拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

右と左/あっと驚くタメゴロー

2021-06-16 11:22:06 | 日記
右手と左手でボエームごっこをする話をした。左右と言えば、ドイツに「極右政党」ってぇのがある。正式な党名は「ドイツの選択肢」だが、ニュースでは「極右政党」と呼称されている。右左はこっそり言うものだと思ってたらさすがドイツ。公けのニュースでもはっきり極右と言っている。そもそも、右派、左派の違いは言うと、保守派が右派、革新派が左派。右派(保守派)は、昔ながらの価値観を重視するから民族主義となじみやすい。左派(革新派)は、新しい社会のあり方をよしとするから、社会主義、共産主義(これらは、本来、資本主義の「先」の未来像として唱えられたものである)となじみやすい。で、それぞれの中で、社会を守るためには(右派)、あるいは変えるためには(左派)、暴力(Gewalt)も厭わないのが極右、極左の一部である。で、日本の政党はと言うと、自民党は保守だから右派で、共産党や社民党は左派なのだろうが、立憲民主党はどうなのだろうか?左っぽいが、もともと、母体の民主党には自民党の中でも一番右っぽい人達が分かれて入って来てたからよく分からない。思想及び良心の自由や投票の秘密は憲法で頑として保障されているから私は自分の政治信条をここに明かすつもりはないが、ざっくばらんに言うと、真ん中あたりが好きである。成人して選挙権を得て最初に投票した政党は新自由クラブであった(懐かしい。党首は、今のワクチン大臣のお父上であった)。因んだ話その1。共産主義の行き着く先の社会においては、各人が身の丈に応じただけ働いて得られたものを必要な分だけとるから貨幣はいらないのだそうだ。パラダイスのようだが、残念なことに、人間はそこまで高尚にはできていないようである(さぼる人、余分に取る人が必ずいる)。そこら辺を皮肉たっぷりに描いたのがジョージ・オーウェルの「動物農場」である。その2。暴力はドイツ語でゲヴァルト(Gewalt)。今、大学生はコロナ禍でキャンパスに行けないが、私より上の世代は、学生運動で封鎖されていたためキャンパスを歩けなかった。その学生運動の方々はドイツ語がお好きだったのだろうか。手にした角材をゲバ棒と呼んでいた。人気番組の「巨泉前武ゲバゲバ90分」の「ゲバ」も「ゲヴァルト」からきているという(「あっと驚くタメゴロー」は、この番組内のハナ肇さんの決め台詞である。フシがついていた。「あっとおどろく」(ラッソソソソソ)「ためごおおろー」(ソラミレドレー))。そう言えば、MCの一人の前田武彦さんは、別の番組中に某革新政党を賛美してテレビ業界から干された。逆に、ハマコー氏は、予算委員会の議長をやってるときに同じその党の当時の委員長について、とんでもない名誉毀損的発言をして即刻議長をクビになった(私は、当時子供だったが、たまたま国会中継を見ていて、こんなことを言っていいのか、とたまげた覚えがある。すぐクビになったんで、やっぱりいけなかったんだなと思った)。その3。そもそもなんで保守派が右で、革新系が左かというと、フランス革命時のフランス議会で、議長から見て、そういう並び順になっていたからだそうだ。その4。政治的なことは抜きにして、そもそも右と左ではどちらが上なんだろう?私は左利きであるが、世の中は右利きようにできているから右かな?と思ったら、源氏物語の時代、左大臣は右大臣より偉かったそうだ。

雌雄同体/不倫幇助

2021-06-15 08:21:34 | 音楽
人がいないからテナーやバスを歌えと言われるとあんなにぶんむくれる私であるが、こと美女に対する恋心が燃え上がると、自ら男の歌を歌ったりする。もし、私が某会のソロ・コーナーで「ケジェリダマニーナ……」(ボエームのロドルフォのアリア「冷たい手」)を歌い出したら、それはいとしい人に対する心持ちなのだと思ってくだされ。え?その「いとしい人」には男も入るんだろって?最近、イージマさん=オホホ説をひろめている某美女が言いそうである。本当なら、真っ先に当該美女をくどき倒して「男の証明」をしたいところであるが、当該美女のゲリープターに殴られるかもしれないので自粛している(「ゲリープターに殴られるかもしれない」には二義ある。「ゲリープターがいるかもしれない」と「確かに存在するゲリープターに殴られるかもしれない」の二義である。真偽の程は本人に聞いて下され)。ところがでござる。せっかく「冷たい手」を歌って男になったあたくしなのに、歌い終わった直後、絶対、「スィー、ミキアマノォミーミ」と歌い出すに違いない(「冷たい手」に続いてミミが歌うアリア。たしかに、本当に歌いたいのはこっちかもしれない)。せっかく男になったというのに逆戻りである。つうか、雌雄同体である。そう言えば、ワタクシが大好きであっちこっちで推奨している「ボエームごっこ」も雌雄同体であった。どういう遊びかというと、「冷たい手」が歌われる前、ミミが落とした部屋の鍵を暗がりでロドルフォと探しているうちに手がふれあって「なんて冷たい手」と始まるわけだが、その鍵を探すシーンを一人で演じるのである。右手がロドルフォ、左手がミミで、両手を交錯させているうちに右手が左手をつかむ、という遊びである。ポイントは、音楽を口三味線で歌うことと、左手が右手につかまれた瞬間「はっ」と言うこと。こんな具合である。♪ティラリラッラー(ラ♭シ♭ドソ♭、ソ♭ー)、ティラリラッラー(ファソ♭ラ♭ミ♭、ミ♭ー)、ティラリ(レ♭ミ♭ファ)、ティラリ(ドレ♭ミ♭)、ティ、ラ、リ(シ♭、ド、レ♭)(ここで右手が左手をつかむ)ポーン(ラ♭-)「はっ」(右手につかまれた左手のため息)。そして、おもむろに「ケジェリダマニーナ……」と始めるわけである。このように、「正しい」ボエームごっこは、一人で、雌雄同体でするべきものだが、この遊びを利用して意中の美女の手を握ったのが女房持ちのS君である。一人でする=誰にも迷惑をかけないところに意義のあるこの遊びを不倫の道具にするなどけしからん……とか言って、現場で、♪ティラリラッラー……を歌ってはやしたてたのはワタクシである。すなわち、ワタクシはこの不倫劇の幇助犯である。因みに、今回のタイトルは、難しそうな漢字4文字が二組あって、いかにも厳粛な感じでありますなー。それから「冷たい手」はヴァイオリンを弾くのがいいかも。プッチーニの弦は泣かせます。

