そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



数年前、家を建てた。
テニスコートをつぶして宅地分譲された土地を一区画買い、そこに建てた。
周りのご近所さんも、同じように土地を買って、ここ数年で家を建てた人たちばかりだ。
そして、今年の初めに離婚したあとも、僕は1人でその家に住み続けている。
で、こういう場合に困るのが、ご近所さんなのだ。

ご近所さんは、みんなご夫婦だ。
というか、僕も当初はご夫婦だったのだが。
顔を合わせば挨拶するし、たまにご近所さん夫婦が集まって、前の私道でバーベキューパーティーをしたりする。
時間が不規則な仕事柄、僕はそういう場にあまり出席できないのだが、その分、妻が出席していた。
つまり、ウチのご近所さんはみんな顔見知りで、ちょいと仲良しだったわけだ。
出て行った元妻を含めて。

そして僕は離婚した。
妻は犬2匹を連れて出て行った。
その日以来、ご近所さんは、彼女の姿をぱったり見ていないことになる。
犬2匹の姿もぱったり見なくなったわけだ。
なにより元妻が乗っていた赤いワーゲンルポがぱったり駐車場から消えた。
それも、一切説明なしで、だ。

ご近所さんから見たら「何かあったぞ」と思うのは当然だ。

たまにご近所さんに会うことがある。
たいてい奥さんたちに会う。
しかし「こんにちは~」と挨拶されるだけで、誰も核心部分には触れてこない。
まぁ向こうにしてみりゃ、触れようがないんだろうが。
僕がどっさりコンビニの袋下げてたり、トイレットペーパーとティッシュペーパーを両手にぶら下げた、いかにも男の1人暮らし風情で帰ってきたとしても、誰も核心には触れてこない。
「こんにちは~」だけなのだ。
僕も仕方なく「こんにちは~」なのだ。
もう「こんにちは~」しか言いようがないのだ。
だって、こっちから離婚の事実を告げるのは、ツライ。
道ばただもん。
道ばたで、頭かきながら「いや~、離婚しちゃいまして。てへへ」などと、隣に住んでいる奥さんに話を切り出す勇気は僕にはない。

こういう場合、一体どうすればいいのだ?
みんながみんな、モヤモヤしているのだ。

まさか一軒一軒訪ねていって「離婚しまして~」なんて話をするわけにもいかない。
「これ離婚の粗品です」って、手ぬぐい渡したりするのか?
引っ越しじゃないんだから。

しかし、ご近所さんは、モヤモヤしているのだ。
あの「堀田家」は、離婚なのか、別居なのか、一体なんなのか、相当モヤモヤしていることだろう。

……申し訳ない。
真実をスッパリ伝えられなくて、実に申し訳ない。
そして、申し訳ないあまり、僕はコソコソしてしまうのだ。
なんだか、夜中にコソコソとゴミ出ししたりしてしまうのだ。

離婚したあとも、どちらかが同じ場所に住み続ける場合、こういう問題が起こる。
ご近所さんが、モヤモヤするのだ。
だから、普通は離婚したあと、2人とも別の場所へ引っ越すことが多いんだろう。

ご近所さん、このブログ読んでないかなぁ。
そうすれば、モヤモヤも解消するのに。

今度いつバーベキューパーティーが開かれるんだろう。
その現場に出くわすことが怖い。
出くわしたら、もう仕方ない。
思い切ってゲロることにしよう。
「いやぁ~、離婚しちゃったっすよ。てへへへぇ~」って明るくご近所さんみんなの前で。

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放送作家を稼業にしていると、毎日が、締め切り、締め切り、締め切りの連続なワケだ。

今朝も、某番組のスタジオ台本を書いている。
今日の昼が締め切りだ。
あと5時間弱。
まぁ、何とかなるだろう。

で、今までの放送作家人生でどのぐらいの数、文字を書いてきたのか、ふと気になった。

この仕事を始めて、17~8年経った。
1日平均して何文字ぐらい書いてきただろう?
おそらく、平均1万字ぐらいだろう。
400字詰めの原稿用紙にして、1日25枚。
台本、ナレーション原稿、企画書、その他もろもろ何だかんだで、1日平均そのぐらい書いてきたはずだ。

