☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 愛犬のハートリーと共に瀬戸内の岩国から…… 茅野 友

トンボロの小島

2019年01月04日 | 旅・スポット・行事

 2019年も穏やかに明けた。次男一家が帰省してきて、2人の孫とにぎやかに過ごした。座っては食べ、座っては食べての三が日が過ぎた今日(4日)、運動不足を少しでも解消しようとして、昼前に周防大島に向かって車を走らせた。

 これといって具体的な目的地があるわけではなく、新春の瀬戸内海を眺めてみたいだけである。大島に渡り20km走ると「道の駅サザンセトとうわ」に着いた。みんなも行くところがないのだろう、駐車場は満車であった。

 東和町といえば、道の駅の直ぐそばにある真宮島(しんぐうとう)という小さな島に至るトンボロで有名な所であることを思い出した。トンボロとは、英語でtomboloと書き、砂州(さす)によって陸続きになった陸繋島(りくけいとう)への砂州の部分のことを言い、トンボロ現象とは、潮の満ち引きによって島になったり、陸地と地続きになったりする現象のことをいう。

 ちょうど1年前、そんな珍しい現象が見られるところが東和町にあることを知り、それを見に計画性もなく出かけたが、満潮だったためトンボロを見ることができなかった。道の駅についた12時半、カメラを抱えて真宮島を見ると、うまい具合にトンボロが見える。観光客も十数人が歩いて渡っている。

 初めて見る光景であった。国内でトンボロ現象が見られるところは、小豆島の大余島でエンジェルロードと呼ばれている所が有名である。その他、江の島、近くでは田布施町馬島の刎島など十数か所ある。海外では有名なフランスのモン・サンミシェルや韓国の珍島がある。

 道の駅にはよく行っているが、直ぐそばにある真宮島のトンボロ現象を見たことはなかった。一度はみる価値がある珍しい自然現象で,、思わず誰かと手をつないで歩きたくなるような砂州のロードである。

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丸亀城

2018年12月26日 | 旅・スポット・行事

 松山城を見た翌日、松山から東へ150㎞の所にある香川県の丸亀城に向かった。丸亀市の南部に位置する標高66mの亀山の山頂に、1660年に築かれた3層3階の日本一小さな木造天守である。現在はその天守しか残されていない。

 車を止めて大手門を入るとすぐに、城に上る急な坂道の登り口に「見返り坂」と書いた看板が立っている。まずは勾配が15度くらい、距離は100mくらいの坂を上る。息が弾んできたころ道は大きく右に曲がり、今度は勾配が20度くらいの急な坂がまた100mくらい続いている。あまりにも急なため後ろを振り返ってしまうことから「見返り坂」と呼ばれるようになったという。

 城に参上することを登城というが、まさに山登り状態の道を上っていく。初志貫徹。ひたすら登っていったと思ったら、もう100mばかり、少し緩い勾配の坂の先に小さな天守閣が建っている。ふもとで出会った年配の女性に登り口を尋ねた時、私の足元を見ながら「坂が結構急ですよ」と言われた意味がよく理解できた。

 丸亀城は、高さ日本一の石垣を有する「石垣の城」と形容されるその名のとおり、石垣の名城として全国的に有名である。石垣の頂は、垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれている。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると高さは60メートルになり、総高としては日本一高く、一番高い部分は22メートルもあるという。

 天守閣のある広場からは、讃岐富士と呼ばれて親しまれている標高421mの飯野山が望まれる。まさに遠くに見える富士山のように見える。山を下りた後、ふもとの観光協会の中で「丸亀うちわ」を実演製作していた。旅の記念に1本買い、登坂で火照った身体をそのうちわで冷やしながら帰ってきた。急な坂が印象に残る城である。



 

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松山城

2018年12月24日 | 旅・スポット・行事

 日本の城は、かつては2万5000以上もあったが、江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」により多くの城が失われ、さらに戦時中には、空襲などでも失なわれてしまい、江戸時代以前からの天守が現存しているのは次の12天守だけである
 
 まずは国宝に指定されている
姫路城・彦根城、犬山城・松本城・松江城の5城、その他は、高知城・宇和島城、備中松山城・松山城・弘前城・丸亀城、丸岡城の7城である。これら12天守のうち、国宝5城は全て観たことはあるが、入城したことがあるのは姫路城と松江城だけである。

 この度、12天守のうち、近くにあるのによく知らない松山城と丸亀城を見たく思い、久しぶりにフエリーに乗って四国に渡ってみた。まずは松山城へ向かった。町の真ん中にある海抜132mの勝山山頂に1627年に完成したものである。