同音異義/リア王

2021-06-14 09:41:10 | 言葉
私は美女達の「じょせい」のお友達だが「じょせい」のお友達ではない。とんちではない。同音異義である。世に同音異義はあまたある。例えば、(大部昔の話になるが)オペラをビデオに録りだめるマニアが「イーディー」「エーヴイ」と言った場合、やらしー、と言っては気の毒である。彼らは、なんとか不全やアダルトビデオのことを言ってるのではなく、ベータ方式のビデオの最高峰(EDベータ)と「オーディオヴィジュアル」のことを言っているのである。「彼ら」の中に私が入るかって?私は、誤解を招くことをよく承知しているから人前では言わない(ブログには書く)。話し手がどちらの意味で使っているかは、話し方で判断しよう。こそこそしてたら「あっふーん」の方である。堂々としゃべっていたらオペラである。なお、前者の意味のAVを後者の意味のAV機器で、立派なスピーカーを通じて視聴するのはやめておこう(あっふーん)。さて。G7サミットが開かれているコーンウォールは、リア王の次女が嫁いだ地として記憶している。子供の頃、このお話を読んだとき、父思いの三女がなぜ死なねばならなかったのかが分からなかった。そうか、父を助けるために夫のフランス王とともに軍隊をイギリスに派遣するってことは、これは英仏戦争を意味していた。で、負けたんだったら獄中で処刑されることはありうることである(日本の刑法でも、外国と通謀して日本国に対して武力を行使させた者は死刑である)。因みに、ヴェルディがファルスタッフの次に書き始めたオペラは「リア王」。だが、完成を待たずにヴェルディが亡くなり、書きかけの原稿はヴェルディの遺言により破棄された(なんと、もったいない。遺言を見なかったことにすればいいのに)。それから、黒澤明監督の「乱」の原案は「リア王」である。G7の話に戻る。ホストのジョンソン首相のファーストネームは「ボリス」。ロシアっぽいなぁ。もしかしてロシア系?そうだった。母方の祖先がロシア系だという。あと、この方の父方は、イギリス国王ジョージ2世(リア王じゃないのね)にたどり着くそうだ。さらに、父方の別の先祖にオスマン帝国の大臣もいるそうだ。ご本人がおっしゃるように「るつぼ」である(生物にとっていろんな遺伝子が合わさるのはよいことである)。そのジョンソン首相の妻殿の存在感はなかなかのもの。なるほど、この方がついこの間首相が結婚したお相手かぁ。首相在任中の結婚ということでニュースになった。ラブラブ、ベタベタである。因みに、首相のご結婚は三度目だそうだ。バツ2マル3か。いいなぁ、私もバツイチで甘んじていてはいけない。そう言えば、サミットに向かうスガ首相の飛行機がなんかのトラブルで遅れたというが、アメリカの大統領に随行する記者団の乗る飛行機も遅れたそうだ。原因は今アメリカで大量発生しているセミ。今、アメリカではこの大量のセミを食料にできないものかと研究されているそうでその成果(?)の一つが手巻き寿司の具にすること。なかなかグロである(セミが一度に大量に脱皮する理由は、数が多すぎれば捕食者の手を逃れて生き延びる確率が高くなるからだそうだ。セミを寿司の具にする人間もその意味では「捕食者」の一人である)。セミは見ようによっては絶対不人気のGに似てなくもない。ワタクシは心優しい人間であって、「一寸の虫にも五分の魂」を感じる者であるが、Gについては憐憫の情はまったく湧かない。仲間がカマキリに食われてるところにのこのこ出かけて行っておこぼれにあずかろうとして、自分もとっ捕まる。非情なうえに馬鹿である。なお、「G」の一字にも同音異義が存在する。ゴジラは、大人気。キングコングと戦うハリウッド最新作はコロナ禍で公開がずーっと延期になっているが、いまのところ7月1日が劇場公開日になっている。よし!募集だ!どなたか私と「ゴジラVSコング」を見て、そのままめくるめくる夜を過ごしましょうぞ!

ボーイソプラノとカウンターテナーの邂逅/歌いまくる会の例会(チャレンジャーの度が過ぎる私)

2021-06-13 09:47:12 | 音楽
このご時世にあっても音楽活動は活発に継続している方だと思うが、本番は、麹味噌合唱団(仮名)以来2年振りである。味噌煮込合唱団(仮名)の一員として(私は団員のつもりなのだが、みんなが「来てくれてありがとう」とあんまり言うところをみるとエキストラの扱いなのだろうか。たしかに、団員と言うにはおこがましいくらい練習には出てなかった。出損なって江戸川べりを散策したこともあった。あの日はお天気もよくいい一日だった)、三つの団体の合同コンサートにアルトで出たのだった。曲は「海鳥の詩」。たいそう気持ち良く歌うことができた。古楽から合唱に入った私は日本の曲をからきし知らないが、日本の曲に開眼させていただいた。まっことよい経験であった。20分くらいの舞台であったが、本番ってやつはやはり(充実感を伴う)疲労感がある。しかも、ワタクシときたら、その夜、歌いまくる会で使うヴァイオリンとクラリネットを抱えて白井駅と白井文化会館の間を一往復したから肉体的に(心地よい)疲労感もあった。参加団体は、味噌煮込み(混声)のほか、某ブラボー(男声)と少年少女合唱団。他団体のときは客席で聴いているのだが、少年少女合唱団で、かなり背丈の大きな男の子くんに目がとまった。見事なボーイソプラノである。なんと、そのボーイソプラノくんが、休憩時間に私んとこに来た。横に女子1名がついていた。主宰者から「大人の男性でアルトを歌う人が来るよ」と聞いていて、で、雰囲気的にはその世話焼き女子に引っ張られてやってきた風であった。何を言おう。偉そうなアドバイスなんてできるはずはないし。とりあえず、「素晴らしかったよ。声変わりしても女声は歌えるからね。この後、もっと良くなるからね。続けなね」と言っといた。そうである。この少年少女合唱団の指揮者が、「この子たちは、今年演奏会を開けなかったら来年ってわけにはいかない。卒業があるし、男子は声変わりをする。私がこの子達を振るのは今日が最後だ」と感極まってらっしゃったが、感動的なスピーチだったが、一点異議あり、声変わりをしても、相当年齢がアルト(高い)になってもアルトを歌える。そのことを言ってあげられてよかったと思う。同時に、中学に入りたてくらい(?)の少年と身近に接したとき、たまに施設の母に会うときと同様の心配が顔をのぞかせる。「菌を移す」という心配である。母には、外で拾ってきてないとは言い切れないコロナ菌を移す心配、この純粋な男の子くんには、半世紀に渡って汚れきった世間をくぐり抜けてきて感染した「女好菌」「お金好菌」「にもかかわらずちっともお金がたまらない菌」「馬好菌」を移してはしまわないか、という心配である。さて。終演後、踵を返して東京に向かう。歌いまくる会の例会である。この日のお題はBWV69。第1曲は、もともとはオーボエ3本、トランペット3本の曲で、それをY先生が木管トリオ(この日の編成は、オーボエ1、クラリネット2)用に編曲してくださり、なかなか賑やかな趣きとなった。ソロ・コーナーも一層充実。あちこちでご一緒していてもはや親戚みたいな感じのK美女はこの会は初参加。早速芸達者ぶりを披露して下さった。Mま美女との「猫の二重唱」は、二匹の猫の性格の違いが際立っていて抱腹絶倒。「What's Michael」に、深窓の令猫にマイケルが言い寄るエピソードがある。それを思い出した。私?相変わらずのチャレンジャーぶり。チャレンジしては撃沈の繰り返し。毎回、直後は謹慎しようと思う。だが、遅くても2,3日絶つと病気が再発する。記憶力が欠如しているのだろう。チャレンジャーにつける薬はない。多分、「「本番」はうまくいかなくて当たり前」という宜しくない免疫のせいで重症化しないことも影響していると思う。

