写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

若すぎるオトモダチ

2012年10月26日 | 生活・ニュース

 10月も下旬、太陽が山の端に沈むのを見ながら、5時ちょうどに散歩に出かけた。カソリックの幼稚園の所を大きく右に曲がり、往復2.5kmを丁度30分かけて帰ってくる。今のところ、これが唯一の運動となっている。

  幼稚園の手前の山ぎわに昨年、小さなかわいい家が2軒並んで建った。いずれの家も、小さな子供のいる若い家族が住んでいる。ある日、そのそばを通っているときに、家の前の道で遊んでいる子供と出会った。小学1年生と3年生の男の子だ。制服の胸の名札で読み取れる。お兄ちゃんはどこかのサッカークラブに入っている。黒い縞の入った派手な赤いユニホームを着て、弟とサッカーのボールを蹴って遊んでいた。

 「僕はサッカーをやっているんだね」「うん」「上手だね」「まだ選手じゃないよ」とお兄ちゃん。弟も、お兄ちゃんが蹴るボールをうまく蹴り返していた。半月も前のことだった。散歩でこの家の前に来たとき、弟が1人でコンクリートの壁に向かってボールを蹴っていた。「お兄ちゃんはいないの」「うん」「おじさんとやってみようか」「うん、いくよっ!」。

 離れて向き合い、左右に小走りしながら10回くらい蹴りあった。それくらいでも、すぐに息が上がる。「よし、またやろう」「うん、ありがとう」と言って別れた。そして今日の散歩中、またその子が1人でボールを蹴っているのが、はるか手前から見えた。50mくらい近づいたところで、その子も私に気が付いたように見えた。

 20mくらいまで近づいた時、ボールを私に向けて蹴ってきた。「ははーん、私とボール遊びをしたいんだな」。強い勢いでボールを蹴り返した。無言のまま、また蹴ってきた。今回も10回くらい蹴りあった。「僕は上手だな」というと、得意げな顔をする。「またやろう」と言って立ち去ろうとした時、「リフティングもできるよ」と言いながらボールを上に蹴りあげるがうまく出来ない。何度もやったとき、やっと2回続けることが出来た。「わかった、うまいよ」と言い散歩を続ける背中で「5回は出来るよ」と叫ぶ。

 1年生の子供に、サッカーの練習相手としてどうやら認められたようだ。年の離れたお友達との、気分転換の出来る楽しい散歩道となった。  


豆治療

2012年10月24日 | 生活・ニュース

 定年を機に、東京から岡山に移住した後輩が、奥さんと一緒に訪ねてきてくれた。お茶を飲みながら、現役時代の思い出話や互いの近況を話しあった。以前見ていた印象とは随分違って見える。聞いてみると、現役時代90キロ余りあった体重を、今は73キロにまで落としているという。経緯を詳しく聞いてみた。

 まずは食事の管理。きちんとカロリーを計算して食べているし、何よりも肉を減らして野菜をたくさんとるようにしている。酒もごく少量にした。一番の努力点は、ウオーキングだと強調した。朝4時半に起きて朝食。5時半から約2時間毎日歩く。昼食をとるとまた歩く。夕方にまた歩く。1日5~6時間は歩いているという。

 開いた口がふさがらなかった。かくも歩ける秘訣を突っ込んで聞いてみた。現役時代より、3連休や長い休みがあるときには、奥さんと四国八十八箇所をバスではなく、歩いて回って鍛えていた。すでに1周半を回っている。回り始めた当初の苦労話を聞いた。

 1日に20kmくらいを数日間歩けば、足の裏に豆がいくつも出来る。我慢に我慢を重ねながら何とか数日間歩き通した。遍路の旅の途中、宿坊で遍路のベテランに豆の対策を聞く機会があった。「豆は皮を剥いだりしてはいけません。こうやれば翌日には普段通り楽に歩けます」と話した。その方法とはこうだ。

