ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

トゥヴァの伝統文化 3

2013-01-23 | 日本文化情報センター
 講演会当日は図書館関係者や近くの学校の生徒さんなど多くの人が集まりました。
 まず初めて見るチョドゥラーさんの民族衣装にびっくり。
 帽子の先が高くとがっているのは「少しでも神のいる天に近づくため」なんだそうです。
 そしてその先端には必ず結び目がついていますが、これも幸福のシンボルだと話していました。
 日本にも水引などこういう縁起のいい結び目がありますよね。

 講演会ではまずトゥヴァ語での挨拶。そしてトゥヴァがどこにあるのかの地図。(これがないとどこにあるのかすら分からない人が多いので、絶対必要。)
 そしてとても分かりやすいトゥヴァの歴史が30分で分かるビデオを上映しました。
 
 ソ連時代はロシア同化政策が推し進められ、トゥヴァ語の文字表記はラテン文字(日本語をローマ字で書くような感じです。)を使っていたのが、いきなりキリル文字(ロシア語)で表記するように変えられたとか(今でもそれが続いています。)伝統文化の廃止、シャーマニズムの禁止・・・などなど受難の時代だったようです。
 特にシャーマンの存在は共産主義の妨げになると考えられたそうで、シャーマンが次々と殺害されたそうです。
 その子どもはシャーマニズムを継承しないように年齢が上の子どもは強制労働をさせられたり、幼い子どもは衣服を取られて、厳寒の真冬に放置・・・
 トゥヴァでは夏は気温30度近くまで上がるのですが、冬はマイナス50度にもなるのだそうです。(場所によってはマイナス60度。)
 
 こうしてソ連政府はシャーマニズムを根絶しようとしたのですが、やはり隠れて伝統を継承していった人たちもいました。
 チョドゥラーさんが幼かったころ、お母さんが病気になったので、お父さんがシャーマンを呼んで治そうと思いましたが、ばれると大変なことになるので、真夜中こっそりシャーマンを招き、家の中で着替えをしてもらい、光がもれないように入り口に布を下げて、近所の人にもばれないように気を使いながら、祈祷してもらったそうです。その結果お母さんは元気になりました。
 ソ連が崩壊してからは逆に国を挙げて伝統文化の復興を目指すようになり、現在チョドゥラーさんのような若い文化継承者育成にも努力しているさなかだそうです。

 今は普通にシャーマンの方は仕事をしており、もう殺されることはありません。
 トゥヴァ人が人口を占める割合は約70%で、18%がロシア人、残りはそのほかの民族なのだそうですが、学校ではトゥヴァ人の子どももロシア人の子どもも仲良く勉強しているそうです。よかったよかった。

 さて、歴史のビデオはとてもおもしろく、モンゴル相撲に良く似たスポーツがあったり、古墳がたくさんあってその中から金の精巧な装飾品がたくさん見つかったり、乗馬の競走をしたりととても興味深かったです。
 シャーマンは日本の巫女やイタコのような口寄せはせず、どちらかと言うと加持祈祷で病気を治す、お医者さんのような役割が大きいと感じました。
 また文化はモンゴル、中国、チベット、ロシアの影響を受けており、独特な世界だと感じました。 

 
 ビデオを見た後、チョドゥラーさんがさまざまな話をしてくれました。
 この画像は清めのスプーンとお茶で部屋を清める儀式です。
 スプーンというより木製のさじですね。9個の点のような模様がついていて、これを「目」と呼んでいます。
 お茶は緑茶と牛乳と塩の入ったもの。(現地では山羊乳を使うことのほうが多いのですが、ベラルーシでは手に入りにくいので牛乳で代用。)

 スプーンでお茶をすくい、まず東の方向から時計回りに南、西、北と4方向にお茶のしずくをパラパラとかけます。方向によって唱える言葉があります。(魔法使いみたい!)
 こうすることにより、家の中が清められます。そして無事新年を迎えられるわけですね。


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