アスリートの魂/フルート・トリオ

2021-06-12 06:52:13 | 音楽


いきなりのマイブーム=健康志向は続く。一昨日は半量をオートミールにしてピザ生地を作った。普段ブログを見ないゲリープテに、なんでいきなり?と聞かれて「テレビ」と答える。ほかに言い様がない(ちょっと皆さん、「なに?ゲリープテがいたの?」ってなんで聞かないの?え?妄想に決まってるから?妄想ではありませんっ。妄想ってぇのは、真実でないことを自分で解ってない状態。私は解ってるからね。これは「ウソ」である。しかし、これだけウソばかりついてると、いざホントにゲリープテができても誰も信用しないだろう。狼青年とは私のことである)。さあ、こうなってくると、半世紀前に培った「アスリートの魂」も顔をもたげてくる。ゴミ出しの日、ゴミの集積場までの20メートルは久々の陸上トラックの気分であった。しかし、あちこちがぽたぽたして走ることのじゃま。おそらく、タイムは半世紀前の100メートルのタイムより悪いだろう。私は、ライザップのCMでは大概使用後より使用前の方が萌える。だが、最近の「動ける体になりたい」てキャッチコピーには少し惹かれる。実際、アスリート魂が残っていたのはいつ頃までだったか。最後に魂を確認したのは室内合唱団の合宿の最終日の宴会のとき。宴会場に並べられたテーブルを見て、飛び越したい衝動にかられ、部屋の最奥から助走をつけて飛び越した(私の専門は、100メートルハードルだった)。ウォーキングくらいから始めるか。そう言えば、某美女がご母堂様とウォーキングを始めるとFBで宣言されていた。じゃあ私も混ぜてもらおうかしらん。え?あらぬ噂がとぶからやめとけ?そうであった。ご母堂様のゲリープターなどと噂されたらご迷惑である。自粛いたしまする。「健康」と言えばコロナ。幸いワクチンの接種は進んでいる。さすがは、右を向けと言われれば(言われなくても)右を向く日本人!いざ、レールが敷かれたら早いこと。あっという間に高齢者の接種率が10%を超えた、日本人も捨てたもんじゃない、と喜んでいたら、耳を疑うニュース。大手町の大規模接種会場で空きが80%ってなんじゃそれ。80%埋まっていて空きが20%ではない。その逆である。これはもう、一刻も早く65歳未満に範囲を広げるべきである。接種券の発行を待って?この期に及んで何眠たいことを言ってるの?運転免許証を持って行けばいいじゃん。で、後から接種券が来たら、もう打ちましたって言えばいいじゃん。まったくもう、こんなたるいことをやっていて、緊急事態宣言が終わった後はマンボーで、禁酒法はそのままなんて納得できんっ。少しは某会の木管トリオを見習いたまえっ。木管トリオは、なんでも早いよー。こないだ一人がフルートをポチったらあっという間にフルート・トリオになったもんね。

婚活を妨害する「おしん」/砲丸投げ

2021-06-11 10:20:27 | 音楽
「おしん」は、世界何十カ国で放送され、観た人が日本にもこんな貧しい時代があったのか、と共感し、日本に親近感を持った。そういう意味で、このドラマは外交的にとっても貢献した、と元外交官が言っていた。だが、同時に、このドラマは、婚活に励むもうまくいかず、海外に活路を見いだそうとする日本の独身男性へのただならぬ妨害となった。「新婚さんいらっしゃい」に出てきた外国人妻の証言である。このドラマを見て、日本人の男と結婚すると悲惨な目に遭う、と強く思ったのだという。無理もない。娘を奉公に出す父親、妹に冷たくあたる兄、姑のいびりから守ってくれないダメ亭主等々、ろくな男が出てこない。外国で婚活をする前に、その国でおしんが放送されたか否かのチェックが欠かせない。その「おしん」と同様、1年間続いた朝ドラである「君の名は」が放送されたのは「おしん」の8年後である。そのとき主演した鈴木京香が今日のアサイチのゲスト。この方の出演作で私が一番覚えてるのは「血と骨」。映画の冒頭に、北野武さんとのものすごい濡れ場があった。その鈴木京香さんは、中学のとき陸上部で、何をやっておられたのかと思ったら砲丸投げだって。砲丸投げと言えば、シズちゃんもそうだし、音楽仲間の某美女もそうである。私も中学のとき陸上部だったが、短距離専門で、砲丸投げは特に苦手だった。なのに、三種競技(短距離、走り高跳び、砲丸投げ)すべてで基準値を超えなければ出場できないって試合があって、そのとき、ちょびっと砲丸投げを練習したのだが、基準値を超えたところで顧問の先生が「はい、終わり」。成功したイメージを持ったところで切り上げるのがよい、と言うのがその先生の持論。だが、私はもっと練習したかった。で、本番。トライは3回。一投目、明らかな失投、ダメ。二投目、生涯で最高の出来、基準を遙かにクリア。喜びすぎて、地面のラインの前に出てしまい失格。やばい、もし次もダメだったらその日試合に出られない。自分がエントリーしている短距離のみならず、リレーにも影響が出る。人生でもっとも焦ったベスト5である。そして三投目、ぎりぎりで基準値を超えた。人生でもっともホッとしたベスト5である。それにしても危なかった。だから、もっと練習させてほしかったのだ。だが、練習をやり過ぎるとダメになるというのも真実である。歌いまくる会は、カンタータを3回通すが、2回目でうまくいったときの3回目はえてしてとちったりする。マラソン中継で解説をしている瀬古さんは、今でこそだじゃればかり言う面白いおじさんってキャラだが、私の年代では英雄だった(同じ大学の私よりちょっと上で、体育の授業のとき、先生と運動部の人が在学中の瀬古選手の噂話をしていた)。モスクワ五輪を日本がボイコットしなければ金メダル確実だった。その後のロス五輪で勝てなかったのは、練習のしすぎと聞く。瀬古選手と言えば、今の円楽師匠が楽太郎だった頃、瀬古選手に似てるというのをウリにしていたが、ロス五輪の後は、ウリにしなくなった。そう言えば、この方の落語を大学で聞いたことがある。高座に上がるや後ろの校旗に目をやって、「農協で一席やらせていただきます」とおっしゃったのをよく覚えている。校旗は大学名を表す稲のデザインだったから。

