柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

理より利

2008-09-20 08:42:13 | Weblog
農相辞任です。この前就いたばっかりで馬鹿を言うだけ言って首斬られました。否、首じゃなくて尻尾として切られました。確かにこのおっさんの所為じゃないことです、何年も前からのズルがここでバレただけです。でもこの業界のしきたりです、前任者の失態は現職の責任です、当時何の関わりもなかった現職が責任を負います。政府のやってきたことには違いがないからです。それはいいんですが、それで事を済ませようとする目的も見え見えで、この農相も苦々しい顔してますが言う内容は通り一遍、これでいいんだろう?と開き直ってます。もう辞めていく人ですからあまり噛みつかないんでしょうが、今回もおかしな事言ってました、農水省の責任としてけじめを付けるんだという表明の前に「この際」とつけてました。この際責任をとった方がいいだろうと考えたいう意味です。この男馬鹿にもほどがあるというか、言葉の重要性というものを考えたことがないのかと呆れることです。最後の最後までやってました。とほほ。
 自民党の総裁選、ぱったり報道が止みました。そんなことより民主党と国民新党の合併お流れ事件の方が面白いです。どっちがごねたのかは想像つきますが、新聞読むと綿貫爺さんえらく大きく出ていて、一旦民主党を解党して新名称の党にしろって。そりゃ無理ってもんです。外野が考えてもそう思います。でもそれはもちろん今回の選挙がらみの思惑です、吸収合併されたのでは国民新党側の議席が確保されなくなることや、吸収されたら比例区で立てないという決まりだそうです。ああ少数党の悲しさというか、小は大に呑み込まれるが運命と言うべきか。対等合併なんてのは言葉の上で概念の上で成り立つだけのこと、実際は全て吸収合併です。銀行併合然り、市町村合併然り。市町村合併はあからさまでしたね、小さい方の役場は支所に落ちて閑古鳥、ここでは何にも解決しないという一派出所に成り下がってます。ここもそうなるに違いないのです。小沢さんから見れば綿貫さんや鬼瓦静香、島根の亀井さんと小選挙区で競合しないようにしておけば、数少ないとは言え反自民勢力の結集という外見は調えられるとの読みでしょう。十人に足らぬ小党ですが、これだけマスコミを呼べるんですから利用価値があると踏んだのでしょうね。でも所詮は極左から「自民党」までの寄り合い所帯ですからね、頭でっかちの理論家揃いの坊ちゃん集団にこういう決断がこんな大事な時期にできるはずがないというか、するべきじゃないですわね確かに。小沢さんの「間に合わぬ」はよくわかる理由でした。こっちの条件を呑んでくれるなら、もっと言えばあんた達が横着言わないならという前提の合併話だったんでしょうね、当たり前のことですが。こりゃぁご破算です。選挙に勝っていくらの人達です。理より利です。性根はこんな事です。
 
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差別

2008-09-19 08:44:40 | Weblog
イチロー8年連続200本安打です。どれだけすごいことなのか野球やったことのない者には到底実感のないことで、その数字にだけ、他の数多の大リーガー達の数字と比較してその差にだけびっくりしている、そして手を叩いているのですが、新聞やTVの扱いの大きさは事の大きさと比例することなのでしょう。知りたいのはアメリカがどう評価しているかではありますが。インタビューが新聞に載りTVでも一部放映されます、僕だけにしかわからぬ苦しみを越えられたのは僕だからといったものすごい自負心です。ここに感心します。この人のこういうところ感心します。きっと横着わがままな奴なんでしょうがこうやって計算して話せるところの才能です。凡百の政治屋達に爪の垢でも煎じて飲ませたいです。素人でも同じレベルで賞賛できることは状態を維持する力、日頃のストイックさ。これほどのレベルを維持することは並みの工夫じゃ足りぬ事でしょう。私はこういう工夫継続できることこそが才能なのだ(運動能力だけを指すのではなくて)という考えを持つ者ですが、具現してくれている対象その一ですこの人。もっとも、イチローが才能と維持管理能力とを同一視するかどうかは知りませんが。
 高校生の落雷事故、学校の責任と判決がでました。最高裁からの高裁差し戻し審ですからこれで確定(正確にはまだ上告はできるのでしょうが)です。落雷は十分に予見できたという判断です。落雷を予見する。字面だけ見るとそんな無茶な・・と思います。自然現象を予想する?そんなことできるはずがないじゃないかって一般論です。でもこの場合は違ったんでしょう、落雷警報がでていて雨が降っていてピカピカ光ってゴロゴロ鳴っていてという状況なら確かに予見できると言えましょうか。これでまた体協やら学校は数歩引きます、下手したら今まで雨降ろうが槍降ろうがのスポーツだったサッカーやらラグビーまで単純な雨天中止になりかねません。いやおそらくビビリの指導者にかかればそうなります。きっと野球もね。こういう判決は、被害者の思いは別にして、社会の「乱暴さ」(これは運動会の旗奪い的な、そこまでやる?無茶を許し楽しむ気分です)を削ぎ落としていきます。つまり面白くなくなっていく。そうですね?
