そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



最近いろいろあって、朝から考え事をしていた。
まぁ、いろいろあったといってもさほど大したことじゃない。
命に関わるとか、人類の未来を左右するとか、地球存亡の鍵を握るとか、そういうことではない。
第一、自分のことではなかったりする。
知り合いのことだ。
身近な人々の身に起こったこと、起こっていること、いろいろについてだ。

そしたら、昔のことを思い出した。

僕が子供のころ、友人に、両手の指が4本ずつしかない男の子がいた。

僕は彼と同じクラスだった。
僕は彼と2年近く仲良く遊んでいた。
大親友ってわけじゃなかったけど、休み時間はたいてい一緒に過ごしていたし、帰り道の方向は一緒だったし、とにかく毎日毎日学校で顔を突き合わせちゃあ、バカをしていた。

僕は彼の指が4本しかないことにずっと気が付かなかった。

そのことを教えてくれたのは、誰あろう、彼本人だった。

知り合って2年近く経ったある日、彼は突然「ほら僕の指見てよ、おかしいだろ?」と言った。
僕は、分からない、と答えた。
だって本当に分からなかったのだ。
彼の両手は実に自然だったから。
僕には彼が抱えているその「欠落」が分からなかった。
でもよく見ると指の数はたしかに4本だった。
中指がぽっかり消えていて、その隙間を人差し指と薬指が左右から綺麗に埋めていて、それは見事なまでに形が整った4本指だった。
彼は恥ずかしそうに「知ってると思ってたよ」と言った。
僕が「ぜんぜん気付かなかった」と言うと、彼は少し笑った。

自然に、堂々と、過ごしていれば、
欠落に他人は気付かない。

たとえ気付いたとしても、
それをいつまでも気にはとめない。

そういうことです。

頑張れ!

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久しぶりにカラッと晴れた。
なので、駒沢公園のプールに行った。
ひざの痛みがなかなか取れず、最近ランニングが出来ていないので、足への負担の少ないスイミングで運動不足を解消しようという意味あいもあった。
とにかく、久々にプールで泳いだのだ。
よく晴れた昼間、仕事に出掛ける前に30分ばかり。

駒沢公園プールの一般開放は9月15日までだ。
この先も天気予報はずっと曇り続きだし、気温もだんだん低くなっていくだろうから、これがたぶん今年最後のプールになるだろう。
この夏、結局僕は何回このプールに入ったんだろう?
おそらく10回ぐらいだろうと思う。
惜しむ夏。
惜しむプール。
惜しむ水着ギャル。
夏は惜しむものが多すぎるね。

実は駒沢公園のプールにはこの夏、素敵な女の子が1人いた。
ライフガードの女の子だ。
たぶん日体大の学生さんでアルバイトしているんだと思う。
僕は彼女の姿を見るのが好きだった。
だから10回もプールに通ったのかも知れない。
そういったやや不純な動機もあった。
認める。
決してそれが全てではなかったけど、かといって無視できない動機だった。
世の中の物事の大半は、得てして複数の複雑な動機を内包しているのだ。

彼女は見事なまでに全身カラッと小麦色に綺麗に日焼けしていて、後ろに束ねた髪の毛は明るい茶色に染まっていて、赤と白のキャップをかぶり、たいていライフガードの制服(?)である黄色いTシャツを着ていた。
そのTシャツの下には、いつもあざやかなグリーンのビキニをつけていて、たまにTシャツを脱いでそのビキニ姿でブールサイドを歩いている彼女の姿は、そりゃもう素敵だった。
それはそれは素敵だった。
そこに僕が感じたのは、性的な興味とは違う素敵さだった。
ひとことでいえば彼女はなんだか「凛としている」のだ。
女の子にしては精悍な顔立ち、やや筋肉質な身体つき、そういった彼女の存在全てが「凛としている」のだ。
夏に似合う素敵な「凜」を自然に身にまとっているような女の子だった。
僕はそんな彼女の姿を見るのが好きだった。

今日も彼女はいた。
残念ながらずっと黄色いTシャツを着ていたから、素敵なグリーンのビキニ姿は見られなかったけど。

来年も彼女がライフガードをしているといいな。
そんな「再会の希望」を胸に、僕はこの先、秋と冬と春を乗り越え、来年の夏、駒沢公園のプールを再訪するのだ。

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