陽気+ライ麦の背丈=外でするのに良い季節

2021-06-10 09:12:10 | 音楽
案の定、昨日の記事は当初FB上ではあまり人目につかなかったようである。なにしろキーワードが「人妻」「複数」「アバンチュール」等々だから、FBのAIにとっては刺激が強すぎたのだろう。私が「複数の人妻とむにゃむにゃ」と言った際、頭の中ではヴェルディのファルスタッフの終幕の円熟した音楽が鳴り響いていたことをAIごときに解らせようと思っても無理である。かようにAIはお馬鹿である(お馬鹿に因んで「倫理警察」と呼んであげよう)。メールだって、フィッシングメールは素通りさせるくせに、肝心な友達からのメールをブロックしたりする。そうしたAIにこちらが合わせる必要はない。我が道を行く、である。ということで、昨日の話の続き。昨日は、朝ラーメンをオートミール等に切り替えた話をした。まだ数日だが効果は抜群である。ところで、「オートミール」と言えば聞こえは良いが、要は「オーツ麦」である。麦と言えば、最近、♪たーれかがー、たーれかとー、むぎーはーたでー、こっそりキッスした、いーじゃないかー……と歌っているのを聴いた。あれえ?私が歌ってたヤツは、♪いーちゃいーちゃしーていーた、いーじゃないかー……である。なんで違うんだろう。ということで調べた。元歌は、スコットランド民謡のメロディーにバーンズって人の詩を乗せた歌で、その歌詞は“Comin' Thro' the Rye”(ライ麦畑で出会って)って内容で、出会ってからやはりキスをする。猥歌の部類に属するそうである。そのメロディーが日本に入って来て、原曲とは無関係に付けられた詩が「夕空晴れて秋風吹き」で曲名は「故郷の空」と名付けられた。打って変わって(倫理警察が喜ぶような)高尚な歌になってしまった。その後、詩は原曲に忠実でなければならないという考えのもとで、別の人が付けた歌詞が上記の♪こっそりキッス……だった。さらにでござる。その後、なかにし礼が作詞してドリフターズが歌って爆発的にヒットした。そこでは、「誰か(たれか)」は「誰かさん」に、「こっそりキッスした」は「チュッチュチュッチュしている」に変えられている。捜査はここで終了。私の記憶の「いちゃいちゃしていた」は単なる記憶違いというのが現時点での結論である。なお、歌詞のヴァージョンのほか、リズム的には、「ソーソソーミ」と「ソーソソミー」の二つのヴァージョンがあるそうだ。因みに、キッスの現場は、原曲では上記の通りライ麦畑。ライ麦ってぇのは背丈が高く、キッスはもちろん「それ以上」のことをしても回りからは見えないそうだ(と、Wikiに書いてあった)。はいはい、私も、源氏物語や千一夜物語を読んで多少は大人になった。キッスで終わるわけはない。行間に「それ以上」が含まれているに違いない、とこないだまで僕ちゃんだったワタクシは今ではそう思う。だいたい、昔は、洋の東西を問わず大人数で暮らしていたから、家の中ではやりにくいだろう。すると外で、ということになるが、寒いとできない。この点について、「バラの騎士」のバロン・オックスは、「(相応しい時期は)ユーニ(6月)、ユーリ(7月)、アウグーストゥ(8月)」と言っている(第1幕)。しかし、麦の丈が長くないと回りから見えてしまう。陽気と麦の高さが一致しなければならん。ライ麦は、秋に種を蒔いて夏に収穫するという。おおっ、バロン・オックスの言う「ユーニ、ユーリ、アウグーストゥ」とぴったり符合するではないか!だから「現場」はライ麦畑だったのだ!

アバンチュールは恋のアドヴェンチャー

2021-06-09 08:29:52 | グルメ


閉店セールを始めたから(昨日の記事参照)、求愛者がどっと押し寄せるかもしれない。もし、同時に二人から言いよられたら、私はファルスタッフになって「食卓のカモシカのように私を引き裂いてくれ」と叫んでお二人のお相手をする所存である。そのためには体力がいる。健康でなければならない。健康は食から。最近注目されているのは腸内発酵食品なんだという。腸内の善玉細菌のエサになるオートミール、小麦ふすま、キウイ、根菜といった食物繊維が豊富な食べ物がよいという。京丹後に長寿の方が多いのはこうした食べ物を多く摂っているからという。以上はアサイチの情報である。ちょっと待った。似たような話を「がってん」でも聞いた。でも、あちらは、京丹後の長寿は海藻のおかげと言ってたぞ。アサイチでは海藻のカの字も言わないのはなぜだ。同様のことを思った視聴者からの質問に対し、番組は「海藻はたしかに食物繊維が豊富。だが、欧米人の多くはこれを分解する酵素を持ってない。日本人は持ってる人が多い。持ってる人ならおおいに食べればよい」と答えていた。「がってん」から話が後退している。所詮テレビである。これまでも「納豆」「舞茸」「イカスミ」等々が体にいいと報じて私を含む多くの善良な市民にスーパーに走らせた後はいつの間にかなかった話になっている。海藻だってそうだ。いいって言うから毎日ラーメンに入れて食べていた。ドイツ人の私には無意味だったってことである(注:1ミリもドイツ人じゃない)。ま、しかし、オートミール等々の話は胸に響いた。しばらく騙されることにしよう。ということで、私の朝食は激変した。20年続けてきた朝ラーメンをやめて、オールブラン(小麦ふすま)に牛乳をかけてキウイを乗っけたものにした(冒頭の写真)。これまで、スーパーで山積みされたキウイを見て、誰が買うのか思っていたが、しっかり私が買っていた。昼は、ご飯に味噌汁だが、ご飯は3分の1を玄米にした。そして、夜は野菜炒めに肉又は魚。昨夜はササミで大葉とチーズを巻いてパン粉をまぶして焼いたもの。パン粉は、猫が見つけて食い散らかしたライ麦食パンの残りを電動みじん切り器(フードプロセッサーと言うらしい)で細かくして間に合わせた。