 北京パラリンピック終幕です。朝日に記者のコラムです。中国がメンツを賭けて金と人とを注ぎ込んで、五輪の付録状態からパラリンピックを独立させた功績は大きいが、気になったこともあると言います。何かというと、視覚障害者の柔道会場で場外がわからなかったり、相手の居所側からなかったりした場面で笑い声が起こったこと、ボールの音を頼りに競技する視覚障害者のサッカー会場で大声出して声援する人達がたしなめられたりしたことを挙げて、障害者の理解を深めることが意義の一つに違いないのだ、と叱っているのです。ううむ、出たぞ人権至上、健常者差別思想。障害者でない人は障害者に対して一歩も二歩も引きなさいという命令です。こんな空気の中で楽しめって?緊張しながら、障害者の気に障らないように注意しながらタイミングを見て大きな声援を送りなさいって指示ですね。障害のない人には障害のある人達に同情し応援する義務があるというわけでしょう。本当ですか?誰が決めたんです?そんなこと強制されずとも普通の感覚の持ち主ならわかっていることです。正義の味方を自認するのでしょうね。大正論の振り回し。偽善のぶん回し。スポーツを楽しむのでしょう?人に見せているのでしょう?この辺りが都合のよい線引きなんですね。ある時は健常者を差別してうんと押し込む、またある時はどちらも同等なのだよなんて猫なで声になる。どうですかね。いいかげんにその手の差別をやめるべきですが、わかっていないのでしょうね。
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分立

2008-09-18 08:43:35 | Weblog
昨日プロ野球プレーオフの事を、3位争いが白熱するとこれはこれで面白いことと書きました。今日の日経で辛口の直言居士豊田がバッサリ斬ってます。両リーグ最下位の野村、大矢監督の留任が早々に決まりましたがここへのけじめのなさを叱ってます。そしてそれは五輪惨敗の総括のないことに波及し、負けてもいいんだという風潮に釘を刺し、それが子供たちに与える影響は小さくないと大きく警告しています。うむ、そう言われればそうなのです。プレーオフは3位になればいいやという監督の甘さを産むでしょうし、そういう計算の元に勝ち負けを組み上げてプレーオフでの短期決戦に全ての戦力を合わせていくなんて戦術もあるわけですね。ペナント一位は一位だなんておだてても先のソフトバンクの好例があります、あくまで年間一位だったという結果だけになります。そしてそれは翻ればAクラスにも入れないチームの監督の責任の大きさも物語るはずだと彼の説です。なるほど、その通り。勝てなかったらちゃんと総括しろ。監督更迭しないならその理由を詳らかにしろと。その通り。まず星野ジャパンなるものをちゃんと総括して欲しいですね。誰が?星野をチヤホヤして担いだ連中の前でうるさ方たちを集めてやる、張本、江本、野村、スポーツ評論家達、そしてこの豊田。結果だけの世界だと大見得切って大言吐いていた男です、結果出せなかったんですから逃げられませぬ。まずはどのレベルの野球ファンでもわかるであろう星野問題から手をつけてもらいたいことです。でも、絶対やらないでしょうね。だれが総括する場をつくるんだ?で揉めて、五輪は勝つことだけが目的じゃないからなんて与太で括られてしまって。みえるようです。
 大分県教委贈収賄事件、いよいよ佳境ですか。誰がどういう口利きをしたのか、これがわからなければ次に繋がらないのは誰が考えてもわかることだろうと思うのですが、被告の弁護士がそれを請求したところ裁判所は公開不適当なんていったそうです。県議や国会議員から一刺し入ったんでしょうね。つまらぬ事ですがこれが現実です、三権は分立していません。人事権や給料、賄賂でどこのどの人間も動かせます、黙らすことができます。贈収賄額は20万から数百万円です。なんと小悪なことよのう、と悲しくなり滑稽に思うことですが、曾野綾子が産経新聞でこう言ってます。麻生さんの「オレは昔から金持ちやってたから」云々との発言をとりあげて、政治家は一面では金持ちの方がいいに決まっている、貧しい生活の実態を知らないのは困るのだが、政治で儲けようとする人はもっと困るから、と。精神と生活の実態が見かけより貧しい政治家が何をやるかわからないから一番怖い、とも。政治家に限らぬ話です、権力持つ者全てに当てはまる話です。何十万、もっと言えば何百万円よりも目の前で五万、十万握らされるほうが効く、大金持ちでもなければそんな「臨時収入」「額の大きい小遣い」は魅力的です、そうかい悪いねなんて言いながらポケットに入れる。そこを「精神と生活の実態が見かけより貧しい」というのでしょう。いい先生だったのに、という評判がそれを裏付けます。多めの小金に目が眩むというわけです。身につまされることではあります。このケースのように長年の慣習であれば罪の意識も薄かったことでしょうし、この地位につくことはそういう操作をすることという暗黙の了解事でもあったのでしょうから、今回挙げられた人だけを悪人にしたのではそれこそトカゲのなんとかですが、しかしここで何かを切らないと先に進めないですね、この組織としてもまた世間に対しての処置としても。しかしそれでも口を利いて、中間マージンを吸い続けてきた本当の悪党達には手つかずです。ううむ、水戸黄門になりたい!桃太郎侍でも拝一刀でもいいですけど・・叩っ斬ったる!