計算してみることにする。
1日1万字だとして、1年間で365万字。
18年間だと、6570万字だ。
げげっ!?
これだけたくさん書いてきても、まだ日本の人口の半分に過ぎないのか?
逆に言えば、日本人っていかにたくさんいるのかってコトだ。
そりゃあ宝くじも簡単には当たらないはずだ。
その上、こんなにたくさん人がいるのに、僕には彼女の1人もいないわけだ。
どうなってんだ!って話だ。

小説の世界では、10万部も売れればベストセラーだ。
しかし、10万部といっても、人口比で言えば日本人の1300人に1人しか読んでいないことになる。
200万部を突破したベストセラー、リリー・フランキー氏の「東京タワー」にしたって、読んだのは65人に1人だ。
これをテレビの視聴率に換算すると、1.5%に過ぎない。
それに対し、速水もこみち主演の月9「東京タワー」は平均10%ぐらいの視聴率だった。
要するに「東京タワー」は、ほとんどの人が、本を読まずにドラマだけ見て感動しようとしていたことになる。
ふーん。
なんだかなぁ、だ。

僕がやっている番組の中で一番視聴率がいいのは「あいのり」だ。
毎回18%ぐらい取っている。
これって、すごいことだ。
2340万人も見ているのだから。

「あいのり」ではここ数年、たまに「あいのり講座」というコーナーを入れている。
世界を旅しつつ、そこで出会った世界の現実を、視聴者に分かりやすく説明するコーナーだ。
アフリカの飢餓問題や、経済格差の生まれる理由、捕鯨問題、ナチスのしたこと、移民問題、その他もろもろ。
恋愛バラエティの合間にこういったコーナーを挟み込むことで、普段あまりそういったことに興味を持っていないであろう若い世代の情操教育に少しでも役立てば、という目的だ。
そういうスタッフの心意気が「あいのり講座」には隠されている。

と、つらつら書いているうちに、締め切りまであと4時間チョイなワケだ。
しかも、眠くなってきた。
まずいぞ。
でも少し仮眠取っちゃおっか。

……要するに、締め切りギリギリまで書きたくないのだ。
そして、結局のところ締め切りを破ったりする。
その結果、会議に遅刻する。

ある後輩作家が、ある日、会議に遅刻してきた。
そのときのいいわけ。
「僕、歩くの遅いんですよねぇ~」
さすがにこれにはみんな、笑って許した。

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今日は水曜日だ。

この4月から「笑っていいとも!」水曜日のレギュラーに、南野陽子が新たに加わった。
なぜ「いいとも!」に今、南野陽子なのか?
この点については、「いいとも!」のプロデューサーも作家も知人なので、僕は言及を避ける。
とにかく、南野陽子が毎週水曜日のお昼、テレビに出るのだ。
それでいい、別にいい、問題ない、ないったらない。

で、今回は南野陽子の話、だ。
なぜなら、彼女に僕はひとかたならぬ思いがあるのだ。

高校3年生の頃、僕は彼女の大ファンだった。
そして、彼女のおかげで、大した勉強もしていないのに早稲田に現役で合格できたのだ。
今も僕は、大学に合格できたのは南野陽子のおかげだと固く信じている。

それは、こういう話だ。

僕の通った高校は県内一の進学校だった。
高3の二学期ともなると、生徒たちはみんな受験勉強一辺倒になる。
落ちこぼれだった僕は、そんな周囲の雰囲気から逃げるかのように南野陽子に入れ込んだ。
現実逃避の相手が、南野陽子だったわけだ。
勉強もせず、授業中ウォークマンで南野陽子のアルバムを聴いたりしていたバカな高校生だった。

そして、受験の最後の追い込みに突入していた高3の10月。
僕は友だち2人を無理矢理誘い、よみうりランドで開かれた南野陽子の新曲発表&握手会イベントに行った。
それも、わざわざ前日から泊まり込んで、だ。
山岳部のテントを持って行って、だ。
もう、やけくそだった。
受験から逃げたかったのだ。
バカだなぁ。
で、3000人ぐらい集まったイベントで、徹夜までした僕らは前から3列目の席を確保した。
徹夜しても行列の200番目ぐらいだったのだ。
なんと一番先頭の奴らは3日ぐらい前から並んでいた。
バカだなぁ。
まぁ要するに、みんなバカだったわけだ。

