私は幼い頃、左利きでした。
今でこそ左利きの子供も特別視されなくなったようですが、私が子供の頃には、「あの子ギッチョやねんで~」と皆から白い目で見られがちでした。
だから親は、我が子が左利きだと、心配して一生懸命に直す努力をしたものです。
しかし私の母は、違っていました。
「ギッチョはねえ、頭がええねんで」とほめてくれたのです。
だから私は、不便さは感じつつも、肩身が狭い思いはしませんでした。
少し大きくなってから、
「右も使えると便利やから、ちょっとずつ練習してみたらどやろ?」と言われて、それはそうだと思って練習すると、どちらも使えるようになりました。
ハサミなど、今のように左利き専用のがない時代だったので、右が使えるのは大変便利で、ことのほか嬉しかったのを覚えています。
懐かしい思い出のひとこまです。
雲に同じ形のものがないように、子供もみんな違います。
違うことを「困ったこと」と捉えずに、個性と考えてうまく伸ばし、他の面も引き出してやる。
そこが親子の楽しさだと、私には思えてならないのです。
夕空の雲も光も、いつも違っていて、みんな違って、それがすばらしいなあと・・・・
今でこそ左利きの子供も特別視されなくなったようですが、私が子供の頃には、「あの子ギッチョやねんで~」と皆から白い目で見られがちでした。
だから親は、我が子が左利きだと、心配して一生懸命に直す努力をしたものです。
しかし私の母は、違っていました。
「ギッチョはねえ、頭がええねんで」とほめてくれたのです。
だから私は、不便さは感じつつも、肩身が狭い思いはしませんでした。
少し大きくなってから、
「右も使えると便利やから、ちょっとずつ練習してみたらどやろ?」と言われて、それはそうだと思って練習すると、どちらも使えるようになりました。
ハサミなど、今のように左利き専用のがない時代だったので、右が使えるのは大変便利で、ことのほか嬉しかったのを覚えています。
懐かしい思い出のひとこまです。
雲に同じ形のものがないように、子供もみんな違います。
違うことを「困ったこと」と捉えずに、個性と考えてうまく伸ばし、他の面も引き出してやる。
そこが親子の楽しさだと、私には思えてならないのです。
夕空の雲も光も、いつも違っていて、みんな違って、それがすばらしいなあと・・・・