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国替え

2008-09-17 08:43:42 | Weblog
阪神危ない。というか巨人が調子に乗ってきました。三位争いも面白いところ、こういう展開はプレーオフ制度を採り入れたからこそのことなので、広島のはしゃぎぶり(中国新聞のスポーツ新聞化というか)見るとああこれもいいのかなと思うことです。広島にとればまこと久しぶりのことですからね。いや、阪神のことです、一直線下り坂。かたやの巨人昨夜の韓国の四番の三本が象徴します、あれだけ揃えた連中が機を合わせて打ち投げるとこりゃ敵いません。揃えに揃えた四番打線が皆打ち出したら敵いません。おまけに上原が復調すれば一勝のアドバンテージも霞んできます。さてさて。新井は何時帰るんでしょうね。井川は?・・??
 C型肝炎訴訟でTVに十分露出して有名になった若い娘がいましたね、他はフィブリノゲンを出産の際直接使用して肝炎感染した母親達、この人はその娘でした。原告勝訴でした。TVはずっと追ってました。その人が衆院選に出るんだそうです。民主党から長崎2区、あの久間さんの選挙区だそうです。へぇやりますねぇ。福岡で山崎拓が引きすり下ろされ、岡山で片山参院幹事長が姫さんに負けた、あの図柄の再現ですか。相手が久間さんならありそうな話です。この人も舌禍で鳴らすおっさんですから。民主党、どこまでやれましょうか。親分の小沢さんが岩手を捨て国替えするという乾坤一擲モードです。東京の公明党党首の選挙区に乗り込むという話です。すごいことですねぇ。刺客云々のレベルじゃなく差し違えようという気迫です。親分自ら差し違える覚悟を見せているという絵です。これに民主党の頭でっかち坊ちゃん議員連中がうまく応えられるかどうか。実は小沢さんそこに賭けているんですがそこが一番不安なんじゃないでしょうか。意気に感じるなんてこと、できない連中かもしれませんから。次の選挙は確かに面白いものになりましょう。政権が替わるかもしれません、今後ばかりは小沢さんの言うとおりでしょう。楽しみですね。
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思い込み

2008-09-16 08:41:35 | Weblog
昨日は一日中雨模様でした。ひどく降るわけでなく一日中雨音を聞いていられました。こういう天気が大好きで、特に用事のない休日などには私にはこれ以上ないシチュエイション、しかも久しぶりのこととあって非常にしっとりした気分を味わえました。夜は雨の合間を縫って草むらで虫が鳴きます。茫乎と雨をただ見ている時間。雨音だけに包まれる時間。とても貴重なものでした。とても得をした気分でいました。有り難いことです。
 映画「おくりびと」見ました。さかんにTVで宣伝しているやつです、しぶがき隊のモックン(こういう呼ばれ方、本人はもういやなんでしょうけれど)、山崎努、広末涼子の映画でした。納棺師と呼ぶ、家族の前で遺体の清拭をし着替えさせ死化粧をし棺に収める、それをショー化し形式化し見せる仕事を中心においた物語です。人の葬式ばかりの映画ですが、その度に涙が出て困りました。女房と見に行きましたがバツの悪いことでした。妻役の広末が夫木本の新しい職業を知って、汚らわしい!触るな!と叫ぶなどマスコミ受けするような場面もあり、確かにドキッとしました。がそれだけ言葉狩りが深く浸透しているという証拠で、人は皆平等で職業に貴賤はないなんて偽善が太古からの社会のルールのように言い募る筋に知らず知らずに同調させられていることに気付くわけですがそうじゃないのです。昔は死体の処理を請け負う人達は歴と区別があったわけです、それは死を穢れとして忌避する文化風習によるものであり、やがて行為だけでなくその人をも忌避差別するようになる、そしてそこに生業が成立もする。繰り返される人が死んでいく場面の間にそう考えていた事でした。
