写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

リバーシブル

2009年09月30日 | 生活・ニュース
 昨夜は秋雨のイメージとは、およそかけ離れた大粒の雨が降っていた。明けて今日、梅雨のようにじめじめとして蒸し暑い。夕方、ハートリーを連れて久しぶりに錦帯橋の上河原に散歩に出かけた。30分ばかり遊ばせ、ホテルの灯が点き始めたころに引き上げた。
 家に向かって車を走らせているとき、助手席の奥さんが「これ、裏を着ているんじゃない?」と、私が着ている黒い半袖のシャツの袖口ををつまんで言う。「そんなことはないよ」と言っても、裏だと言い張る。信号で止まった時、よくよく見ると、どうやら裏を着ていることが分かった。「おかしいな~」と小さく言ってみるが、私のミスに違いはない。
 ユニクロで買った「高級」な黒い薄手のシルキー生地のシャツだが、裏側といっても縫い目がきれいに始末してあるので、老眼ではなかなか判別することは難しい。
「わたしは以前、スーパーで知らない人に『裏を着ていますよ』と言われたことがあるわよ」と奥さんが告白した。「えぇ? 知らない人から?」。
 親切な人がいるものだ。見知らぬ人にこんなことを言うとは、ちょっと勇気がいりそうだ。もし、そんなことを言われたら、とっさに何と答えるだろう? 「ありがとうございます」か。直ぐには口から出そうもない。「えぇっ、そうですか~?」とか言いながら、トイレにでも隠れて調べてみる。これはありそうなパターンか。
「私はこれでいいんです! わざと裏を着ているんです!」 こんな強気はまずないだろう。裏を着ていようが、それが似合う人であればOKだということもしれない。そういえば、最近のファッションには、裏を表にしたような縫い目のものもあって、単純に「裏が出ていますよ」なんて下手に注意できないものもある。
 シャツならいざ知れず、性格で「裏が出ていますよ」と言われないよう、こちらは十分気をつけたい。
(写真は、裏を着ていた「ユニクロのシャツ」)

老人性…

2009年09月28日 | 生活・ニュース
 1年も前からふくらはぎと足の指に小さなイボのようなもなが出来ているが、痛くも痒くもないので放っておいた。しかし、いつも目にとまり、気になっていたので皮膚科の病院へ行くことにした。
 連休明けの木曜日、病院は定休日。金曜日の夕方4時ごろ行ってみると、待合室は患者でいっぱい。受付で70番の番号札をもらった。その時はまだ20番目の診察をしている表示が出ていた。
 「診察は7時くらいになると思います」「じゃあ、出直してその頃にきましょう」「1時間前の6時には来て下さい」。なんと夕方4時だというのにこの混みようである。
 6時に再び出かけた。番号札の50番までの診察が終わっていた。あと20人だ。週刊誌を読みながら順番を待った。待つこと1時間20分、7時20分になってやっと声がかかった。液体窒素を綿棒にひたしたものをイボに当てて治療してもらう。わずか3分間で終わった。いつも言われていたので「老人性のものでしょうね」というと、そうだという。
 最近は、病院へ行くたびに必ずといっていいほど「老人性」という言葉が病名に付くようになった。「老人性イボ」しかり。「老人性乾燥肌」「老人性掻痒症」しかり。みんな老化による皮膚の衰えである。
 人間年を重ねればいたるところに変調をきたすことくらい良く分っている。それなのに病院へ行けば敢えて「老人性」をつけてくれる。そういえば「認知症」「白内障」「難聴」「うつ病」などにも老人性というのがあるという。
 65歳以上が病気になった時、わざわざ「老人性」とつけてくれなくとも、そんなこととっくの昔に分かっていますよだ。小さく独り言をいいながら病院を出た。最近とみに、ひがみっぽくなってきたか?
 (写真は、自民党とは違って次世代を育んでいる「花水木」)