で、僕は南野陽子と握手した。
初めて生で見た彼女はこの世の物とは思えぬほど可愛かった。

そして、それから2ヶ月後のある日。
書店で見つけたのがこの写真だった。
何と、僕が南野陽子と握手している瞬間が、雑誌に載っていたのだ。
今はなきアイドル雑誌「近代映画」の1987年1月号だ。

この雑誌を見つけたときは、飛び上がって喜んだ。
なんという幸運!
3000人の中から、僕と南野陽子のツーショット写真が選ばれ、雑誌に掲載されたわけだ。
こんなラッキーなこと、そうそうあるもんじゃない!

だが、僕の幸運はこれだけでは終わらなかったのだ。

当時、南野陽子はラジオ番組を持っていた。
たしか「ナンノこれしき」とかいうタイトルでニッポン放送だったと思う。
そして、僕が高3だった1986年の年末。
その番組で南野陽子からのクリスマスプレゼント企画が行われた。
それは「南野陽子がその声で起こしてくれる、特製『目覚ましテープ』を100名にプレゼント」というものだった。

僕は当然、応募した。
ハガキを一通だ。
そしたら、ある日突然、ラジオ局から小包が届いた。
なんと『目覚ましテープ』が当選したのだ。
なんという幸運!
実はこのプレゼント企画、ラジオ局にハガキが25万通も殺到したのだ。
25万通の中の100通に、僕の出したたった一枚のハガキが選ばれるなんて!
こんなラッキーなこと、そうそうあるもんじゃない!

だが、僕の幸運はこれだけでは終わらなかったのだ。

「一応受けてみっか」と軽い気持ちで受験した早稲田の一文に受かってしまったのだ。
第一志望、である。
なんという幸運!
あとでテストの答え合わせをしたが、僕の取った点数はひどいものだった。
とても合格できる点数じゃない。
英語35点とかだもん。
つまり、採点コンピューターのミスかなにかでたまたま合格したに違いない。
こんなラッキーなこと、そうそうあるもんじゃない!

そう、これでお分かりのはずだ。
僕の大学合格は、南野陽子がもたらしてくれた一連の幸運のおかげなのだ。
ホップ、ステップ、ジャンプの3連続の幸運だ。
人生38年間で、あんなにツイていた時期はほかにない。

テレビの仕事をするようになって、南野陽子さんには何度か僕の番組に出演していただき、直接挨拶したこともあったし、知り合いのプロデューサーの結婚式の招待客の1人だったこともあるのだが、とてもじゃないが、おいそれと会話できないし、当然こんな話はご本人にはしていない。
「だから何なの?」だろうから。

でも、南野陽子は、間違いなく僕の人生の大恩人なのだ。
誰が何と言おうとも。

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自宅で仕事をしていると、やたらと玄関のチャイムが鳴る。
やたらと、といっても、そんなに頻繁ではないのだが、4月に入ってから急に増えた気がする。

たまに宅急便が届くのは仕方ない。
しかし、毎日2人ぐらい飛び込みのセールスマンがやってくるのには辟易する。
不動産関係、信用金庫、株式投資、生命保険、食材の宅配業者、そして宗教の勧誘……
いちいち応対して、そのたびに不機嫌になって、「忙しいので」とか「興味ないので」とか「うちはキリスト教です(仏教です)」などと断らなければならないので、まったくもって、イヤになっちゃってるのだ。

そっか、4月か……
入社したばかりの新人サラリーマン諸君が、こういう外回りの営業をやらされているんだろう。
「これも経験だ!」とか「外で汗流してこい!」みたいな、体育会ノリのワケの分からない上司の命令で。
そして、その上司も新人だった当時は、当時の上司に外回りの営業を命じられていたに違いない。
「オレもやらされたから、お前もやれ」みたいなことだろう。
体育会ノリの連鎖だ。
意味あるのかなぁ、そういうの?