 火で消毒した針に木綿糸を通して、ぷよぷよの豆を貫通させる。豆の両側から木綿糸を2cmくらい出したところで糸を切る。その状態にして一晩置くと、木綿糸を伝って豆の中の水がしみ出して、豆は平坦になる。翌朝糸をそっと抜くが、痛みは全くないし、豆の皮は下地の組織に密着している。歩くのに何の痛みもなく、また遍路に出かけることが出来るという。

 誰が思いついた治療法か知らないが、いい方法だ。針でつついて水を抜くだけでは完全に水は抜けないことは経験したことがある。今度豆が出来るようなことがあったときには是非これをやってみたい。昨夏,広島からの帰り道、奥さんに置いてきぼりを食らった午後、玖波から17km歩いて帰ってきたが、豆のひとつも出来なかった。あの程度では遍路に比べると「歩いた」とはいえないのかもしれない。 


コーヒーサイフォン

2012年10月21日 | 食事・食べ物・飲み物

 コーヒーをたしなまない知人から「もらいもののコーヒーサイフォンがあるんだけど、いりませんか」と言われた。我が家では、コーヒーを淹れる器具は色々とり揃えている。ドリップ式、コーヒーメーカー2種、エスプレッソマシーン、パーコレータなどがある。

 色々使い分けているが、最近ではペーパーフィルターを使ってのドリップコーヒーとエスプレッソを主に飲んでいた。そんな中、コーヒーサイフォンをもらった。ハリオ製、5人用のものである。もらったもので早速奥さんとの2人分のコーヒーを淹れてみた。

 湯をサイフォン下部のボールに注ぎ、上部にはコーヒーの粉を20グラム入れる。アルコールランプに火を付け沸騰するのを待つ。やがて湯が上部のボールに押し上げられた。湯が上がり終わってから1分待って火を消すと、間もなく下部のボールにコーヒーが落ちる。

 温めておいたカップに注いで飲んでみた。んんん? コーヒー豆はきちんと規程量入れたのに、コーヒーの味がかなり薄い。色も普段ドリップして飲んでいるものに比べて薄い。あれこれ原因を考えてみた。湯の量も間違いなくきちんと2人分測って入れた。では何がいけなかったのか。多分これだろうとの結論を出した。

 5人用の器具で2人分のコーヒーを作った。上部のボールに湯が上がり終わっても、上がった湯量に対して、下部ボールに残った湯の割合が大きいことではないかと判断した。要は、2人分淹れるにしては下部のボールが大きすぎるということか。対策として、コーヒー豆を多めに投入すればいいと考え、やってみた。紙フィルターのドリップ式で淹れたものとは違って、香り高く透明感のある期待通りのおいしいコーヒーを淹れることが出来、たちまちサイフォンのとりこになった。

 「よしっ、これは4人分、5人分淹れる時に使おう。2人用のものを買おう」と出かけた。探して探して大竹まで走り、在庫のあった3人用のものを買って帰り20グラムの豆で淹れてみた。「これこそ、喫茶店の香りと味だね。コーヒーはやっぱりサイフォンなんだね」。2人の評価は一致した。「でもねぇ、いつか必ずガラスを割ってしまうわ」。奥さんの悩みであるが、やっぱりサイフォンで淹れたコーヒーはいい。できる過程をガラス越しに眺めるのも、秋の夜長の一興でもある。


秋の味

2012年10月16日 | 季節・自然・植物

 昼前、幼馴染のNちゃんから電話が掛ってきた。「栗はいらない?」と聞く。「いるいる、先週山奥に買いに出かけたが、売り切れていて買えなかった」と言うと、午後我が家まで持ってきてくれるという。