 ある本を読んでいてああっ?と思ったことがありました、つまんないことですが書きます。ストキングを話題にしたエッセイでした。ピーナッツのヒット曲「ふりむかないで」の歌詞を採り上げているんです、この曲ご存知の方多いでしょう、ふり向かないで/お願いだから/今ね靴下なおしてるのよ/あなたの好きな黒い靴下、これです。ふむふむ、で、これがどうした?と読めば、この歌詞の靴下は女のストッキングのことだというのです。ええ?私はこの曲知って長いですが、男が(あなたが)好きでよく履いている靴下に穴があいたかどうかしてそれを彼女が修繕している場面だとばかり思ってました、別にそんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃないのか(ふり向かないでなんて言わなくとも)なんて引っかかってはいたんですが別段なんの疑問もなくこの靴下は男物だと思い込んでました。ああ、違うの?黒いストッキング?あなたの好きなストッキング?あらら、この歌そんなに艶っぽい歌詞だったの?女房に問うと大笑いされました、あんたの方がおかしいって。ああ、そうなの。皆さんもそうですか?まさに青天の霹靂。歌詞を聞き間違えてるというのは結構あるでしょう?すぐに例として出せるのはサザンの「勝手にシンドバット」の歌詞「胸騒ぎの腰つき」ってありますね。最近はどんな番組にもカラオケそのままに歌詞がテロップされますから間違えようがないですが、私にはあれがずっと「胸騒ぎ残し着き」に聞こえてました。こういう意味でもおかしくないからでしたがこれも全く疑わずにいました。説教臭い教訓にしなくても、バーカじゃない?と笑ってしまえばいいことですが、思い込みってのはすごいもんだと思うことです。仕事でやってることにこんな事ないかしら、と思うとこれまたちょいと自信のないことで・・。
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遊び

2008-09-15 08:38:38 | Weblog
資本主義の成熟爛熟による不都合について昨日は私の言葉で、素人の生硬な言葉で書きました、さぞや読み辛いものでありましたでしょうこと申し訳なく思います。学者が専門の術語をふんだんに使い、それぞれの言葉をきちんと定義し歴史的考察を加えている絶好のレビューが月刊オピニオン雑誌「正論」10月号(今月号)に載っています。佐伯啓思氏の「マルクスの亡霊に安らかな眠りを」、題名がなかなかそそるでしょう?私はいつも、とくに医学問題などの際に、専門家、有識者、学者の意見、忠告、非難の類を眉に唾して聞くべき代物と言ってきました。そういう陳腐平板おざなりなコメントが圧倒的に多いのが事実なのですが、この手の総説的なレビューは、しかもこういうきっちりと整理されて、知らぬなら教えてあげましょうという態度の論文は私のような一知半解の輩には非常に有り難いのです。この論文は価値があると思います。是非ご一読を。同じ本に同じような総説論文が載っています。本というのはこういうもので、興味を引く論文が集まるときは複数載るのです(一方その逆も多いことです、ざっと流し読んでそれで終わりということも同じだけあります、否、より多いでしょうか)。鈴木宗男事件に連座して起訴されたロシア専門の元外交官佐藤優氏の論文です。この人は暇に任せて(なんていうと失礼ですが)書きまくっています、月に何本書いているんでしょうか。つまんないのもあるのですが、この人の博識さには驚きます、まさに多岐に渡る知識を披露します(いささか衒学の気味もあるのですが)。で、「正論」に載る論文「日本哲学の考究」なんて大きく構えたものです。内容は、今となれば死語であり、筆者も中で言ってますが軍国主義の亡霊のごとき扱いを受ける国体という概念を解説しようとする論文ですから、それだけで頁を閉じる方もいらっしゃいましょうが、内容は総説的です語義説明も目的の一つのようです。こちらも非常に役立ちました。こちらも是非どうぞ。もう一つ、神奈川県知事松沢成文氏への飲み屋にまで拡げようとする嫌煙の網についてのインタビューが載ってます。私は新聞のベタ記事で知ったことでしたが、やはりこの手の雑誌は放しません。これも「正論」です。正式には公共施設全面禁煙条例というのだそうです。条例の目的は受動喫煙対策(昨日書きました副流煙です。煙草吸わない人が他人の出した煙を吸い込むことによる被害です)であり、自分が知事立候補したときのマニフェストに掲げた事項であり、民主主義のルールに則って進めている手続きであるから非難には当たらないと言っています。やはり健康被害防止をいの一番に挙げています。万人に伝わりやすいテーマです。素人さんには専門家有識者の囁きが利きます、嫌煙側に立つ医者や学者のデータが拠り所なのでしょう。神奈川県では県民の1/3が癌で死んでいる、こちらの対策は喫緊の課題なんだと言ってます。今は日本中どこでもそうです。癌がなくなれば人は死ななくなります。そんなのは健康対策じゃないでしょう。受動喫煙が健康被害を及ぼすという仮説はそもそも本当なのか?素人さんには判断できぬ事でしょうが。