そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



自宅で仕事をしていると、やたらと玄関のチャイムが鳴る。
やたらと、といっても、そんなに頻繁ではないのだが、4月に入ってから急に増えた気がする。

たまに宅急便が届くのは仕方ない。
しかし、毎日2人ぐらい飛び込みのセールスマンがやってくるのには辟易する。
不動産関係、信用金庫、株式投資、生命保険、食材の宅配業者、そして宗教の勧誘……
いちいち応対して、そのたびに不機嫌になって、「忙しいので」とか「興味ないので」とか「うちはキリスト教です(仏教です)」などと断らなければならないので、まったくもって、イヤになっちゃってるのだ。

そっか、4月か……
入社したばかりの新人サラリーマン諸君が、こういう外回りの営業をやらされているんだろう。
「これも経験だ!」とか「外で汗流してこい!」みたいな、体育会ノリのワケの分からない上司の命令で。
そして、その上司も新人だった当時は、当時の上司に外回りの営業を命じられていたに違いない。
「オレもやらされたから、お前もやれ」みたいなことだろう。
体育会ノリの連鎖だ。
意味あるのかなぁ、そういうの?

高校時代、僕は山岳部に入っていた。

うちの高校の山岳部は、高校の山岳部にしては相当レベルが高く、冬山まで登っていた。
基本的に千葉県の高校山岳部は冬山登山禁止なのだが、うちの高校は、県内で唯一、高校山岳部連盟に加入していなかった。
だから、勝手にアイゼンやピッケルを持って、雪深い冬山まで登ってしまっていたのだ。

当然、トレーニングはハードだった。
放課後になると、ランニング、懸垂、みたいな基礎練習はもちろん、鉛を詰めた50キロのリュックを背負って、毎日3階まで階段の上り下りを10往復~20往復する。
おかげで僕は高2の時、スネの内側の骨を疲労骨折したぐらいだ。
そんな体育会系だったのだ。
体育会系の歴史がずっと続いてきた山岳部だった。

だから先輩は厳しかった。
だって、その先輩も先輩に厳しくされたからだ。
その先輩の先輩も、先輩に厳しくされたのだろう。

僕はそういう厳しいノリが嫌いだった。
そして同じ学年の山岳部仲間もわりとちゃらんぽらんなヤツが多かった。
その結果、僕らが最上級生の3年生になったとき、急に山岳部の体質が変わった。
1年生に厳しくしなかったからだ。
自分たちもハードなトレーニングは面倒なので、後輩のみんなにも適当にやらせていた。
山に入っても、後輩たちと一緒に、バカばっかりやっていた。
そしたら、僕らが卒業して数年経ったら、その山岳部は急に弱体化した。
ワンダーフォーゲル部みたいになっちゃったのだ。
冬山なんか行かない普通の高校山岳部になっちゃった。
つまり、僕らの世代が山岳部を弱体化させる引き金を引いたんだと思う。
いやぁ、悪いコトした。

で、同じようなことを、僕は大学のサークルでもやった。
早稲田の「テレビ放送研究会」というサークルに入っていたのだが、僕らの世代がいい加減だったので、その後数年して、そのサークルは崩壊した。
いやぁ、悪いコトした。

というわけで。
何が言いたかったのか、よく分からなくなったぞ。

ただ、これだけは言える。
セールスマンの皆さん。
僕の家のチャイムを押しても、無駄です。
何も売れないし、どんな宗教にも入る気ありません。

玄関に「セールスお断り」のプレートを出せばいいのだが、どうもあれは、格好悪い。
洒落た「セールスお断り」のプレートを知っていれば、誰か教えてくれ。

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