高校時代、僕は山岳部に入っていた。

うちの高校の山岳部は、高校の山岳部にしては相当レベルが高く、冬山まで登っていた。
基本的に千葉県の高校山岳部は冬山登山禁止なのだが、うちの高校は、県内で唯一、高校山岳部連盟に加入していなかった。
だから、勝手にアイゼンやピッケルを持って、雪深い冬山まで登ってしまっていたのだ。

当然、トレーニングはハードだった。
放課後になると、ランニング、懸垂、みたいな基礎練習はもちろん、鉛を詰めた50キロのリュックを背負って、毎日3階まで階段の上り下りを10往復~20往復する。
おかげで僕は高2の時、スネの内側の骨を疲労骨折したぐらいだ。
そんな体育会系だったのだ。
体育会系の歴史がずっと続いてきた山岳部だった。

だから先輩は厳しかった。
だって、その先輩も先輩に厳しくされたからだ。
その先輩の先輩も、先輩に厳しくされたのだろう。

僕はそういう厳しいノリが嫌いだった。
そして同じ学年の山岳部仲間もわりとちゃらんぽらんなヤツが多かった。
その結果、僕らが最上級生の3年生になったとき、急に山岳部の体質が変わった。
1年生に厳しくしなかったからだ。
自分たちもハードなトレーニングは面倒なので、後輩のみんなにも適当にやらせていた。
山に入っても、後輩たちと一緒に、バカばっかりやっていた。
そしたら、僕らが卒業して数年経ったら、その山岳部は急に弱体化した。
ワンダーフォーゲル部みたいになっちゃったのだ。
冬山なんか行かない普通の高校山岳部になっちゃった。
つまり、僕らの世代が山岳部を弱体化させる引き金を引いたんだと思う。
いやぁ、悪いコトした。

で、同じようなことを、僕は大学のサークルでもやった。
早稲田の「テレビ放送研究会」というサークルに入っていたのだが、僕らの世代がいい加減だったので、その後数年して、そのサークルは崩壊した。
いやぁ、悪いコトした。

というわけで。
何が言いたかったのか、よく分からなくなったぞ。

ただ、これだけは言える。
セールスマンの皆さん。
僕の家のチャイムを押しても、無駄です。
何も売れないし、どんな宗教にも入る気ありません。

玄関に「セールスお断り」のプレートを出せばいいのだが、どうもあれは、格好悪い。
洒落た「セールスお断り」のプレートを知っていれば、誰か教えてくれ。

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柔道の谷亮子選手が全日本選抜で負けたというニュースが、テレビで何度も繰り返されている。
それはそれでいいのだが……

谷亮子が、結婚する前、なんて名字だったのかが全く思い出せないのだ。

さっきから10分ぐらい頑張って記憶を辿っているのだが、思い出せない。
悔しいので、ネットで調べたりする気もない。
絶対、自力で思い出してやるのだ。

「猪熊」が最初に出てきたが、そんなワケがない。
それはマンガの柔ちゃんの名字だ。

仕方ないので、「あ」から順番に考えてみる。
安藤亮子、相田亮子、阿川亮子、浅井亮子、青田亮子、天野亮子……ぜんぜん違う。

「い」に行ってみるか。
井上亮子、井川亮子、池田亮子、池内亮子、石田亮子、石川亮子、磯野亮子、市毛亮子、井戸田亮子、猪熊亮子……
ちぃっ! 
また「猪熊」が出てきやがった!

……というわけで、結局思い出せないのである。
まぁ、いい。
別に思い出せなくても、死ぬわけじゃないし。

月曜日の朝6時過ぎにこんなことで1人悶々としている38歳って、いかがなものだろうか?

