拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「ワインする」=「泣く」?/天皇賞があってのBWV12

2021-05-08 09:37:08 | 言葉
疑問と捜索は果てない。昨夜の記事で、ロ短調ミサのCrucifixusの原曲であるBWV12の原曲であるヴィヴァルディの曲とBWV12を比べてみて、まことにそっくり。ヴィヴァルディの曲のある部分を歌詞(をドイツ語に直訳したもの)を含めてそのまま合唱にしたことを見た。そのBWV12の歌詞の冒頭は「Weinen」(泣く)。原曲の「piango」の直訳であるが、この「weinen」を書いててあらためてハッと思った。「weinen」は動詞で「泣く」の意味だが、考えてみれば名詞の「Wein」(ワイン)に「en」を付けただけである。両者はどういう関係なのだろう。「ワインする」ことが泣くことなのだろうか。想像した(この想像は後で見るように徒労に終わる)。例えば、ロマン・コンティを飲んで、美味しすぎて、随喜の涙を流す。逆に、もったいなくて飲めなくて何十年も経ってから飲もうと思ったらお酢になっていて、慚愧の涙を流す。あるいは、ワイン造りの過程の中で、昔は大きな樽の中で人間が葡萄を足で踏み潰していたのだが、その作業がきつくて辛い涙を流す。いずれも「ワインする」が「泣く」である。そういうことか?そういうことではなかった。「weinen」と「Wein」の語源は全く別物であった。「weinen」の語源は「weh」(悲しいときに発する言葉)であるという。それに対し、「Wein」の語源はラテン語の「vinum」であるという。因みに、私がワイン関係の仕事をしてたとき、会社にあったワインについての洋書に「ワイン踏み」の様子を映した写真が載っていたが、全員素っ裸のフランス人(男性)で、「わいせつ物」がはっきり写っていた。同僚(全員女性)がそれを見て「おおーっ」と感嘆だか驚愕だか分からない声を挙げていたことを覚えている。さて。BWV12でだいぶ記事を書いた。BWV12のことを書いたきっかけは、「マタイ受難曲の原曲はハスラーの世俗曲」という記事に対して「原曲と言えば」と言って寄せて下さったコメントである。「マタイ受難曲の原曲はハスラーの世俗曲」を書いたきっかけは、「むすんでひらいての原曲はルソーのオペラ」という記事に対して「似てない」と言って寄せて下さったコメントである。「むすんでひらいての原曲はルソーのオペラ」を書いたきっかけは、映画「ベン・ハー」の世界が人権をないがしろにしているのを見て人権思想家のくせに自分の子供を何人も孤児院に棄てたルソーを思い出したからである。「ベン・ハー」のことを書いたきっかけは、天皇賞でカレンブーケドール(牝馬)が激走したことを書いた記事に対して、最近BSで「ベン・ハー」を見たと言って寄せて下さったコメントである。ということで、最終的に、BWV12とヴィヴァルディの「Piango」の比較ができたのは、最初に天皇賞のことを書き、それに対してお友達たちがコメントをくださったおかげである(風が吹けば桶屋が儲かる)。すべては天皇賞とお友達に感謝である。おまけ。「むすんでひらいて」の歌詞の中に、「また開いて」という箇所がある。この「また」は、「also」(英語。ドイツ語でアルゾーと読むと別の意味になる)の意味であるが、どうしても「股」を思い浮かべてしまう。仕方がない。「まーたひらいて」(♪ミーミファソソソ)という音の長さのせいである(「also」の意味の「また」は短い)。そして、その意味での「まーたひらいて」で思い出すのはピンクレディーの「ペッパー警部」である。