写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

単身赴任

2014年03月31日 | 生活・ニュース

 週末の午後7時半、息子と名乗る男から電話がかかってきた。奥さんが受話器を持って対応している。「えっ? 財布を会社に置き忘れて来たの?」「お金を持ってきてほしいの。いくら?」「5千円でいいの?」。そばで電話のやり取りを聞いていると、今はやりの高齢者相手の「振り込め詐欺」の会話に聞こえなくもない。それにしては、請求額が5千円とは低額すぎる。

 何ていうことはない。出張で新潟から東京に出た息子が、広島に置いている妻子のもとに帰るため羽田空港に出た。岩国行きの飛行機に搭乗しようとしたとき、会社に財布を置き忘れていたことに気がついたようだ。岩国に降り立った後、財布がなければバスにも電車にも乗れない。そんなこともあって、親である我が家へ電話をしてきたものであった。

 夜9時半の到着に合わせて五千円を持って車で迎えに行き、そのまま岩国駅まで送って行った。11時ころ無事に到着した旨の電話があった。ちょっとした、詐欺事件もどきであったが、奥さんは、まだ我が子の声はきちんと判別できたから大丈夫よと胸を張っている。

 息子が帰ってきた訳を聞いてみた。4月1日付で4年間の新潟勤務の単身赴任生活を終えて、再び東京で勤務することになったという。この春6年生になる孫の進学のこともあり、生活の拠点を東京に移して家族一緒に生活するか、または今まで通り単身赴任するかを、嫁と相談するために帰ってきたのだという。結論は単身赴任に決めたようである。

 息子からそんな話を聞きながら、二十数年前の自分のことを思い出した。東京への転勤の辞令をもらった。何も悩むことなく、中学2年生になったばかりの息子を転校させて、一家そろって横浜に引っ越しをした。長い期間、単身赴任をするなんて、あの頃の私は考えることはできなかった。息子はそれとは逆の決断をしたが、1年先の孫の中学進学を機に、もう一度検討したいという。

 単身赴任は決してよくはない。出来ることなら家族は一緒がいいに決まっている。しかし、越えることが難しいいろいろな要因がある。一方、単身赴任も考えようややり方によっては、家族の絆を強くすることもできる。翌日の夕、仕事に帰って行く息子を岩国空港に送って行った。後ろ姿が、今までよりも少し男らしく見えたのは気のせいか。


閉じこもり

2014年03月26日 | 生活・ニュース

 先日、ラティスを使って庭に囲いを設け、何の遮蔽物もなく通行人から丸見えだった庭が一つの部屋のような感じになった。毎日、奥さんは庭に出て椅子に座り、バラの成長具合や、アーモンドの蕾の膨らみ具合をじっと観察している。

 「ねえ、おとうさん。北側のブロックの上にも、低い塀を取り付けてほしいわ」という。その向こうには駐車場があり、出入りする人とよく目が合うのが嫌らしい。そんな悩みは、ホームセンターに行けば全て解決してくれる。高さ60cm、幅が120cmのルーバー式のラティスを6枚と、支柱とブロックの上に柱を立てるための金具を7セット買ってきた。

 水準器と電動ドリルを持ち出し、2人がかりで2時間の格闘。見事、視線を遮る低い塀が完成した。庭全体がこれで完全に囲われて、本当に外から遮蔽された庭になった。今まではガーデンテーブルでコーヒーを淹れて飲んでいても、通行人に会釈をしながら飲んでいたが、これからはもうそんな必要はなくなった。

 以来、毎日奥さんは朝早くから、夕方遅くまで庭に出っぱなしとなっている。「毎日、庭で一体何をしているの?」と聞いてみるが、「ただボウっと庭を眺めているだけ」と答える。奥さんにとっては、何十株もあるバラの一枝一芽が全て愛しいもので、日々その変化を楽しんでいるようである。

 さて、ホームセンターで買ってきたものを、電動ドリルを使って組み立てただけの我が家の庭囲い。これで囲うところは全て囲い終わった。しかし、こんなことをして世間から断絶し、一日のほとんどを家の中や庭先で過ごしていたのでは、高齢者によく見られる「閉じこもり」になってしまう。かくなる上は、道路側に設けた扉の1枚を常時開放しておいて、顔見知りが通った時には無理やり呼びこんで、コーヒーでも飲みながら世間話でもしてみるか。

 庭囲いを作れば作ったで悩みは増えるが、次は、この対策として、何か面白いことを閉じこもって考えてみよう。


国技とは

2014年03月25日 | 生活・ニュース

 大相撲春場所は千秋楽、東大関でモンゴル出身の鶴竜が14勝1敗で初優勝を果たした。、鶴竜は初場所でも14勝を挙げ、優勝決定戦で横綱・白鴎に敗れているが、横綱昇進の条件をクリアしており、場所後の第71代横綱昇進を確実にした。おめでたい話である。

 とはいいながら、内心複雑な気持ちで、翌朝の新聞を読んだ。「モンゴル勢 黄金時代、望まれる日本人V」と書かれている。鶴竜が横綱に昇進すれば、横綱3人ともがモンゴル人である。日本人力士の優勝は2006年初場所の元大関・栃東を最後に、48場所も遠ざかっているという。