チェリー喫茶

2009年09月25日 | 食事・食べ物・飲み物
 11時に車で広島に出かけるという奥さんの車を借りて、ハートリーを乗せて犬猫病院へ出かけた。ハートリーは耳が垂れていて風通しがよくないため、湿疹ができやすい。10時前には家に帰ることができた。奥さんはすでに出かける準備を完了している。
 朝食は2人ともまだとっていない。「久しぶりにモーニングを食べに行ってみようか」。こんな話は直ぐにまとまる。各々が自分の車で駅に近い喫茶店「チェリー喫茶」に向かった。この喫茶店はいつの時代からあるのだろう。ずい分昔からこの場所にあるように思う。
 半年か1年に1回くらいしか行かないが、いかにも昔ながらの喫茶店という風情が好きで行くことがある。ひとかかえもある四角い大きな柱が10本ばかり立っている室内に、4人がけのテーブルが隣の席が見えないようにうまく配置されていて落ち着ける。壁にかかった年代物の大きなスピーカーからは、軽やかなポピュラー・ミュージックが流れてくる。
 モーニングを頼んで奥さんと向かい合って座った。決して愛想がよいとはいえない年配の夫婦らしい2人がやっている。ほどなく、四つ切のトーストとパスタの入ったオムレツとコーヒーが運ばれてきた。どれもがとても美味しい。
 喫茶店に行くなんて本当に久しぶりだが、たまには喫茶店でのモーニングも気分が変わっていいもんだ。青春時代、街のいたるところに喫茶店があった。お友達?と、何時間も時間をつぶした場所でもある。一体何を語り合っていたのか。何も思い出せない。
 そんな昔を思い浮かべながらこのブログを書いていると、ガロが歌った「学生街の喫茶店」をふと口ずさんでいた。
  ♪ 君とよくこの店に来たものさ わけもなくお茶を飲み話したよ ♪ 
 あの頃よく行っていた喫茶店「あすなろ」は、今はもうない。
(写真は、昔ながらの喫茶店「チェリー喫茶」)

1/120,000,000

2009年09月24日 | 生活・ニュース
 新政権が発足して早や1週間。鳩山首相は早速国連総会やG20首脳会議に出席するためにアメリカに旅立っていった。国際舞台での活躍を大いに期待している。
 一方、この1年間毎日テレビで見せられていた麻生さんの顔が全く見られなくなった。衆院選で歴史的な大敗を喫し、表舞台を去ったのだから当然と言えば当然である。毎朝、登院前にキャップをかぶり、若くて屈強そうなSPを数人引き連れての散歩をしている様子は何度も放映されていた。
 休日のショッピングであろうが、外食時のレストランであろうがどこに出かけても周りにはいつもSPが付きっ切りの護衛をしていた。それほどまでに大切で重要な人物として国が扱ってきたということである。
 今、麻生さんはどうしているのだろう。毎日新聞紙上で独特の似顔絵や発言を目にしていたが、このところ麻生さんの「あ」の字も出ていない。権力者の交代とは、かくも劇的で冷徹なものだということか。
 朝の散歩はどうしているのだろう。お供のSPがつかなくなり、ワンちゃんでも連れて歩いているのだろうか。変わりやすい秋の空を眺めながら、いと侘しさを感じているに違いない。
 権力のど真ん中にいるときには、麻生さんがいなければ何も決められない最終決断者であったろうに、その座を退いたとたん誰も振り向いてはくれない。代わりの誰かがちゃんとやってくれている。
 頂点を極めた多くの権力者が陥るという取り扱いの落差によるストレス。じっと耐える以外に策はない。首相までやった人が去っていっても、前日と同じように陽は昇り始発電車は車庫を出る。世の中昨日と何も変わらないで回っている。所詮は1/120,000,000 。「俺がいなくても代わりの誰かがちゃんといる」。

タイミング

2009年09月23日 | 季節・自然・植物
 シルバーウイークと呼ばれる秋の大型連休、特にどこに出かけるという予定もない。
 朝食前に新聞を読んでいると「今日こそは庭の草取りをやりましょうよ」と、奥さんから声がかかった。半月も前から何度も聞いていた言葉である。
「まだ暑いから」と、その都度先延ばしにしていた。ついに見るに堪えない草茫々の庭となってしまい尻をたたかれる。
 バラ園といっても、どこにバラがあるのか分からないほど草が背高く生い茂っている。遠くから眺めるとバラ園というよりか草原に近い。菜園もほぼ同じ状態だ。朝涼しい間の1時間、軍手をやって這いずりまわって草を取った。集めてみると牧草のような草の小山が2つもできた。その日の草抜きはこれで終了。見渡したところ、まだ全体の3分の1が終わったというところか。
 バラ園にも菜園にも、雑草対策で黒いプラスティック製シートを敷き詰めているが完全に全面を覆ってはいない。シートの隙間に生えてくる草を抜くだけでもこの始末。恐るべきはこの雑草魂、雑草の生命力、繁殖力だ。
 抜いていく草の間からコオロギやバッタが跳んでいく。飼っている訳でもないのに虫たちも、雑草と同様したたかに生き抜いている。
「今日はこれくらいにしておこうか」、終業宣言はいつも私から。「もう終わるの?」雑草や虫に負けずしたたかな奥さんが、私の非力をとがめるような口調で言う。
 夏も終わり、秋が日1日深まりつつある。雑草も今までのような勢いはない。ガーデンチェアに座り込み休んでいると、裏山から力のないツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。当てのない弱々しい鳴き声だ。何を好んでこの時季に這い出てきたのだろう。このツクツクボウシ、つくづく方針の間違いを悔やんでいるかも知れない。私にもこんなことはよくあった。他人事とは思えない朝が過ぎていく。
(写真は、菜園とバラ園に繁っていた「雑草の山」)