なぜ煙草だけを悪者にするのか?という問いには酒の問題と対比して理屈捏ねています、飲酒運転をあれだけ取りしまるのは何故なのだ?酒は飲むことで周囲に危害を与えるのではない、煙草は側で吸われるだけで危害を及ぼすじゃないか。行政がこうした健康に類する領域に口を出すのが好ましくないというのであれば酒をめぐる規制も排ガス規制も実施すべきではないというのか、と反論です。うむ、煙草は特別に悪者だという前提ですね、そこからおかしいと思うのですが。迷惑というのはよくわかります。が、そこの留まらずそれを眉唾の健康被害云々で重大化するすり替えが見え見えです。もう一つ、質問者が売上に関するアンケートの結果を出して、大半の飲食店や娯楽施設では禁煙(この知事はさかんに禁煙ではない分煙だ、公共的な室内空間では受動喫煙の可能性があるのでたばこを遠慮してくれと言っているだけだと言います)したら売上が減ったとなっているがと問えば、一軒だけが禁煙にしたら客が減るでしょう、が、周りが全て禁煙になればどこも同じになってそれほど減らないでしょうと応えています。これも無茶な話です、順が逆です。周りが全て禁煙すれば、なんて前提にそもそも反対しているというのに。結論ありきの、逆算しての手続きであることを露呈しています。最後に開き直ってます、個人の嗜好や健康や規制に対する考え方も様々で完全なコンセンサスなんて有り得ない。コンセンサスを得られていないという文句は反対する人達が必ず使う常套句なんです。大切なのは民主政治のプロセスの中で議論を重ねた上で最後は政治が決断しなければならないということです、と。結局、御意見をいただいて議論していただいて(手続きを踏んで)、どうせ一つにはまとまらないことですから最後は多数決で決めさせていただきますというわけです。小学校の学級会での先生の役をやろうというわけです。それはそれでいいんでしょう、それが知事という役なんでしょう権力なんでしょう。でも最後に決める人が人間の多様性を理解していない、社会の猥雑さを受け入れない奴である不幸も常について回るというリスクです。マニフェストなんて横文字振り回し始めた輩のうちの一人です、公約を守りますといえば済むことですのに。優等生だった秀才が世の中には自分に似た人間が多いに違いないと思い込んで思い上がっているの図でしょうか。もうちょっと私のような反対者に考えさせるような理屈があるのかと思いましたが、がっかりしました。でもこれも読まなければわからぬ事でした。ただの好き嫌いを権利にすり替える、また健康被害という衣を被せて重大化する。いつもの手口ではあるのですが、まぁそれくらいはええじゃないかという遊びの部分をしっかり残しておかないと社会を見誤ります。そう思うのですがねぇ。いかがですか。
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資本主義

2008-09-14 10:33:11 | Weblog
昨日の天声人語の枕に落語の一節を引いてます、カビってどうしてはえるんだい?早く食わねぇからだ、って。事の理由には色々あるわけです。こういう人の予想を外すところに笑いが産まれる、時にはハッと気づかされる。事故米事件、次から次にこれぞ画に描いた如き芋蔓式。世論の意見は、もちろんマスコミの誘導もあるのですが、食の安全という大抽象の下、怒りと呆れです。怖いです、何を信じればいいんでしょうか、の類。農相ジタバタ発言を取り上げて評論家達は言います、実際に危険かどうかが問題じゃないんだ、毒物を食品として流通させたことに問題があるんだと目をつり上げて。中国餃子みたいに食べたら危ないというレベルじゃないこと、安全という意味ではまずこれが第一です。もちろんここが担保されたから他の問題にではあるのですが、実際の危険がどうのこうのじゃない、なんて話の振り方はいかがなもんでしょうね。話のもって行き方なんです、それは分かりますが、どいつもこいつも凡百凡庸。えげつない毒が流通したわけではないことが不幸中の幸い(おやじどもも小悪だったということでもありましょうが)だったのです。そして評論家連中の言い立てる方の問題の原因はというと、小泉のやった規制緩和だというわけです。民間でやれることは民間に。平易な表現で確かに分かり易かったし、融通の利かない役人に牛耳られる、あるいは談合や議員達の口利きでガチガチに固められている制度を「ぶっこわす」は魅力的でした。多くの国民が彼を支持しての結果ですから、なぜあんなことやったんだ?という非難は当たりません。