ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

2024年3月29日。ウクライナ侵攻から766日目

2024-03-29 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2024年3月29日。

 モルドバの児童合唱団「ラプソディ」がワルシャワのコンサートに出演した後(すぐに母国へ帰国すればよかったのですが)ベラルーシにも入国して、音楽フェスティバルに出演しました。
 その後、モルドバに帰国しようとしましたが、ポーランドもリトアニアもベラルーシからモルドバ人が国境を越えようとするのを許可しませんでした。

 「ラプソディ」の団長の話によると、ベラルーシの音楽フェス出演後、バスに乗ってポーランドの検問所テレスポリに到着したところ、夜中に4時間待たされた挙げ句、バスはこれ以上先へは進めないと告げられました。
 団長がモルドバ外務省に連絡すると、リトアニア国境に行くようアドバイスを受けました。
 そこへ直行すると、ベラルーシ側の検問所は問題なく通過。しかしリトアニアの検問所ではバスは離れたところに駐車させられ、団長だけが国境警備隊と話ができる状態に。
 合唱団の子供たちはバスの中で一晩過ごし、7時間も待たされ、トイレに行きたいと言っているのにバスから降りることは禁止。
 団長がバスから下りて、子どもをトイレに行かせたいと言おうとすると、リトアニアの国境警備隊はバスに戻れと命令。
 子供たちをトイレに連れて行きたいと何とか訴えると、国境警備隊はロシア語がわからないとすっとぼけます。
 団長がそれでもと二歩前に出ると、国境警備隊の一人が機関銃を向けてきました。
 子どもたちはトイレにも行けずバスの中に缶詰の状態。

 その後、国境警備隊はモルドバの子ども合唱団が国境を越えることを許可されなかった理由を示す文書を持ってきましたが、そこに「(モルドバの子ども合唱団は)リトアニアの国家安全保障に対する脅威であるから」と正式に書かれていたそうです。
 この事件はベラルーシで報道され、ベラルーシ人はモルドバの子どもたちが一刻も早く家に帰れるよう祈っていました。
 報道されると、今度はリトアニア側が、モルドバ人側に書類の不備があったと言い出しました。

 ベラルーシ側は子どもたちを気の毒に思い、国境近くの村へバスを移動させ、地元の学校で給食をごちそうしました。
 内訳は子供 11 人、大人 12 人、バス運転手 2 人だったそうです。
 この人たちはベラルーシに大変感謝していました。

 報道や外交レベルの交渉のおかげで、慈善団体が支援を申し出たり、モルドバの有名な野党政治家がキシナウまでの航空券の支払いを申し出てくれたそうです。
 さらに同行していた大人(合唱団のメンバー、子どもの保護者)もSNS上で助けを求めるメッセージを公開し始め、これに応じた人々の中にモルドバの前大統領イーゴリ・ドドンの電話番号を知ってい流人がいたので、すぐに電話してくれたそうです。
 ドドンはリトアニアのモルドバ領事に連絡を取り、しばらくして、モルドバ外交官が問題の解決に乗り出しました。
 ベラルーシのモルドバ大使館からも村の学校を訪問。児童合唱団に対して、帰国できるようにすると約束しました。
 そして、今日の午後、合唱団は国境を超えてリトアニアに入国できました。その後1日かけて陸路でモルドバに帰国する予定です。明日ようやく家に辿り着けそうです。



 ロシア最高検察庁は今日、「百万本のバラ」などのヒット曲で知られる国民的歌手アーラ・プガチョワをスパイを意味する「外国の代理人」に指定するよう法務省に要請しました。
 御本人はとっくに家族でイスラエルに移住。
 夫のテレビ司会者マクシム・ガルキンが侵攻を批判したところ、外国の代理人に指定されたため、自分自身も指定するよう訴えていました。
 その結果が今日のこの決定です。
 例えて言うなら、日本政府がどこか隣の国に侵攻して、それを批判した歌手(紅白歌合戦でトリになっている歌手)を外国人のスパイ認定し、命の危険を感じてどこか遠い中立の国に家族で移住しました、もう日本国内の歌番組には出演しません、と言っているような感じだと言えばわかりやすいでしょうか。


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