週末の午後7時半、息子と名乗る男から電話がかかってきた。奥さんが受話器を持って対応している。「えっ? 財布を会社に置き忘れて来たの?」「お金を持ってきてほしいの。いくら?」「5千円でいいの?」。そばで電話のやり取りを聞いていると、今はやりの高齢者相手の「振り込め詐欺」の会話に聞こえなくもない。それにしては、請求額が5千円とは低額すぎる。
何ていうことはない。出張で新潟から東京に出た息子が、広島に置いている妻子のもとに帰るため羽田空港に出た。岩国行きの飛行機に搭乗しようとしたとき、会社に財布を置き忘れていたことに気がついたようだ。岩国に降り立った後、財布がなければバスにも電車にも乗れない。そんなこともあって、親である我が家へ電話をしてきたものであった。
夜9時半の到着に合わせて五千円を持って車で迎えに行き、そのまま岩国駅まで送って行った。11時ころ無事に到着した旨の電話があった。ちょっとした、詐欺事件もどきであったが、奥さんは、まだ我が子の声はきちんと判別できたから大丈夫よと胸を張っている。
息子が帰ってきた訳を聞いてみた。4月1日付で4年間の新潟勤務の単身赴任生活を終えて、再び東京で勤務することになったという。この春6年生になる孫の進学のこともあり、生活の拠点を東京に移して家族一緒に生活するか、または今まで通り単身赴任するかを、嫁と相談するために帰ってきたのだという。結論は単身赴任に決めたようである。
息子からそんな話を聞きながら、二十数年前の自分のことを思い出した。東京への転勤の辞令をもらった。何も悩むことなく、中学2年生になったばかりの息子を転校させて、一家そろって横浜に引っ越しをした。長い期間、単身赴任をするなんて、あの頃の私は考えることはできなかった。息子はそれとは逆の決断をしたが、1年先の孫の中学進学を機に、もう一度検討したいという。
単身赴任は決してよくはない。出来ることなら家族は一緒がいいに決まっている。しかし、越えることが難しいいろいろな要因がある。一方、単身赴任も考えようややり方によっては、家族の絆を強くすることもできる。翌日の夕、仕事に帰って行く息子を岩国空港に送って行った。後ろ姿が、今までよりも少し男らしく見えたのは気のせいか。