 何度かの火災で天守は消失し、現在の天守は1854年復興したもので、我が国最後の完全な城郭建築といわれている。山頂まではロープウエイで登ったが、まずは目の前にそびえるように築かれた有名な「登り石垣」に圧倒される。

 「登り石垣」とは、山腹から侵入しようとする敵を阻止する目的のため、ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたもので、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本遠征軍が
城を築く際に採った防備手法と言われているものである。

 年末すす払いのため、残念ながら城内に立ち入ることはできなかったが、天守の他、小天守や櫓など21棟の重要文化財が残る見ごたえのある城郭建築を堪能した。機会を作って次回は、やはり現存12天守である宇和島城・高知城を見に行くついでに、松山城の内部を観てみたいと思っている。
 
 

 

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金毘羅参り

2018年12月21日 | 旅・スポット・行事

 ひょんなことから、急きょ香川県にある金毘羅さんにお参りをした。長く続く参道の石段が有名で、象頭山の中腹にある本宮までは785段、標高が421mある奥社まで登ると1368段もあるという。小雨が降る中ダウンを着込んで傘を差し、まずは第1段から歩を進めた。

 階段を上るにつれて、息がハアハアと上がってきて身体が温まってくる。途中、店先に表示してある段数を見るとまだ、150段くらいであった。ダウンを脱いで腰に巻き、更に頑張って登る。300段くらいの所で立ったまま一休みする。

 何とか500段という節目の広場に出た。本宮まであと285段という所で遂にギブアップ。そこに「カフェ神椿」という看板を見つけ、息も絶え絶え倒れ込んだ。東京銀座の資生堂パーラーが出店している店で、山盛りのパフェをいただき一息付いた。

 金毘羅さんへお参りに来たとはいいながら、本宮にお参りすることもなく、台湾からの観光客の甲高い声を聞きながらUターンして山を降りた。参拝をすることはなかったが、久しぶりに体に堪える山登りで、体が少し軽くなったように感じた。

 金毘羅さんといえば、40数年前の若かりし頃、私が幹事を命じられて、1泊の社員旅行に出かけたことがあった。途中でバスが故障して宿に遅く着き、私の責任ではないが顰蹙を買ったことを思い出しながら、中途半端な金毘羅参りを終えた。

 倒れ込んで入った「カフェ神椿」に、私の大事なデジカメを置き忘れて帰途についていることに気がつかないまま……。このお話しの顛末は、次のブログで。

 

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港が見たくなって

2018年09月19日 | 旅・スポット・行事

 30年来続けている定期健康診断を、9月の初めに受けた。先生から「すっかり完治していますよ」と言われた時、「ありがとうございました。おかげさまで」といつにもなく深く頭を下げて帰ってきた。

 つい先日には、車の車検を受けたが、エンジンの上カバーとオイルパンのガスケットが劣化しているため、ほんの少しではあるが潤滑油が漏れ始めているのを指摘され、大枚をはたいて修理してもらった。

 9月に入り色々あったが、みんないい方向でことは無事に終わった。こうなると、この季節、毎年私はどこかへ出かけてみたくなる。なんだか急に港が見たくなった。「そうだ、車を走らせて神戸に行ってみよう」。思い立った朝7時、神戸に向かって家を出た。地図で見ると350kmあるが、途中で3度休憩し5時間後には神戸についた。

 まずは南京街で腹を満たした後、明るい内に六甲山に上り、展望台から神戸の街並みを見下ろす。晴れた日には遠く淡路島まで見えるというが、残念ながら遠くは見えない。折り返して山を下り、いよいよ神戸港を目指す。神戸港には「神戸モザイク」という大型の商業施設がある。海と運河に囲まれた三層構造の建物にショッピング、レストラン、アミューズメント施設などを備え、神戸港のウォーターフロントに面している。

 2階のウッドデッキからは、岸壁に停泊中の大型客船や遊覧船、対岸には特徴ある形のオリエンタルホテルとポートタワーなど、周辺の景色を望むことができる。レストランで夕食を取った後、若いカップルと一緒にデッキに腰を下し、浜風に吹かれながら港を行き交う船と人をぼんやりと眺める。

 1時間ばかり港を眺めていた。圧倒的に若い人が多い中にいると、自分まで若くなったようで元気になってきた。20年ぶりに訪れた港町・神戸は、大震災を乗り越え、見違えるように復興し美しい町になっている。

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