7月14日、ヨシフ・ゴシケーヴィチゆかりの地、マリ村へ行ってきました。
ヨシフ・ゴシュケーヴィチは帝政ロシアの初代日本領事だった人です。
4月にこのような記事を書き、ゴシケーヴィチの生誕地は、グロドノ州と書きましたが、間違いです。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/35cd5b2b5a7fb5f4ead9d35b4a06af9f
ウイキペディアではミンスク郊外の生まれ、となっていますが、諸説あってはっきりしないそうです。
生まれた年も1814年説と1815年説と二つあります。また埋葬された場所(お墓のあるところ)も確定していません。
2014年は生誕200年に当たるため、さまざまな記念式典が開催される予定ですが、それに向けて、出身地や埋葬の地などはっきりさせようではないか、ということになり、現在ベラルーシの学者が中心に調査をしようとしています。
ゴシケーヴィチの氏名の表記ですが、これもいろいろあります。(ゴスケウイッチとか・・・)
ベラルーシ語表記からの転記だとヤゼプ・ガシケービッチになるのですが、ウイキペディアではヨシフ・ゴシケーヴィチとなっていますので、このブログでもこれからそのように統一します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%B7%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
ゴシケーヴィチが生まれたところは「ミンスク郊外(それ以上の詳細不明)」「ゴメリ州ゴシキ村」「ゴメリ州ヤキモヴァ・スロボダ村」と3つの説がありますが、まだ特定されていません。
逆に人生最後の数年を過ごした場所ははっきり分かっています。
それはグロドノ州オストロベツ地区マリ村というところです。
ミンスクから車で片道2時間、ベラルーシ国立文化芸術大学の文化学の教授で、ゴシケーヴィチのことを研究しているスモリク先生のお誘いを受け、マリ村へ行くことになりました。
まずはオストロベツへ出発です。
これはオストロベツ地区役所の公式サイトです。
http://ostrovets.grodno-region.by/
英語バージョンもありますが、ロシア語バージョンのほうが情報も多いし、画像がたくさん見られます。
リトアニアの国境のすぐそばで、小さいけれどきれいな町でした。
画像はオスロトベツ地区役所です。当日は雨で天気が悪かったのですが、午後は少しずつよくなっていきました。
スモリク先生が地区役所(という表現が分かりにくいのですが、日本で言えば、この地区と言うのは郡、と表現するほうがいいかもしれません。)の文化部門担当者のナタリヤさんに事前連絡しておいてくれたので、まず地区役所に向かいました。
ナタリアさんが地区役所のすぐ近くにあるギムナジア(11年制の学校ですが、1年と5年、10年のときに入学試験を受けて合格すると通学できる学校です。)を案内してくれました。
この学校に前から行きたいと思っていたのです。それはこの学校内にゴシケーヴィチ記念室があるとベラルーシ文化研究所のマラジス先生(この方もオストロベツ出身で、オストロベツ地区役所発行のパンフレットに言葉を寄せていました。)から教えてもらっていたのです。
ヨシフ・ゴシュケーヴィチは帝政ロシアの初代日本領事だった人です。
4月にこのような記事を書き、ゴシケーヴィチの生誕地は、グロドノ州と書きましたが、間違いです。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/35cd5b2b5a7fb5f4ead9d35b4a06af9f
ウイキペディアではミンスク郊外の生まれ、となっていますが、諸説あってはっきりしないそうです。
生まれた年も1814年説と1815年説と二つあります。また埋葬された場所(お墓のあるところ)も確定していません。
2014年は生誕200年に当たるため、さまざまな記念式典が開催される予定ですが、それに向けて、出身地や埋葬の地などはっきりさせようではないか、ということになり、現在ベラルーシの学者が中心に調査をしようとしています。
ゴシケーヴィチの氏名の表記ですが、これもいろいろあります。(ゴスケウイッチとか・・・)
ベラルーシ語表記からの転記だとヤゼプ・ガシケービッチになるのですが、ウイキペディアではヨシフ・ゴシケーヴィチとなっていますので、このブログでもこれからそのように統一します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%B7%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
ゴシケーヴィチが生まれたところは「ミンスク郊外(それ以上の詳細不明)」「ゴメリ州ゴシキ村」「ゴメリ州ヤキモヴァ・スロボダ村」と3つの説がありますが、まだ特定されていません。
逆に人生最後の数年を過ごした場所ははっきり分かっています。
それはグロドノ州オストロベツ地区マリ村というところです。
ミンスクから車で片道2時間、ベラルーシ国立文化芸術大学の文化学の教授で、ゴシケーヴィチのことを研究しているスモリク先生のお誘いを受け、マリ村へ行くことになりました。
まずはオストロベツへ出発です。
これはオストロベツ地区役所の公式サイトです。
http://ostrovets.grodno-region.by/
英語バージョンもありますが、ロシア語バージョンのほうが情報も多いし、画像がたくさん見られます。
リトアニアの国境のすぐそばで、小さいけれどきれいな町でした。
画像はオスロトベツ地区役所です。当日は雨で天気が悪かったのですが、午後は少しずつよくなっていきました。
スモリク先生が地区役所(という表現が分かりにくいのですが、日本で言えば、この地区と言うのは郡、と表現するほうがいいかもしれません。)の文化部門担当者のナタリヤさんに事前連絡しておいてくれたので、まず地区役所に向かいました。
ナタリアさんが地区役所のすぐ近くにあるギムナジア(11年制の学校ですが、1年と5年、10年のときに入学試験を受けて合格すると通学できる学校です。)を案内してくれました。
この学校に前から行きたいと思っていたのです。それはこの学校内にゴシケーヴィチ記念室があるとベラルーシ文化研究所のマラジス先生(この方もオストロベツ出身で、オストロベツ地区役所発行のパンフレットに言葉を寄せていました。)から教えてもらっていたのです。