 栗が手に入ると聞いた途端、焼き栗が食べたくなった。裏庭に出て、ストーブで久しぶりに焚火をして遊ぶことにした。新聞紙を丸めた上に細く割った薪を乗せる。火をつけると勢いよく燃え始めた。すかさず太い堅木を投げ込む。ストーブの上には、ふたを開けると調理が出来る小さな空間がある。栗が来るまでの間、やはり頂きものの芋を銀紙に包んで並べて焼くことにした。

 20分もすると、焼き芋のいいにおいがし始めた。竹串をさしてみると、すーと抵抗なく入った。よっし、出来上がりだ。このタイミングを見計らったようにNちゃんがやってきた。艶のある大きな栗を広げて見せてくれた。10個ばかりを取り出し、栗の両面に破裂防止の小さな穴を開け、取り出した芋のあとに置いた。

 10分ばかり庭のバラを見ながら話をしていると、突然「ぶすっ」「ばすっ」と、聞きなれない音がし始めた。慌ててふたをとってみると、3個が破裂して中身が半分くらい飛び散っている。穴の大きさが小さ過ぎたのか破裂対策にはならないものもあった。

 焼け具合は丁度いい具合だ。栗と芋を、庭で沸かしたコーヒーを飲みながら頂いた。まさに秋の味覚が目と鼻からも入ってきた。落ち葉や枯れ草の焼却用に買ったこのストーブ、見かけによらずなかなかの優れものだ。簡単においしい焼き芋と焼き栗が簡単に出来上がった。

 毎年秋に1回はこんなことをしている。あれほど暑かった季節が過ぎ、ホッとしているといつの間にか今度は火が恋しくなっているのだろうか。ストーブの前で、炎を眺めながら秋の味を楽しみつつ、しばし友と歓談をした。調理道具とコーヒーは用意しています。芋と栗を持ってきていただけば、いつでも焼いて差し上げます。どなたでも、どうぞお越しください。


タブレット会話

2012年10月14日 | 生活・ニュース

 年々髪は薄くなるばかりだが、ある頻度で散髪に行っている。ひげは毎日剃らなければならないし、頭も2日に1回は風呂に入ったときに洗っている。それならば、理髪店でひげを剃ったり、頭を洗ってもらうこともないと思い、最近はそんなサービスのない料金の安いチェーン店に通っている。

 前回行ったとき、2人の若い理容師がいた。私が店に入ったときAが客の散髪をしていて、Bは客待ちの状況であった。Aが大きな声で「いらっしゃいませ~」という。Bは笑顔ではあるが、黙って手を差し出して私を散髪する椅子に座るよう促す。

 仕事中のAは、手を休めて私の方に来て「髪の長さはどのくらいにしますか? 長めですか短めですか? もみ上げは普通でいいですか? 仕上げは分けますか?」など、お客の要望を全て聞いたあと、Bに手話でそれらを伝えていた。Bがやってくれた散髪は、私の希望通りに仕上がって終わった。「ありがとうございました」と言って椅子を立つと、Bは笑顔で何度も頭を下げて、感謝の意を表してくれた。

 久しぶりに又同じ理容店に行った。その日は3人の理容師がいたが2人が仕事をしていて、待機中のBが今回もやってくれることになった。椅子に座るや、パソコンのタブレットを私の前に持ち出してある画面を出した。「髪の長さはどのくらいにしますか? 長めですか短めですか? もみ上げは普通でいいですか?」など、今まではAが私に聞いていたことを、タブレットを使い指でしゃくりながら画面を変えて聞いてきた。私は答えを探して指で指す。

 なるほど、これであれば同僚の手を煩わせることなく、Bは一人前の仕事をすることが出来る。いい道具を持ち込んだものだと感心した。Bは仕事の腕は一人前だ。お客を前に、このタブレットがあれば何ら引け目を感じることなく仕事が出来ることだろう。

 タブレットも、こんなうまい使い方があった。これからは手話に頼ることなく、タブレットがお客との間を取り持ってくれる。いってみればタブレット会話だ。Bの表情が、以前より活き活きとして明るく見えた。