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お気づきの方もいると思うが、たまに僕のブログに貼ってあるCDやDVDや本の画像をクリックすると、Amazonの商品販売ページに直接飛んで購入でき、その結果、僕にその売り上げの何%かが入るような仕組みになっている。
このシステム「アフィリエイト」を、それこそわりと頻繁に使っているという隠しようのない事実には、要するに「ブログを書いて、ついでに儲けよう」という、非常に浅ましい僕の下心が投影されているわけだ。
お恥ずかしい話だが。

で、ブログを初めて3週間あまり。
今までの売り上げを発表しよう。
65円だ。
65万円ではなくて、65円。
世の中そんなに甘いもんじゃない。
で、この売り上げ65円だが、1人だけ「Position of the day」を僕のブログを読んで購入してくれた人がいた結果だ。

先日の深夜。
「ジャポニカロゴス」の打ち合わせに行ったときのこと。
ディレクターとの雑談でこのブログの話題になった。
するとそのディレクターが、「堀田さんのブログを見て、本を買ったって人いましたよ。『ジャポニカロゴス』の編集スタッフのKさんって人です」と教えてくれた。

Kさん。
あなたです。
僕に売り上げ65円をもたらしてくれた、たった1人の奇特な方は。
同じ番組に携わりながら、直接面識がなくて申し訳ありません。
この場を借りてお礼申し上げます。
お買い上げありがとうございました。

そうですかぁ……
「Position of the day」をお買い上げですかぁ……
いい本です、アレは。
何しろ、セックスの体位が365日分、載ってるんですから。
さぞ役に立つことと思います。
ねぇ、Kさん。
え、この話はもういいって?
またまた~。

というわけで。

こんな風に、誰が何買ったか、バレることあるんですねぇ。
いやぁ~、人生油断大敵だ。

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ダンシング・シスター~ザ・ベスト・オブ・ノーランズ
ノーランズ
Sony Music Direct



最近、自分の中で懐古ブームなのだ。

中学、高校時代の同級生何人かと偶然また交遊が始まったのがきっかけだ。
1日24時間の中に、昔のことを懐かしむ時間が、必ずある。
38歳で早くも人生振り返るなんて先が思いやられるが、今はそう言う潮回りなのだ。
仕方ない。

そして買っちゃったのが、このCDだ。

たしか僕が小学校5年生か6年生の頃、SONYがウォークマンを発売した。
もう30年近く前のことだ。

当時ウォークマンは4万円ぐらいした。
今の価値観でいうと10万円ぐらいの感覚だ。
当然、小学生のクソガキだった僕にそんな高い買い物が出来るわけなかったのだが、ある日、金持ちの友だちが、そのバカ高いウォークマンを親に買ってもらったのだ。
そして、自慢げにそのバカ高いウォークマンで僕に音楽を聞かせてくれたわけだ。
それも、毎日、毎日、会うたびに聞かせてくれた。

……ちょっと待て。
なんだったんだ、アレは?
イヤミか?
今思うと、ひどいヤツだな、あいつ。
でも、当時ただのクソガキだった僕はそんなこと露とも感じず、ひたすら恐れ入りながら、嬉々としてヤツのウォークマンで音楽を聴かせてもらっていたわけだ。
それこそ「ねぇねぇ聞かせてよ~、お願い!」みたいなテンションで、だ。
あぁ~、なんか腹が立つ。

で、そのウォークマンに入っていたミュージックカセットが、いつもノーランズだった。
そう、間違いなく、ノーランズだった気がするのだ。

CMなんかで使われてノーランズは最近リバイバルブームになったらしい。
でも、そんなことは僕には関係ない。
小学生のクソガキだったあの日、ウォークマンで聞いていたあのノーランズが聞ければいい。
そして、25年ぶりに聞いたノーランズは、昔聞いたノーランズの記憶と、なんかイメージが違った。

今度は、中学生の頃、友人のてっちゃんの影響で聞いたブルース・スプリングスティーンのCDを買おう。
でもなんだったんだ、ブルース・スプリングスティーンって。
よく分からん。
まだいるのか、あの人?
しかし、そんなことは今の僕には関係ない。
中学生のクソガキだったあの日に聞いた「ボーン・イン・ザ・USA」がもう一度聞ければいい。
でも、たぶんイメージ違うんだろうなぁ~。

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車で六本木周辺を通ることが多い。
TBS、テレ朝、テレ東、その他、周辺の制作会社をグルグル回ったりするとき。
今日も車で六本木を通った。