でも何年も経ってこれだけあちこちに不都合が出てきているんです、元に戻すに機を逸してはならぬと思うのです。この先にはきっと上手く回る時が来るからという専門家の読みを信じなさい式のいわば傲慢、言うとおりにうまく運んでいればいいことなんですが、規制を緩めるとズルが横行するという証明をしただけでした。規制緩和は競争原理至上説に乗ってます、小泉さんはそう言ってました、でもその大前提である人は性善であるというところが間違っていたのでした。あるいは日本人のDNAなるもの(勤勉、正直、刻苦勉励)を過信しましたか。医者不足は規制緩和したから生じたことでした。事故米騒動もそうです。いや流通全てに軋みが生じています。それが改革時の痛みだというのでしょうが、不都合のなかったところにまで手を突っ込む事はなかったんです。価格破壊が戦後何十年かけて築き上げた経済発展の雛形を壊しました。規制の多いことを、日本は資本主義自由陣営にいる社会主義国だ、その理由に国営企業ばかりだなんて批判に、私もそうじゃのうと思っていた口で、そこに小泉の登場でしたから何か変わるんだろうと期待もしていた口なのですが、間違いでしたね。規制緩めて事件が多く起こって、また規制を架け直すしかないですね。そこを早くやりなさいよ、です。過ちを改めるに躊躇せず、こここそがトップのトップたる才能だと思うのですが、だめですね。資本主義の維持には規制が必要なのです。資本主義の勃興期、行け行けの繁栄期には自由競争での淘汰、少々の乱暴な陣取り合戦は許されるのです。それがまた活力を産むという好循環ですから。でもずっと右肩上がりには行かない。バブルがパッチン弾けてまず資本主義の欠点が一つ露呈しました。その改善策として規制緩和が選択されました。すると安売りしすぎての自壊、品薄にかこつけてのマネーゲームという資本主義の欠点二つ目が現れました。官製ではなく民間が大勢でかかればいいものが産まれるだろうという考え方は、勃興期、未熟期でこそ期待できる可能性であって、完成したあとに維持していく時期には足元を崩すことにしかならなかったということです。そこを冷静に見直すときじゃないんですかね。ですから石原長男やら小池女史の主張はいかがなものかと思います。今こそ保守の保守たるところを見せて、じっとしておく、待つという肚を見せて欲しいと思うのです。
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ジタバタ

2008-09-13 08:44:33 | Weblog
煙草の害に言及する際よく出てくる術語、わかったように書いていましたが間違ってました、訂正して反省します。副煙流と書きましたが正しくは副流煙です。対語は主流煙。いつものことながらお恥ずかしい限りです。
 この単語がよく出てくるロシア力士大麻事件。先に挙げられた若い方は実際に吸っていた証拠をいくつか見つけられましたから認めました(もっとも解雇とは処分が厳しすぎると協会を提訴して、逆切れしていますが)。後の二人は尿検査がすっかりクロだったのに、解雇処分に徹底抗戦の構えです。どうしてこんなに強気なんでしょうか。この二人が言うように本当に吸っていないのか、嘘ついているのか、この二つに一つしかないのですが、あれだけ明確に結果が出ているし、専門家が直に吸わねばこんなに高い数字は出ないとまで断言するのに否定する。検査の手続きうちで混入やすり替えが行われたんでしょうか。そこまで当の二人が言うんだからそっちを洗い直したらいいんじゃないかと思うし公表すればいいですね。相撲協会としてもいい機会だしいいアピールになりましょう、全てをありのままに公表する。こういう検査をこうやりましたって。でもこの二人6月のアメリカ巡業での話も知らないなんて言いだしてます、弁護士の操作が加わってきているんでしょう(この弁護士切れそうには見えませんがね)、日本語の八割は理解できないなんて言って。その割にはマイクの前ではちゃんと喋ってます。語るに落ちるですかねこの二人も。うんと喋らせたらいいです。嘘は必ず綻びますから。この二人がつるんで嘘ついているとすれば、この強硬さ(つまりは潔くなさ、ジタバタさ)は異国文化そのものって事になりますか。良心の呵責ってのは国民性なんでしょうから。都合の悪いことは自らは決して認めない。特に今回のように、当時のサンプルしか証拠品のない事柄、他に証拠がないとわかっている事柄、つまりもはや遡っては何もわからないことと読み切っての開き直り。異文化です。弁護士操作だけであれだけは言えないだろうと思うのですがいかがですか。
