柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

資本主義

2008-09-14 10:33:11 | Weblog
昨日の天声人語の枕に落語の一節を引いてます、カビってどうしてはえるんだい?早く食わねぇからだ、って。事の理由には色々あるわけです。こういう人の予想を外すところに笑いが産まれる、時にはハッと気づかされる。事故米事件、次から次にこれぞ画に描いた如き芋蔓式。世論の意見は、もちろんマスコミの誘導もあるのですが、食の安全という大抽象の下、怒りと呆れです。怖いです、何を信じればいいんでしょうか、の類。農相ジタバタ発言を取り上げて評論家達は言います、実際に危険かどうかが問題じゃないんだ、毒物を食品として流通させたことに問題があるんだと目をつり上げて。中国餃子みたいに食べたら危ないというレベルじゃないこと、安全という意味ではまずこれが第一です。もちろんここが担保されたから他の問題にではあるのですが、実際の危険がどうのこうのじゃない、なんて話の振り方はいかがなもんでしょうね。話のもって行き方なんです、それは分かりますが、どいつもこいつも凡百凡庸。えげつない毒が流通したわけではないことが不幸中の幸い(おやじどもも小悪だったということでもありましょうが)だったのです。そして評論家連中の言い立てる方の問題の原因はというと、小泉のやった規制緩和だというわけです。民間でやれることは民間に。平易な表現で確かに分かり易かったし、融通の利かない役人に牛耳られる、あるいは談合や議員達の口利きでガチガチに固められている制度を「ぶっこわす」は魅力的でした。多くの国民が彼を支持しての結果ですから、なぜあんなことやったんだ?という非難は当たりません。でも何年も経ってこれだけあちこちに不都合が出てきているんです、元に戻すに機を逸してはならぬと思うのです。この先にはきっと上手く回る時が来るからという専門家の読みを信じなさい式のいわば傲慢、言うとおりにうまく運んでいればいいことなんですが、規制を緩めるとズルが横行するという証明をしただけでした。規制緩和は競争原理至上説に乗ってます、小泉さんはそう言ってました、でもその大前提である人は性善であるというところが間違っていたのでした。あるいは日本人のDNAなるもの(勤勉、正直、刻苦勉励)を過信しましたか。医者不足は規制緩和したから生じたことでした。事故米騒動もそうです。いや流通全てに軋みが生じています。それが改革時の痛みだというのでしょうが、不都合のなかったところにまで手を突っ込む事はなかったんです。価格破壊が戦後何十年かけて築き上げた経済発展の雛形を壊しました。規制の多いことを、日本は資本主義自由陣営にいる社会主義国だ、その理由に国営企業ばかりだなんて批判に、私もそうじゃのうと思っていた口で、そこに小泉の登場でしたから何か変わるんだろうと期待もしていた口なのですが、間違いでしたね。規制緩めて事件が多く起こって、また規制を架け直すしかないですね。そこを早くやりなさいよ、です。過ちを改めるに躊躇せず、こここそがトップのトップたる才能だと思うのですが、だめですね。資本主義の維持には規制が必要なのです。資本主義の勃興期、行け行けの繁栄期には自由競争での淘汰、少々の乱暴な陣取り合戦は許されるのです。それがまた活力を産むという好循環ですから。でもずっと右肩上がりには行かない。バブルがパッチン弾けてまず資本主義の欠点が一つ露呈しました。その改善策として規制緩和が選択されました。すると安売りしすぎての自壊、品薄にかこつけてのマネーゲームという資本主義の欠点二つ目が現れました。官製ではなく民間が大勢でかかればいいものが産まれるだろうという考え方は、勃興期、未熟期でこそ期待できる可能性であって、完成したあとに維持していく時期には足元を崩すことにしかならなかったということです。そこを冷静に見直すときじゃないんですかね。ですから石原長男やら小池女史の主張はいかがなものかと思います。今こそ保守の保守たるところを見せて、じっとしておく、待つという肚を見せて欲しいと思うのです。
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