拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

丈夫な弦子

2021-05-01 23:22:59 | 音楽
だから私を調子に乗せてはいけない。暴走は止まらず、とうとう、O子を連れてソロ・コーナーに出てしまった。曲は、映画「ロミオとジュリエット」(オリヴィア・ハッセーが出てたヤツ)から(作曲:ニーノ・ロータ)。家で試したときは、中間部から戻ってくるところでヘロヘロになった。どうしよう。そうだ!名案(とこの時は思った)を思いついた。中間部から戻ってきたところで歌にしよう。実は、中学1年んときこの映画を見て、サントラ盤を買って、英語の歌詞で随分歌っていた。そのとき以来である。うーんと甘く、ささやくように歌おう。すると、聞いた美女たちは、イージマさんたらお釜のカウンターテナーだと思ってたら、こんなに甘い歌を歌える「男」だったのね、と見直してくれるに違いない。そして、何人もの美女が私に告るのである。だが、私は「ごめん、ボクは道ならぬ恋をしているので、あなたの愛に応えることはできない。来世で一緒になろうね」と言って襟を高く立てて立ち去るである(この一文を信用する人は一人もいないことは分かっている。誰も信用しないのなら、私は嘘つきではないことになる)。事の顛末は以下の通り。まず、しょっぱなで音がはずれる。いきなり想定外である。最初からやり直す。中間部までは、最低限、止まらないで来た。いよいよ歌への切り替え。ここで事故発生。オーボエは息が余る楽器である。歌に切り替えたとき、体の中には大量の空気が余っていた。それを怒濤のように吐き出した瞬間が歌の出だしである。甘く切ないはずの歌が、♪ビルーの街ーにガオー状態になってしまった。まるで、お笑い隠し芸大会である。さあ、ここまではよくある話。私が最低の父親になるのはここからである。私はこの顛末をすべてO子のせいにし、O子に禁錮10年の刑を言い渡した(バッグの奥底に押し込めた)。だが、すぐ反省した。O子は悪くない、悪いのは私だ。家に帰ったらすぐ釈放するからね。この時点で、私はまだ最低の父親になってない。いよいよここからである。会場には弦子も連れてきていた。ちょっと気が向いたので、スプリング・ソナタの出だしをちろっと弾いて思い出した。そうだ、私はこの曲をI美女のピアノで弾くんだった。たしか、Facebook上のコメントでした約束だから、これは公約である。なのに、ここのところ、他の娘にかかりきりで、スプリング・ソナタの練習は数か月していなかった。心より反省。これからは、ペッ子とF子とO子との面会は一日一回5分にする。あとの時間は、弦子(と鞍子たち)との練習にあてよう。ごめんよ、弦子、家に帰ったらすぐなでなでしてあげるからね……と言って帰ろうとした次の瞬間、弦子は床に倒れていた。ケースの口が開いていて、そこからこぼれ落ちたのだ。つ、つるこー、大丈夫かー(そう、「げんこ」ではなく「つるこ」である)。だが、弦子は擦り傷一つ負わなかった。飼い主……じゃない、猫じゃあるまいし……父(丈夫だけが取り柄)に似て丈夫な子だった。良かった。だが、告白しよう。私は、ここで、一瞬とんでもないことを考えた(それがゆえに、今宵、私は最低の父親に成り下がったのである)。もし、弦子が再起不能だったら弦代(つるよ)を家に迎えよう。弦子の10倍以上出して、ええとこの娘の弦代を迎えよう……そんなことを考えたのである。父親の風上にもおけない。ごめんね、弦子、父は大いに反省するからね。もし、弦代が来ても弦子のことも絶対大事にするからね……って、なんだ、やっぱ弦代は来るかも知れないのか。だってさ、弦子が姉妹が欲しいっていうから……こういうウソを大人はつきがち。実は、だいぶ前から弦代のことを考えている。酔っ払って銀座を歩いているときなんざ、その勢いで某楽器店に入ってお奨めを聞いたくらいである。次に酔っ払って銀座を歩いたとき、そのときこそ弦子の妹を連れて帰る日かもしれない。

悪代官の「あ~れ~」がバッハの「Singet」につながる今回のお話

2021-05-01 07:12:12 | 音楽
チコちゃんで、目黒祐樹さんが、「あ~れ~」をやっておられた。長い俳優生活の中で初めてと言って、喜んでおられた。念のために言うと、目黒さんが「あ~れ~」と言ったのではない。悪代官が女性の帯を引っ張る。すると、女性がコマのようにくるくる回って身ぐるみがはがされる。そのとき女性が発するのが「あ~れ~」である。すなわち、「あ~れ~をする」=「女性の帯を引っ張る」である。この場合の「あ~れ~」をドイツ語で表記すると「Aale」。「うなぎ」の複数形である。だが、うなぎ大好きぃ♪と言って、ドイツに行って「アール」を連呼するのはやめておいた方がいいかもしれない。この言葉には下ネタの意味もあるから。因みに、私が「うなぎ」で思い出すのは二本の映画。一つは今村昌平監督が二度目のカンヌの大賞を受賞した作品。役所広司さんが元受刑者の役をやっていた。その点で、最近の話題作「素晴らしき世界」と相通じる。もう一本はドイツ映画の「ブリキの太鼓」。情事の際、服をぬぐ時間も惜しいとばかりに間男と抱き合う主人公の少年の母がうなぎをむしゃむしゃ食べるシーンが印象的だった。因みに、「うなぎ」にも役所さんと清水美沙さんの濡れ場がある(今村監督が最初にパルムドールを受賞した「楢山節考」も「生殖」がテーマの一つだった)。「あ~れ~」に戻る。「あ~れ~」ではなく「アルレ」と言えば、第九の「すべての人は兄弟になる」の「Alle Menschen」の「Alle」(すべての)である。なお、「All」の語尾が常に「e」になるわけではない。例えば、「Alles was Odem hat,lobe den Herrn」(息ある者はすべて主を称えよ)の「all」は「was」にかかるので「Alles」である。因みに、この句は、バッハのモテットの1番(Singet)の最後の部分の歌詞。かっこいいねぇ、歌いたいねぇ。歌えるよー!歌いまくる会で、ある月のお題がソロ・カンタータになったとき、もちろんそのソロがどのパートかに関係なく、みんなで歌ってよいのだが、でも、本来の自分のパートを歌いたいと言う人のために、そういう日はバッハのモテットとかかを抱き合わせる。その「抱き合わせ作品」を「Singet」にだってできるわけである。