 ジタバタといえば農相、また舌禍引き起こしそうです。が、今回は引きずり降ろすべき任命責任者が早々に店じまいしてますから誰も食いつかないんでしょうし、野党連中にすればこんなことに突っ込んでも来るべき選挙には好影響などない、否そんなことに手を取られている場合じゃないという判断でしょう。ま、それはそれでいいし、今回の農相のこのジタバタ発言はそれほど無茶苦茶でもなくて、この程度の濃度の農薬やカビの少々の混入は人体に影響はないんだ、それがわかっているから一連の不祥事の追求が、事故の解明が結果として後手後手に回ったのだなんて言い訳のようでした。昨日も書きましたが人体に実害が出るのかどうか、本当に食べると危険なのかどうなのかがまず大事で、それをまず私達は知りたいのですが、ここをマスコミは見出しにしない。記事を読まねば専門家の見解がわからない。今日の新聞にもそうでした、保育園の給食にも出荷、基準値の2倍のメタミドホス!と大見出しで、記事に小さく専門家の弁です、毎日数十年間食べ続けても人体に問題のない、そんな薄い濃度を厚労省は基準値に設定している、その2倍くらいでは何食たべたくらいでは何の問題もないモノだと。そこがまず大切でしょうにね。もっともそこが安全とわかったもんだから、道徳論社会正義論からガンガン叩くわけですけれど。餃子事件みたいになれば米を食べられなくなりますけれど、みんな平気で今朝も食べたでしょう?この農相は元々こんな言葉遣いの中で育ってきたんでしょう、仕方ないですがね直そうとしない奴は。麻生さんも同類なんですが、この人はそれがどうした?という開き直りが利きますからね。一体何を非難しているんだ?何が悪かったんだ?そこをはっきりしてほしいですね。でなければこれも集団暴力の一つに過ぎませんから。
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ファッショ

2008-09-12 08:43:30 | Weblog
昨日「火中の栗」の話を書きました。あの後どうも小骨が咽にひっかかった感じが逃げないのでまた書きます。あれこれ語義的な講釈を垂れましたが、ピントが外れています。要は星野さんがWBC監督を引き受けることを火中の栗を拾うと表現する事への違和感だったのです、それがどうしてかということでした。あれだけ失態を演じてまだ受けるつもりでいるのか、まだ依頼が来ると思っているのか?という呆れです。文脈は、監督依頼など初めからない話だ、ない話にどうして応えられるんだという前文に続きますから、ゴーマン振り回しているわけでもないのです。そうではないのですが、火中の栗を拾うという表現に傲岸さを感じるのは「そうは言うが俺しかいないんだろうが?」という思いが透けるからでしょう。頼まれても俺は断るよ、五輪の失敗は反省してるよと言いたいわけです。つまり頼まれるという前提あればの思い上がり。そこなんでしょうねこの違和感は。誰もあんたにゃ頼みゃしないから。
 神奈川県が新たに禁煙条例を作ろうとしているそうです。その枠を店舗に広げるんだそうです、つまり飲食店にも飲み屋にも。ンな馬鹿な。嫌煙権ぶん回しもいい加減にしろよ、改革知事さん。ここの知事は松なんとかという名の元国会議員ですね、横浜市長と並んでの目立ちたがりです。どうしてそんなに煙草を嫌いますかね。単に、本当に単純に嗜好品ですのにね、大昔から人間が世界中のどの文明においても愛好してきたモノです。健康被害、なかでも副煙流なるものを錦の御旗に押し立てての排除運動です。確かに職場やら狭い部屋でパカパカ吸われると迷惑ですわ、吸わない者にとってはそうですね。今私も吸わないのでその気持ちはよくわかります。でも今の嫌煙バリアだけで十分ですわ。喫煙者がよく言うセリフ、JRから閉め出され、公的建物から閉め出され、おまけに自分の家でも子供の手前吸えない、一体どこで吸ったらいいのかって。禁煙したらいいじゃないかっていうのは吸わない奴の勝手な理屈です。あんたが勝手に吸ってるんだろ?と突き放すなら、吸わない奴が吸う奴をとやかく言うなという理屈も通ります。こういう単語を無闇に使いたくないのですが、どちらにも同じ権利があるのですから。そこまで嫌わずともいいじゃないの?要はそこですがね。嫌うのなら、そんなに迷惑と言うなら仕方ないなと好煙家は嫌煙運動家達の言うがままにズルズルと退いてきました。あちこちから閉め出されても従ってきました。今度は飲み屋だ?調子に乗るな!!でしょうね。それこそ煙草が嫌いな奴は飲み屋に行かねばいいことですわね。