写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

転ばぬ先の・・・

2018年10月30日 | 生活・ニュース

 日々の生活の中のいろいろな場面で、自分の体が若い時のように思い通りに動かすことができなくなっていることが多くなってきた。

 立ったまま、床の上から段差のある玄関の三和土に置いてある靴を履くときに、体のバランスを崩すようなことがあったのを機に、壁に棒状の手すりを取り付けている。片手でこれを握って足を下すと体は安定していて、立ったままでも靴を楽に履くことができる。

 家の中全てをバリアーフリーにする必要性はまだ感じていないが、体の様子を見ながら少しずつ、安全対策を講じていかなければいけないのだろう。

 そんなことを考えているこの季節、裏庭の夏草はすっかり影を潜め、四季咲きのバラがちらほら咲き始めている。何を思ってか奥さんは、庭の夜間照明を点けてまで、あえて肌寒い夜に防寒着を着込んで裏庭の鑑賞に出掛ける。

 暗くなってから裏庭に出て行く奥さんの行動に、前々から一つ心配していることがあった。玄関のアプローチから、コンクリート造りの階段を3段ほど降りると裏庭へ続く狭い空間に出る。そこには株立ちのナツツバキとヒイラギが植えてあり、ど真ん中には水道の地下水栓が、蓋のない四角い箱に収まっている。

 暗い中をごそごそ歩いているとき、この水栓の箱やホースに足を取られて転倒なんかしてはたまらない。思い立って、その場所を照らすセンサーライトを取り付けた。人が近づくと自動的に点灯するタイプのものである。

 今宵、玄関から外にそっと出てみると、待ってくれていたようにきちんと点灯してくれる。これならもう心配することはなくなった。ライトが「点灯」してくれることで、奥さんの「転倒」が未然に防止出来る。まさに転ばぬ先の杖ならぬ、転ばぬ先のセンサーライトで先手必勝を期した。今夜は日本シリーズの第3戦。我らのカープも先手必勝となるか。楽しみだ。

 


駆け込み寺

2018年10月29日 | 生活・ニュース

 江戸時代、離婚は夫からの離縁状のみで、妻から離縁を申し出ることは出来なかった。しかし、夫の不身持に苦しみ、離縁を望む妻が寺に駆け込み尼として奉公することにより、唯一女性からの離婚が可能となった「駆け込み寺」と呼ばれる寺があった。

 鎌倉の東慶寺、群馬の満徳寺は幕府公認の駆け込み寺としてよく知られている。後に、何か困ったことがあって逃げ込んだ際、助けてくれる人や施設を意味するようになっている。そんな「駆け込み寺」のような出来事が昨夜あった。

 プロ野球の日本シリーズ第2戦をテレビの前で目を凝らして観戦しているとき、近くに住む姉から電話がかかってきた。「ねえねえ、今日、日ごろつけない指輪を嵌めて今帰ってきたの。外そうと思っても外れないのよ。もう指が腫れて痛いのだけど、お店も閉まっているし何とかならないかしら」と、苦しそうな声で言う。

 時計を見ると7時半である。指輪を切断して欲しいようである。「すぐ行ってあげようか」というと、娘が車で連れて行ってくれるので待っておいてくれという。それから10分が経った頃、2人でやってきた。

 左手の薬指に2個の指輪を嵌めているが、外側の指輪が抜けない。石鹸を付けたりして、もう何度も試みたのであろう、赤く腫れて痛そうである。手持ちの工具箱から、電気工事や電気製品の修理などの際に、配線コードを切断するためのニッパーという先が鳥のくちばしのように尖った工具を取り出し、あっという間に指輪を切断することができた。

 「あ~、楽になったわ。ありがとう」とやっと笑顔が出る。「良かった、よかった」、見守っていた娘やうちの奥さんから時ならぬ歓声が起きる。「病院へ行けば『夜間・救急』で割り増しを取られるところだったね」といいながら喜んで帰っていった。帰った後、野球の戦況を見ると、いつの間にかカープが2点を入れ3対0とリードしている。

 いい場面を見ることは出来なかったが、困っている地域住民といっても実の姉ではあるが、困った人の「駆け込み寺」として機能できて、カープの勝利と共に「よかった。よかった」の1日であった。


コイの洗い

2018年10月27日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 海から遠い山間の温泉などに泊まると、魚料理としてヤマメやニジマスの焼き物のほか、その地で養殖したコイの洗いが酢味噌を添えて出されることがよくある。

 洗いとは鮮魚の調理法の一つで、下した魚を薄切りにし、流水やぬるま湯で身の脂肪分や臭みを洗い流した後、冷水や氷水に漬けて身を引き締めてから水気を切って提供する料理である。コイの洗いは、活きたコイをさばいたものをすぐ「洗い」にしなければならないとされている。刺身で食するよりも弾力があって、身の脂分とクセが抜けあっさりしていて美味である。

