写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

捲土重来

2008年03月29日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び
 第80回センバツ高校野球の下関商と履正社の試合をテレビで観戦した。延長10回の裏、下関商が守りのときであった。

 2死2塁の場面で打ち上げたボールを中堅手がいったんはグラブに収めたかに見えたが落としてしまい、二塁走者がサヨナラのホームを踏んだ。

 2日後、宇治山田商と安房の試合でも似たような場面があった。先攻でリードしていた安房は9回裏同点に追いつかれ、さらに1死2塁。 

 打ったボールは左中間へ飛んだ。左翼手は飛んでくるボールに向かって必死に走り、最後は横っ飛びになってグラブを出して好捕し、そのまま倒れ込んだ。

 その瞬間1度はグラブに収まった飛球が芝生の上にころりと転がった。走者はホームインして安房は逆転サヨナラ負けを喫した。

 2試合とも、外野手が球をこぼしてサヨナラ負けをした。この二人の外野手は決して失敗したわけではない。一生懸命やったが結果としてうまくいかなかっただけである。

 長い人生にはこんなことは何度もある。胸を張って帰ってほしい。「捲土重来」という言葉もある。勝者と敗者、差はわずか。たまたま分けてみただけである。
  (写真は、甲子園とは違うハス田の「真っ赤な絨毯」)

サギ師

2008年03月28日 | 季節・自然・植物
 雨の日が多く、このところ少しばかり運動不足が続いていた。風はあるが日差しもある午前、自転車に乗って南岩国にある図書館に出掛けた。

 近くの図書館ではなく、あえて8km離れた遠い方に出かけた。年度末のせいか、道路の補修工事をしている個所が多い。

 車に注意しながら通り抜けるが、身の安全は追い越していく車に託されている。

 危ない道を避け、出来るだけ内道を選んで走った。その時、川の中に初めて見る大きな鳥を見つけた。

 サギの1種だと思うが、名前は知らない。私の家の近くでは、天然記念物のシラサギはよく見るが、こんなに大きなサギは見たことがない。

 身体は青みがかったねずみ色、長い首は白く、頭にはスポーツグッズのナイキのロゴのような黒いマークが流線型に入っていて面白い。

 後ろ頭にはポニーテールのようなものが風で揺らいでいるが、何のためについているのだろう。しばらく眺めていたが、向こうもこちらを眺めている。

 サギといえば、今「クロサギ」という映画が上映中だ。世に詐欺師、3種あり。人を騙し金銭を毟り取る白鷺、異性の心と体を弄ぶ赤鷺、そして、人は喰らわず白鷺と赤鷺のみを喰らう史上最凶の詐欺師――黒鷺。

 父親が詐欺師にだまされて家族を失った黒崎と言う男が、復讐のため詐欺師をだますクロサギとなって活躍する人気テレビドラマの映画化だという。

 川の中でぽつんと立っているサギは、人をだますようには見えない。サギとは、誰が名づけた名前か知らないが、罪な名前をおっかぶされたことに同情する。

 サギは鶴とは違って首がS字状に曲がっている。外見の可愛さとは違って、やはり一癖ある曲者か。

 たまには自転車に乗っての遠出もいい。どこかの国とは違って、だまされるようなことはなかったが、珍しいサギ師との出会いもあった。
  (写真は、川の中にいた「○○サギ」)

桜だより

2008年03月27日 | 季節・自然・植物
 雨の日が多く、最近は錦帯橋に行く回数が減っていた。久し振りに晴れた今日(
26日)の午後、ハートリーを連れて桜のご機嫌伺いに出掛けてみた。

 いつもの上河原に車を停めて降りてみると、強い北風が吹いてコートなしでは寒く感じる。散歩する人も少ない。

 茶店もまだ開店の準備中だ。川べりの桜のつぼみは一様に色づいてはいるが、まだ1輪たりとも咲いた枝はない。

 それを見ながら錦帯橋の袂にある「開花標準木」と看板のかかっている古木を見に行った。やはり同じようにまだつぼみだ。あと数日かかりそうだと判断した。

 年配の団体客が錦帯橋を渡ってきた。すぐに大阪のおばちゃん達だと分かる賑やかさだ。この寒い中、開花寸前に観光旅行とは、これ如何に。何か訳があるのだろう。

 今週の土日が咲き始め、来週1週間が花見ごろ。さて、今年は何回弁当を持って花見に出かけようか。面白うてやがてかなしく気忙しい季節がやってきた。
  (写真は、3月26日現在の「錦帯橋のつぼみ」)

「はがき随筆県大会」

2008年03月26日 | 生活・ニュース
 毎日新聞山口県版に連日掲載されている「はがき随筆」の投稿者が集まる「はがき随筆県大会」が、山口市のホテルで開催され、岩国エッセイサロンの会員4人が参加した。

 年間大賞など優秀作の表彰のあと郷土芸能が披露され、親交を深めることのできる楽しい会であった。

 わずか250字で表現するエッセイについて、選者である93歳の詩人・和田健さんから次のようなコメントがあった。

 「エッセイを読むことで、他の人生を生きることができる。書くことによって自分を見つめなおし、振り返ることができる。行間を読むことで、脳の回転がよくなる。エッセイを読むことが、毎日のアクセントになっている。

 はがき随筆は詩である。目・耳などを駆使して5感で書くこと。頭で書いては理屈っぽくなって駄目。何を言わんとするかを明確に。起承転結が大切だ」。

 参加した63人の自己紹介があった。新聞紙上で見覚えのある常連投稿者が多数参加しており、お互いが旧知の仲のように挨拶を交わし、楽しく4時間を過ごして帰ってきた。
  (写真は、毎日新聞に掲載された「記念写真」)

バス・ストップ

2008年03月21日 | 生活・ニュース
 久し振りにNHKの「歌謡コンサート」という歌謡番組を見た。「春…旅立ちに贈る歌」と副題がついていた。

 歌われていた中に、1972年、平浩二が歌って大ヒットした「バス・ストップ」があった。千家和也が作詞・葵まさひこ作曲の歌である。

 ♪バスを待つあいだに 涙を拭くわ 
  知ってる誰かに見られたら あなたが傷つく
  
  なにをとりあげても わたしが悪い
  過ちつぐなう その前に 別れが来たのね

  どうぞ 口をひらかないで 甘い言葉聞かせないで
  ひとりで帰る道が とてもつらいわ

  バスを待つあいだに 気持を変える 
  つないだこの手の ぬくもりを わすれるためにも♪

 平浩二の透明感のある高い声とは一味変えて、氷川きよしが聞かせてくれた。懐かしく聞きながら歌詞を吟味してみた。

 ある女が自分が引き起こした過ちが元で、未練ある男と切ない別れをする歌か。「なにをとりあげても わたしが悪い」とは、古風で素直な女と見た。相手の男はまだ別れたいとは思っていないようだが、女は自らの意思で身を引こうとしている。

 男に何かしゃべらすと、心変わりをしそうなので「口を開かないで」と懇願している。どう見ても、男は訳の分からない内に、一方的に別れを強いられている。

 女は、まだ男に未練を残しながら別れるパターンだと思うが、その裏には男には分からない何かがあるのかもしれない。

 女の立場から見た歌であるが、男はこの女の態度をどう受け止めただろう。「お前が悪いわけではない」と言って、バスストップで強く抱きしめたろうか。

 まあ、そんな空想はそれはそれとして、女から突然涙ながらに別れ話を持ちかけられた男の気持ちなぞ、純な私に分かるはずもない。
  (写真は、我が家最寄の「バス・ストップ」)