4個作ったが、例によって2個残して冷凍した。なかなか健康的である。それもこれもファルスタッフになるためである。因みに、ファルスタッフは、アリーチェとメグの二人の人妻を前に「È doppia l’avventura!」とも叫ぶ。「ドッピア・ラヴェントゥーラ」=「ダブル・アヴァンチュール」!後者は、英語と仏語のチャンポンであるが、「アバンチュール」は英語で「romantic adventure」と言うそうだ。なるほど、アバンチュールは恋のアドヴェンチャーってことか。なお、私が「ファルスタッフ」と言うのはヴェルディのオペラを念頭に置いているからで、原作のシェークスピアは「フォールスタッフ」である。因みの因み、「ドッピア」「ダブル」はドイツ語で「ドッペル」。バッハのヴァイオリンのドッペル・コンチェルトもいずれ弾いてみたいと企んでいるワタクシである。

「ノルウェーの森」は林?(ズーラシアはご近所)

2021-06-08 09:21:19 | 言葉


失敗は成功の元。こないだ真っ黒だったハンバーグは今回はそこそこの色。なんで二つかって?そりゃ、一つはゲリープテのものさね。因みに、ワタクシがボエームごっこをするとき、右手はロドルフォ、左手はミミになる。そして、ハンバーグをゲリープテと食べるごっこのときは、右手はワタクシ、左手はゲリープテになる(民法的には、前者は双方代理、後者は自己契約である)。現実のことを言うと、以前はたくさん作った食べ物、例えば餃子を24個作っても一晩でペロッと平らげた。だが、最近は残して冷凍するようになった。よる年並みに勝てぬということか。そんな具合だから、もし、あたくしに密かに思いを寄せているご婦人がいらしたら、時間はさほど残されてない、アタックするなら今である(これが閉店セールだとすると、当分同じことを言うことになる)。さて。チコちゃんの今回のお題は「森と林の違いはなに?」だった。ワタクシの解答は、「どっちも木が生えているが、山が森、平地が林。あと、鬱蒼としてるのが森、すかすかして日当たりがいいのが林」。この解答だとチコちゃんに「ぼーっと生きてるんじゃないよ」と怒られるところであった。正解は「自然に木が生えてるのが森、植林したのが林」であった。へー。どれどれ、解説を聞いてみよう。「そもそも「森」とは「盛り」のことで、「山」と同義だった」……なんだ、私、合ってるじゃん。で、「戦中は武器を作るため、戦後は住宅を作るために森の多くが伐採されたので、やばいってんで植林した。それが「林」。「林」は「生やす」から来ている」んだと。人工的に植林ってことだと間引きもする。だったら林はスカスカだろう。この意味でも私は正解していた。もともと、私が上記のイメージを持ったのは、「森」は木が三つで上下二段であるのに対し、「林」は木が二つで並列であること、それから「鬱蒼とした森」という言い回しが原因である。ところで、森の多くが伐採されたのはドイツも同じ。ドイツの森は、(黒い森などを除き)現在ほとんどが人工的に植林されたものだそうだ。すると、チコちゃんの定義だと、「ドイツの森」は「ドイツの林」になる。いや、私の定義でも、南部の黒い森等を除き、ドイツの森は平地にあるからやはり「ドイツの林」になる。そう言えば、ドイツ語で「森」は「Wald」のほかに「Forst」もあり、こっちは人工林を意味するそうだから、チコちゃんの定義でいくと「Forst」は「林」である。その「forst」は、英語では「forest」となり「森」と訳されているが、英語の「森」には「woods」もある。この両者の関係は?それぞれ多義多様であるが、一般には、「forest」の方が「woods」よりも大きくて鬱蒼としていて、「woods」はすかすかなのだと。すると、「Wald」=「forest」、「Forst」=「woods」となって、ドイツ語と英語は逆になる。ってことは、タイガー・ウッズは「森さん」ではなく「林さん」だし、「Norwegian Wood 」は「ノルウェーの林」ということになる(もともと「Wood」にsが付いていないから、「ノルウェーの木製家具」が正しいという説もある)。因みに、私の育った家は、横浜市緑区(当時は港北区)中山町の丘の上にあったのだが、その南部には広大な森が広がっていた。それが、私が小学校低学年とき伐採されて「中山団地」ができたが、その南側にはなお鬱蒼とした森が広がっていた。その森を必死の覚悟で抜けると白根町の町並みが現れてほっとする。帰りは、長い下りのバス道路を一気にチャリで下るのである。最近、故郷を歩いてみたら、そうした森はすべて住宅街になっていた。だが、そのバス道路の西側(昔のウチから見て南西側)にはかなり森が残っている。ズーラシアはその森の先にある。