3月30日にオープンした東京ミッドタウン。
平日の真っ昼間だというのに、周辺の歩道に、人がワサワサいる。

道端には、わざわざ「東京ミッドタウン→」の看板を持ったバイトの兄ちゃんが何人も立っている。
六本木駅周辺はもちろん、乃木坂方面まで、歩道のあっちこっちにご丁寧にスーツ姿で立っている。
その矢印看板に導かれ、人がワサワサ東京ミッドタウンに向かう。
地下鉄出口から虫のようにワサワサわいてきた人々が、ワサワサとミッドタウンの中に飲み込まれていく。
うーん、気持ち悪い。

人混みが苦手だ。

六本木ヒルズが出来たとき、中に入るまで1年ぐらい待った。
その昔、恵比寿ガーデンプレイスが出来たときは、中に入るまで2年は待った。
表参道ヒルズは半年ぐらいで中に入ったが……
東京ミッドタウンはどうなんだろう?
まだとても行く気がしない。
一生行かないかも知れない。
第一、あそこに何があるのかよく知らない。
何となく「美術館があるんだろ~」程度の知識。

首都高3号渋谷線を通ると、六本木あたりで、左右に巨大な高層ビルが一本ずつ見えるようになった。
丸いのと、四角いの。
丸い六本木ヒルズと、四角い東京ミッドタウン。
だからなんだと言われればそれまでだが、僕的には、同じ丸で揃えて欲しかった。
丸と四角では、なんだか、格好悪い。
というか、相当、格好悪いぞ。
だったらもう一本三角を立てろ。
それなら納得する。



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日本人男子の平均寿命は、78.56歳。
ちなみに女子は85.52歳。
2005年のデータを厚生省がまとめた最新の統計だ。

今年の夏で僕は39歳になる。
2倍すると、ちょうど78歳。
まさに「人生の折り返し点」が目の前に迫っているわけだ。

まだ半分、とも感じるし、もう半分、とも感じる。
ただ、あっという間だったことだけは間違いない。
とくに、社会人として働き始めて以降、時間の進む実感スピードは恐ろしく速かった。
この調子でいくと、もし平均寿命まで生きたとしても、実感としてはまぁ、あっという間に死ぬ日が来るんだろう。

日々生きる上での目標とか夢には、少し先の未来をにらんだモノと、長期的な未来をにらんだモノがある。

少し先の目標や夢だったら、例えば「アノ子と付き合いたい」とか「ナントカっていう車が欲しい」とか「ドコソコへ旅行に行きたい」とか、あれやこれや僕もそれなりに、達成したり挫折したり、手に入れたり入れられなかったり、成功したり失敗したり、いろいろと経験してきたし、今だって、いくつか少し先の夢ぐらい持っている。
ただ、長期的な未来の目標や夢って、最近失っていたかもなぁ~と、ふと思った。

たいへん幸せなことに、僕は15、6歳の頃に夢見た「放送作家になる」という人生の長期的目標をそこそこ達成することができた。
そして、その達成した夢の中で今まで生きてきた。
で、このまま、何となく、そこそこで人生を終えることも出来るだろうけど、せっかくたった一度の人生を生きるんだから、もうひとつ長期的な目標を立てるべきでは、と、平均寿命×1/2の今、ふと考えた。

人生の折り返し点。
そろそろ最終的な人生目標を決めないとまずいのかも知れない。
一体、僕はこの先どうなりたいのか?
どうなって、どう死にたいのか?

で、実際「それってなんだろう?」と考えると、これが難しい。
まぁ、例え決まったとしてもブログに書くことではない気がするが。

普通、人は誰も、そういう人生の最終目標や夢を持っているものなのかな?
少なくとも僕はついさっきまで持っていなかったので、世の中の結構な人が、そんなの持っていない気がする。
日々を何となく生きちゃっている気がする。
なんか、もったいないね。
人ごとみたいだけど。

イカン、ちゃんと考えなきゃ。

そんなことを、朝の4時に考えて、ブログに書いている僕は、どうなんだろう? ってのもある。

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土曜日、ゆえあって、20年ぶりに中学高校時代の同級生の女性と恵比寿で飲む。

彼女は僕の中では「天才」。
中学時代の中間テストや期末テストでは、彼女が常に学年トップで、僕は2位だった。
でも、一度だけ僕がトップを取ったことがあった。
そのときのことを聞いたら、彼女はそのとき、たまたま体調不良で15位だったらしい。
そんなこと、今まで知らなかった。
実力で逆転したと思っていただけに、ショック。
そんな話題を肴に飲むビールがやけに美味い!

