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そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

自然の力

2022年01月27日 | 心に残っている言葉
北村陽さんという、日本が誇る若きチェリストをご存知でしょうか?

プロフィール
2004年兵庫県西宮市生まれ。
2017年、第10回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール優勝。
9 歳でオーケストラと初共演、10 歳で初リサイタルを行う。

 私が初めてお名前を知ったのは、彼が12歳で大阪でリサイタルを開いたときの新聞の紹介記事でした。
チェロの名器である「カッシーニ」を抱いた写真は、まだ「可愛い」という表現に違和感がありませんでした。

その少年が、ある時ヨーヨー・マさんと会って、質問しました。
「自分にしかない音を持つにはどうしたらいいですか?」
ヨーヨー・マさんの答えです。
鳥の声やすべての自然の営みに耳を傾けてください。そこから自分の音がみつかるから。ぜひ学び続けなさい

この記事を読んでから後に、こんな記事も目にしました。
ウイーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルさんの言葉です。
「バイオリニストに限らず、優れた音楽家として必要なのは、人としてどうであるかということです。(中略)人として、その人が人生とどう向き合うか。
大切なのは自然の感覚を持っていること。自然と触れあうことです。(後略)」

「コンクリートに囲まれて暮らしていて、自然と触れあうことの無い人からは、どんなに技術を磨いていても、決して素晴しい音楽はうまれません、音符を弾いているだけで、音楽になっていないのです」とも。

今の我が国の有り様を見て、これからの様々な文化や芸術の変化に不安を感じているのは、私だけではないと思います。


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写真は、枚方市に住んでいた頃、とても冷え込んだある朝に自動車のフロントガラスに出来ていた不思議な形の霜の姿です。1センチくらいの結晶でした。



静かに心の支えとなってくれる詩を

2022年01月24日 | 心に残っている言葉
上皇后美智子さまがお若い頃から愛され、ご自身で英訳なさって世界に広がっていったという素晴しい詩です。

この詩は、終戦後3年という時期に発表されています。
戦争で多くを失った深い悲しみの中にある人々の心と、そこに降りつむ雪の静けさの中で、希望を失わず生き抜けと、あたたかく励ましてくれる豊かさを感じる詩だと思います。

戦後という時期でなくても、様々な悲しみ苦しみの多い今の世に、静かな励ましを送ってくれる詩ではないでしょうか。

>『AERA』(朝日新聞社 2019.1.21刊)より

     


      降りつむ
              永瀬清子

かなしみの国に雪が降りつむ

かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ

失いつくしたものの上に雪が降りつむ

その山河の上に

そのうすきシャツの上に

そのみなし子のみだれたる頭髪の上に

四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ

夜も昼もなく

長いかなしみの音楽のごとく

哭きさけびの心を鎮めよと雪が降りつむ

ひよどりや狐の巣にこもるごとく

かなしみにこもれと

地に強い草の葉の冬を越すごとく

冬を越せよと

その下からやがてよき春の立ちあがれと雪が降りつむ

無限にふかい空からしずかにしずかに

非情のやさしさをもって雪が降りつむ

かなしみの国に雪が降りつむ




俵万智歌集『たんぽぽの日々』より

2022年01月20日 | 心に残っている言葉
 振り向かぬ子を見送れり振り向いた時に振る手を用意しながら

子供が幼いときは手をつないで歩きますよね、やがて幼稚園から小学校低学年くらいの間は、見送るときにはバイバイと手を振る。

そのうちに振り向いてくれない日が来るのだけれど、それでも母はじっと見送る。

あるとき、思い出したように振り返って手を振る時があるので、母の手は、そんな時にもすぐ振り返せるようにと胸の辺りに置いている・・・
この短歌を読んで、具体的に想像する情景は、こんなところでしょうか。

でもこの歌にはきっと、もっと深い気持ちが詠み込まれていますよね?

いつも身近にいた我が子が親離れして、自分で考えて行動することが多くなっても、ときに心細くなって「お母さん~」と近寄って来ることがあります。
そんなときにはそっと寄り添ってやれるようにと、いつもじっと見守っている母の気持ちがこめられているのではないかと思うのです。

子を想う気持ちが詠み込まれた、暖かい親心がいっぱいの歌ですよね

さて、どうするか?

2022年01月18日 | 心に残っている言葉
        あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、
        
        それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、

        自分のあり方を決める自由である。

                      ビクトール・E・フランクル


 「夜と霧」の中にあるというこの言葉を、もう少し私たちの日常生活に当てはめて訳された者があります。

        人間の自由とは
      
        諸条件からの自由では無くて

        諸条件に対する

        自分のあり方を決める自由だ


 たしかに、どんな場にあっても、今ここで自分がどうするかを決めるのは大事です。

場面によりますけれど、よく考えて自分が納得できる選択をすれば、後々後悔することがないでしょう。もし、あったとしても、自分で選んだことやから、まあしゃあないな・・・と思えますよね。

 ちょっと違うかもですが、私が大好きだった阪神タイガースの藤川投手が、何かをするときに「それが自分らしいかどうかを考えて決める」と書いていたのを読んで、あ、いいな!と思ったことがありました。