下総の国~信長はテナー~好色な王様~動かない指揮者

2021-06-07 09:20:41 | 音楽
ここ数日、当ブログで話題にしている地域=ミナミジサイチョウがカエルを食べ放題してた地域=常磐線沿線、北総線戦線、そして京成本線沿線は、一言で言えば下総である。その南が上総。上総が「上」なのは、より都(京都)に近いから。上総の南が安房である。挙兵した源頼朝は、石橋山の戦いで敗れ、神奈川県の真鶴岬から船で安房に逃れた。そこから、上総、下総を北上後、江戸川と隅田川を渡って鎌倉入り。つまり東京湾をぐるっと回ったわけである。歴史と言えば、私は博多華丸さんが大好きだが、西郷隆盛はイメージとは違う。西郷さんは、史実では医者からダイエットを進められたほどの巨漢であるのに、華丸さんはほっそりとスマートでいらっしゃるからである。同様に、大概の織田信長役に違和感を感じるのはその声である。宣教師ルイス・フロイスは、信長について「その声、甚だ高く」と書いている。だから、私の信長の声のイメージは、リヒャルト・シュトラウスのオペラの「ヘロデ王」「エギスト」、又は歌劇「金鶏」のピピン王である(いずれも、超高音でキーキー歌う役である)。なのに、信長を演じる多くの役者の声は立派なバリトン。太い声で、光秀に「この金柑あたまー」と言ったり、本能寺の変に際して「是非に及ばず」と言ったりするのを聞き、オクターヴ上で言ってよと思う(だが、最近、「甚だ高く」は「とても大きい」の意味だったのかな、とも思う)。そのピピン王は、「リムスキー=コルサコフ」のオペラ「金鶏」に出てくる王様で、好色家。ボリショイ・オペラが日本でこのオペラを演奏したとき(日本初演)、ちょうど日本では、就任間もない某元首相の女性問題が勃発していた。その話を聞いた指揮者のスヴェトラーノフが、「ピピン王と同じだね」と言ったという。そう言えば、こないだ、Eテレで、N響の団員の心に残る指揮者の特集をしたときスヴェトラーノフの映像も紹介されていた。最高に盛り上げるところで、一切、動かなかった。団員の皆さんは「銅像」を仰ぎ見る心持ちだったいう。私もこの人の演奏は好きで、その昔、タワーレコードでN響を振ったCDを試聴して、びっくりして何枚か買い込んだ覚えがある。「動かない」と言えば、バーンスタインがウィーンで「バラの騎士」を振ったとき、ある部分で、「ここは皆さんの方が私よりはるかによく知ってるでしょう」と言ってあえて振らなかったと言う(「バラの騎士」はウィーンが舞台である)。ウィーンの人はそういう風に言われるのが大好きらしく、翌日、新聞はこのことを大々的に報じたそうだ。なかなか世渡り上手なバーンスタインである。さて、今回は「森と林」の話をしようと思っていた。房総半島に広がる森林からの流れでちょうどいいと思ったからだ。ああ、それなのに。筆任せで書いていたら、ウィーンのバーンスタインで終わってしまった。「森と林」は次回以降に回すことにする。

怪鳥が白井でご用となり、歓呼する柏のカエルは下戸である(ゲコゲコ)

2021-06-06 09:39:13 | 音楽


サイゼリヤでよく頼むのはハンバーグ。だが、禁酒法施行以来、サイゼリヤにはとんと行ってないからハンバーグも食べてない。そろそろ食べたい。出来合いのはいやだから自分で作ろう。特大のタネを焼く。ありゃ。いい色すぎちゃった。ハンバーグもうまく焼けないようだとお婿に行けない。ひっくり返して反対側を撮ろう。ありゃ、同じだ。ますますお婿に行けない。今どきならこの色をケロッといい色に変換するアプリくらいあるだろう。だが、ウソはいかん。真のワタクシをさらけだして、それでもいいという人のところにお婿に行く所存である(株式会社だって、株を発行するとき、自社の情報を包み隠さずに提供して、それでもいいと思った人に引き受けてもらう)。昨日の地理についての誤解についての続報。私にとって、高尾の先の相模湖あたりが神奈川県になることがやはり不思議だった。いや、相模湖と津久井湖は神奈川県に決まってる。育った県である。小学校でまっさきに教わった(因みに、宮ヶ瀬湖は当時なかった。大人になってから宮ヶ瀬ダムがどうのこうのと聞くたびに、うーんと遠くの県の話だと思っていた。なんと、神奈川県に21世紀にできたダム湖であった)。だが、中央本線で高尾の次が相模湖駅だったり、裏高尾を歩いていて降りたった先が相模湖だったりしたとき、そこが神奈川県だと考えると、よく分からなくなるのである。つまり、私のおつむの中では、高尾(東京都)は神奈川県の北にあり、東京都の西には山梨県がある。なんで、東京都と山梨県の間に神奈川県があるのか、このことである。ここで、神奈川県の地図を思い起こそう。その北側は相当にでこぼこである。真ん中あたりがへこんでいる(そこが東京都町田市)と思うと、その西側が、逆に、とがった三角帽子のように北側(東京都側)に突き出ている。そのとがった三角帽子の部分を横断するのが中央本線であり、そこに相模湖があったのである。納得した。それからもう一つ。相模湖一帯が相模原市だということが、なんとも解せない話だった。実は、私の実家は横浜市緑区から相模原市に引っ越して、私も2年間そこに住んだことがある。当時の相模原市は、相模湖とは無関係であった。相模湖あたりは津久井郡であった。それが、平成大合併で大きくなって、相模湖あたりをエリアに取り込んだのだ。宮ヶ瀬ダムの造成にしろ、相模湖の相模原市への編入にしろ、こうしたことは、私が故郷を離れ、足立区民として根付いた頃に起きたことであるから、全然知らなかったのである。平成大合併と言えば、柏市もそれで大きくなって白井市と隣接するに至ったそうだ。相模原市も柏市も、まるで信玄絶頂時の武田の領地のようである。すると、膨張した柏市と隣接するに至った白井市は上杉謙信の領地ということになる。そう言えば、柏市にいたミナミジサイチョウが白井市でご用となったそうな。ご本人(鳥)にとっては悲報?所有者のペットショップにとっては朗報。柏や我孫子のカエルくんたちにとっても間違いなく朗報である。さてクイズ。このカエルくんたちはお酒が飲めるでしょうか?答え=飲めない。理由=ゲコ(下戸)だから。

