写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

あれから丸13年

2017年11月30日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 2004年の11月1日に書き始めたこのブログも、丸13年の「歴史」を築いてきた。当時、日経新聞に「ブログ」といって「個人の日記をインターネットで公開することができるもの」があるという記事を読んで早速始め、以来ずっと続けてきた。

 当初、名もなき個人の日々の出来事を記録した日記などは、公開する価値がないばかりか、読んでくれる人もいないだろうと思っていた。

 しかし公開するからには、単に身の回りの日々の出来事を書き綴った日記では申し訳ない。何でもない日々の出来事の中に、何がしかの発見とか、知らなかった知識とか、共感してもらえそうなこととか、面白いことや、望むべくは普遍的なことが導き出されるようなことが書ければ申し分ない。そうは思うが、しかし、そんな文章はそう簡単に書くことはできない。

 このブログのタイトルは、「日記」ではなく「エッセイ」というキーワードを入れている。私は単に日記を公開するのが目的ではなく、何がしか伝える内容のある「エッセイ」を目指してこのブログを始めたはずであった。

 ところが、過去のブログを読み返してみるが、そんな高尚なものはほとんどなく、大方のものは、新しく知った知識の披露とか、失敗談、お笑いネタなどに留まっている。ブログを始めた当初の崇高な意思はどこを探しても見当たらない。

 しかし、単なる「日記」であれば自分にさえ分かればいい書き方でも良いが、人様に読んでいただくブログとなると、そうではいけない。錆びついた頭を回転させ、それなりに努力をしなければいけない。こんなことが今の私にとってはボケ防止につながっており、ひいては国の医療費の低減に貢献できていると勝手に解釈をしながら、またこれからもブログを書いていこうと思っている。


岩国橋上駅舎完成

2017年11月28日 | 生活・ニュース

 戦後間もなくの1948年に完成した岩国駅は老朽化していた上、プラットホームへの昇降はすべて階段で、高齢者や重い荷物を抱えた旅行者にとっては大変評判が悪かった。そんな古い駅舎は、2年前に57億円かけて橋上駅舎化として建て替え工事が開始されていたが、やっと完成し11月26日から利用可能となった。

 その日の夕、奥さんと自転車に乗って早速見学しに行ってみた。ガラス張りで開放感のある駅エントランスにリニューアルされ、2階にある改札口へ上るメインの階段と各ホームへの階段には、それぞれに長年待望されていたエレベーターと上りのエスカレーターが併設されている。また、在来線をまたぐ延長110メートル、幅6メートルの「東西自由通路」も併設され、改札を通らずに駅の東西を24時間、往来できるようになっている。

 2階部分には改札口のほか、みどりの窓口、券売機、駅事務室、セブンイレブンキヨスク、前面がガラス張りで駅前の風景がよく眺められる軽食&喫茶店が設置されている。初日のその日は満席で並んで待っているお客さんもいるほどの盛況ぶりであった。

 1階には一味違うセブンイレブンがあって、岩国の菓子や酒などの特産品が並んでいる。観光客にとっては岩国のお土産がそろったいい店である。店の隅にはセブンイレブンのコーヒーメーカーが置いてある。レギュラーコーヒーであれば100円、ミルクの入ったカフェオレが150円、その他のコーヒーもあったが、カフェオレを飲んでみた。我が家で作るものと同じく大変おいしいカフェオレであった。

 2階のコンコースは、両側は広いガラス窓となっていて、待機中や入線したばかりの電車が眺められ、多くの子供が興味ありそうな目で覗き見ている。広く長く明るいコンコースを歩いていると、まるで都会の駅舎のように見えた。

 駅の表玄関となる西口1階部分には、これから旅行会社や土産物店、バス待合所、観光案内所などが作られる予定だといい、まだ完全に周辺が整備されたわけではないようだが、駅舎の完成により、駅前がより活性化することは間違いないように感じた。これでやっと、岩国駅舎も今どきの人並みのレベルとなったことを素直に喜んでいる。

 


木で鼻を括(くく)る

2017年11月27日 | 生活・ニュース

 今日は朝から寒かった。10時過ぎ庭に出て剪定した植木の小枝を焼却炉で燃やし始めた時、薄日が差す中、一瞬、小粒なアラレが落ちてきた。そのとき、鼻水が出てきた。昔の人は仕事中、拭くものを持っていないときには、小枝を折って鼻を拭いたという。 

 「木で鼻をこくる」という言葉がある。「こくる」とは、強くこするという意味で、商家では丁稚に貴重品であったちり紙を使わせず、木の棒で鼻水をこすらせた。転じて、ひどく無愛想にもてなすこと、冷淡で無愛想な対応をとることを「木で鼻をこくる」というようになり、この誤用で「木で鼻を括る」となったとされる。