 いつも親の顔色をうかがっていた自分の子供時代を振り返って、凄く残念で口惜しくて、親が亡くなって時間が経ってから、何でも自分で考えて決めようと決心したのを思い出します。

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写真は、空に現れる虹色のひとつである「環水平アーク」です。南の空似現れます。
よく似た現象に「環天頂アーク」というのがありますが、そちらは頭の真上に現れて、色の並び方が違っています。水平アークとは逆で一番上の色が水色なのです。

        

   

自分への戒めとして大切にしている言葉

2022年01月15日 | 心に残っている言葉
        貧しさは羞ずるに足らず

        羞ずべきはこれ貧しくて志なきなり

        老いるは嘆くに足らず

        嘆くべきはこれ老いて虚しく生きるなり


                    呻吟語 より


わずかな年金で暮しているので、思うように本も買えず、勉強もはかどりません。
そしてまた、歳を重ねるとともに,考える力や記憶する力が衰えます。
とても悲しいですが、嘆いてもどうにもなりません。

だからといって、虚しく日を送ってはならないと、言うのです。
多少なりとも誰かの、何かの、役に立つようにと努力せよ・・・と。

ならば、体力の無い私にも出来ることをと思い、自分の知ったことを世に送り出す努力をしましょう、というわけで貧しいブログなどを続け、Twitterでは元気をなくしている人のツイートに励ましを書いたり、何か役に立ちそうな事を知っていたら書き込んだりしています。
たまには、よろこんでいただける事もあるので、自分の励みにもなります。
自己満足の気休めに過ぎないかもですが・・・・

写真は、枚方市に住んでいた頃に見た、朝の太陽柱です。 東の空が開けていましたので、冷え込んだ冬の朝など何度か見る機会がありました。
とてもパワーがあって、ごうごうと、光が音を立てているのではないかと感じるほどです。


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『呻吟語』(しんぎんご)は、中国の古典籍の一つ。著者は明代の哲学者・呂坤。呂坤が30年に及ぶ長年に亘って良心の呻きから得た所の修己知人の箴言を書き記し、収録した自己啓発の書。六巻本で、内篇・外篇に分かれ、全17章より成る。
                 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』

Amazonなどで検索されると、たくさん販売されています。

俵万智『かぜのてのひら』後書きより

2022年01月12日 | 心に残っている言葉
『かぜのてのひら』は、俵さんの第二歌集です。
ちょっと古いですが、「後書き」の中のこんな言葉が心に残っているので、ご紹介してみます。


>たとえば、心が鳴る、と感じることがあります。
哀しい風、幸せの風、日常ふと通り過ぎる風。それらが心のどこかを鳴らしては遠ざかっていきます。
一瞬だけれど、私の中に確かに聴こえた音楽。それを言葉という音符で書きとめることが、歌を詠むことなのではないか、と思います。
歌集というのは、それらを集めた音符のようなものなのかもしれません。

手にとって読んでくださった人の心の中で、もう一度音楽が奏でられたら、ほんとうにしあわせなことだと思います。

 四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら


            


写真は、記事の内容にはふさわしくありませんが、大阪府枚方市に住んでいた頃に、高いところから見おろした竹藪に降る雪です。
この日はつめたい風が、竹藪をゆっくりとゆらしていました。
風の音がかすかに耳に残っています。


ブログの文面上、読んでくださる方が読みやすいようにと思い、「後書き」の文面を私の勝手な考えで改行させていただいている部分があります。
文章は変えておりません。
俵さんに失礼をお詫びいたします。

エンパシーについて

2022年01月07日 | 心に残っている言葉
寒に入り、厳しい冷え込みが続きます。
お変わりありませんか?
私は、七草がゆをいただいて、お正月気分から抜け出さなくっちゃ、と思っているところです。

冬の間は雑草たちも、土にへばりついて寒さをしのいでいますし、昆虫たちは冬ごもり中で姿を見せません。
なので当ブログもネタがなくお休みしないといけないところですが、せっかくご覧くださる方もいらっしゃるのにと思い、しばらくの間、若いときから長い間、日記に書き留めたり新聞から切り抜いたりしてきた色々な言葉を、古い写真と共にご紹介していくことにしました。

今日のテーマは「エンパシー

フレディみかこさんの『ぼくはイエローデホワイトで、ちょっとブルー』の中にも書かれていることですが、、
>英国には「他人の感情や経験を理解する能力」エンパシーを学ぶ授業があるという。同じように共感と訳されるシンパシーは感情的な状態で、エンパシーは知的作業だとフレディさんは書く。豪雨が続き、新型コロナ感染が止まらないのに、「GO to キャンペーン」。日本にこそ必要なカリキュラムではないか。(朝日新聞2020・7・15「キュー」より)

例えば、学校の先生でさえ、このエンパシーの欠ける方がたくさんいらっしゃる。
いじめの問題や、学校で起きる様々な問題に対する対応を見ていると、それを感じます。

日々の生活の中でも、特に最近、他人に対する思いやりに欠ける人が多々見られます。

このままでは、ますますギスギスした世の中になってしまいそうで、恐いですが、あなたはどう思われますでしょう?

この記事を書きながら、自分がそうならないように、心して生活していかなくては! と改めて思っています。