柏のすぐ南に白井がある怪

2021-06-05 11:18:06 | 音楽
ミナミジサイチョウについて急展開。所有者が現れた。件の鳥はペットショップから逃げ出した輩らしい。ということで捕獲作戦が始まった。捕まるのかね。その様子を見ていたテレビのコメンテーターが、鳥にとってはこのままここにいる方が幸せだと思う、と。あのね。私だって心中そう思いますけどね、テレビでそういうことを言っちゃいけません。動物は、わが国の法制度のもとでは所有権の対象。所有者が所有物の占有を求めることに文句を言うことはできない。残念ながら、動物は生まれながらにして平等ではないのである(人間が他の人間の所有物でなくなったことでさえ、長い人類の歴史から見ればつい最近のこと)。ところで、捕物劇が行われた場所は手賀沼の周辺らしい(「鳥を見た」と生徒が騒いだ小学校の名前から判明)。そこら辺をグーグルマップで見ていて、ん?ちょっと目を南に転じると、最近ちょくちょく通っている白井だ!どうにもピンと来ない。私のイメージだと、柏・我孫子は千葉県の北の方。白井は内陸。うーんと離れてると思っていた。ついでに言うと、白井から北総線で東に向かうと成田空港があるってこともハテナである。成田空港って、京成本線の先っちょでしょ?なんで北総線のゴールと同じなの?まあしかし、以上の疑問は単に私に千葉県の土地勘がないから湧いたものにすぎない。あらためて地図を見る。なーるほど。常磐線、北総線、京成本線はいずれも千葉県を(線によっては斜めに)横断しているのだが、それぞれ思ったよりも近い所を走っている。だから、柏・我孫子のすぐ南に白井があるのだな。さらに、京成本線は、南東向きに走っていたのが途中で北東に向きを変える。それでゴールが北総線と同じ成田空港になるのだった。だから、実は北総線の方が京成本線よりもよりまっすぐ成田空港に向かってる。もう一つ、北総線の列車案内表示にときどき「京成」って出てくるのも意味不明だったが、北総線の線路を借りて京成が「京成成田空港線」を走らせていたのだった(わが綾瀬と北千住間だって、千代田線でありながら常磐線でもある)。すると、京成電鉄は、成田空港に向かう二つの路線を持っているのだな。成田空港にはスカイライナーで行くものと決めつけていた私は浦島太郎……え?そのスカイライナーも、今では北総線経由の路線に切り替わってる?もはや浦島太郎を超えている(だが、だいぶ分かってきた)。私、もともと神奈川県民だったから千葉県には疎いのである……と言いながら、実は神奈川県についてもよく分からないことがあった。それは、小田急線の新百合ヶ丘と京王線がつながっている事実を目にしたときのことである。小田急線と京王線ってうーんと離れてるでしょ?それがなんでつながってるの?この疑問もやはり私の誤解から生じたものであった。小田急線は新宿から「南」に向かって神奈川県に入る。京王線は同じ新宿から「西」に向かって高尾に向かう。90度違うんだから、小田急の新百合ヶ丘付近ではその間隔は絶大である、これが私がもっていたイメージである。ところが、地図を見てみたら、小田急線は決して「南下」しているのではなかった。京王線と同様、南西向きだった。だから、相互の距離はずっと近かったわけである。こうした誤解は、多分、小学生のとき、地理の勉強のとき、白地図に線路を上下左右にまっすぐ書いていたせいだと思う。因みに、私は、育ちは横浜市緑区(当初、緑区は港北区だった)だが、生まれは川崎である。川崎のどこかは戸籍の出生地を見れば分かる。なんでも、当時両親はアパートに住んでいて(神田川の世界)、そこで私が生まれたのだが、北向きの部屋だったせいで、生まれたばかりの私は年中風邪っぴきだったそうだ。で、南の部屋が空いたんで、すぐ移って、そしたら私の風邪っぴきが治ったそうだ。

柏の怪鳥は移動の自由を謳歌

2021-06-04 05:22:45 | 日記
やはりアストラゼネカは余ってるそうだ。だが、政府はそれを台湾にあげるという。余ってるならまず自国民に……などとケチなことは言わない。全世界でパンデミックが収束しなければ元の生活は戻ってこないからである。ここはやせ我慢。日本国内でも、人口の少ない地方では高齢者への2回目のワクチン接種がほぼ終わってるところがあるそうな。だったら、緊急事態宣言が出て悪しき禁酒法がまかり通ってる東京でもっと打ってくれ……などとケチなことは言わない。そうした地方はいざ感染者が出ると病床が足りないからあっという間にパニックになる。それに、2回ワクチンを打ったんなら、もう「東京人はこっちにくるな。しっしっ」などと言わなくなるだろう。ここはやせ我慢。さて。自転車がパンクして修理不能なので認知症になるかもしれない、と書いた(どうしてパンクしたら認知症になるのかについては昨日の記事参照)。心配してくださった皆様に朗報である。え?心配なんかする人はいない、みんなお前が困った話を聞きたいんだって?そういう方には凶報である。なんとパンクが直ってしまった。実は、以前、「パンク修理剤」っていう缶からを買ってあった。ノズルを空気穴に注入すると、空気と修理剤が送り込まれて、瞬時にパンクが直り、空気がまんたんになるというブツである。大昔、まだ私が車を運転してた頃、車のタイヤがパンクしたとき同様のものを使ってケロっと直った経験があったので、自転車用のを買ったのだった。その存在に気がつき(ジークムントがノートゥングの存在に気づいたごとし)、試してみた。Augenblicklich(あっと言う間に)直った。試しに、そこら辺を走ってみたが大丈夫だった。やはり効果は絶大であった。それは昼間の話。夕方になると、ぱんぱんだったタイヤがちょっと柔らかくなっている。もしかすると、今日には再び走行不能になっているかもしれん。凶報である(皆様にとっては朗報である)。走り回れる喜び(=移動の自由)が戻ってきたのは一瞬のことだったかもしれん。かつて、村人は領主様の「所有物」であったから、移動の自由はなかった。だが、移動の自由は人間の根源的な欲求の一つであり、日本国憲法でも保障されている立派な人権である。だから、知事様は簡単に「ステイホーム」と言うけれど、もちろん、パンデミックを終わらせるためにある程度のそれは必要だということは理解できるが、それは重大な人権の制約であることを理解して言ってほしい。営業の自由の制約もしかり。飲酒の自由(はっきり憲法に書いてないけれど、13条の「幸福追求権」に含まれていると解することも可能)もしかりである。母は、柔軟剤を使って洗濯をしてもらって、一面「健康で文化的な生活」を営んでいるが、施設からは一歩も外に出られない。へたをすると、廊下をほっつき歩いてても心配されて部屋に戻される。これは仕方がない。かりに、私が母と同居して監護をしたとしても、厳しく移動の自由を制限するであろう。だが、母の身にたてば気の毒ではある。すべては認知症のせい。げに怖いのは認知症である。移動の自由と言えば鳥。鳥は、「花子とアン」の「想像の翼」ではなく、本物の翼を持ち、自由に移動する。自由にどこから移動してきたのか、今、柏に、南アフリカ原産のミナミジサイチョウが来ているという。別に人に危害を加えるような鳥ではないので、市は、とりあえず捕獲とかはしないでほっとくそうだ。柏のどのへんだろう。是非見に行きたい。たんぼで蛙などを食べ放題だという。50年くらい生きるそうだ。へえー、長寿で、ご馳走食べ放題で……だが、つがいではく一羽だけ。寂しくはないのだろうか。よし、寂しい同士だ、私がパートナーになってあげよう。因みに、この鳥名は、ミナミ・ジ・サイチョウと区切るそうだ。サイのような角がついているから「サイチョウ」。「ミナミ」は南アフリカだからだろう。では「ジ」は?私はギリシャ語の「2」を思い浮かべたが、普段は地面を歩いている地鳥なので「ジ」なのかもしれない。

