写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

余人台頭

2020年09月30日 | 生活・ニュース

 9月16日、安倍内閣に代わって菅内閣が発足し、閣僚名簿が発表された。新内閣の顔触れを見て、巷では面白い名前を菅内閣に付けているが、それぞれが特徴をうまく捉えている。

 

 「第3次安倍内閣」;まさにズバリ継承内閣。「実務最優先内閣」;行動力があり、かつ即戦力になりそうな安定した顔ぶれだから。「仕事師内閣」;つい「仕事しないないかく」と読みそうであるが、それまでは仕事をしなかった内閣だったのかと突っ込みを入れたくもなる。「たたきあげ内閣」;非世襲という菅首相の経歴から。「おじいさん内閣」;平均年齢は60.4歳、79歳の麻生太郎副総理兼財務相、81歳の二階俊博自民党幹事長らベテランの印象が強い。


 こんな揶揄に負けず、これから始まる菅仕事師内閣には大いに期待したい。とは言いながら、もう少し元気のいい若手を起用してもらいたいものであるが、海千山千の世界を渡り歩く政治の世界では、やっぱり亀の甲より年の功なのだろうか。

 そう思おうとしたとき「いやそんなことはない。今のカープの選手の起用を見てみろ」という声が聞こえてきた。目下、首位巨人からは17.5ゲーム差と、気が遠くなりそうなほど離されて独走を許している。かくなる上は、残り試合は、若手選手の実戦での格好の練習試合と化している。

 このところ、2軍で埋もれていた若手選手が活躍する場面を何度も見せてくれている。板倉捕手しかり。連日スタメンとして活躍中の大盛外野手しかり。活躍したとはまだ言えないが元気のいい羽月内野手、目下セットアッパーとして奮闘中の塹江投手など、目白押しの若手に来季は大いに期待できそうである。


 前安倍総理が保身のためであろうか、黒川検事長を「余人をもって代えがたい」と言い張り、定年を延長させてまで検事総長に任命しようとしていた。そうはならなかった今現在、余人をもって十分に検察の業務は果たされているではないか。

 
 かくの如く、その時にはその人でないと機能しないと思われる仕事も、何らかの理由でその人がいなくなった後でも、余人と思われていた人たちで政治でも会社でもスポーツでも十分に回っていくものである。そんなことがなければ、いつまでたっても新人は日の目を見ることは出来ないことになる。

 いつの時代も、世界は活きのいい新人が、今や遅しと自分の出番を待っているものであるし、世界はそんな新人が出てくるのを待っている。

 

 

 

 

 


誰もいない高原

2020年09月29日 | 旅・スポット・行事

 9月も残すところあと1日、このところ、朝夕は肌寒さを感じるようになってきた。そんな先日、確たる当てもなく北に向かって車を走らせてみた。秋の山の景色は、陽のせいかギラギラしたところがなく、見ていて心が落ち着くような気がする。


 しばらく走ったところで、久しく行っていない羅漢高原に行ってみることにした。子供が小さいころキャンプ道具をもって何回か来たところである。岩国から約45km、標高が800mの高原である。


 曲がりくねった登山道は、訪れる車が少ないからだろうか、木の葉が落ちたままになっている。すれ違う車もないまま高原に着いた。展望台のあるレストハウスで車を降りると、2人乗りの大型バイクで来ている1組の
熟年夫婦が、コーヒーを飲みながら休んでいる。

 屋外の展望台に立ち、掲げてある案内図を見ながら遥か遠くの下界を眺めてみた。瀬戸内海の柱島や特徴ある大島の嵩山など、岩国の沖合に浮かぶ島々がはっきりと見える。その先の海も見えるが水平線辺りは、さすがに霞んでいて何も見えない。


 ふと直下の草原に放牧している牛の群れに目を移すと、先ほどの夫婦が乗ったバイクが走っていくのが目に入る。こんな広い高原に我ら夫婦2人きりとなった。その時、♪今はもう秋 誰もいない海♪の唄を口ずさんでいたが、まさにここは♪誰もいない高原♪であった。

 家に帰った後、標高800mの高さからどのくらい遠くまで見ることが出来るのか、地球の半径を6300㎞として計算してみると約100kmと出る。なるほど、柱島が水平線までの中ほどに見えたことに納得がいく「誰もいない高原」であった。

 


ジャガタラお春

2020年09月25日 | 生活・ニュース

 この季節、散歩をしていると必ず目に入る花がある。競うように真っ直ぐに茎をのばして咲く彼岸花、別名を曼殊沙華という花である。

 今朝のことである。奥
さんに「♪赤い花なら 曼珠沙華♪ という歌を知っている?」と出だしだけを歌って聞いてみた。「知っているわよ。母がよく歌っていたから」と言って、歌の途中までふしを付けて歌う。私も子供の頃、母が口ずさむのを聞いて、歌詞はうろ覚えだが曲はよく覚えている。

 ♪ 赤い花なら 曼珠沙華  阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
     濡れて泣いてる じゃがたらお春 未練な出船の
 