 新聞のコラムに、こんなことの書いてあるのを読んでいた時、「コイの洗い」と書いてある文字が、頭の中で「鯉のあらい」に変わり「鯉の新井」、そして「カープの新井」に変わっていった。

 今日(27日)から、いよいよソフトバンクを相手に日本シリーズが始まる。ソフトバンクと言えば、長距離砲のそろった打力のチームの印象が強い。カープといえば、高校野球の球児が成長し、チームワークでぶつかっていく全員野球という印象が強い。

 巨象の群れに立ち向かうハイエナの群れといったところか。勝ち目は、個人の力ではなくチームとしての総合力ではないかと思っている。そのチームの精神的な支柱となっているのが「コイの洗い」ではなく「カープの新井」であろう。

 一時はカープを離れたものの、元々はカープで養殖され、何度も身を引き締め、絞り上げた身体で、今年最後のときを迎えようとしている。脂分もクセも抜けきり、私欲はなく後輩のために尽くしてきたこの1年であった。

 日本シリーズでも、必ず出番があるに違いない。有終の美を34年ぶりの日本一で締めくくれるよう、最後の力を振り絞る姿を見てみたい。がんばれ「コイの洗い」ではなく「カープの新井」さん。
 
 
 
 


私の天守閣

2018年10月26日 | 季節・自然・植物

 運動不足を少しでも解消するため、久しぶりに裏山へ登ってみることにした。ストックを携え、ジュース1缶とスマホをポケットに入れて出発した。出発というほど遠くまで行くわけではなく、岩国の市街地が見渡せる私が好きな場所を目指して出かけた。

 高齢者が1人で山に登って行方不明になる事故はよく新聞で見ている。こんなことのないように100%充電をしておいたスマホは欠かせない山登りグッズである。10月の下旬とは言え、陽が差す坂道を登っていくと汗ばんでくるし息も弾む。

 砂地の急な坂を足を滑らしながら30分も登ると目的の場所についた。腰を下ろし息を整えながら脈を測ってみると、何と130もあった。少し急ぎ過ぎたようである。スマホのアプリで標高を調べてみると、91.5mと出た。

 冷たいジュースを飲みながら、瀬戸内海に広がる市街地を眺めた。時計を見ると14時20分である。先日、生まれたばかりの孫が飛行機に乗って帰っていったが、その時の東京行きの便が出発する時間であることを思い出した。

 デジカメを取り出し、望遠で空港をキャッチすると、どんぴしゃり旅客機が滑走路に向かって出発しているところであった。飛び立つ直前であろう、遠くにいても爆音が大きく聞こえてきた。ややあって、北に向かって離陸する機影をデジカメでとらえることができた。

 「高き屋に のぼりて見れば 煙り立つ 民のかまどは にぎはひにけり」という歌があるが、まさに岩国市民のかまどの煙の見える絶好の場所である。ここは私の天守閣。


コイの結末

2018年10月24日 | 車・ペット

 今年の4月、長男一家が広島から東京に引っ越しをする際、孫息子が飼っていた1匹の黄金のコイを我が家に置いて行った。体調が15cmくらいの痩せてひ弱そうなコイであった。

 その辺の小川にでも捨てようかと思ったが、孫が可愛がっていたものを、おいそれと捨てる訳にはいかない。仕方なく水槽を屋外に置いて飼い続けることにした。毎朝夕、粒状の餌を一つまみ水槽に撒いてやる。警戒心が強く底の方に沈んだままで、エサを食べに水面に上がってくるようなことはなかった。

 1か月も過ぎたころから、エサを撒くのを待っているかのように、私が近付くと水中を嬉しそうに泳ぎ回るようになった。体調も20cmを超え、胴回りもふっくらと大きくなり、黄金色は輝くばかりで、持ち込まれてきた頃とは雲泥の色形になっていた。

 ところが一つ問題がある。水槽の大きさがコイにとっては小さくなり、元気に泳ぎ回ることが難しくなってきている。何とかしてやらなければいけないと考えていた。

 ところがつい先日のことである。いつものように朝、エサをやりに出た。元気に大きな口をパクパクさせてエサを食べた。数時間後、庭に出てコイを観察しようと思って水槽を覗いてみるが姿が見えない。水草を手で除けてみるが、どこにもいない。

 奥さんに伝えると「最近猫が庭に出入りしていたから、取られたのでは」という。それにしても水槽の水深は30cmもある。猫が手を入れて取るだろうか。それとも、イタチか鳥が取ったのかも。水槽の周りには水が大量にはこぼれていない。何者がどんなにして持って行ったのか。

 半年間の付き合いで、やっと気心が通じ始めていた矢先の出来事である。ここ数日はコイを失い、まさに失恋したような淋しい日々を送っている。コイよ、帰ってコ~イ。