 このところ、これ以外にニュースネタはないのかと思わせるほど、テレビのワイドショーでは、大相撲の横綱日馬富士関による貴ノ岩への暴行問題を連日取り上げている。

 先日、日馬富士と伊勢ヶ濱親方が貴乃花部屋に、多分謝罪に行ったであろう時、貴乃花親方は2人の目の前を車に乗ったまま立ち去って行った。完全に無視された状況が、何度もテレビで放映された。これを見た人から「貴乃花親方は冷たすぎる」「いや、気がつかなかったのだろう」などと色々な見方がされている。まさに「木で鼻を括った」ような対応に見えた。

 貴乃花親方は、相撲協会の理事10人の内の1人で、改革意識が旺盛であるが、他の理事とのコミュニケーションがうまくとれていなく、孤立した存在だという。

 相撲協会という伝統ある一つの組織が、一人の考え方で簡単に改革できるとは考えにくい。これは政治における政党の中においてもしかり、どんな組織においても同じことである。よく話し合って同じ思いの同志を増やしていき、ある勢力になって初めて組織は動く。

 どんなに卓越した考えがあっても、徐々に仲間を増やしてからでないと、うまくことは運ばない。しかし、この騒動、貴乃花親方は孤軍奮闘中。もし他の理事の全員が闘う相手だとすると、貴乃花親方が現在とっている捜査を最優先させるという戦略は、理解できないでもない。むしろ、正解であると思われる。ここは、頑張れ貴乃花親方と言っておきたい。

 

 


高度1万m

2017年11月24日 | 生活・ニュース

 晴れた日の夕方、庭に出て、南に向かって深くうずくまる様にして椅子に座り、高い空を眺めていた。その時、東北から南西に、また南西から東北に向かって飛んでいる旅客機の航跡がはっきりと見えることがある。

 地図を見ると、我が家はちょうど、東京~福岡便の航路の真下にあるようだ。夕刻ともなると、30分に1機、上りか下りの便が通過している空の銀座さながらである。さすがに飛行高度は1万mとあって、注意しておれば微かに唸るようなジェットエンジンの噴射音は聞こえるが、日常生活に差し支えるようなことは全くない。

 遥か高い空の上を飛んでいる旅客機を眺めながら、乗っている人のことを考えてみる。出張で行くサラリーマン、親戚への急用で慌ただしく出かけるご婦人、久しぶりに乳幼児を抱いて里帰りをするまだ若いお母さん、営業で出かけるお笑い芸人、初めてディズニーランドへ行く若い親と子、年寄りの手を引いて東京見物へ出かける親子などなど、それぞれの客を乗せてパイロットは操縦しているのであろう。

 そんなことを思いながら、何かいい被写体がないかと目を凝らしていたとき、ふと我に帰り、やおら福岡に向かっている1機にカメラを向けてみた。デジカメの電子ズームをいっぱいに上げると120倍の倍率となるが、1万m離れたところを高速で飛んでいる旅客機の機影を三脚なしで撮ることは難しい。

 少しでもカメラがぶれると、すぐに機体はデジカメの画面からすっとどこかに逃げて行く。何度かやっていた時、やっとシャッターを押すことができた。機種までは判別できないが、力強くエンジンを吹かしながら飛ぶ旅客機を、しっかりと写すことはできた。 

 この分なら、100m先、いや1Km先を歩く美人を撮ることくらいは簡単だ、と思いながらも、そんなことをしていてはストーカーと間違えられてはいけないとの自制心が働いた。これこそ小人、いや老人閑居して不善を為す、ということか。といいながらも、花鳥風月ばかりが相手では、いささか物足りない秋の夕暮れである。


大鉈(なた)

2017年11月23日 | 生活・ニュース

 11月も下旬ともなると「暖かき光はあれど」、庭に出ると、時おり北から吹いてくる風は冷たい。遠くから「北風~小僧がやってきた~」という歌を流しながら、小さなタンクを積んで灯油を販売している車の音が聞こえてきた。

 「そうだ、我が家も冬支度を始めなければ……」と、庭に出た時に暖を取るためのロケットストーブの薪づくりをやった。薪を投じる口も小さいが、燃焼室も小さい。そのため燃やす薪は長さは20cm、太さは指2本くらいの大きさでなければいけない。

 買い置いていた薪を、まずは電動ノコで半分の長さに切る。その後、納屋から先祖代々引き継いできた大鉈を持ち出して二つ割にする。すると一握り大の大きさになるので、今度は手斧と金槌を使って、さらに2分割か3分割にしていった。市販されている薪は、ブナかカシの木だろうか、とっても固く、10回くらいこの作業をすると、上着を脱ぐほどに体が温まってきた。

 大鉈を大きく振りかぶって力を入れて下ろせば、薪は真っ二つにきれいに割れる。ちょっとした快感を味わうこともできた。これに勢いづけられて、春先に伐採して庭の隅に投げ置いていたケヤキの太い枝数本も薪にしてみた。庭の隅々が一気にきれいになった。

 「大鉈を振るう」とは「思いきって切るべきものは切って整理をすること」と解説してある。文字通り、「大鉈を振るった」成果が目の前に現れた。世で不祥事が表沙汰になったとき最高責任者はよく「大鉈を振るって、改革いたします」と言うが、鉈の切れ味が悪いのか、薪のようにきれいさっぱり真半分に割れる例は甚だ少ない。