       ああ 鐘が鳴る ララ鐘が鳴る ♪  

 「じゃがたら」という歌詞が気になってネットで調べてみると、昭和14(1939)、ビクターから発売された「長崎物語」という歌であった。徳川幕府がキリシタン弾圧を強化したとき、オランダ人をジャワ島のジャガタラ、現在のジャカルタに追放したという。じやがたらとはジャカルタのことだと知った。

 

 この歌は、その時追放された伝説のハーフ、お春をテーマとした歌である。お春は、1625年、商船の航海士であったイタリア人と、長崎の貿易商の子女との間に生まれた。容姿端麗、読み書きにも長けていたが、1639年に発布された第五次鎖国令により、長崎に在住していた外国人とその家族がジャガタラ追放された際、母・姉と共に14歳で日本を後にした。

 子どもの頃、歌詞の意味は分からないまま、なんとなく切なそうなメロディを母について歌い、いつの間にか覚えた歌である。お春が追放された後に、ジャカルタから故郷の人々に宛てた望郷の念を、少女とは思えぬ流麗な調子でしたためた手紙「じゃがたら文」を下書きとして書かれた詞だという。

 彼岸花を見ると、ジャガタラも歌詞の意味もよく理解していないまま、いつもこの歌を口ずさんでいた。別名の「曼殊沙華」とは、古代インドの宗教や文学で用いられたサンスクリット語で「天界に咲く花」という意味があるという。そんなこともあってか、彼岸花には墓花、地獄花、幽霊花、蛇花、狐花、灯籠花、天蓋花など、不吉な別名が数多くある。

 


失 言

2020年09月24日 | 生活・ニュース

 歌手の華原朋美が開設しているU-TUBEに、投稿した動画の中で発言した言葉に対して多くの批判が出ているという。

 発言の内容は「どんどん口座から自分のお金が減っていく」と語り、世の中全体がコロナ禍でそうなっていると思うと説明した。「お金がなくなったときには、レジ打ちでもしようかな」と発言したことに対して「レジ打ちをなめているのか」「ばかにしている」と批判のコメントが殺到し失言を謝罪したという記事を読んだ。

 確かに「レジ打ちでも」と言われると、レジを打つ仕事をしている人にとっては、上から目線で何だか虐げられたような気持になる。

 レジを打ったことのない者からそんなことを言われたら「お前が打ってみろよ。スムーズに打てるまでどんだけ努力がいると思っているのか。しかもレジを打つだけではなく、お客さんへの対応も色々あって大変な仕事であることを理解しているのか」などと言い返したい気持ちにもなろう。

 失言とは「言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと。また、その言葉」と書いてある。失言と言えばすぐに顔を思い浮かべる大臣もいるが、ほとんどの場合、失言は発した人が、常日ごろから抱いている思いや考えを言った言葉であって、ついうっかりではなく、確信的に発した言葉ではないかと思っている。

 失言をした後、周囲から咎められて初めて失言であったと気づき、本意ではないままに、謝罪や撤回をする羽目となる。謝罪や撤回をしたとしても失言したことに変わりはなく、その人の本心が垣間見えたことになる。

 「綸言(りんげん)汗の如し」という諺がある。「出た汗が体内に戻らないように、天子の言葉も一度口から出れば取り消すことができない」という意味である。失言とは本心の現れ。他人の心を傷つけることのないような言葉使いを心掛けるだけでなく、常日ごろより偏見のない正しい物の見方・考え方ができるよう努めたいものである。


「老人の日」

2020年09月22日 | 生活・ニュース

 昨日、9月21日・月曜日は「敬老の日」であった。まさに天高く秋晴れのいい天気に加えて4連休、しかもGoToトラベルのキャンぺーン期間とあって、いずこも沢山の人出で賑わったようである。

 

 「敬老の日」は日本生まれの記念日。その発祥はというと、昭和22年(1947年)に兵庫県多可郡野間谷村で「お年寄りを大切にし、お年寄りの知恵を生かした村作りをしよう」という考えのもと「としよりの日」が提唱されたのが始まりだという。

 
農閑期であり気候も良い915日を「としよりの日」と定めた提唱は全国に広がっていき、昭和41年(1966年)に「敬老の日」と名を変え、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨で915日を祝日として制定された。

 

 ところが時を経て、単に連休を増やす目的でハッピーマンデー制度とやらが適用され、2003年からは9月の第3月曜日になることが決まり、毎年異なった日が「敬老の日」となった。


 そこで「敬老の日」とは別に、915日を「老人福祉に関して周りの人々が理解を深める。老人が自らの生活の向上に努める意欲を促す」という趣旨で「老人の日」というものが2001年に老人福祉法で定められ、
915日より1週間は「老人週間」だということを知った。

 

 本来の日にこだわることがなくなった「敬老の日」に逆らうわけではないが、良い天気に誘われて、車検を終えたばかりの車に乗って島根県の三瓶山まで日帰りのドライブを楽しんでみた。

 

 標高800mの東の原は大勢の人出でにぎわっていた。三瓶3山が望める観光リフトに乗って高原の秋を満喫し、「老人週間」にふさわしく「自らの生活の向上に努めて」無事に帰ってきた。