拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

げに恐ろしきは何?

2021-06-01 12:02:06 | 日記
「感染対策をしっかりやればオリンピックができるって言うのに感染対策をしっかりとった居酒屋の営業を認めないのは不公平だ」とみんなが言う。だが、その後が分かれる。だから居酒屋の営業を認めろと言う人と、だからオリンピックを中止しろと言う人。私は前者である。もちろんコロナは怖い。だるかったりすると、あっ、かかったか、と不安になる。しかし、そういうときは熱発の逆で、大概低体温のせいである。怖いことは怖いが、感染対策をとったうえでかかっちゃったら、それはもう不可抗力と考えている。とにかく、早くワクチンを打ってほしい(自分で打つのではなく打ってもらう、という場合にドイツ語で使うのがlassenである。例えば、王様が人の首をはねるときも、家来にはねさせるから、「王様、はねるt 」ではなく「王様、lässt はねるん」である)。なのに、テレビでは相変わらず「専門家」「有識者」って人達が「ワクチンも慎重に」とか言っている。この期に及んでなに眠たいこと言ってるだろ、と思ったら、いやいや現場の早いこと。ワクチンの高齢者の接種率はついこの間まで0.ナンパーセントなんて悲惨な状況だったのがあっと言う間に10%を超えた。私の世代にもぼちぼち接種券が来るって話もある。眠たいのはテレビのコメンテーターだけだった。だが、テレビでちょっと威勢のいいことを言うと、すぐに「油断につながるようなことを言うな」とクレームが来るらしい。責任をとらされるのがいやなので公の場では慎重なことを言ってるんだろう。母の入居している施設の人も、往診して下さっているクリニックの先生(特に、臨時で来られる先生)も、しょっちゅう「ご家族様の意向」を訪ねてくる。こないだも、臨時に来られた先生が、スマホに電話を掛けてきて、こっちは昭和の人間だから(あれ?平成じゃなかったの?)、「携帯電話=緊急連絡」だからぎょっとするのだが、何だと思ったら、点滴を打つだけでいいか、病院に連れてって検査をした方がいいかと尋ねてくる。そういうことを決めてくれるのがお医者さんだと思うのだが、これも、もしものときの責任を考えてのことだろう。認知症の人が徘徊して鉄道事故になって、鉄道会社が遺族に損害賠償請求をした事案もあった。遺族が監督責任を怠ったというのが鉄道会社の言い分である。さすがに最高裁で遺族の責任は否定されたけれども。その認知症のことである。認知症が進むと、物を食べる意味も解らなくなるので、徐々に栄養摂取を点滴に頼るようになり、寝たきりになり、終末に向かうのだそうだ(主治医の先生から丁寧な、明確な説明をいただいた)。直接コロナで亡くなった方の数は目に見えるけれど、実質的なロックダウンによって症状が悪化した認知症患者の数なんてのは統計には表れない。だが、母(もはや私を認識しない)を見て、相当な数だと実感する。げに恐ろしきは認知症である。コロナ禍の目に見えない損害と言えば、営業禁止による倒産もそうである。倒産件数こそ、まったく当てにならない。なぜなら、あれは法的整理をした数字であって、もはやこれまでと自主的に閉店した件数が含まれないからだ。天然パーマで眼鏡をかけているラーメン好きのおじさんと同姓の知事さんなどは、営業禁止措置の効果について聞かれて正面から答えず、「もし、やらなかったらどうなってたかを考えてください」と言っていた。そりゃあ、効果がなかったなんて口が裂けても言えないだろう。こんだけ悲惨な「副反応」が起きてるんだからね。「ロックダウン」と書いた。日本はたしかに法的にはロックダウンをしていない。しかし、J警察や最近は「見回り隊」がはびこる日本は、法的なロックダウンを行った外国以上に精神的に息苦しいらしい。それにしても、あの「見回り隊」の行列は密だと思うのだが、見回る側は良いのだろうか。私が住んでる区が定時に流す屋外放送も「一人一人の責任ある行動」がどうのこうのとまるで道徳の時間である。