柔軟剤と憲法25条/掃除機と自転車のない生活

2021-06-03 11:08:16 | 日記
母の身の回りのことは施設の方がやって下さるのだが、消耗品はこちらで用意する。こないだは、洗剤に加えて柔軟剤を買ってこいとのこと。じゅうなんざい?CMで耳にするが現物を買うのは初めて。母もそうだと思う。憲法25条は、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する。母は、柔軟剤を得て初めて「最低限度の生活」を営むことができたのか、それとも、柔軟剤の加入によって最低限度より上に浮上したのか。同じく向上したのが部屋の清潔さ。ボケる前の母は片付けが好きだったから部屋の中はガランとしていたが、拭き掃除は嫌いだったらしく、部屋の備品は常にうっすらと「雪化粧」をしていた(その息子は、片付けも拭き掃除も苦手だから、「雪化粧」をしたモノであふれかえっている。だから、ロボット掃除機が通販でいくらお安くなっていても絶対買わない。障害物だらけで動けないだろうからである。ルンバを使える家に引っ越すことが夢である)。掃除機と言えば、「家電は突然壊れる」と言った人がいるが、うちの掃除機はちゃんと予兆を示していた。掃除機をかけるたびに変な臭いがしていた。そうこうするうちに、うんともすんとも言わなくなった。自分のブログを検索すると、12年前の記事に、「去年掃除機を買った」とあったから、13年稼働したことになる(長いのか、短いのか?)。後釜をまだ買ってない。だから、我が家の雪景色は濃くなる一方である。同じく13年でダメになったのが自転車。修理不能だと言われた。これを買う前は、安いやつを2,3年で乗り潰していたが、町の自転車屋さんに、国産はモノが違う、20年はもつ、と言われて、それまで買ってたやつの倍くらい出して購入。もう、数年前から「限界」と言われてきたが、そういういきさつだったから20年はもってもらいたかった(それでも、13年は相当がんばった方だという)。こちらも後釜を買ってない。最近、楽器関係の購入で物入りなため、掃除機と自転車にまで気もお金も回らないのである。しかし、足立区は、地方が自動車がなければ生活できないのと同様、自転車がなければ生きていけない区。相当に不便である。だが、こないだも書いたように、人生、塞翁が馬。自転車がない生活で、逆にいいことだってあるはずだ。例えば、歩く距離が伸びたのなら健康にとっては良いことだ(逆転!)。だが、歩くのがおっくうだから家にいる時間が長くなったのなら、逆に健康にはマイナス(再逆転!)。だが、意図せずステイホームとなって感染の危険が減ったのならやはり健康にはプラス(再々逆転!)。ステイホームのために認知症になったらそれこそ最悪(再々々逆転!)。ここからの再々々々逆転のシナリオは思いつかない。やはり自転車は買わねばならなそうである。

武蔵野

2021-06-02 18:59:03 | 日記


用があって東久留米に行ったときのこと。さて、どうやって帰ろうか。来たのと同じルート(西武池袋線、山手線、千代田線)ならずっと都内だから知事様のご命令に背かずにすむ。だが、西武線で秋津まで行って、そこで武蔵野線に乗り、ぐるっと回って南流山でTXに乗り換えるという手もある。これだと、東京都から埼玉県、千葉県、再び埼玉県を経て東京都に入るから4回県境をまたくことになる。すなわち、4回、知事様のご命令に背くことになる。だが、こちらの方がはるかに密度は低い。知事様は許して下さるだろうか。いや、知事様が許してくれてもJ警察は許してくれないだろう。なにせ、だだっぴろい公道をマスクを付けずに走行する自転車のドライバーに「こらぁ、マスクをつけろ」とお怒りになる方々である。実際に密かどうか、感染の恐れがあるかないかということよりも、お上の命令に従ったかどうかということが最重要項目であられる方々である。いちど、「こらぁ」と大声を出されている方々に「飛沫っ」と声をかけてさしあげたいが、斬られるのはご免だからやめておく(どうも、J警察と新撰組と朝ドラ「カーネーション」に出てきた「全日本婦人会」の三人組がごっちゃになっている)。まあ、しかし、J警察の方々は夜出没されるらしい。まだ夕方だから大丈夫だろうと思って武蔵野線で帰ることにした。ささやかな旅気分を味わいたかったのである。途中で荒川を渡った。おおっ、このあたりの荒川は川幅が狭い。赤羽のあたりで荒川放水路と隅田川に分岐する前である。子供のように、座席から絶って窓に張り付いて写真を撮るワタクシ。



荒川を見られて満足である。さて、その後乗り換えたTXを某駅で下車。ここから自宅まで歩ける距離である。道すがら、飲食店が酒を出しているかどうかの取材をしたかったのもこのルートを選んだ理由である。なんと、多くの店がお酒を出してない。ここは、緊急事態宣言はおろか、マンボーの宣言も出ていないはず。にもかかわらず、知事様が控えてくれと要請をしているらしい。私は、こういうのが嫌いである。控えさせたいなら堂々と宣言を発令すればよい。それをしないでいながら「やめてね」というのはずるい。だが、多くの店は要請に従っている。きっと、言うことをきかないと後でいじめられるのであろう。私が見た中で、二店だけ、「1名様、または同世帯の二人に限ってOK」と書いた張り紙をしていた。当然である。お一人様が感染源になるはずがない(大声で独り言を言うなら別であるが)。同世帯の二人が夫婦ならこれも安全だろう。観光地で話をしない二人組がいたらそれは夫婦だというくらいである。飛沫がとぶ可能性は低い。不倫カップルだとちょっと危ないかもしれない。結局、お一人様OKの店にも入らず、かなりの距離を家まで歩いて帰宅。途中にドブ川にかかる橋がある(写真一枚目)。これが東京都と埼玉県の県境である。

武蔵野線と言えば、大昔、国木田独歩の「武蔵野」って小節を読んだことがある。内容はなにひとつ覚えてないが、作中の「武蔵野」は、今の代々木のあたりだ、と聞いた覚えがある。現在の武蔵野市はかなり西の方である。Wikiには「広辞苑によれば「埼玉県川越以南、東京都府中までの間に拡がる地域」であり、また広義には「武蔵国全部」を指すこともあるとされる」とあった。 その意味なら「武蔵野線」という名も納得である。なお、「同世帯ならOK」のお店の話だが、もし、私がそういうお店で誰かと二人でいたら、お相手は、世に憚る隠し妻か、あるいは、その時間限定でなっていただいた内縁の妻のいずれかである。