この日分かったことその1。
僕の記憶力のなさ。

その後僕と彼女は同じ千葉県の公立高校に進み、2年生の時は同じクラスだったんだけど、僕は、担任の名前や同級生の名前、修学旅行で起きた事件の数々など、ほとんど何も覚えていない自分に気付いた。
彼女はそういう記憶がしっかり残っているらしい。
こういうのを男脳と女脳の違いというのかな?
よく考えたら、僕は結構、昔のことを忘れている。
いや、昔のことどころか、会議中、タレントや俳優さんの名前さえ出てこず、「ほら、あの人、アレなんて言ったっけ?」などとやっているので、脳細胞がいい加減イカレてきているのかも知れない。
38歳なんてそんなもんさ、とも思うが。

この日分かったことその2。
彼女に対する今日までの間違った認識。

中学時代ずっと成績で負け続けた女の子だったので、僕は彼女に勝手に妙なライバル心を抱いていたらしく、高校に進んでからもそんなに仲良くすることはなく距離を置いていた。
だから、土曜日一緒に飲むまで、彼女の「人となり」をきちんと知らなかったことが分かった。
僕はそれまで、彼女はガリ勉のおとなしい女の子だと勝手に思っていたんだけど、それが、バンドのボーカルやって、スキーの腕がプロ並みで、スポーツカーを改造までして乗り回す女の子だったなんて……
全く、人が人に対して抱くイメージなんて勝手なもんだと思い知った。
話さなければ、近くにいなければ、分からないことがある。
確かに、そうなんだろう。

お互い38歳バツイチ。
20年間の時を越えて、なんだかいい夜だった。

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BSフジで新番組がスタート。
「所さんの世田谷ベース」(4月4日水曜22時スタート・ほか再放送あり)
写真は番組の舞台となる成城にある所さんの仕事場、兼、遊び場「世田谷ベース」
車とバイクとオモチャと雑貨が満載の、男の夢の場所。

先日、この番組の第一回放送のプレビューをした。

プレビューとは、本編集前に、ざっくりつないだVTRをスタッフで見ること。
NHKでは、これを「試写」という。
ちなみに、民放とNHKで違う用語を使っていることはほかにもあり、代表的なのはフリップ。
民放では「フリップ」と呼ぶものを、NHKでは「パターン」と呼ぶ。
なぜだか知らないけど。

で、「世田谷ベース」の話に戻ると……
この番組、完全に所さんにお任せだ。
台本なし、プランなし、ただカメラをぶん回す。
「テレビ番組番組」したことを、所さんは今回やりたくないということで、段取りめいたものは一切なし。
だから、出演している所ジョージさんと清水圭さんは、ものすごく自然体。
ただひたすら、思いつきをくっちゃべる。
で、所さんのこだわりのモノがなんとなく紹介されていく。
演者も探り探り、スタッフはもっと探り探り。

で、台本なし、プランなしで、ただひたすらぶん回す番組なので、放送作家の僕なんか正直いって、必要ない。
だから、せめて仕事をしようと思って、プレビューでディレクター相手にいろいろ意見を言う。
「ここはカットできるんじゃないの?」とか、そんなことぐらいだけど。

で、番組第1回目は、なんだかいい仕上がり。
ただ2人がしゃべっているだけなんだけど、だんだん見ている方がその空気に巻き込まれていく。
やたらごちゃごちゃと企画企画した番組が多い中、BSでこんなゆる~い番組を作るのもいいかも知れない。

この中で紹介される「犬の首輪を2本つないでベルトにする」っていう所さんのアイディアには感服。
なるほど、スタッズベルトがそんなに安く手に入るのか~!

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