私が大好きなコミック『夜廻り猫』に登場する猫さんの中に「おこそずきん」という子がいます。
いつも、おこそずきん(知らない人は検索して見てね)を夜風になびかせて、お腹の空いている夜廻り猫こと遠藤平蔵たちに、屋根の上から中華まん投げていくというキャラクター「おこそずきん」が温かい存在なのです。
突然に空から中華まんが降ってきて、たいそう驚くのですが、空腹に耐えかねているときには、どんなにありがたいことだろうと読者のお腹も温かくなります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_pink.gif)
そして先日のこと。
朝日新聞の「一語一会」(この文字は間違いではありません)という連載の記事の中に、水中写真家の中村征夫さんが登場しました。
中村さんは幼い頃は家庭的にすさまじいご苦労をなさっています。
小学二年生の頃にはお父さんが多額の借金を残して失踪、差し押さえが来て、食べるに事欠く暮らしをされていました。
そんなある日、行商に出かけた義理のお母さんは、汽車賃もなく空腹で倒れそうになりながら線路沿いの道を歩いていました。
ずっと前の方を歩いていた幸せそうな親子が、ふっと脇道にそれて姿が見えなくなりました。
その辺りにさしかかると道ばたにアンパンが落ちていたのだそうです。
前を歩いていた親子が落としたのかと探しても姿は見えず・・・
天の恵みと思い、ありがたくいただいたとのこと、どなにうれしかったことでしょうか。
その時の経験もあったのでしょう、「頑張っていると必ず良いことが巡ってくるね」とおっしゃる母の言葉は、18歳で上京して苦労が続いた中村さんを いつも支えてくれたそうです。
この記事を読んだとき、私の頭には『夜廻り猫』のおこそずきんが落としていく中華まんの事が浮かびました。
荒唐無稽ともいえる「おこそずきんが落としていく中華まん」は、コミックならではの設定と思っていましたが、急に現実味を帯びたのでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
作者の深谷さんはどんなお話や経験を元に、この場面を想定されたのでしょうか?
うかがってみたい気持ちがします。
そして、中村さんのお母さんも、たった一つのアンパンでしたがどんなにかありがたく思われたことかと、私までが夢のような出来事に感謝したことでした。
私自身も、子供たちに、明日何を食べさせようかと思う苦労をくぐり抜けてきたから、感じたことだったのかもしれませんが。
いつも、おこそずきん(知らない人は検索して見てね)を夜風になびかせて、お腹の空いている夜廻り猫こと遠藤平蔵たちに、屋根の上から中華まん投げていくというキャラクター「おこそずきん」が温かい存在なのです。
突然に空から中華まんが降ってきて、たいそう驚くのですが、空腹に耐えかねているときには、どんなにありがたいことだろうと読者のお腹も温かくなります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_pink.gif)
そして先日のこと。
朝日新聞の「一語一会」(この文字は間違いではありません)という連載の記事の中に、水中写真家の中村征夫さんが登場しました。
中村さんは幼い頃は家庭的にすさまじいご苦労をなさっています。
小学二年生の頃にはお父さんが多額の借金を残して失踪、差し押さえが来て、食べるに事欠く暮らしをされていました。
そんなある日、行商に出かけた義理のお母さんは、汽車賃もなく空腹で倒れそうになりながら線路沿いの道を歩いていました。
ずっと前の方を歩いていた幸せそうな親子が、ふっと脇道にそれて姿が見えなくなりました。
その辺りにさしかかると道ばたにアンパンが落ちていたのだそうです。
前を歩いていた親子が落としたのかと探しても姿は見えず・・・
天の恵みと思い、ありがたくいただいたとのこと、どなにうれしかったことでしょうか。
その時の経験もあったのでしょう、「頑張っていると必ず良いことが巡ってくるね」とおっしゃる母の言葉は、18歳で上京して苦労が続いた中村さんを いつも支えてくれたそうです。
この記事を読んだとき、私の頭には『夜廻り猫』のおこそずきんが落としていく中華まんの事が浮かびました。
荒唐無稽ともいえる「おこそずきんが落としていく中華まん」は、コミックならではの設定と思っていましたが、急に現実味を帯びたのでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
作者の深谷さんはどんなお話や経験を元に、この場面を想定されたのでしょうか?
うかがってみたい気持ちがします。
そして、中村さんのお母さんも、たった一つのアンパンでしたがどんなにかありがたく思われたことかと、私までが夢のような出来事に感謝したことでした。
私自身も、子供たちに、明日何を食べさせようかと思う苦労をくぐり抜けてきたから、感じたことだったのかもしれませんが。