家にいる? 今日は同期会の日だぞ。もうみんな会場に着いてお前を待っているんだよ」「あっ、今日だったのか。カレンダーの印を間違えてつけていた。失敬失敬、今からすぐ行くから」といって30分遅れてやってきた。

 この日の話題は当然のことながら「老人の物忘れ」という話で盛り上がった。この年ともなると、酒の量もわずか。酒豪だった男も、瓶ビール1本と焼酎の水割り2杯くらい。2時間半が過ぎたころ、「この主幹事に来年のことを頼んで果たして大丈夫か」と冷やかしながら散会した。かんじんの幹事が日にちを間違えるなんて、前代未聞のカンジが悪い同期会が何とか終わった。


「48歳の抵抗」

2017年09月18日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 2階に上がり、久しぶりに本棚を眺めてみた。学生時代に買って読んだ文庫本が本棚の2段に亘って並んでいる。文庫本の表紙には、薄い半透明な紙がかぶせられている。それが経年劣化して破れているものが多い。

 80年代ころからであろうか、こんな紙にとって代わって、光沢のある色絵付きの美しい紙が表紙のカバーとしてつけられるようになった。そんな文庫本の1冊に目が留まり、取り出した。背表紙に「48歳の抵抗」と書いてある。表紙をめくると、最初の白紙に万年筆で「1990年3月」と、購入した年月を書き込んでいる。

 石川達三が1958年(昭和33年)に出版した小説である。もう一度読んでみたくなり、2日に分けて300ページのものを読んでみた。48歳のサラリーマンである小市民の思いを描いたものであるが、当時の48歳という年齢について再考してみた。

 昭和33年当時の48歳とは、現代でいえば何歳に相当するのだろうか。調べてみると、その頃の平均寿命は男は65歳である。普通の会社の定年は55歳のころである。小説の主人公は、定年まで残り7年、平均寿命まではあと17年という中で、幸せな家庭へのささやかな抵抗をしている。

 現在では定年は65歳までの会社が多く、平均寿命はといえばほぼ81歳である。だとすれば、小説の主人公の48歳は、今でいえば60歳位と思われる。いまどき60歳といえば、まだまだ体力もあり、気力も旺盛な男は多い。 

 「48歳の抵抗」を「60歳の抵抗」と読み替えれば、「時が移っても定年」が見え隠れする年頃の男の気持ちは変わっていないことが分かる。本の解説に「人生の頽齢期に立った男の、自分の生活と環境と生命との秩序に対するささやかな反抗の試みと失敗の記録」と書いてある。秋の夜長、該当する年配の方に、一読をお勧めいたします。


元号と西暦

2017年09月17日 | 生活・ニュース

 定年退職をしてから早くも15年余りがたった。現役時代の一時期、同じ会社で仕事を共にした先輩や後輩と駅前の居酒屋で一杯やるようなことが今年に入って3度ばかりあった。

 そんな時、「お久しぶりです。相変わらずお元気そうですね」とエールの交歓をした後、まず最初に必ず聞かせてもらうことがある。その人が入社してから退職するまでの職歴である。私と一緒に仕事をしたのは何れの人ともわずか数年間である。その前後は、それぞれが違う土地であったり異なる職場でサラリーマン生活を送ってきた。

 職歴を教えてもらっておけば、話題が豊富になったり広がりができたりするからである。もちろん私の職歴も披露することは忘れない。ところが、大抵の人が自分の職歴を話す時、「昭和○○年に、△△という職場にいた」というようなことを言いたいのだが、「昭和○○年」という年号をはっきりと記憶している人は少ない。

 私の習性だと思っているが、入社して定年までの間、十数回職場を異動したが、その年月は大体記憶しているし、そこでどんな仕事をしたかも覚えている。それだけ思い入れのある仕事を都度していたというわけではないが、いろいろなエピソードとともに思い出すことができる。

 しかし、ひとつだけ面白いことがある。記憶している年であるが、元号が「昭和」の時代には昭和の年号で記憶しているが、平成に入ってからは何故か「西暦」の年号でしか覚えていない。昭和が終わったころから、会社で使う年度の表現が西暦に変わった。それと共に私の頭の構造も西暦に変わったのかもしれない。