 最近、日本人の強い力士が出ないこともあって、大相撲のテレビ観戦から、とんと遠ざかっているばかりか、大相撲の「モンゴル勢の黄金時代」に少し違和感を覚えている。確かにモンゴル勢の実力は素晴らしく、日本人に勝る心技体は誰しもが認めるところであろう。強さに異論などない。

 その一方、相撲は日本国の「国技」として取り扱われているし、そうだと思っていた。その国技のトップ3が全てモンゴル勢であっては、日本人として不甲斐なさを感じざるを得ない。「おいおい、日本人の力持ち諸君は一体何をしているのか」と、虚弱な我が身のことはさておいて、口をとがらせたくもなっている。

 「しかし、待てよ。国技とは一体何なのか」。疑問に思って調べてみた。「
国技とは、その国の特有の技芸、代表的な競技のことである。たとえば一般的には、スポーツ競技や武術等々である。ただし、厳密な定義は存在しなく、日本国内に正式な国技はない」という。相撲は東京では国技館で行われるが、だからといって「国技」と定義されてはいない。

 それであれば、相撲もプロレスやプロ野球同様、外国人も混ざっての単なる興行と思って見物すればいいんだなと思うが、あの大銀杏のまげを古式ゆかしく結って土俵の上で勝負している姿を見ると、単なる興行と割り切ることが出来ず、モンゴル人にさえ「日本人の魂」なんぞを求めたくなってくる。近々、鶴竜から、横綱としての心意気を四文字熟語で聞かされるのを、あなたは我慢できますか。


茹でガエル

2014年03月21日 | 生活・ニュース

 朝9時、新聞を読んでいたとき、電話がかかってきた。「お待たせいたしました。メガネが出来上がりました」と、先日頼んでいたメガネを受け取りに来るように店からの連絡であった。

 今掛けているものは、レンズの周りにフレームがないノンフレームタイプであるが、今度は違うタイプのものをと思って選んだ。陳列してあるものの中から、いろいろなものを掛けてみたが、顔が顔だけに、どれを掛けても、どうもしっくりとこない。

 「えーい、これでいいや」と意を決し、レンズの上部にだけフレームが付いたものに決めた。長らくノンフレームのものをかけていて、突然フレームが付いている眼鏡をかけると、視野の中にフレームの黒い線が入って邪魔になる。まあ、上部に入るだけであれば、新聞を読むような時でも気にならないので、このタイプに決めた。

 フレームの材質は、つるに「TITANIUM」と書いてある。色はチタン独特の濃い茶色。掛けてみて驚いた。今の世の中こんなに明るかったのか、というくらい景色がはっきりと明るく見える。朝のニュースでPM2.5注意情報も出ているせいで、景色が白っぽく見えるのかと自己判断していたが、どうやら、今までのメガネのレンズには小さな傷が沢山付いているため、摺りガラス状態になっていて景色が霞んで見えていたようである。

 帰り道、現役時代によく聞いた「茹でガエル」という言葉を思い出した。「2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れる。すると、前者は直ちに飛び跳ね脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに死亡する」という作り話である。

 置かれている環境が急変すれば、誰でも気がつくが、徐々に変化したときには気がつかず、大ごとになって初めて気がつくということで、環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる警句である。 

 4月から消費税の税率がぴょんと上がるが、こちらは急変。一方、健康管理の指標の数々は、気がつかない内にいつの間にか大きく変化しないとも限らない。茹でガエルにならぬよう、気をつけなければと自戒する。メガネの買い替えを機に、とっくに忘れていた警句を思い出した。


庭囲い

2014年03月19日 | 木工・細工・DIY

 奥さんからの、たっての願いで、裏庭にラティスを使って囲いをつくることになった。設置の目的は、手入れされていない庭を、通行人から見られないように目隠しをするためである。構想は、数日前から毎晩、奥さんが熟慮に熟慮を重ねて練っていた。曇り空の寒い日であったが、買ってきた部材と今まで使っていたラティスを組み合わせて作業に入った。

 販売されている特殊な金具を4本地面にたたき込み、それに柱を4本立てる。柱の間にラティスをはめ込んでいくが、その1か所は両開き出来るスイングドアとなるようにヒンジを取り付けた。苦闘3時間、曲がりなりにも完成した。この際、出来上がった囲いの水平や垂直度合いに関しては、あまり厳しいことは言わないことで作業を終えた。

 道具を片付けたあと、一般通行人になったつもりで、出来上がったばかりの囲いを道路から見ながら歩いてみた。囲うものは何もなく、手入れされていない庭が丸見えだったころに比べると、それらが全てラティスで隠されてしまったので、いかにもきちんと整理されているような感じを受ける。

 今はやりの「騙し」の1種かもしれないが、こんな類の騙しなら許されるだろう。他人の目を遮ることにより、見せたくないものを隠す手段はいくつもある。このたびのラティスやオーニングのようなもの、塀や生垣、暖簾もそうだろう。芸能人であれば、マスクにサングラスに目深にかぶる帽子もそうだ。目出し帽まで行くとこれは銀行強盗になってしまう。

 我が家で隠すものといえば、手入れされていない庭くらいのもので、隠し預金もなければ隠し資産など、カネメのものは何もない。まっ、そんなバカな話はさておくとして、今日も作ったばかりの囲いの中で、サクランボの花など春の花を愛でているが、今までになく落ち着いた気持ちになっている。さてと次は「ガーデン カフェ」の看板でも掲げてみようかな……。