そういう規制がなんとか成立するであろう場所は公的空間(なんとも曖昧な表現ですが)や不特定多数が集まる場所などでありましょう。それ以外の場所にこんな規制をかける方が間違ってますね。こんな事に多数決はいけません。事は嗜好品に関わる問題ですから。紫煙漂う先に一人男がグラスを傾ける、薄暗い飲み屋には演歌が流れていたり低くジャズが流れていたり。そんな場面だけじゃなく、ワーワー居酒屋で騒いでいる時にどうして煙草がいけないんですかね。そんなに煙が気になる奴は来るなよ、という方がうんと普通の考えでしょうね。嫌煙権なる身勝手を人権の一種のようにすり替える運動家の手口、禁煙ファッショなんて表現した人もいますが、人はそれぞれなんですわ。どうかそこんところに気がついて貰いたいと思うわけです。
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2008-09-11 08:43:59 | Weblog
事故米転用転売事件、正義の味方(マスコミのカメラ、マイク)は農水省の発表のある度に当該企業に押し掛けます。カメラの前で白状させて謝罪させます。1キロ当たり3円で仕入れた事故米を焼酎醸造会社に70円で売ってたんだそうです。相場は80円なんだそうで、売れますわね。カビ米をカビのついたまままさか売りません、ちゃんと洗って見た目は問題ないようにする、利鞘は少なくなるけれどもっとバレなくするために正規米に混ぜる。アフラなんとかとかメタミドホスなんて農薬もしつこく洗えば洗い流せるんでしょう。この旨みに手を染めると、しかも全くお上はわかっておらず咎められぬとあらば続けますわね。内部告発さえ抑えておけばいいのですから。しかも専門家は言います、安全基準を超えるこの濃度の農薬のついた米を食べたとして人体に実害がでるには一日に何十キロも食べなければならぬ計算なんですって。健康番組でバカ学者が素人騙す手口(理屈)と全く同じです、ご飯のおこげやわらびに発ガン性があるなんて話題でそれはあくまで動物実験のデータ、人に換算すれば一度に何キロも食べて初めてってことになるという空想事です。消費期限や賞味期限の罠と同様の馬鹿馬鹿しさです。大量生産大量消費(破壊)のスローガンみたいなものです。リアルさに欠けている、合理性(中国餃子に入っていた濃度、あれを本当の危険濃度とすれば、基準値はその何十倍も薄い数字なんでしょう。つまり少々食べても危なくない濃度です。濃度を規制したいのか、物質そのものを規制したいのか、そして本当に危険なのはそのどちらなのかをはっきりさせろという理)に欠けている規制がそもそも甘い対応を産んでいるんでしょうね。本当に危ない値を基準にするのと、その何倍も低いところをカットポイントに設定する事を比較すればおそらく人間の常として、社会を形成する集団の常として後者を選ぶのが普通でしょうし、それが行政だということになるんでしょうけれど、そこは十分に理解するところですが、今回のようなごまかしが平気で横行する素地でもあると思うわけです。もちろん規則破りはいけません。規則を破って恬としているその心根の貧しさ卑しさは別の咎めではあります。しかしここは別にして非難せねばならぬ事と思うのです。
 北の将軍様、脳卒中だそうです。真偽のほどが全くわからないところ、あれやこれやと憶測が飛び交っています。でも、これも昔から人の(集団の)習性として掴まえられていること、何度も繰り返して言われるとその気になっていく。ただの噂が真実に変わっていく。嘘が真になっていく。伝言ゲームそのままです。?が!に。ほんまかいな?
 星野のブログの言動いかがでしたか。WBCの監督なんて誰も依頼しないでしょうけれど(後ろ盾だったナベツネさんがあっさり袖にしました。なんとかワンちゃんに頼めって言ってます)、今更火中の栗を拾うようなまねするわけないだろうって。ああ、火中の栗なんだ・・。この人思い上がりも甚だしいというか、なによりこの言葉の使い方を間違っていますね。誰もが後込みしてやろうとしない決断なり事業なりを我が身を顧みず引き受けることですわね、もちろんその役に相当の人が引き受けるという前提です。危険を承知で引き受けること。WBC監督は火中の栗なんかじゃないです。この人にとってはそう思えるでしょう、あれだけ大失態見せつけた後ですから。でもだれも依頼しないでしょうから、まさに独り善がりの思い上がりです。バカさを露呈しましたね。口は災いの元なんです。気をつけましょうぞ。
コメント
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