 先日、市役所に出す書類の「申請年月日」の欄に「平成 年 月 日」と印刷してあったが、今が平成の何年かをすぐに思い出せない状況であった。今は西暦2017年である認識はパソコンで日々やっている。新聞の日付だって西暦表示が主で、元号はカッコで表示してある。元号表示では、昭和からの経過年数の計算が難しい。
 


イチジクのワイン煮

2017年09月16日 | 食事・食べ物・飲み物

 エッセイサロンの9月度の月例会を開催した。毎回、会員がちょっとした旅行に出かけた時に買って帰ったお土産や、頂き物のお裾分けなどの菓子を持ってきてくれ、お茶タイムに、それをいただきながらよもやま話で楽しく過ごしている。

 今回、女性会員の一人が、手作りの珍しいものを持ってきてくれた。「イチジクのワイン煮」だという。赤ワインで甘くおいしく煮込んでいる。皮は付けたままにしているが、楊枝で押さえると皮がないかのように簡単に切り分けることができた。甘みを抑えた上品な味に仕上げてある。

 最近はイチジクがなっているのを見ることはなく、パックにきれいに包装されたものがスーパーで売られているのを見るばかりである。しかも、結構な値段がつけられていて、買おうと思えば買うことはできるが、気軽に手を出すような値段ではない。

 そんなイチジクのワイン煮を食べているとき、子供のころを思い出した。イチジク
の茎を切ると白いミルク状の液体が出て来るが、それに触ると唇が痒くなったりしたものである。

 調べてみると、
この白い液体は、タンパク質の分解酵素であるフィシンというもので、イチジクが害虫から身を守る防衛物質だという。従ってタンパク質で出来た人間の皮膚は影響を受け刺激を感じたり痒くなったりするという。 

 子供のころはイチジクのことを「とうがき」と呼ぶことの方が多かったように思う。ついでにこれも調べてみた。イチジクの原産地はアラビア南部で、中国語では「無花果、映日果」と書く。日本に伝来当時は「蓬莱柿」「南蛮柿」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれた。いずれも異国の果物といった含みを当時の言葉で表現したものである。

 この「唐柿」という呼び方を、私は子供のころに使っていたことを知ったが、きっと親が使っていたのだろう。イチジクのワイン煮を食べながら、懐かしい呼び方を思い出した。


音声入力

2017年09月12日 | パソコン

 今年の初め、使っていたvistaが壊れたので、Windows10のパソコンを買った。使いこなせないほどの新しい便利な機能が沢山搭載されていて困惑するほどである。中でも、一つ困ったことがある。

 エッセイサロンの会員が新聞に投稿し、掲載されたエッセイをホームページに掲載するために、掲載文をWORDに変換しなければいけない。買い替える前には、プリンターでスキャンしたものをパソコンの「読取り変換」機能で文字をWORD化していた。

 ところが新しいパソコンでは、手持ちの型の古いプリンターでスキャンされたものは「読取り変換」ができない。新しくプリンターを買い替えれば解決はするが、何とかならないかと考えていた時、一つ妙案を思いついた。

 Windows10には「音声入力」という機能がついている。「そうだ、新聞に掲載されたエッセイを声を出して読めば、入力後に少しの手直しはいるだろうが、WORD化できるぞ」。早速、パソコンを音声入力に切り替え、短いエッセイを日ごろになく大きな声でゆっくりと、一語一語口を大きく開けてはっきりとした発音で入力してみた。

 250文字くらいの文章を一気に音声で入力した後、変換されている文章を眺めてみた。「まる」といえば「。」が、「てん」といえば「、」が打たれてはいるものの、発音が不明瞭であったり、文字の変換が間違っていたりで、何を言っているのか全く分からない文章となっている。これでは使い物にはならない。

 私の滑舌の悪さもあるが、音声入力した後は文字変換はできない。これでは手間暇はかかるがキーボードで入力したほうが手っ取り早いと判断した。こんな苦労をするよりは、バージョンアップされたプリンターを買えばすべて解決することはわかっているが、このプリンター、まだまだ普通に動いてくれているので、糟糠の妻よろしく、おいそれとは縁を切れない。